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machine head  作者: 伊勢 周
最終章 ほんとに、本当に、ありがとう。
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最終話 覚えていてね(前編)

 とある高校の部室棟・文芸部室。

 とっくに放課後の部活開始時間は過ぎているが、その部屋には今一人しか生徒はいない。

 その一人の生徒は文芸部部長で、部活開始時間になっても連絡もせずに遅刻や欠席する部活のメンバーたちに辟易しながらも、自分に割り当てられている少し旧式のノートパソコンのキーボードをカタカタと叩いていた。部長であるその女子生徒は、部活動に対してあまりにも熱を持たない部員たちに辟易しているとは言っても、現状のように部室で一人うちこむ創作の時間もそれはそれで嫌いではなかった。

狭くかび臭い静かな部室に、小気味の良いタイピングの音が響き続ける。

 カタカタカタ、カタカタ……タタ、カタ……

 その部屋で動いているのは彼女の指だけで、部室の扉はもちろん動かないし、彼女の足も、首も、後頭部で一つにまとめた髪の毛も、殆ど揺れる事は無い。あとは外を飛ぶ鳥の影が時々部屋の中に一瞬だけ動きをつけるくらい。

 タン。

 文章がひと段落して、彼女はふとパソコンのモニターから目線を上げる。そしてぎょっとした。部室の書棚の前で、紺色髪の少女が小説を立ち読みしていたから。年齢は自分と同じか少し下くらいかも、と判断したが、見た事も無い毛色と高校の中なのに制服姿でない事、そして何より、扉が開く音がすればいくら集中していてもさすがに気付くだろうに、全く感知できないまま気付いた時には書棚で本を読んでいた事に何よりも驚かされた。その気配の無さから連想するのは、幽霊だ。


「だ、だれっ!?」


 ガタタツ、と椅子と机を揺らして音を立てる。彼女が狼狽えながらそう言ってしまうのも無理はない。すると紺色髪の少女は振り向く。数秒間目が合って、少女はにこっと笑って見せた。


「ごめんなさい、これ、お借りしてます」

「え……」


 紺色髪の少女はそう言って、自身が立ち読みしていた本のカバーを部長に見せた。


「この本ね、わたしが小さい頃に初めて買ってもらった本なの。嬉しくて懐かしくって、つい読んじゃった」

「は、はぁ……」


 幽霊に対してもっと怖いイメージがあった部長なのだが、彼女が意外に歩み寄ってくるので、このまま仲良くなれば祟られたり呪われたりすることは無いんじゃないかと思い……そして彼女は対話を試みる事にした。


「そ、その本、面白いよ、ね。ずっと悪い魔物に追われてる女の子がいつも追いつめられたり騙されたり、ピンチになるんだけど、その度にギリギリで助かったり、運が良かったり、強い騎士が少しの間だけ仲間になってくれたり……」

「うん。何度読んだって同じ物語の筈なのに読むたびにハラハラして……その後に、安心できるんだよね。……貰ってから、今まで何度読んだだろう……。こんな物語にいつも憧れてた」


 少女はそう言って感慨深げにその本を抱きしめた。


「う、うん、うん。それわかるかも。なんでか、引き込まれちゃうよね。その本は私が家から持ってきてたんだけどね、まさか知っている人と会うなんて思わなかったな。マイナーだし」


 上っ面だけご機嫌を取るつもりが、意外と話が合いそうな事がわかった部長は偽りのない本心を言葉にしていく。


「ふふ。わたしも嬉しい。……それは、パソ、コン? 何か書いていたの?」

「うん。来月に復興のための町全体のお祭りがあって……それまでに文芸誌を創って、お祭りで配るの。文芸誌に載せるための小説を書いていたんだけど、間に合わないかもね。部員もみんな適当だし、製本も時間かかりそうだし」

「お祭りがあるんだ……」

「出店とか、コンサートとか、花火とか、いろんな人がいろんな分野で盛り上げようと頑張ってるみたい。だから私達学生も、自分達の出来る事で参加しようってなってて」

「出店? わぁ……クレープ屋さんはあるかな」

「うちのお料理研究部が、クレープの出店出すって言ってたよ」

「そうなんだ。行きたいなぁ……」


 彼女はそう言って目を輝かせた。


「みんな、あの機械のせいでひどい目とか悲しい目にあったりしたけど、もうあの機械は動かないって言うし、安心して平和な毎日を過ごせているから、……多分、それを実感したいんだよね。だから、お祭りをするんだって」

「そうなんだ……」

「辛い目に合ってる被害者達のために楽しい事は自粛しろ! なんて声もあるけど。うちの担任の先生が、『自粛したって壊された建物や死んだ人は元に戻らないんだから、生き残った人はめいいっぱいこれからも人生を楽しむべきだ』って言ってた。私もその通りだと思う」

「……うん。わたしも、そう思う」


 少女はそう言って笑った。その儚げな笑顔に少しだけ見とれたが、部長は何かを思い出したようで、「そうだ!」と叫んで自身の足元にあるスクールバッグを持ち上げて中をまさぐり始めた。

「あのね、今日ちょうど読み終わった本があって……その本が好きならこれもきっと気に入ると思う、読んでみて!」

 すっかり少女に幽霊疑惑をかけていたことなんて忘れて、部長は生き生きとした表情でカバンから本を取り出した。


「これこれ。これなん、だけ、ど…………」


 しかし再び顔をあげた時……紺色髪の少女の姿はどこにも無かった。

 まるで初めから自分以外部屋の中には誰もいなかったように静まり返っていて、彼女が手に持っていたはずの小説は書棚のもともとの位置にあった。


「…………なんで……?」


 部長は慌てて立ち上がり部室のドアを開ける。すると目の前に、遅れてきた文芸部員が恐縮した顔で立っていた。


「部長、すいません、えっと、補習で遅れちゃって……」

「今、廊下に紺色の髪の女の子いなかったっ!?」


 鬼気迫る表情で質問してきた部長に、部員は少し身の危険すら感じつつ返答する。


「い、いえ……廊下に誰も居ませんでしたけど……」

「……ほんとに?!」

「はい、見ての通り……」


 廊下を左右それぞれ目をこらして見るが、本当に人が通っているような姿は無い。


「……そっか……。夢でも、見てたのかな……いや、でも……」


 それとも、本当に幽霊か。

 仲良くなれそうだったのになんて考えて、少女のどこか寂しげで儚い立ち姿を思い返していた。


 

           *


 

「岬。デートに行こう」


 肌寒さが顕著になり始めた頃、宗助がそんな風に岬を誘ったのは、なんでもない水曜日の午後の事だった。復興を後押しするために開催されるお祭りへのお誘いの言葉。

 小規模だがパレードをしたり、出店が立ち並んだり、有志によるチャリティーコンサートが行われたり、地域にゆかりのあるアーティストや芸能人が握手会を行ったり、地元の学生が思い思いの活動をしたり……そんなお祭り。


「うん、喜んで」


 彼女は持ちうる最高の笑顔で、迷うこと無く彼に答えを贈った。


 

           *


 

 祭りの日。

 秋晴れと言う言葉がふさわしい気候で、行楽日和となった。

 岬と宗助は、それぞれが別の時間に単独で基地から出発していた。

 普通に基地から一緒に出掛けても良かったのだが、「待ち合わせがしたい」という岬の要望でそれぞれ別々に町まで出る事となり、その待ち合わせ場所となった駅前の立派な時計台のモニュメントに先に姿を現したのは生方宗助であった。マシンヘッドの事件により人口が減少したとはいえ、定番の待ち合わせ場所となっているそこは多くの若者があちらこちらに立っており、携帯電話を触っている者、本を読んでいる者、音楽をイヤホンで聴いている者、それぞれがじっと誰かが来るのを待っている。何しろ今日からしばらくは、辛い事や悲しい事だらけだった街や人を元気づけるためのお祭りなのだ。特にそれらに抑圧されてきた若者は『楽しい事』に飢えている。

 そんな街の空気の中に、宗助は居る。待っている人も、待ち合わせを終えてこれから進み始める人も、ただ通り過ぎていく人も、皆そこに事件を解決した張本人が居るとは知らず、平和の貴重さを噛みしめ謳歌している。

 宗助の携帯が震えて、そしてディスプレイには岬からのメッセージが表示された。


『もうすぐ着きます♪』

「りょう、かい……っと」


 すぐに返事をして、そして宗助もその辺り一帯を包む高揚感に身を任せた。

 随分と人が増えてきて周囲の見通しが悪くなってきたが、きょろきょろと目を走らせると、人と人の間を窮屈そうに歩く彼女の姿が見えた。

 宗助が見たこの日の岬は、最低限の薄い化粧だけを施している普段と違ってそこそこしっかりとメイクを施しており、目はパッチリ、まつ毛は少し長く頬は少し赤くて、唇はつやがあって……普段から可愛らしいとは思っていたのだが、化粧だけでここまで変わる物なのだなと、数秒間見とれてしまっていた。

 服装もベージュのニットのトップスに黒いフレアスカート、黒のタイツで、手には白い小さな手提げかばん。首元にはいくつかのアクセサリーをぶら下げていて、ここまでしっかりとお洒落をしている彼女を見るのは、宗助も初めてだった。そして更に目についたのは、足元。

 珍しく、少し高いかかとの靴を履いていた。ピンヒールではないけれど、踵の底が厚い。少しだけ歩き方がぎこちなかったのはそのせいだと察した。


「お待たせしましたっ」

「……いや、全然。……」


 そう言いながら岬の全身をまじまじと見る宗助に、岬は少し機嫌良さげに含み笑いをして、腰を少しだけ左右に揺らしてスカートをふわふわさせて見せた。


「どうかな、似合う?」

「うん。すごく」

「ありがとう、嬉しい」


 率直な感想に、岬は少し照れくさそうに笑う。


「今までは、突然呼び出されてもすぐに走れるように、動きやすい服や靴をどうしても買っちゃって、こういうのはあんまり履いたりしなかったんだけど、今はもう大丈夫だから思い切って色々買っちゃった」

「そっか、そうだよな……」


 そんな細かな日常の部分でも今まで抑えつけられてきたんだなぁ、と少し思いふけたが、彼女の言う通りこれからはそんなストレスとも別れられそうだと思った。


「それじゃあ、行こっか」

「うんっ」


 返事をする彼女の手を握って、ゆっくりと歩き始める。


 大通りは車の通行を完全に規制して、歩行者天国と道路に左右色々な出店が立ち並んでいた。

 タコ焼きやから揚げ、イカ焼きや人形焼きわたあめなどオーソドックスな店から、少しマニアックな異国の食べ物を売る店、既製品をそのまま転売しているような店までさまざま。似顔絵を書いてくれる店だったり、占いをしてくれる店、疲れた人用に足をマッサージしますなんてブースもあって、裏通りを覗くとダンスパフォーマンスをしていたり、手品をしたり歌を歌っていたり……本当に多種多様な人達が集まり、それぞれ思い思いの方法で祭りを盛り上げるのに一役買っていた。

 そしてそれら一つ一つを見るたびに、岬は目を見開いて驚いたり拍手を贈ったり笑顔を綻ばせたりして、それを見る宗助もまた楽しい気持ちになった。

 

 そんなこんなで、一時間少し歩いたところで、昼食をとることにした。通りにある普通のカフェやレストランは通常営業しており、正午が近づいている事もあって徐々に人々の足がそういった店にも向き始めた。


「混む前に、どっかお店入って休もうか」

「そだね」


 宗助は何気なさを装っているが、このあたりの店の情報を前日の夜にガッツリと頭に叩き込んでおり、どのルートならばどのお店に行けるか、全てシミュレーションできるのだ。


「あそこ、イタリアン。値段がお手頃なのにすごい美味しいってここらで人気あるんだって」


 雑誌の知識で、行ったことはないのだが。


「へぇ。じゃあ、入ってみよ」

「うん、決定」

 

 時間が早めということもあり、比較的待ち時間も少なくテーブルに着くことが出来た。二人用の少し幅が狭いテーブルに向かい合って座り、大きめのメニュー表とにらめっこしている。


「よし、決めた」

「うそ、私まだ迷ってるのに」


 岬が焦って更にメニュー表をペラペラとめくり目を走らせる。


「待ってるから、ゆっくり決めていいよ」


 宗助はそう言ってメニューを閉じてラックに戻すと、お冷に口をつけながら店内に視線を逸らす。


「……え?」


 宗助は視界の端、通り沿いの大きな窓から見える外の景色に何かを見つけた。しかし通行人の数が多く、一瞬でその何かは雑踏の中へ消えて行った。声を上げた宗助を、岬はメニューから顔を上げて不思議そうな表情で見ていた。


「どうかした?」

「……ん?」

「いや、今、えって言ったから」

「あぁ、いや……。ごめん。なんか、外にリルが居た気がして」

「リルちゃんが?」


 岬が窓の外に顔を向けてもそこにはただただ様々な人が歩いている景色のみ。


「でも、リルちゃんはこないだあっちの世界に帰ったし……もしまたこっちに来てるならジィーナさんが連絡してくるんじゃないかな」

「そうだよなぁ……それにそんな大して日も経ってないのにすぐ戻って来て、リルも目を覚ましてってなると結構無理があるし……」

「たまたま似てる子が居たんだよ、きっと」

「うん、そうだな。ごめん、変なこと言って」

「んーん。そうだ、まだ決めてなかったんだ」


 岬はそう言ってまたメニューに視線を落とした。宗助は椅子にもたれてもう一度窓の外を見るが、何度見てもそこにリルは居なかった。居る筈がないのだ。居たとしても、そして会ったとしても自分の事を何一つ覚えていないであろう彼女とちゃんと話せる自信が全くない。

 気のせいだったと完全に切り替えて、ふっと笑う。


「俺が代わりに選ぼうか?」

「だ、大丈夫っ」


 今日は目の前の人と、お祭りを楽しもうと思う宗助であった。




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