友達になろう
宗助は二人が買い物をしている間に、宣言通り自分の買い物をしようと一人モール内をブラブラすることにした。
大漁の荷物は流石にコインロッカーに入れた。コインロッカーを五個まるごと占拠なんて、彼の人生で勿論初めての事だった。宗助の手の平には、未だに紐の痕が赤く残っている。
なんとなく飲食街に足を運ぶと、千咲が「昼食を御馳走する」と言っていたことを思い出し、「よぉし何をおごらせてやろう」と、せめてもの彼女への復讐の算段を立てながら飲食街のショーウインドウを僅かに邪悪な笑みを浮かべながら歩いていた。本人は気付いていないがハタから見ればかなり怪しい。
だが、ここで宗助は少し考える。半月分の給料が数日前に自身の銀行口座に振り込まれていたのを思い出した。半端ない額が銀行口座の一行に突如降臨していたのだが、新人でアレほど貰えるなら、先輩の彼女は当然更に多く貰っているだろう、と。回らない寿司やら高級料亭やら高級焼肉を一度奢らせたくらいでは彼女の財布に大したダメージは与えられない事が判明し、先ほどまでの自分の思考が全部暖簾に腕押しと言うかぬかに釘と言うか、そもそも自分がすごく器の小さい人間のように思えてきて、結局はもう適当なファミレスでいいやという結論に至った。
飲食街を抜けて、甘味処が軒を連ねている「デザート横丁」に差し掛かる。昔から、和洋問わず甘いものが大好きな妹のあおいが、買い物を手伝うたびに母にここに行きたいと駄々をこねていたなと、昔を懐かしみながら歩く。
*
「わ、すごい、良い匂い……」
そんな独り言を小声で呟いて、大きな瞳をきょろきょろと目移りさせながら、人ごみをすり抜けつつデザート横丁を歩く少女。
肩にかからないくらいの紺色髪のボブカットを左右にさらさら揺らして、顔は笑顔一色。見た目は十代半ば、中学生か高校生くらいの年齢だろうが、仕草はどうにも子供っぽさが残っている。
そして、数々の店が並ぶ中でも、彼女の興味を一際ひいたのは。
「うわぁ、おいしそう……! これ、ク・レー・プ……?」
彼女がショーウィンドウ内に並べられた蝋細工の食品模型をキラキラした目で見つめている。もし彼女が犬ならばすごい勢いで尻尾を振っているだろうというほど、見ればわかるくらいのテンションの上がりっぷりである。
そんな誰が見ても良いお客さんに、店員がトドメだと言わんばかりにセールストークを畳み掛ける。
「お嬢さん、クレープを知らないのか。そりゃあ不幸な話だな。こんな旨いデザート他にないよ、外はふんわりしたたまご生地に、中は甘ーいフルーツにアイスクリーム、プリンや白玉だって入ってよ、食べた瞬間誰だって笑顔になれる魔法の食べ物さ」
「食べたい!」
まるでアメリカで放映されている通販のような、ちょっと大げさで子供向けで、外国語をそのまま翻訳機にかけたかのような宣伝文句であったが、彼女に対してソレは効果絶大で、間髪いれず迷いなくそう答えた。
「よしきた! どれにする?」
「じゃあこの、えっと、『きんだん?のトッピング、全部、のせでぃーえっくす』っていうのが美味しそうっ」
元気よくショーウインドウに飾られている模型の一つを指差すと、たどたどしく商品名を読み上げて、先程よりもさらに目を輝かせた。その少女はクレープを作る工程さえも非常に楽しそうに見ている。そんな視線にもやりがいを感じているのか、店員も作業の身振り手振りが少し大袈裟だ。
「もう少しで出来るからな、もうちょっと待っててくれな?」
「うん。でもおじさん、あの、勢いで食べたいって言っちゃったけど」
「ん? どうした」
「わたし、お金持ってないの」
・・・
宗助の目に留まったのは、クレープ屋。小さい頃に母親との買い物ついでに時々寄った、なじみのある店だ。
(近頃は食べなくなったな。子供の頃は母さんが買い物の荷物持ちしたご褒美にって、決まってクレープを俺とあおいに買ってくれたりしたなぁ……)
昔を懐かしむのも束の間。その昔なじみのクレープ屋、なにやら様子がおかしい。店先で、店員と客が言い合いをしているのだ。
「あのなぁお嬢さん。お嬢さんの笑顔に免じてプレゼントーってしてあげたいのは山々なんだけどよ、こっちも商売だし、自分の作った物には誇りを持っているから、お金払ってくれないとクレープは売れないんだよ」
「それはわかってるんだけど……お金かぁ……」
濃紺色の髪の毛、肩まで程のボブカット。見た目は……中学生から高校生くらいだろうか。身長は少し小さめ。店主の手の中にあるクレープをじーっと見つめて目を離さない。
(あ。あれ、全部乗せか)
「だからねぇ、お店は逃げないから次はお金持っておいで。そしたらとびきりおいしいのを食べさせたげるからさ。今日は諦めな」
「諦めてるよ、諦めてるんだけど、足がなかなか動いてくれなくて……」
「それな、諦めてないって言うんだよ」
見たままの感想を述べるのであれば中学から高校生程の年齢の少女が、屋台のクレープに目を奪われていて、そしてその店員は困り顔である。どうやら彼女はクレープを食べたいようだが持ち合わせがないのだろう。宗助はその光景を見ていて、なんだか無性にクレープが食べたくなってきていた。
高額な初任給料が入ったから気が大きくなっていたのだろうか、しょんぼりしている彼女がなんだかかわいそうだと思ったからなのか、後から考えればどうかしていたとしか言えないのだが。
気がつけば店に歩み寄り、自分の分と見ず知らずの彼女の分、二つのクレープを注文し、代金を支払っていたのだった。
名前も知らぬ少女と二人で、フードコートの適当なベンチに座りクレープをかじる。
「んん~、おいしいっ、すごいおいしい、これ! すごい、おいしい~!」
「あ、ああ。ほんとおいしいよな、ここのクレープ……」
周囲の目も憚らずにおいしいおいしいと今にも歌いだしそうな程に騒ぎ立てる彼女を見て、奢ったかいがあったものだと思う気持ちと、周囲からの視線が少し恥ずかしい気持ちの両方が宗助の頭でせめぎ合っていた。
(ってか……。あおいがよく食べてたけど……全部のせって一五〇〇円もしたのか……)
それくらいの金額なら今の宗助の財布からすれば痛くも痒くもなかったのだが、未だに金銭感覚だけが高校生のままなので、頭が追いついてこない。このクレープ一つで高校生時代に時々立ち寄った安いラーメン屋で三杯は食べられると思うと複雑であった。
「……で、どうしたの。お金も持たずにこんな所に来て」
「どうしたって、…………何しに来たのかな……」
「なんだそりゃ」
彼女の奔放な発言に、はは、と苦笑いが漏れる。
「んー。外ならどこでもよかったの。わたし、ずっと家の中に居るから、色々知りたくて」
宗助は彼女の言葉の真意を量りあぐねていたが、当の本人は宗助の様子を気にすることなく、もう一口クレープに齧りついた。
「やっぱりおいしー!」
クレープをひとかじりするたびに、相変わらず、本当に幸せそうな顔で笑う。ただクレープがおいしいからだけじゃなくて、心からこの瞬間を楽しんでいるようでもある、と宗助は感じていた。
「そりゃあ良かった」
「うん、改めてありがとう」
「どういたしまして」
「えっと、あなたは、今から何か予定はあるんですか?」
クレープをもぐもぐさせながら彼女は宗助に問いかける。その手の中にあるクレープは既に半分近く欠けている。食べるのがずいぶんと速い。
「この後は、友達ときてるから、そっちと合流して、……俺もこれから何するんだろ」
「なんだ、わたしのことどうこう言えないじゃない」
「はは……。そうだな、悪かった」
謝ってから、今後の予定も何一つ聞かされていない事に今気付いた宗助は、千咲がヒントになるような事を言っていなかったかだろうかと、こめかみを指で押さえ考える仕草をしていると、俯いた宗助の視界にすっと影が差す。何かと思って見上げると、宗助の目の前に彼女が立って見下ろしていた。
「わたし、リルっていうの。リル・ノイマン。よろしくね」
彼女は突然そう言うと、クレープを持っていない方の手をすっと差し出した。やや遅れて、握手を求められていると言う事に気付いた宗助が、差し出されたその手を握る。
「そっか。自己紹介がまだだったな。俺は宗助だ。生方宗助」
「へへへ」
彼女は笑顔でぶんぶんと握り合った手を何度か振るとそこで握手を解く。そこで宗助は、彼女について少し気になった部分を遠慮なく尋ねてみた。
「肌色とか髪の毛も少し違うし、ノイマンって名前からすると外国人か? 日本語うまいな」
「…………? がいこく? ……あっ」
彼女は一瞬意味が解らないという顔を見せたが、何かを思い出したように目を見開いた。
「あ、うん、そうそう、わたし外国人! でも小さいころからずっとこのあたりにいるし、これが一番自然だから、うん」
彼女がそう話す様子を、何か焦っているようなそれとも誤魔化しているような、そんな不自然な印象を受けた宗助だったが、もしかしたら何か深い事情があるのかと、それ以上その話題に触れない事にした。
「……そっか。ま、どこで生まれたかなんて大した問題じゃないしな。変な事訊いて悪かった」
「……、うん!」
その言葉を聴いて嬉しそうな笑顔を見せる彼女に、宗助もつられて笑顔になった。お金も持たず一人でショッピングモールに来るなんて、一体どんな事情があるのかは想像出来ないが、出会って間もない女性に、あれこれ余計な詮索をするのも不躾である。
リルは再び宗助の隣に腰を下ろすと、また一口クレープを頬張った。一口食べるたびに、またも、おいしい、おいしいと感激の声を上げている。
それからしばらくして。
「……じゃあさ、えっと」
リルは俯いて、少し低めのトーンで切り出した。
「……えっとね。自己紹介して握手をして、一緒にクレープ食べてって、いう事はね?」
「うん?」
「その、あの、わたしたち、と、と、……友達! ……って、事だよね!」
何を言い出すのかと宗助は思ったのだが、ふと彼女の顔を見るとその表情は切実そのものであった。ここでその言葉をひとたび否定すればそのまま泣き出しかねないと思わせるほどで。そして特に否定する要素もないし断る理由もない。
彼女は今、遠まわしに「友達になってください」と言っている。そう理解した宗助は、その質問に対してそれ以上何も考える必要もなく、すんなりとこう答えた。
「うん、休みの日に一緒にクレープなんて食べるのは友達同士がすることだ。間違いない」
すると、それまで不安げだった彼女の表情は、瞬く間にぱぁっと、まるで花でも咲いたかのような明るく柔らかい笑顔になった。
「だ、だよねっ、じゃあね、よければ、宗助さえよければで、いいんだけどね。今日、一緒にここ、回って欲しいなって……。わたし、ここ初めて来るし、道もわからなくてっ」
そう言って上目遣いで宗助を見つめる。
「友達同士で……ええっと、あくまで、よければ」
今度は返事が少し詰まってしまう。回ること自体は感情的に問題ないが、実際問題として千咲や岬にどう説明すれば良いのだろうか、と困ってしまったのだ。そんな宗助の様子をみて何かを察したのか、リルは続けてこう言った。
「大丈夫。もし私がここで迷って、何らかの事故に巻き込まれ大怪我をしたとしても、あなたのせいじゃなくてふらふら出歩いていたわたしのせいだから。うん、わたしのせい」
宗助はすぐに観念した。さっさとこの少女の満足いくまで案内して、それから自分の時間を持ったほうが後味も悪くないだろう。そもそも、彼女に絡んでいったのは自分の方なのである。
「あぁ、わかった、わかったよ。だけど一つ質問に答えてくれ」
「うん」
「その言い分だと予想はつくけど、リルは一人でここにきたんだよな?」
「わぁ、その質問は、ナンパ? っていう奴? 前に昔のドラマで見た」
質問が、予想の斜め上を行く質問で返ってきた。眼をキラキラ輝かせて迫り、突拍子もない発言をする彼女に対して宗助は「……その知識源はいったい、どこから湧いているんだ」と眉間を押さえるのであった。
宗助の一連の接し方はナンパと言われても仕方ないと言えばそうである。
こうして偶然出会った二人は友達同士となり、クレープを食べ終わってすぐ、飲食街をスタート地点としてスカイガーデン案内ツアーへと出発した。
そんな二人を、飲食街の一角のベンチに座って眺めている大男がいた。その男は、もう春も終わりあたたかな陽気に包まれた五月の中頃だと言うのに全身を覆う大きな濃紺色のコートに身を包んで、フードを被っている。
「……ありゃあ、手配書の写真よりかなり成長しているが……あの顔立ち、そして髪と目の色。俺の見る目がおかしくなけりゃあ、間違いねぇ……。『リル』だ……本当にこんな所にいやがった! 完全に行方をくらましたって話だったが……」
男は小声でぶつぶつと呟いている。醸し出す雰囲気は完全に不審者のそれで、周囲の人間は何らかのとばっちりを受けないように男から距離を取って歩く。
「隣の弱そうな男は、ボディーガードでも雇ったのか……? くく、しかし、俺にもチャンスって奴が回ってきたぜ……これは絶対に、逃す訳にはいかねぇ……!」
男はすっと立ち上がると、宗助とリルの背中を追って、足音を立てずに歩き出した。
「慎重に慎重に……。だが、確実にやってやる……!」




