急襲
「んん……」
しばらくして眠りから覚めた宗助は、変な体勢で寝ていたことにより凝り固まった身体をほぐすために両手を真上に上げてぐっと上半身を伸ばした。開けっ放しの窓から吹き込んだ春風が、あおいと宗助の髪をそれぞれなでる。寝起きの眼には西日が眩しく、目をそらしてこの部屋の主人の方に目をやったが、未だに眠りから覚めていないようだ。ようやく目も慣れてきて再度窓の外に目を移すと、赤い空とオレンジの雲が美しく空を彩っていた。
「もう夕暮れかぁ……。」
一時間は眠っていただろうか、と時計に目をやると、時刻はちょうど五時半を指していた。このまま帰ったのでは一体何をしにきたのかと感じた宗助は、行きしなに買ってきた妹の好物である『和菓子つるや』の饅頭を渡すため、悪いと思いつつもいい加減起きてもらうことにした。
「おい、起きろ。昼間から寝てばっかりいたら、夜眠れなくなるぞ」
妹の肩に手をかけた、その時。ふ、と……宗助の顔に差していたはずの西陽は遮られ、長い影が落ちる。不思議に思い顔を影の先に向けると、窓の枠の上に影が佇んでいた。
(……人、影……?)
そんなことを思って、すぐに自分の考えを否定する。バカな、そんなわけがない、ここは三階だ。しかしどう見ても羽を休めに来た鳥という形や大きさではない。逆光の為シルエットしか見えないが、明らかに人の形をしている。子供だろうか、少し小さい気はするが、確かに手足と頭がある。そして顔の部分は、しっかりと目的をもって宗助を見ている。
今までずっとそこにいたかのように気配が無く、生気が感じられず、ただ静かに彼を見据えている。恐怖と不気味さを感じるには充分だった。彼の本能が「今すぐ逃げろ」と全身に伝えている。掌にいやな汗がじんわりとにじんでいる。頭の中に、けたたましい警鐘が鳴り響く。
逃げろ、逃げろ、逃げろ! 何でもいいから、早く――。
「―逃げるぞっ!」
宗助は慌てて妹を抱きかかえ、一目散にソイツがいる窓とは反対側の、部屋の出入り口に向かって駆け出した。急に抱きかかえられた妹はさすがに眠りから目を覚まし、自分を抱きかかえる兄に当然、困惑の声を上げる。見上げた顔は、焦燥と恐怖でひきつっている。
「へっ!? なに、なに!? どうしたの!?」
「じっとしてろ!」
宗助の両手は塞がっているため、引き戸の取っ手に右足をかけて蹴り開けようとした、その時。宗助は、着ていたジャケットの襟を背後から掴まれ、凄まじい力で後方に引っ張られて投げ飛ばされた。
「うぐっ!」「きゃあ!」
ゴッ! と、壁と骨肉がぶつかり、鈍く痛々しい音が短く響く。宗助は背中を壁に強打して尻餅をついた。肺の空気が衝撃で一気に押し出され、うまく呼吸ができず声が出せない。腕の中の妹も、投げられたはずみで頭をぶつけてしまったのか、ぐったりとして動かない。宗助は懸命に呼吸を整えようとするが、ひゅー、ひゅーと喉から不自然な呼吸音が漏れるだけ。徐々に、ずきずきと背中から鈍い痛みが押し寄せる。
(……なんだよ、これ……。いや、何がどうなんて、どうでもいい、早くこの部屋から、こいつから逃げなければ―)
そして顔を上げて襲撃者の姿を確認した時、宗助は唖然とした。くだらないと馬鹿にしていた幼馴染の与太話が頭にこだまする。
人間が失踪する事件の犯人は、謎のロボットとかだったりして―。
(そんな……、そんな馬鹿な!!)
彼の目の前には……SF映画でしかありえないような、全身が鈍色の鉄による装甲が施された、機械仕掛けの人型ロボットが立っていた。
ゆっくりと歩み寄ってくるソイツを見ながら、『こんな人間のような滑らかな動きが、現在の技術で実現できるのだろうか』なんて的外れな事を一瞬考えたが、すぐに思考を切り替える。ようやくして、なんとか正常に呼吸ができるようになったが、投げ飛ばされてしまったせいで出入り口が遠くなってしまった上に、部屋の隅に追い込まれてしまった形になっている。
突如訪れた、この眉間に剣を突きつけられたような危機に対して、速やかに冷静に決断し行動しなくてはならない。気を失った状態の妹を抱えて、この謎のロボットをかわし、出口まで走り抜けるか。ベッドの脇にあるナースコールを押して助けを呼ぶか。……一か八か、戦って勝利するか。
ガチャリ、とまたひとつ、床と金属がぶつかる音が近づいてくる。ナースコールを押して看護士や警備員に来てもらっても、いくらか時間がかかるだろうし、そもそも来てもらってもどうにかなるとも思えない。しかしながらあの鉄の装甲を力技で破れるとも思えなかった。
残ったたった一つの答えは……『かわして逃げる』。だがしかし、目の前に立ちふさがるこの機械は、一見細身で宗助より一回りも二回りも小柄だが、普通の人間では考えられないような怪力で人間二人をまるごと投げ飛ばした。見た目の大きさだけで能力を判断し、ただかわそうとした所で成功する可能性は低く感じていた。
(何か、なんでもいい、得物で相手を攻撃して、その怯んだ所であおいを担いで脱出する! 盾とか、武器になるものは……)
その時、地面についた宗助の右手に冷たい感触が伝わってくる。視線だけ自分の右手の先にやるとそこには、来客用の、自分が使っていた物とはまた別のパイプ椅子がたたまれた状態で床に転がっていた。宗助はあおいをそっと床に寝かせると、パイプ椅子の背もたれの部分を力強く掴み、悲鳴をあげる背中にぐっと力を込めて痛みを押さえつけ、立ち上がった。
「くそ……。上手くいってくれ……!」
一歩、ロボットが近づいてくる。まだ距離は有る。ありあわせの『武器』を握り直し、作戦の成功を祈る。部屋の中は広くない。すれ違うのでもやっとなスペースの中で、初動が遅れれば先程の二の舞いだ。
また一歩、距離を詰められる。つばを飲み込む音が、頭の中でやけに大きく響いた。
相手のバランスを崩したい。それならば、狙うは足、もしくは頭部。その二択であれば、武器としては図体が大きいパイプ椅子を振りかざしやすい頭部の選択が無難である。
もう一歩、距離が詰まる。
(……っ、まだだ)
ギリギリ攻撃が届くか、届かないか。そんな距離だった。間合いを見誤ってはならない。最初の攻撃が不発に終われば、きっともう後はない。
そして、次に機械人形の右足が床から浮いた、その瞬間。
「おりゃあぁぁああッ!!」
威勢の良い掛け声と共にパイプ椅子を側頭部めがけて薙ぎ払う。鼓膜を震わせる金属同士がぶつかり合う甲高い音が、両掌に走った鈍い痺れが、攻撃の手ごたえを彼自身に伝えていた。
(どうだっ、この野郎!)
少しでも隙が生じていれば、その瞬間を見逃すまい、と、攻撃した相手を確かめた。
そして……。「なんて浅はかだったのだろう」と、宗助は心から悔いた。
目の前の鉄人形は宗助の決死の攻撃を受けても、微動だにしていなかったのである。
「……っ、くっ」
正体不明の敵を相手に懐に飛び込んだ。強力な武器を有しているならまだしも、自分の手にはパイプ椅子だ。その一瞬の後悔と絶望が隙を生み、次の動作を鈍らせてしまう。もう一度パイプ椅子で攻撃を加えるか、それとも攻撃方法を変えるかと……そのロボットが作った左の握りこぶしが、宗助の右脇腹にめり込んでいた。
「うごっ!」
たった一撃の殴打で身体が宙に浮きあがり、衝撃で飛ばされた。視点がグルグルと回転する。一体どれほどのパワーで殴られれば、大の男一人が簡単に宙を舞うのか。宗助は先程まで自分が座っていたパイプ椅子を巻き込んで、またしても弾き飛ばされて壁に激突した。
(痛、い……、いたい……)
それでも宗助は起き上がろうとするが、足を挫いたのか、右足を床につけた途端に激痛が走り立ち上がれない。四つん這いの状態から視線を上げると、そこにはロボットが妹の元に近づこうとしている光景があった。
「待て、よ……この……野郎っ……!」
もはや息も切れ切れといった様子で、自分を殴り飛ばした機械兵に声を投げつけるが、聞こえているのかいないのか、見向きもされない。それでもなんとかその機械を止めようともう一度立ち上がろうとするが、激痛をはらむ足は体重を支えてくれない。肺が潰されてしまったように声すらでない。体はバランスを崩し、立ち上がるどころか地面に這い蹲った。
(寝てる、場合かっ、起きろ、……今、起きなかったら、……)
「あお、いっ! おきろっ……おきてっ、に、げろっ、あおい!」
喉の奥から少ない空気で懸命に搾り出したその声は彼女の耳へと届くことは無く、瞼は閉じられたまま動かない。スローモーションで目の前の出来事が過ぎていく。鉄人形と妹の最後の距離が縮まって、鉄の右手が振り上げられて、妹に向かって、今まさに振り下ろされようとしている。
「やめろ……やめ、てくれ……」
かすれた懇願もむなしく鉄の腕は振り下ろされる。
そして同時に、まるで空気を斬り裂くような鋭い風の音が鳴った。