遅いくらいの宣戦布告
宗助が休養充分で退院した日、その足でそのまま別の病棟へと出向いた。目的は、もちろん――。
「……リル」
ベッドの上、顔には呼吸用マスク、頭や胸・腕などに幾つものコードやチューブを取り付けられて眠っているリルを見て、彼女の名前を呟いた。返事は無い。診察していた医者が悔しそうな表情で言う。
「一通り調べたが、……現状、何もわからん、というのが正直な話だ。お恥ずかしい話だが……」
「いえ……そんなことは無いです」
レオンの話が本当であれば、リルの記憶は消え、脳の障害をサポートするナノマシンも無い状態の為今後目が覚める事も無い、という。一縷の望みを持って医者に彼女を診てもらったが、やはりこちらの世界の医療は彼女の目を開くことは出来ないようだった。「生命の維持」という部分に関しては出来るそうなのだが……。
「それじゃあ、また何か動きがあれば報告させるよ」
「はい、よろしくお願いします」
病室を去る医者に一礼して、またリルの顔を見る。
この先医療の技術が発展すれば、彼女を支える機械も生み出される可能性があるのだろうが、それでも、彼女の記憶が戻ることはもう無い。
(ない、のか……?)
宗助がそう考えた時、彼女が最後に伝えた言葉を思い出す。自分がここに居た事は消えない。みんなが忘れないでいてくれれば、私の魂はいつでもここにいるから。と。
宗助は自身の胸のあたりにそっと触れてみた。
「魂、か……」
ほんの半年前まで、そんな言葉はただの御伽噺だとしか思っていなかったのに、今はその言葉に強く心をひかれている。
「忘れる事なんかできないって」
宗助はリルの頬にそっと触れた。温かいのか冷たいのかもわからなかった。
*
千咲と岬は、裏庭から続く例の秘密の草原へと二人で足を運んでいた。千咲は戦闘で無茶をし過ぎてもともとの怪我が悪化した結果松葉杖をついての歩行だったから、岬が横で彼女を支えながら草原を歩き、そしていつもの古ぼけたベンチに腰かけた。草木はまだまだ青々と茂っているが、肌で感じる風や日差しは一週間前よりも少し肌に優しく、空に浮かぶ雲は背の高い入道雲ではなく遠くまで続く鱗雲となっていた。
「もう夏も完全に終わりだねー、あっという間だったな。今年の夏は、特に」
「そうだね……」
二人ともが遠くの空に目を向けて、感慨深げに会話を交わす。
「あー。それにしても……本当にあれで終わりなのかな……」
「怖い事言わないでよ」
「ごめんごめん。でもさ、何年間もずっと闘ってたから戦闘モードが抜けなくて……少しずつ、気持ちも切り替わってくれると良いんだけど」
「そうだね……」
千咲と岬はスワロウに来てから六年が経つし、宍戸や不破に至っては十年余りを、マシンヘッドとの闘いに捧げてきたのだ。心を休めろと言われても、なかなか切り替えられるものではないかもしれない。
「……宗助、もっとボロボロになって帰って来るかと思ったら、見た感じ体は大丈夫そうだったね」
「そんな事ないよ、手なんてボロボロで、肋骨も折れて話しにくそうにしてたし…………、千咲ちゃん。もしかして帰ってきてからまだ話して無いの?」
「うーん、まぁ、話してないと言えば話してないかな……」
「また喧嘩してるの?」
岬は心配そうに千咲の顔を覗き込んで尋ねた。
「違うよ、そんなんじゃない。何なんだろうな、なんか、複雑でさ、自分でもよくわかんない」
「言葉にしてみたら、すっきりはっきりするかもしれないよ」
暗に自分に相談してみたら、と岬は言っているようだ。千咲は目を伏せて「んー……」と唸る。
「…………なんて声を掛けていいかわかんない。っていうかさ……」
千咲はぽつりぽつりと話し始める。
「リルの一部始終を聴いて、宗助もリルもあの時どんな気持ちだったんだろうって思うと、言葉が出てこないんだ。この戦いで犠牲になった人はリルだけじゃないし、その全てが尊い犠牲だったけど……、だけどさ……そんなのって、あんまりだよね。あんまりだよ……ほんとにさ……」
千咲は言いながら目じりに涙を溜める。二人はしばらく風に吹かれたまま、短い間であったが食堂で笑顔を振りまいていた彼女のことを思い浮かべる。
すると岬は千咲の顔を、そして目をまっすぐに見てこう言った。
「リルちゃんの事は……ごめんね、正直私も宗助くんに何て言えばいいかわからないんだ」
「……だよねぇ……」
「でもさ。私もね、悔しい気持ちとか悲しい気持ちはなかなか消えてくれないけど、……みんなのおかげでやっと平和になって、それで訪れたこの今がすごく大切だなって実感して。それで、できるだけ素直な気持ちと言葉で生きていけたらって思うんだ。だから――」
岬はそこまで言って、千咲がキョトンとした顔で自分の顔を見つめている事に気付いた。
「……? どうしたの?」
「……最近いっつも思うわ。岬はほんとに変わったなぁって」
「そうかな。あんまり自分じゃわからないけど」
「そうだよ。いつもこういう時は大体あんたがめそめそしてて、私が元気出してって言ってたのにさ。気づいたら……立場逆転してた」
「そんな事ないよ。千咲ちゃんは私の一番の友達で、頼れるお姉ちゃんで、逆転なんてそんな」
「逆転っていうか、んー。……ま、いいや。素直になれって事ね。了解! 今度会ったら、言いたいこと言ってみる。あはは」
「うん」
そして、少しの間丘の向こうに広がる景色を二人で見ていた。
「岬はさ、今幸せ?」
「うん?」
突然の質問に岬は眉を持ち上げて訊き直した。聞こえなかった訳ではなく、その質問の意図を理解するために。
「だからさ。辛い事、沢山あったでしょ。ここに来るまで。それでも幸せ?」
「うん。幸せだよ、本当に」
「そっか。良かった……。でもね」
「でも?」
千咲は立ち上がって、崖の淵まで歩くと、すぅーっとお腹に息を吸い込み、溜める。
「私だって、負けないんだからーーーっ!!」
そして、空と海と町に向かって絶叫した。
彼女の背中を、岬は呆気にとられた表情で見ていた。叫ぶという行為にまず驚いて、次に叫んだ内容に驚いて。だけどその言葉は、岬が今彼女に一番求めていた言葉だったのかもしれない。
岬は立ち上がり、嬉しそうに千咲の隣へと駆けつけ大きく息をお腹に溜めた。
「受けて立ぁーーーーーーっつ!!」
お互い見合って、そしてけらけらと笑って、しばらくの間交互に叫びあっていた。
それは言葉だったり、言葉じゃなかったり。
*
いくらマシンヘッドはもう動かないとはいえ、ドライブ能力による犯罪を取り締まることも重要なスワロウの役割だ。宗助は不破と共に、数日間病院で寝てばかりいて鈍った身体を目覚めさせる事も兼ねてトレーニングルームで汗を流していた。汗を流しながらも、なんだかんだ仲の良いこの二人はああだこうだと雑談を交わしていた。
「宗助、お前これからどうすんだよ」
「今晩ですか? 特に用事はありませんけど……また祝勝会ですか?」
「違うわ、今後の生活。お前、なんとかって名前のある大学に行ってただろう。無理やり連れ込んだ俺達が言うのも何だが、大学に戻っても良いんじゃないか? もちろん学費はスワロウにちゃんと請求して」
「学費でるんですか!?」
「あぁ、前例はないが、出るだろうな。マシンヘッドとの戦いを終わらせた勲章物の兵士だ。それくらいの手当、安いもんだろう。何なら、俺からも掛け合ってやろうか」
「それは迷いますけど……でも、まだまだドライブっていう力について学んでおいた方が良いとも思っているんです」
「ドライブの? お前ならもう立派に使いこなしてるじゃねぇか。そりゃあ鍛錬すればもっともっと強くなれるだろうけどよ」
「違うんです。ここに入った時に聴いた『ドライブ能力は持ち主に試練を与える』って言葉が引っかかって。不破さんの能力が暴走したって話も聴きましたし、岬は今きっと試練の真っ最中なんでしょう」
「あー、確かに言ったが……うーん」
「それになんだかんだ言って、ここも居心地いいですから。それとも、出て行った方がいいですか?」
「いいや、居てもらわなきゃ困る。俺の本音としてはな」
「人手不足ですもんね」
「あぁ。それに、岬が泣くからな。スワロウを出て行くなんて言ったら」
「……泣きはしないでしょう」
「……お前今、泣いてくれたら申し訳ないけどちょっと嬉しいとか思っただろ」
「……思ってません」
「間があったぞ」
「と、とにかく。もうしばらくは自分の身体と向き合ってみます。復学は、それからでも遅くないですし」
「そうか。ま、正直安心したぜ。ただまぁ、家族には、ちゃんと話をしても良いと思う。もう秘密事項でもなんでもないからな」
「はは、確かに」
「そんじゃあ先上がるわ。ちょっくらやる事が他にもあってな」
「了解です。俺はもうちょっとやっていきます」
「ほどほどにな」
不破はそう言って更衣室の方へと消えて、トレーニングルームには宗助だけが残った。
(……言われてみたら、大学に戻るっていう事も考えないといけないかもな……。あんだけ受験も頑張ったわけだし、いろんな人のサポートも受けたし……)
一人になって、ストレッチを行いながら今後の身の振り方に思い更けていると、新たな人の気配が室内へと入ってきた気配を感じた。不破が戻ってきたのかと思って入り口に目を向けると、そこには一文字千咲が立っていた。
「よ」
千咲はまたしても名前の通りの一文字の挨拶を宗助にして、そして松葉づえをつきながら宗助に歩み寄る。
「もうトレーニングなんてしていいのか?」
「ちょっと前を通って覗いてみたら、一人でぼけっとストレッチしてる奴の姿が見えたから、寂しくないように来てあげたのよ」
「そりゃどうも。…………なんかでも、千咲と二人で喋るの久しぶりな気がするな。ゆっくりとさ」
「そう?」
「実際久しぶりだって、いつ以来だっけかな、色々ありすぎて思い出せない」
宗助はそう言って笑うと千咲もいつだったかなぁと言ってふっと笑う。
「……花火」
千咲が意図せずしてその単語をこぼして、宗助は「あー、花火の時以来か」なんて言った。千咲は少し寂しそうに笑い、「そうだよ」と言った。
ストレッチをするため地べたに胡坐をかいている宗助の、すぐ近くに置かれたベンチプレスのベンチに千咲は腰かけた。松葉杖はそろえて横に置く。
「お互い無事で良かったよ、ほんと。前もこんな事話した気がするな」
「リルと初めて会った時じゃない? アンタは全身血だらけ、私は死のカウントダウン。よくお互い生きてたなーって」
「あー、そうだ、その時だ。なんか懐かしいな。まだ半年くらいしか経ってないのに」
「この半年で、いろいろ有りまくったからねぇ……。あの時はまだ、あんたなんかヒヨっ子中のヒヨっ子だったのに」
「確かにあの時は勝てたのが奇跡だなって、今になって思うな」
「奇跡も実力の内ってね」
「初めて聞いた」
「私も初めて言った」
ははは、と軽く笑い合う。
「そんで次は、電車ジャックか」
「無謀にもミラルヴァに突っ込んでボコボコにされてたね」
「無謀にもな。帰ってからお前に思いっきり顔叩かれて色々と目が覚めた」
「うん、叩いた。一応手加減したけど」
「嘘つけ。っていうかさ、あの後にもらったプレゼント、何なんだあれ、すごいんだけど。アレのお陰で勝ったよ、冗談抜きで」
「私だって知らないし。何なのアレ、すごい。ちょっと後に買った店に行ったら、お店が無くなってたからね。まるでもともと何もなかったみたいな感じで」
「え、なにそれ、怖っ」
「ま、何はともあれ……その後リルと再会して、なんやかんやあって二人がアーセナルに来て……その後ブラックボックスが来て」
「そうか、その順番か」
「でも、あの時ほど、こいつバカだなって思った時なかったな」
「あぁ!? 何がだよ!」
「私が大空から真っ逆さまに落ちた時、追いかけて落ちてきたのを見てさ」
「あー、……咄嗟だったよ。でも、あの時も、無事で良かった」
「はい、また『無事で良かった』出ました!」
千咲はそう言っていたずらっぽくケラケラ笑った。
宗助は宗助で、また言ってしまったなーくらいの様子で苦笑いしていた。
「それから、美雪さんの件があって、おばあちゃんの件があって……ブルーム達が攻めてきた」
その話にさしかかって、千咲も宗助も笑顔がすぐに消えてしまった。
「隊長が宍戸さんになって……あの時から、みんなに笑顔が無くなっちゃって……辛かったな。今でも、まだまだ辛い」
「でも、リルの事とか、ブルームの事とか、ちょっとずつわかってきたんだよな。諦めずへこたれず、正体を追い求めたから」
「うん。踏ん張りどころだった。でも……またブルームが攻めてきた。そんで、あんたとリルは連れ去られちゃった。私を、守って……」
千咲は本当に辛そうな顔でそう言う。そんなに辛いならもう思い返すのを止めればいいのに、彼女は思い出話を語り続けていた。
「隊長がいなくなって、あんたとリルが居なくなって、沢山の人が居なくなって、怪我をして、みんなどん底で……思い出したくもないくらい雰囲気悪かったなぁ。変な敵も侵入してくるし」
「でも、倒したんだろ、ソイツ。自分達の手で決着つけられたんなら、それは良かったって言ったら変だけど……」
「うん。それは悪い事の中の良い事だったね」
そこで二人はしばらく無言になった。
宗助はなんとなく横目で千咲を見ていたが、彼女は何やらじっと足元を見ていた。思い出話の続きを語ろうかと思っても、そこから先はつい一週間ほど前の話となるので、思い出と言うにはあまりにも近すぎる。
「私さ」
「う、うん?」
突然千咲が発言し、宗助は驚きつつも相槌を打つ。
「私ってさ、どんな人だと思う?」
「どんなって……良い奴だと思うけど、それが?」
それは宗助の率直な意見。
「良い奴か……。そう言ってもらえると嬉しいけど、でもさ、本当は結構ずるいんだよね」
「ずるい?」
「ずるくて、本当に言いたいことを隠してたりして……」
「何かを隠してるのは、誰だってそうなんじゃないか?」
「隠しちゃいけない事だってあるんだよ」
「?」
千咲の言いたいことがイマイチはっきりとわからず、宗助は首をかしげる。
「だから、言う」
「うん?」
「宗助。私、何回も何回も、あんたに命を助けてもらったのに、面と向かって一度だって、お礼をちゃんと言ってなかった。……私はずるいからさ。変にプライドが高くて、見えない所でお礼を言ってそれで済ましたつもりになってたんだ」
「お、おう……」
「だからさ、……。ありがと」
千咲は少し掠れた声でそう言った。そして後にこう続ける。
「……あんたの顔見て、挨拶して、ご飯食べて、喋って、そんな些細な事が過ぎていく度に……。あぁ、私はこの人のお陰で今を生きてるんだな、って思うくらいには……感謝してる」
いつもずいずいと物怖じしない千咲が、この時ばかりは宗助と目を合わそうとせず、宗助も千咲からの温かい感謝の言葉に何と返していいかわからず、二人は再び沈黙してしまう。
「……」
「……でっ、でも、だからこれからはどうしたいとかそういう話じゃなくてこれからもよろしくねって言いたかっただけだから今言った言葉以上も以下も全くなくてほんとにそれが今の素直な私の気持ち!」
それを一息で言い切った。宗助は一言も発していないのだが、照れ隠しなのかただ話したい事が沢山あるのか、千咲ばかりが語っている。
「……うん。これからもよろしくな」
千咲の言葉を受けて、宗助が返すことが出来る言葉は本当にそれだけだった。
そして宗助は拳を握って千咲に突き出す。
動揺して頬をほんのり赤く染めていた千咲もそれを見て、ふっと笑い落ち着きを見せ、そして彼女も拳を作って宗助のそれにこつんとぶつけた。




