ダブルドライブ 2
二人は睨み合う。つい数分前までの喧騒と、そしてたった今このホールを包む静寂と、その対比が一層緊張を強めていく。
「……穏便に? そうしたいならもう少し賢くやったらどうだ。怪しさだけは文句なしに満点だったからな」
小馬鹿にしたような宗助の口調に、コートの男はその髪の毛一つない額に青筋を立てる。
「口だけは達者だな、クソガキ。だが、俺の目的はお前との呑気なお喋りじゃないんだ。目的はそこの『娘』」
そう言って、宗助の背後で縮こまっているリルを指さした。そして男はリルと自分の間に立つ宗助を押しのけようと、手を宗助の肩めがけて伸ばした。
「さっさとそこを、どけ!」
男は表情を醜く歪めて近づき、リルは恐怖で二、三歩後退する。しかしその男の右腕はリルどころか宗助に触れる事もかなわず、そのまま宗助とすれ違うように空中を吹っ飛んで、勢いよく地面に背中から叩きつけられたのだった。
「ぉぶッ!」
肺から酸素が排出され、コートの男は酸欠による軽いパニック状態に陥る。
「リル、それ以上下がるな。こっちだ。俺の後ろの、うん、そこらへん」
宗助は男へと振り返ると、再びリルを背後へ隠す。
「……いっ!? っ!? ……、な、にが、……!?」
一方でコートの男は、自分が投げ飛ばされたという事を理解できていなかった。
度重なる格闘訓練という名のイジメの賜物か、目の前で千咲が何度も繰り出した投げ技を見ていたことにより、自分より大きい人間の投げ方が身に染み付いている。それに加えて、もともと格闘技への嗜みがあったからか、宗助の放つ投げのモーションは無駄が無く、自然に、速く極まった。その滑らかさゆえに、男は自分が投げられたという事実がすぐに理解できなかった。
「この子に何の用事があるか知らないが……。アンタを危険な変質者と判断する。この子はあんたとは一緒に行かないし、連れて行こうとするのも俺がさせない。お前には聞きたい事があるが、今は構っている時間もない。一人でとっとと避難してろ」
宗助は、地面には倒れる男を見下ろしながらそう吐き捨てた。その男は、暫く地面で寝そべっていたかと思うと、何故か突然、その状態のまま喉を鳴らすように笑い始めた。
「くっくっ……くっくっくっ……くはは……」
「……頭打って、おかしくなったか」
「……打ってねぇよ。くくくっ……」
先ほどから冷静に振舞っている風に見える宗助とて、こういった場面に慣れているかと言えばそれは全くの逆で、彼は今、頭の中を猛烈に状況を整理整頓し回転させ、何が最善かを模索している状態だった。自分が何を言っているかも、半分は理解できていない。少しでも行動を間違えれば、頭の中がこんがらがりそうだった
この男とこれ以上関わるべきか否か。
逃げた場合どうなるか。
このまま戦闘に入ったら後ろのリルはどうなるか。
どうするべきなのか、場数が少ない宗助はきっぱりと判断できない。そんな宗助の心境を知ってか知らずか、男の口からは未だ不気味な笑いが零れ続けていた。
「ボディガードか……? その娘に依頼されたとか……」
「依頼?」
「いや、それはないか……ククッ……。じゃあ本当に、熱血警備員ってとこなのか? ……女の前だからって、格好つけてんじゃねぇぞ、おい……。お前、その『娘』が今、どんな状況にあるか知ってんのか。知らねぇだろう」
「……状況? さっきからブツブツと一人で、なんなんだお前は。はっきり物を言ったらどうだ」
何のことか全くわからなかったが、しかし、その言葉を聞いたリルの肩は、あからさまにぎくりと大きく動いた。位置的に宗助の背後だったため、それを宗助が見ることはなかったが。
「やっぱ、知らねぇか……そりゃあそうだ。知っていたらこんなバカなことはしないぜ」
男はゆっくりと立ち上がると、体に付いた埃を手で払う。そして再度宗助とリルに向かって歩を進め出した。
「テメェのやっている事を例えるなら、足に縄もつけずに吊橋の上から飛び降りるくらい、アホでマヌケで無謀な自殺行為だって言ってるんだよ……引き返すなら今のうちだぜ? ええ、おい」
「……だから、何が言いたいのかよく分からんと言ってる。ノーロープバンジーなら近頃やる機会があったが、この通り俺はピンピンしている。心配は要らない」
肝心な部分が不明な言葉をいくら並べられようと、宗助にとっては何の忠告にもならず。コートの男は、宗助のああいえばこう言い返す態度が気に入らないのか、イラついた態度を見せる。
「ったく、本当に……ごちゃごちゃ口が減らねークソ野郎だな! 黙ってその娘をよこせ! オラ、どけッ!」
先程よりも更に荒っぽい言葉遣いで、男は再度宗助とリルに襲いかかった。男は右の拳を思い切り振り上げ、そのまま宗助の顔面めがけて振りおろす。しかし宗助にとって直線的な攻撃は大した脅威にはならず、それを容易く左腕で捌き、カウンター気味にひざ蹴りを相手の下腹部に叩き込んだ。
「ッうごォッ!」
効果有りというのがよくわかるうめき声をあげて、コートの男がよろめいた処に、更にもう一撃胸部に蹴り突きを撃ち込む。男は観賞用の植物をなぎ倒しながら吹き飛び、そのままそれらの中に埋もれた。リルはというと、宗助の背後でぬいぐるみの入った袋ごと自らの身体を抱きしめて、目の前の光景を不安そうに見守っている。
(……ちゃんと相手の動きが見えるし、戦えている……)
宗助は格闘訓練の成果を実感しながら、次の展開を予想する。更にキレてこちらに向かってくるのか、それとも別の手に出てくるのか。今のところその片鱗は見せていないが、もしかしたら目の前の男が「ドライブ」を操る能力者であるかもしれないとも考えていた。そしてもしかしたらブルーム達の仲間なのではないか、とも考えられた。
ある程度格闘術が身に付いてきている事が実感できたとは言え、ドライブに関して宗助はまだまだ赤子同然だ。ここで戦うのが吉なのか、それとも。
(どうする……俺は、どうするべきなんだ……教えてくれ、不破さん……!)
奥歯を噛み、ここには居ない上官につい判断を仰ぎたくなる。
すると、彼のズボンのポケットから携帯電話の着信を知らせる振動が流れた。今度は、それに出るか出まいかを考える。男はまだ起き上がってくる様子はなく、もしかするとこの電話は一文字からで、着信履歴を見てかけなおしてくれているのかもしれない。宗助は再度自分に問いかける。
(……自分の目的はこの男を完膚なきまでにぶちのめすことか? いいや違う。友人の安否を確認して、合流する。そして、何やら狙われているらしい後ろの彼女を無事に避難させる。それが何よりも優先される!)
宗助はズボンのポケットに手を入れて、素早く携帯電話を取り出した。ディスプレイに表示されていたのは 「一文字 千咲」 の名前。
「普段は勘が悪い方なんだけど、今日は当たったな」
ボソッと呟き、宗助は通話を開始する。
「よし、それじゃあ行こう」
「え?」
そして、それと同時にリルの手を引いて走り出した。
「言っとくけど、逃げるんじゃねぇからな!」
*
またしても少し時間が前後することになるのだが……突然の天井崩壊の後、千咲と岬がどういった状況に陥っていたのか。
「痛た……、一体何が起きて―」
千咲はあれだけの瓦礫の雨に遭いながらも、体中のあちこちにかすり傷を負ったくらいで奇跡的に大きな怪我は負っていなかった。よろよろと、恨み節を吐きながら瓦礫の山から立ち上がる。
そして立ち上がった彼女は、自分の傷なんかよりもまず、今の今まで行動を共にしていた友人の姿が見えない事に顔を真っ青にした。
「……岬っ、どこっ、どこにいるの!? 無事なら返事をして!」
大きな声で彼女の名前を叫びながら、周囲を見回す。薄情にも、周囲の人間は突然の天井崩壊に逃げ出してしまい誰もいなかった。
「う……ち、さき、ちゃん……」
千咲のすぐ傍にある瓦礫の下から、微かな呻き声が漏れた。
「岬っ」
千咲がすぐさま足元を確認するとそこには、瓦礫の下敷きになっている岬の姿が隙間から見えた。
「……ッ! すぐにどけるからッ!!」
千咲は自分の胴体ほどもあろうかという瓦礫を軽々と持ち上げて、それを横へどかしていく。慎重に、慎重に、彼女の上にのっている瓦礫を取り除いていった。 不幸中の幸いと言うべきだろうか、瓦礫同士が絶妙なバランスで支え合い、岬の居る場所は空洞の様になっていた。そのため彼女が圧迫されている、という事は無かったのだが……。
岬の頭からは、真っ赤な血が大量に流れ出ていた。落ちてきた瓦礫が頭に直撃したのだろう。床に小さな血だまりができているし、岬の眼はうつろで、顔色は不健康に青い。
「ちさき、ちゃん……。だい……じょう、ぶ……?」
「それはこっちのセリフ! しっかりしなさい!」
「わたしは……。なんだか、からだ、が……。うごか、なく、て……、さむい……」
岬は蚊の鳴くような声で、自らの状態の感覚を伝えている。その姿は痛々しいと言う他無かった。
「喋らなくていいから! 今救急部隊を呼ぶ!」
千咲は携帯を取り出すと、救急の番号に電話をかけ始めた。たった三ケタの短縮番号の筈なのに、二度も番号を打ち間違える。
(落ち着け……落ち着かなきゃ……今、自分にできる事をしっかり!)
突然陥ってしまった、一歩間違えれば親友を失いかねない状況に、千咲は意図的にひとつ、ふぅー、とゆっくり息を吐いた。そして焦りや混乱、不安で小刻みに震える手でぎゅっと携帯電話を握り締めて受話部分を耳に当てた。
「もしもし、一文字です! 緊急です、応急救護お願いします! みさき……瀬間が、突然瓦礫が降ってきて頭を打って……! はい、ええ。はい……。意識は……朦朧として……。出血がひどいです…………場所は……」
千咲は自らに、落ち着け、落ち着けと何度も言い聞かせながら、救急の質問に答えて行く。その間に、意識を朦朧とさせていた岬は、ついには瞼を閉じて意識を手放してしまった。救急との連絡を取り終えたすぐ後に、避難を勧告するアナウンスが館内に放送され始める。既に周囲に人は居ないため、誰も手助けには来てくれない。
「頭の怪我は無暗に動かさない方が良い。けど……こんな瓦礫と埃まみれの所に寝かせるのも良くないよね……」
すぐ近くの、瓦礫を浴びていないソファに頭を揺らさないように腕で首を固定し慎重に岬を運び、ゆっくりと横たわらせる。手に血がべっとりと付着したが気にしていられない。
「ハァ、ハァ……次は……」
千咲は再び瓦礫の方へ向き直った。
「……生きているのかしら……」
それは、天井が爆発する直前に走り寄ってきたあの男に向けられたものだ。
この状況は偶然なのか? 答えは間違いなくNOだ。あまりにも不自然な事が、自然な流れで起きている。どういう仕組みなのか千咲にもさっぱり見当もつかないが、数字がゼロになれば死ぬと狼狽していた男と、そしてゼロになった途端に起こった天井の崩壊。彼女が思うに、彼は間違いなく被害者でもある。あのような異常な現象は、十中八九何らかの特殊な能力の仕業であると見て間違いない。
飛びかかってきたその男とは別の、強烈な悪意を持った人間がこの建物内に居る。
そしてそれが特殊能力によるものだとして、あまりに謎がありすぎる。
「……生きているなら、話を聞かせてもらう……。どれだけ重症でも……!」
そして千咲は、瓦礫の山を再び崩し始める。二、三個大きめの瓦礫をどかしたところで、すぐに目的のものは見つかった。人間の足らしきものが瓦礫の奥に見えたのだ。
「……っ」
その時点で彼女の頭には、最悪の光景しか映っていなかったのだが。少しでも情報が欲しい。少しでも可能性が欲しい。その思いが、四個目の瓦礫に手をかけさせる。そしてそれを持ち上げた、その瞬間。咽かえるような血の匂いが、一気に鼻腔に拡がった。おおよそ人間の持つ原型を留めていない姿の、中年の男の姿がそこにあった。腕や足は潰れてバキバキに折れ曲がっており、胸部は抉れていて、顔や腹部はぐちゃぐちゃに潰れている。
言うまでもなく、彼は既にこの世から去ってしまっている。千咲はその血の匂いと、剥き出しの内蔵と、目の前に横たわる惨たらしい『死』の存在に耐えきれず、『男だったもの』から目をそらし、口に手を当てて瓦礫の山から離れた。
「うっ……う……ゴホッ……」
嗚咽まじりに呼吸を整え、額には幾つもの冷や汗が浮かび、輪郭に沿って流れ落ちる。気の弱い人間ならば失神を起こしそうな状況・光景に対して、千咲は自らに活を入れる。ここで自分の心を投げ出すことは、隣で横たわる親友をも殺す事に同義なのだ。目をきゅっと細めて、全身に力を込める。
まだするべき事はある。もう一人の同行者、生方宗助の安否の確認だ。一体ここで何が起きているのかは不明だが、とにかく無事でいて欲しいと祈る。無事じゃないなら、二人とも自分が救い出してみせる。無事でいるなら側に戻ってきて欲しい。まだ仲間がいるのだと自らを奮い立たせ、顔を上げた、その時。
「……え…………?」
彼女が、目の前で起こるどんな凄惨な光景よりも何よりも今、もっと更に受け入れ難い光景が、眼に飛び込んできた。何気なく見たガラスに写った自分の姿。その頭上に表示された、赤い998という数字。
あの惨たらしい最期を迎えた男と同じ。
「なんで……私が…………?」
およそ一◯◯◯カウント。
それが彼女に残された時間。




