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machine head  作者: 伊勢 周
4章 カレイドスコープ
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VR DIVE


 夜の摩天楼の頂、空とコンクリートの境界線上に立つ。踵はコンクリートに、つま先は空に属していた。チリが混じった強い風を全身に受けながら、眼下に細かくきらめく自動車のテールランプの数を数えてみる。十ほど数えた所で宗助はめまいを感じ、すぐに視線を上に向けた。暗闇の空に巨大な雲がうごめいて、月明かりを防いでいる。


「宗助! いつまでちんたらやってんだっ、早く飛べー!」


 ビルとビルの間を、不破の大きな声が通り抜けた。宗助の足にゴムロープは装着されていないし、頭にヘルメットも装着されていない。完全なる生身だ。いきなりビルの屋上から「飛べ」と言われて「はいすぐに」と勇猛果敢に飛ぶことができる人間はいるだろうか。宗助は頭の中で、少なくとも自分の知る限りでは絶対にそんな人間はいないと断言した。


 ……そう。

 たとえ……たとえ今彼が見ている暗雲も、吹き荒れる風や流れる雲も、これらがすべてヴァーチャルリアリティの映像――つまり偽物であり、自身の肉体は黒いレザーが張られた座り心地の良い椅子の上でどっぷりと眠っている、と言われたとしてもだ。



 一体宗助がどういう状況下にあるか。

 時間は二時間ほど遡る。トレーニングルームで基礎体力トレーニングを終えた宗助に対して、不破が突然こう言った。


「よし、次はVR訓練だ」


 宗助は近頃ずっと不破に訓練を付き合って貰っていて、彼が突飛な発言だとかやや説明不足な状態で物事を始めようとするのは慣れ始めていたのだが……それでもやはり一瞬思考がストップした。


「……。ブイアール訓練とは?」

「ヴァーチャルリアリティ。仮想現実だよ。名前くらい聞いたことあるだろ、お前も」

「そりゃあありますけど、そもそもVR訓練って一体……」

「百聞は一見にしかず」


 確かにそうなのだろうが……実際VR訓練とは如何なる物で、実際に訓練で使用できるほどの仮想空間などというものは作り出せるのだろうかはなはだ疑問だった。


「だいたい、戦闘向けのドライブ能力は特に、扱いに慣れて次の段階に進もうってなると、基地内で使いこなす事すら事故の危険が伴う。仮想空間なら、そういう心配は無用だ」


 非常に端的かつ明瞭な回答では有ったが、しかしだからといって現物への距離感が縮まるわけでもなく、宗助は訝しげな顔で不破の顔を見る。


「なんだその顔は。一般に出回ってるようなおもちゃみたいなもんじゃない。本当にあるからな。まぁ、俺も詳しい仕組みや構造だとか技術の説明は出来ん。そのあたりは秋月に訊いてみてくれ。喜んで余計な事まで教えてくれるだろうよ」


 不破はトレーニングルームの出口へと歩き始めたが、宗助が付いて来ないのを感じて立ち止まり振り返る。


「おい、何ぼけっとしてる。早く行くぞ」

「へ? はっ、はい!」


 宗助は慌てて不破の背中を追いかけた。


 仮想現実訓練室。

 そこには、宗助がおぼろげながら想像していたものとあまり変わらない光景が待ち受けていた。

 膨大な量の機械類が部屋を取り囲むように置かれており、そこから伸びる無数のコードが数台の黒いリクライニングチェアーに接続されていた。

 椅子はそれぞれがカプセルのようにガラスケースで包まれる仕組みになっている。室内はぼんやりと薄暗く、脳波を測るためのものなのだろうか、ヘルメットのようなものが置いてあったり、他にも用途の想像がつかない精密機械があちこちに設置されていて、触るどころか無暗に動く事すらはばかられた。

 もし躓いて転んで、その弾みで壊してしまったらどうしよう、だとか、変にいじくっておかしくしてしまったらどうなってしまうのか、だとか……とにかく何もしていないのにひどく肩が凝る場所であった。


 不破は宗助のそんな心配事とは無縁のずかずかとした歩き方で室内を進むのだが、その室内の奥で、ガラスパーテーションに囲まれパソコンが数多く置かれているスペースがあって、そこでせわしなくキーボードを叩き回している妙齢の女性に用があるようだ。


「秋月、来たぞ」

「あら、早かったわね」


 不破に『秋月』と呼ばれて振り返った女性は……そう、最初にオペレータールームへと挨拶しに訪れた際に少しばかり距離が近かった女性だ。

 相変わらず青少年の宗助にとって少し目に毒というか保養と言うか、とにかく肌の露出が多めの着こなしをしている。


「いらっしゃい、生方君。ほら、ここ座って。そうだ、コーヒー飲む? さっき煎れたの。シナモンコーヒー」

「おいおい、悪いが呑気にお茶しに来た訳じゃねぇんだよ」


 不破が呆れた顔で秋月を嗜める。


「わかってる、VRでしょ。言われたから準備していたんだもの」

「おう、わかってんならさっさとしてくれ」

「はいはい。それじゃあまず、この薬飲んでちょうだい」


 と、秋月から、青と白の、小指の爪くらいの大きさのカプセル錠とコップ一杯の水を渡された。渡される際、意図的にさわさわと手を触られたように宗助は感じたが、故意か偶然かは不明だ。

 それよりも、手渡されたその何の説明もない謎のカプセル剤の正体の方が暴くべき物だ。


 危害を加えようだとかの悪意が彼女にあるとは宗助も思っていないのだが、カプセルへ体内に入れる物だ。気が引けて、その正体不明を飲むのをためらっていた。

 すると、そんな彼の様子を見た不破が苦笑いしながら「安心しろ、やばい薬じゃない」と言いながら一粒口の中に放り込み、水でごくりと飲み下した。ご丁寧に口の中を宗助に見せて、ちゃんと飲み込んだことを示した。


 それでもまだ信用ならず、自分の掌に乗っているそのカプセル錠をじっと見つめていると、秋月が訝しげな眼で「なぁに、生方君。私が出したソレが信用できない?」と問い詰め、さらに「飲まないなら、私が無理やり飲ましてあげるけど?」と、これまた故意か偶然か、宗助の真ん前に立ち、前かがみになりつつ下からのアングルで攻めてくるので


「いえ、そんなことありません、飲みます」


 と言って、ちらちらと見え隠れする肌色の山間部からすぐに目を逸らし、慌てて薬と水を口に含み飲み込んだ。……見てはいけないと思いつつも目が向くのが男の悲しい性である。


「うふふ。それじゃあ、もうちょっと調整に時間かかるから、そこの椅子に座っていてくれる? 右が不破君で、左が生方くんね」


 宗助は指を差された方の、コードが沢山繋がれている椅子に腰掛ける。不破も同じように一メートルほど離れた隣の椅子へと腰掛けた。


「宗助。俺達はこれからもう少ししたらVRの世界に旅立つわけだが、ヴァーチャルと言っても痛みは感じるし匂いもする。音もその通りに聞こえる。規定値以上の痛覚信号やその他異常が検出された場合はVR空間内から強制的に排除されて目が覚める」

「へぇ……」


 おぼろげながらでしか想像できずにいたが、その非現実的な世界がなんだか楽しみに感じてきた。(SF名作映画のような事が実現可能だったなんて、世の中まだまだ進歩するんだなぁ)なんて事をぼんやりと考えていると。


「準備完了。始めるから、リラックスしてね。深呼吸しよっか」


 秋月の言葉と同時になにやら重厚な機械カバーが宗助の身体に覆い被せられた。

 真っ暗で視界はゼロ、言われた通り何度か息を吸って吐いて……そして、凄まじい眠気が宗助を襲う。恐ろしいほど瞼に重みを感じて、どうにもこうにも逆らえない。


「いい、のかな……これ……。寝ちゃって……」


 秋月の、「いいわよ、眠っちゃって」という色っぽい声が微かに聞こえた気がした。





 宗助の意識が一気に覚醒し、ふと眼を開けると、そこは巨大な都市の高層ビル群の中で、そのビル群の内の一つの屋上だった。ビル風が強く独特の風切音がぴゅうぴゅうと耳に入る。風に舞うチリが眼に入りそうで、腕で顔を覆い、眉をしかめる。


「気分はどうだ。吐き気とかめまいとか、とにかく悪くないか?」


 後ろから突然不破の声がした。振り返ると、いつもと同じ姿の不破がそこにいた。


「不破さん。もしかして、これが、VR空間?」

「あぁそうだ。この空間はこの世に実在しない、……ま、ゲームの中みたいなもんだ。俺達以外の人間はどこにも存在しないし、居てもそいつも実在しないバーチャルだ。ここの様子は外のモニターに表示されてるけどな。今も秋月が見てるし映像も記録される。不思議だが面白いだろ」


 改めて周囲を見渡すと、建物のみで人間がいない。風の音と自分の呼吸音だけが支配する、静けさが張り詰めた冷たい空間だった。その矢先、どこからともなく声が降りてきた。


『生方君、気分はどぉ? そこがVR空間。モデルは不破君に頼まれた通り都市ビル群にしたけど』

「あぁ、バッチリだ。ありがとよ!」


 不破が空に向かって礼を言う。宗助もつられて空を見るが、空しか見えない。空に向かって礼を言うなんて何も知らない者が見たら滑稽に思いそうなものだ。


「そんじゃあ、さっさと始めるか」

「はい。よろしくお願いします!」

「いい返事だ。突然だがお前、自分が空を飛べると思うか?」

(また「突然」がきた)


 宗助は心の中で悪態をつきつつ「飛べないと思います」と至極普通の回答をした。不破は、その答えを待っていましたと言わんばかりに「それが違うんだよな」と言ってニヤリと笑う。


「お前と同じドライブを持っていた天屋さんは、まるでツバメが空を滑るように飛んでいた。同じ能力を持つお前にもやって出来ない事じゃない筈だ」

「ええ、そんなメチャクチャな……」

「目標はあっちの少し低いビルの屋上。ここから横の距離はざっと見て二十五メートルってとこだ」

『二十一・七メートル』


 天空から訂正が入る。


「そんじゃあ秋月、俺をゴールまで移動させてくれ」

「はいはい、了解」


 不破の身体は、彼が指し示したビルの屋上へ瞬間移動した。そこから宗助に向かって「さあ、飛んでみろ!」と大声で叫ぶ。


 ここで冒頭に戻る。このVR空間、実によくできているな、と宗助は感心していた。自分の体はもちろんのこと、足元の砂利のひと粒ひと粒や風の音、地面を踏み締める感触まで何一つ現実のものと違いが感じられない。

 あまりのリアルさに、宗助の頭の中には「もしかしたらこれはヴァーチャルと見せかけた現実で、やばい薬をのませて思考力を低下させ飛び降り自殺に見せかけて殺すつもりなのではないか」などの突拍子もない考えすら一瞬頭を掠めた。

 そんな妙な考えに思考回路を使っていると、


「おーい、いくらヴァーチャルだからって、時間の流れは現実と一緒なんだぞー! 時間に限りが有るんだ! 日が暮れちまうよ!」


 ゴール地点で、不破がブンブンと両手を大きく振って、大丈夫だ、飛べとアピールしている。宗助は足の裏にぐっと力を入れてみるも、それより前に進まない。というより、本能が前に進む行為をさせないのだ。だって、現実なら九割九部九厘死ぬに決まっているから。九毛まで言っても良いかもしれない。

 また一つ、仮想現実の強い風が吹いた。頭がぐらつく感覚がしてバランスを取り直す。


「……そもそも俺、高いところちょっと、苦手なんだよ……」


 また独り言をつぶやいた時、天空から声が聞こえてきた。


『高いところが苦手なら、それを克服するチャンスよ、生方君』


 秋月の声だ。どうやらぼそりと呟く程度の独り言でも音声を拾われるらしい。


「……どうしても飛ばないとダメですか?」

『ん~、このまま怯える生方君を見ているのもかわいくて魅力的だけどねぇ、出来れば早く飛んで貰ってデータとりたいっていう気持ちはあるかなぁ』


 他人事のように言いやがって、と今度は口から出ないように心の中で呟く。


『不服そうね、……仕方ないか。悪く思わないで頂戴』

「え――」


 どん。


 と、知らぬ間に背後にいた何者かに背中を押され、一瞬ふわりと体が無重力になって浮き上がるような感覚、そしてすぐに背中にゾワっと寒気が走り、……真っ逆さまに落ちて行った。


「――ッ」


 肺から腹部にかけてへの圧迫感、キンキンする頭に心臓が潰れるような感覚。下から上に空気が駆け抜けていく。そんな感覚も一瞬で、既に目の前には地面があった。 


(ぶ、ぶつかる!)


 思わず目をつぶる宗助だったが痛みは無く。気付けば地面に寝転がっていた。彼にとって人生初のノーロープバンジージャンプは案外あっけないものだった。

 宗助はショック状態で、自分が数秒前まで居た場所をぼんやり見上げながら呆然としていた。





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