表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
machine head  作者: 伊勢 周
25章 最後の一撃を
283/286

偉大な親友よ


 ある日。

 生方宗助はひとり、ずんずんと勢いよくアーセナルの廊下を進んでいた。特に急ぐような案件は無い筈なのにそんな風に急いで歩く宗助を、すれ違う者が皆何事だろうかと振り返ってみるが、あまりに歩くのが速い為、話しかける前に姿が遠くなってしまうのだった。

 だが、彼と親しいものは一概にそうではなかった。


「おーい、宗助、どうしたのそんなに急いで」


 千咲はそんな彼を見るや否や、暇だったのだろうか、彼と並行して歩きながら話しかけた。


「ん? あぁ、えぇっとな、夢を見たんだ」

「……は? 夢?」


 夢を見たら早歩きするのが彼の習性なのだろうか、と同僚の生態を心配しつつも、まだそうと決めつけるのは早いので、さらなる事情聴取のため並行するのを止めない。


「あぁ。夢って言っても、多分夢じゃないんだけど……」

「はぁ……」

 しかし続いてきたのは、更に意味不明な言葉。哲学書物でも読んだのだろうかと思った。千咲の心配をよそに、宗助は真面目な顔のままで歩く速度を緩めない。

 そして、とある場所で急に立ち止まった。そこは。


「隊長室?」

「ああ」


 宗助は扉を三度叩くと、返事がないのにそのまま扉を開いて中に入り始めた。


「ちょっとちょっと、宍戸さんに怒られるよ! さっきから夢がどうとか、寝惚けてんの!?」

「ちゃんと起きてるよ。稲葉隊長にお願いを言われたから、ちゃんとその約束を守らないとなって思って」

「は……? ……夢に稲葉隊長が出てきて、隊長室に忍び込めって言ったって事?」

「ま、そんなとこ」


 室内にはやはり誰もおらず、宍戸の性格なのか物も最低限しか置かれていない。宗助はズカズカと無遠慮に室内に入っていき、部屋の奥のロッカーの前に到達し、そしてロッカーの取手に指をかけ、何のためらいもなく扉を引いた。


「お、空いた」


 ガチャ、と音がしてロッカーが開く。


「えぇ……マジで怒られるって」

「大丈夫だって、このロッカー稲葉隊長のだから」


 宗助は千咲の制止を意にも介さず、ロッカーの中を覗き込む。


「あれ、無いな……じゃあ、宍戸さんもしかして……」

「何が」

「隊長に言われたんだ。ロッカーの中に楓ちゃんへのプレゼント入れてるから、宍戸さんにお願いしたけど、もしそれを渡してなかったら代わりに渡してくれって」

「という事は、宍戸さんがぬいぐるみ持って、楓ちゃんのところに行ったって事?」


 千咲が半信半疑な様子でそう尋ねる。


「多分……」

「っていうか、それ夢の話でしょ。なんでそんなの信じてんの」

「いや、そればっかりは俺の勘としか……。でもリアルだったんだよ」

「呆れた。ほら、もう目的の物無かったんだしさっさと出よ。あーあ、興味本位で付いてって共犯になるところだった」


 千咲はそう言ってため息を吐いて、隊長室から出た。ただ、宗助の心には稲葉からのメッセージの存在に確信めいたものが有ったため……「宍戸さん、ちゃんと持って行ったんだな」と、何の疑いもなく、ただそう思った。



          *



 そして。

 宍戸忍は今、脇に包装されたぬいぐるみを抱えて、基地からの坂道を下りていた。

 その足が向く先は、閑静な住宅街の一角。その辺りは不幸中の幸いでマシンヘッド達による襲撃もなく民家はそのままで、そこら一帯は元の静かな暮らしに戻るのが早かった。

 とある家の前で宍戸は足を止めた。その家の表札には『稲葉』の二文字。門扉の前でしばらく無言のままじっと立ち止まっていたが、ゆっくりと空いている方の腕を持ち上げて呼び鈴のボタンを押し込んだ。インターホンがチャイムを鳴らすと、数秒後。


『忍ちゃん! 来てくれたんだ……って、来るなら来るって言ってよー! まぁ良いわ待ってて、今玄関行くから』


 宍戸が一言もしゃべらない内に、カメラがインターホンに内蔵されているせいだろう、実乃梨は興奮気味かつ一方的にまくしたてて通話を切った。


「……思ったより元気そうだな」


 宍戸がぼそりと呟いた後、玄関の扉がガチャガチャと音を立ててから開き、幼児……楓を抱っこしている実乃梨が出てきた。笑顔の実乃梨とは対照的に楓は値踏みするような厳しいまなざしを宍戸に向けている。


「悪かったな、突然押しかけて」

「んーん、来てくれて嬉しい! でも、どうしたの? ま、なんでもいいや、良かったら上がっていって! ね?」

「……」


 宍戸はちらりと自分が脇に抱えているものを見て、少しばかり考えを巡らせた後、


「……少しだけ、上がらせてもらおうか」


 と言った。



          *



 ダイニングに通された宍戸は、木製の椅子に姿勢よく座っていた。カウンター越しに、実乃梨がキッチンでもてなしの準備をしながら宍戸に話しかける。


「忍ちゃんはさぁ、コーヒーと紅茶どっちがいい~?」

「どちらでも」

「じゃあ紅茶にするね~」


 実乃梨は電気ケトルを水で満たしてスイッチを指で押し込む。


「忍ちゃんと会うのは合同葬儀の時以来だけどさ、このうち建てた時からずっと遊びに来てって誘ってるのに来てくれないから、最初は嫌われちゃったんだ~って思ってた」

「……あちこち飛び回っていたからな」

「あの世界中を襲ったロボットでしょ。でも、もう動かないんだよね」

「あぁ」

「忍ちゃんはじめ、みんなのおかげで」

「……あぁ」

「ちょっと楓ちゃん、動きにくいでしょ」


 楓は宍戸から警戒心を解いていないらしく、キッチンで作業をする実乃梨のふくらはぎに抱きついて離れない。

 宍戸は宍戸で、自分が子供に好かれるだなんて毛頭思っていないため、そんな態度を取られる事に対してさほど気にする様子は無いのだが。しかし……こんな状態では、稲葉からの預かりものを渡すのは困難だとも感じていた。


「じゃあ、任務が終わったから、時間も出来たしって、私達の顔を見に来てくれたのね」

「……」

「でも、来てくれてよかった~。明るく生きてこうって決めたのにさ、結構途方に暮れてたんだ。何を考えて、なにから手を付けたらいいかって全然わからなくて。……ひょこっと鉄兵さんが帰ってきたりしないかな~とかばっかり考えちゃって」

「……隊の連中も同じことを言っていたよ」

「そうなんだ……。でも、そうだよね。居なくなった人達が帰ってきたら、どれだけ心が楽になるか……考えたってしょうがないってわかってるのにね……」


 お湯が沸き、電気ケトルのスイッチがカチッと音を立てた。ガラスのポットにゆっくりとお湯を注ぎ、ティーバックを一つお湯の中に浸して、そのままキッチンから運ぼうとする。だがしかし。


「こら、危ないから足離して。お母さん今あっついの運んでるの」

「や」


 彼女の足に絡みついた楓はそのままで、母親の抗議にも聴く耳持たず。


「まったく……。ごめんね~忍ちゃん、これテーブルに置いて」


 実乃梨はカウンターにポットを置くと、楓を抱き上げてキッチンから出て、ダイニングの椅子に座る。宍戸も言われた通りポットと鍋敷きをテーブルに運んだ。ティーカップをダイニングの食器棚から取り出し、二つ用意。


「ちょっと、お茶うけが無くて……でも忍ちゃんはお菓子とか食べないよね」

「あぁ。構わないでくれ」


 それから、ちらほらと子供の頃の思い出話に花を咲かせた。と言っても、ほとんどは実乃梨が話して宍戸が「あぁ」とか「そうだな」とか相槌を打つだけだったのだが、彼女も特にそれで不機嫌になったりする訳でもなく、二時間経過してもまだ話していた。そんな彼女がちらりと壁掛け時計を見ると目を開いて「わっ」と驚きの声を上げた。


「もうこんな時間だ! いやぁ、でも、忍ちゃん聴き上手だからさぁ~」

「俺にそう言うのはお前だけだ」

「みんな忍ちゃんの事勘違いしてるんだよ。そりゃあ、ちょっと外見は怖いし口数も少ないし、隙が無くて近寄りがたいオーラを出してたりもするけどさ」

「……話し相手が欲しいなら基地に来い。遊びに来いと言う場所じゃないが……うちの連中はお喋り好きやら世話焼きが多い。お前ならいくつか面識もあるし、皆違和感も持たない。用もなく行くのは気を使うと言うならば事務仕事でもあてがって――」

「ふふふ、やっぱり、忍ちゃんは聴き上手だね」

「……?」


 実乃梨は嬉しそうに笑みをこぼしながらそう言った。宍戸は何がだ、と言いたげに彼女を見返す。


「私がこの二時間で喋ってたこと。今、まるまる揃えて応えようとしてくれたから。悲しさとか、寂しさとか、紛らわす場所が欲しいって」

「……」

「ねぇ楓ちゃん、今度遊びに行っちゃおうか」


 ようやく宍戸にも慣れてきたのか、楓は表情を僅かに柔らかくして(母親の膝から離れようとはしないが)、「どこにー?」なんて呑気な調子で訊き返している。


「全く、マイペースなのはどちら譲りだ」


 宍戸がそう言って椅子から立ち上がって踵を返した。


「え、忍ちゃん、もう帰るの?」


 実乃梨もつられて立ち上がる。楓を床に立たせると、もう母親の足にまとわりつくことはしなかった。宍戸は実乃梨の問いかけには答えず、リビングのソファに置いていた今日の本命を取りあげる。そしてゆっくりと楓の前に進み、床に片膝をついてそのプレゼントをそっと差し出した。


「今日俺がここに来たのは、君にこれを渡す為だ。本当なら……君のお父さんが渡すはずだったが、訳があって代わりに渡してくれと頼まれた」


 実乃梨も楓もぽかんとした表情でそれを眺めていたが、実乃梨はすぐに状況を理解し楓の肩を抱き……


「お父さんからプレゼントだって、楓ちゃんに」


 そう伝えた。


「おと、うさんと、おともだちなの?」


 彼女は少しぎこちない言葉づかいで、宍戸に尋ねる。


「あぁ」


 宍戸が答えると、楓はおずおずとそのプレゼントを受け取った。


「おかあさん、これとって」

「いいよ」


楓が母親に包装紙を取るようにお願いすると、実乃梨は丁寧に包装紙をはがした。その中身が露わになると、楓は余程欲しがっていたのだろう、顔をにまーーっと綻ばせて、そのぬいぐるみを凝視していた。宍戸は彼女のその表情を見て、少しだけ肩の力を抜いた。


「……君のお父さんとはずっと一緒で、子供の時から友達だった。友達というよりは、家族と言ったほうが近いかな。あいつの考えている事なら、喋らなくても大体はわかる。……自分の限界まで傷ついて、居なくなってしまうその瞬間まで君の事を想っていた」


 楓は宍戸が話している事の意味など殆ど理解できていなかったが、しかし宍戸の話す様子があまりにも真摯で思いやりに溢れていて、彼女の心は、宍戸の瞳と声に強くひきつけられていた。


「恐らく……。君が大きくなるにつれて、お父さんの顔や声は薄れてしまう。お父さんが居ない事が、君やお母さんを苦労させるだろう。こんな時お父さんが居れば、と父親を恨んでしまうかもしれない。……そんな時は俺の所に来て欲しい。君の父親がいかに勇敢で偉大な人物だったか……理解するまで何度だって教える。いいな?」


 楓は無言のまま一度こくりと頷いた。その姿をみて、宍戸はふっと微笑んで見せた。そしてすぐに顔を引き締めて立ち上がる。


「実乃梨、そろそろお暇す――……何を泣いている」

「……え、あ……んーん。だ、大丈夫。わかった。はい楓」


 彼女は鼻と目を真っ赤にして涙を流していたが、持っていたぬいぐるみを楓に手渡して、「あー、最近涙腺ゆるいから」なんて言いながらティッシュで鼻をかんだ。



 それから宍戸はまっすぐ玄関へと進み、靴を履いてから二人に向き直る。


「突然邪魔したな」

「とんでもない。また来てね」

「またねー」


 楓もそう言って、控えめに手を振る。


「……うちで働くのも、また考えておいてくれ。人手不足なのは嘘ではない」

「あ、そうだった。うん。また連絡する」

「あぁ」




 稲葉家を後にした宍戸は、まっすぐ基地に帰らず、少しだけ寄り道していた。

 先の戦いで散っていった戦没者たちが眠る墓地。墓の数だけ見るとおびただしい数だが、遺体が残っていたものは僅かで、そこは死者が眠る場所というより、生き残った者の心の拠り所として存在し機能しているのかもしれない。

 それぞれの墓の前には花束や生前好んでいたであろう食物や趣味の道具などが捧げられているが、その中でも一際花束が多く供えられている墓があった。

 宍戸はその墓の前で立ち止まる。


『稲葉鉄兵』


 それが、墓石に刻まれている名前。


「ちゃんと、渡してきたぞ」


 報告を呟いたが、返事はある筈もなく。


「……」


 宍戸は墓に書いてある稲葉鉄兵の文字としばらく睨み合う。実乃梨といくつかの会話を交わしたことにより子供の頃の出来事を思い出していた。

 それは彼らがまだ施設に居た頃……。



 ――俺とお前は、性格はてんで違うのに好きになる物はよく被っていた。それは女性の好みなんかも漏れなくそうで、二人とも実乃梨が好きだった。身近な同年代の女性だったのもあるだろう。好きな食いものは分け合えば良い。音楽や映画なら一緒に楽しめば良い。だけど女は違う。二人で分け合うことも共有することも出来ない。子供でもそんな事は当たり前に理解していた。

 どっちが言い出したかまでは覚えていない。ただ、「決闘だ」となった。


『いいか、この決闘で勝った方が、みのりをおよめさんにできるんだ』


 実乃梨本人にはそんな事言える筈もなく、それは二人で勝手に決めたルールだったのだが。


「それで、近所の空き地で俺達は決闘をした」


 どっちが勝っても恨みっこなし。

 決闘と言ってもその頃は俺もお前も小学校の低学年。ポコポコ、ポカポカ、なんて擬音が似合いそうな、どこにでもありそうなガキとガキの喧嘩だったが、……俺達は大真面目に、目の前のライバルを倒せば好きな女は自分のものになるのだという強い目標と決意を持って、ただ友の顔目掛けて拳を振りかざしていた。

 青あざをつくり、鼻血を流し、涙を流し、それでも意地と意地でぶつかり合った。

 そしてその空き地に最後まで立っていたのは……


「……勝ったのは、俺だった」


 稲葉は痛みに屈したのではなく体力がもたなかったのだろう。ぜいぜいと息をきらし、涙を流しながら俺の足下に沈んでいた。

 どうだ、鉄兵。俺の勝ちだ……。みのりは、みのりは俺の……およめさんになるんだ。

 俺が勝ち誇りそう言おうとした時、その決闘の原因となってしまった張本人である実乃梨が必死な顔で自分達のもとへと走ってきているのが見えた。

 見てくれみのり、俺のほうが、強い男だ。鉄兵より強い男だ!

 そんな気持ちで実乃梨が駆け付けるのを待っていた。だけど、あいつが一番に駆け付けたのは……稲葉、倒れているお前のところだった。


『てっぺいちゃん、だいじょうぶ!?』


 鼻血と涙を流しながら息もたえたえに倒れている稲葉を、実乃梨は一番に心配して駆け寄ったんだ。そして次に、俺の事をきっと睨みつけた。


『ぼうりょくふるう人なんて、だいっきらい!』


その時実乃梨が俺にかけた言葉は、それっきりだった。

 そして稲葉は実乃梨が肩を貸しながら連れて帰って、俺は一人その場に取り残された。

 もちろん後日稲葉がちゃんと実乃梨に決闘をしていたからお互い様だったと説明し、一方的な暴力ではないと誤解を解いたが……。

 相撲に負けて、勝負に勝つ。俺はこういう類の言葉が嫌いだ。間抜けなガキの頃の自分が目に浮かぶ。その一連の出来事が原因なのかどうかはわからないが、その一件を機に稲葉と実乃梨は急に仲が良くなったように思う。気付けば二人は恋人同士で、結婚して、子供が生まれていた。自分は稲葉との勝負に『負けた』のだと思い知らされた。



・・・



 墓を見たって、稲葉がここにいる訳ではない。ましてや声など聞こえる筈もない。その時……ただの偶然だろうが、まるで何かを念押しするような、一際強い風が顔面に吹き付けてきた。


……安心しろ。今更奪ったりしない。

 俺はお前を、誰よりも尊敬しているからだ。

 お前が居た場所は、悔しいが俺には埋められそうにないとわかっているからだ。

 ただ……、少しだけ離れた所で見守っていようとは思う。

 なぁ、鉄兵。

 それくらいなら良いだろ?

 そのうちそちらに行くまでの……ほんの短い間だ。


――そして宍戸は……。背筋を伸ばし両足を揃え、持ちうる総ての敬意を込めて右手指先を張りつめ額の前にかざし、この地に眠るとされる男に、敬礼を行った。


 残された任務は全て果たした。

 偉大な親友よ、どうか安らかに。


 そう願いを込めて。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ