奥の手
うわごとのように謝罪の言葉を呟くブルームを、宍戸は眉間に皺をよせギロリと睨む。
「謝るのはてめぇの家族にだけか……!? 犯した罪は余さず償い続けてもらう。お前が身勝手に奪った世界中の人間にな……!」
怒気を含ませて言いブルームに更に一歩近づいた、その時。
「アルセラ、レナ……リル。もう少し……。もう少しだけ待っていてくれ……」
「……なに?」
「再会の時は……少しだけ、遅れそうだ……!」
ブルームはそう言って、そしていつの間にか手に太めのボールペン程の白い棒を持っており、それを自身の鳩尾あたりに空いていた穴に突き刺した。もともとその棒をセットするために設計されていたようで、カチリと音が鳴りぴったりと収まった。
ブルームは全身を震わせうめき声を漏らし始める。
「うご、おおおおおおおっ……うおおあああ……ぬううううあああああッ!」
「何だ、こいつ今何をしやがった……?」
目の前でブルームから巻き起こっている異様な雰囲気に、不破も宗助も宍戸でさえも警戒心を露わにして尻込みする。そこにアルセラが慌てて声を滑りこませた。
『いけない、生方さん!』
「えっ!?」
『あれは……、あれは今まで彼が奪い取ってきた魂を消費し、自分のエネルギーへと変換しているんですっ』
「へ、変換っ!?」
『本人も、どれ程のパワーが出るかまだわかっていない、何十万人分ものエネルギーです……! 追い詰められた際の奥の手として設計さしていたもので、使うまいと高をくくっていましたが……。とにかく今は逃げてくださいっ、距離をとって!』
宗助はアルセラの勧告を簡潔に宍戸へ伝える。
「宍戸さん、ヤバイ、一旦下がって下さい!」
「下がれだと? いいや、こいつは今叩くッ!」
だが、宍戸はそれに聞く耳を持たず、呻き続けるブルームへと銃口を向けた瞬間。
「―、ぇ」
ブルームの身体が全員の視界から消える。そしていつの間にか宍戸のリボルバーの銃口部分がひしゃげていて、次に宍戸の腹部にブルームの拳がめり込んでいた。
「かっ……」
宍戸の肺から一滴残らず空気が押し出され、強制的に呼吸困難に陥った。
(な、に……)
さらにもう一撃、同じ箇所に撃ち込まれ、宍戸は後方に吹き飛び出入り口横の壁に激突して気を失った。激突した壁も激しく損傷し、部屋が揺れる。
「宍戸さんッ」
「くそっ! 何が―、っうごっ……!?」
そして不破でさえも構える間も無く、脇腹を殴打され吹き飛び転がってそのまま気絶した。しかしブルームの姿は見えない。
「不破さんッ! …………くっ」
満身創痍だったとはいえ、あっという間に二人を倒され残された宗助は、まずは自分の身を守るために必死に空気の動きを読む。
(速いッ……! なんて速度だ……!)
ブルームは宗助の見えない能力に対して一定の恐怖を持っており、一旦彼から離れそして再び直線的に宗助へと突進を行う。宗助は、どれだけ早く動こうが透明で見えなかろうが、動き自体やそこから発生する音によって生じる空気の流れ・震えで相手の位置を感知することが出来る。
そして、その宗助独自の感覚器官は、ブルームの攻撃が目前に迫っている事を脳に伝えていた。半分は意識的に、半分は本能的に、宗助は全力で身体をずらす。すると、ビュゥン、と風切り音を耳元に叩きつけられた形にはなったが、命中はせず、慌てて背後に下がり距離を取る。
ブルームもまた後方へ跳び、自ら宗助と距離を取った。室内はさほど広くなく、そして宗助とブルームの直線上にはレナが浮かんでいるカプセルがあった。
(……空気弾はここでは撃っちゃいけない)
再度のブルームの突撃をまた紙一重で避ける。攻撃をかわした直後の瞬間だけブルームの姿をハッキリと捉える事が出来る。横目でブルームの表情を見ると、まるで狂った獣のように目を見開いて、宗助を仕留める為に振りぬいた攻撃で腕をきしませていた。
ミシミシ、ギシギシ。ブルームの肉体の内側から染み出してくるその異常な音を……宗助の鼓膜は逃していなかった。
(ブルームの今の身体の状態、無茶苦茶だ……攻撃している本人が何より消耗している……!)
一発のその空振りは、宗助にブルームの状態を如実に語っていた。そして、宗助が予想した出来事が起こり、その状態は次の段階へ突入する。
「がっ……うぐ、があっ……! ガハッ……」
ブルームは突然咳き込み、ピンク色の液体を大量に嘔吐した。きっとその機能そのものや、それによる無理な動作に機械の身体がついてきていないのだろう。ブルームの苦しむ様子を見て思わず息を呑む。
「ブルーム、もうやめろ、なんでわかってやれないんだ! 家族を蘇らせる為だと言って、レナちゃんの能力を使って幾つもの人間の命を奪って……二人共そんな方法を使ってまで蘇りたくないと言ってるんだよ! そんな方法で、家族が再び会っても幸せになんてなれる訳ないッ!」
宗助は再度説得を試みる。だが、ブルームは口に付着したピンク色の液体を腕で乱暴に拭うと、宗助を睨む。
「幸せになれないだとか……、そんな事、お前が決められる事じゃない……。私は必ず幸福を、家族を取り戻して見せる……! ……人は誰だって、幸福になる為には他から何かを奪い取らなければならない……食料、異性、金、住む場所、……どんなに綺麗事を並べようが、生物の本質は、他の生命を凌駕し我が物とする事だ……。それが家畜だろうが、人間だろうが……俺と貴様らと、何がどう違うと言うつもりだ……。その差はなんだ? 理論的な説明など、誰にも出来ない。……ゴホッ……」
「……そんなの……」
「何も言い返すことは出来ないはずだ。それは否定しようのない事実だからだよ……!」
ブルームの理屈は、とても納得できるものではなかった。というよりも、心で納得をしたくなかった。
無用の争いをさけるために、傷つく人間が出来るだけ少なくなるように、平等に居られるように。親や成熟した社会が子供達の倫理観をしっかりと育て、人と人が生きていく中で不文律を感じ取り、広く細かくルールを決めて、周囲に思いやりを持って……そんな世の中で全てが回ればいいのに、悲しくも追い詰められれば追いつめられるほど人間は、生物は、ブルームが告げる一つの事実に近づいていく。争い、奪い取り、そして勝者はそこに幸せを見出した。
「……。そうだな……お前の言うソレは、納得したくはないが、間違っちゃいない。そうやって、綺麗事抜きで、自分とその隣に居る人の事を一番に優先して生きてきた人間も沢山居るだろう。だったら、お前に言ってやれる、俺の闘う理由はたったひとつ」
宗助はネックレスの石がある部分を右手で存在を確かめるように触れる。
「自分の幸せを絶対に守りたいから、これ以上失いたくないから、俺は闘う。お前をここで止めなければ、俺は俺の幸せを失ってしまうから……!」
「……く、ふふ……はは……、良いだろう、ゴホッ、この戦いの勝者が、幸福を手に入れる……! 実にシンプルで……わかりやすい……」
ブルームは辛そうに笑いながらも身体の調子は若干戻ったのか姿勢を正し、足を広げ両腕を持ち上げ攻撃の構えを取る。
「生方宗助、お前は、私達家族の新たな幸福の為の一人目の贄にしてやるッ!」
そして躊躇なく宗助に跳びかかった。あまりの速さに、やはり目で追う事は出来ない。
「くッ!!」
慌ててその空気の流れの直線上から飛び退くと、背後にあった壁が粉々に破壊された。壁の向う側にある通路が露わになる。鉄の壁に穴を開けるような攻撃をまともに受けた宍戸や不破は生きているのかが心配事ではあるが、まずは自分を守る事だと戦闘に気持ちを集中させる。自分が負ければまたブルームは同じ過ちを繰り返し、その犠牲になる人々が数多く出てしまうのだと言い聞かせる。リルが自分の人生を投げ出して救った人達を、絶対に守るのだと。
(とにかく、ここは逃げる……、ブルームのあの魂による強化は明らかに体への負担が異常だ。長期戦を挑んでやる……!)
ブルームがたった今開けた大穴から外の通路へと飛び出した。
「こっちだブルーム、ここで闘って、アルセラさん達のカプセルを壊したくないだろ!」
そう叫んで通路を走り始める。賭けだが、ブルームが付いてくる確率はかなり高いと見ていた。そしてその予想は当たる。ドガガガガっ、と通路の床が激しく破壊され床材の破片が飛び散る。ブルームの移動する足蹴が強すぎるせいだ。あっという間にその床の破壊は宗助のすぐ背後まで到達する。
(やばいっ)
通路は狭く躱すスペースがない。長期戦を挑むために部屋を出たのは良いが、そこは宗助の計算違い。宗助は振り返り、ありったけの空気の緩衝材を自分の前方に展開し空気のクッションで自分を守り、あとは腕を交差させ身体を縮こまらせて喉・胸・首・頭を守る。
一瞬の差で、宗助の腹部を衝撃が襲った。
だが空気の防御壁は相当なパワーを奪い取り、確かに強いダメージが宗助を襲ったのだがそれはなんとか耐えられるレベルのものだった。
「ガハッ!」
後方に吹き飛ばされつつも身体を上手に回転させてすぐに体勢を整えて、腹を押さえつつまた逃げる。
「ゴホッ、ゴホ……、……くそ、なんてパワーだ……かなり厚く防御できた筈なのに……!」
再び床材の破片飛沫を巻き上げながらブルームが追ってくる。
「どこに逃げるつもりだ、生方宗助ェ! お前の言う『闘う』というのは、私から逃げる事か!?」
背後の気配との距離を再優先に感じながら、前の景色を目で見ていると、窓が通路の先に見えた。
(しめた、外だっ。外は海、機械は海水に弱い! もしかすれば!)
宗助はさらに速度を高めてその窓を目標に定める。
どうにかして海に突き落とすことが出来れば弱らせることができるかもしれないと考え、ブルームの次の攻撃が到達するより先に窓へとたどり着くと、空気の弾丸で派手にそれを打ち破り、思い切り助走をつけて、外へと飛び出した。
もう日が暮れ、海は暗いオレンジ色に染まっていた。宗助が飛び出した先は砂浜で、それは比較的長い海岸線。大きな波の音だけがあたり一面に響き渡っていた。
(海、海に入るッ)
その一心で砂浜を走るが、砂地に足を取られて走行速度は相当に落ちてしまう。ブルームも宗助を追って外に出てきており、砂を撒き散らしながらまた宗助のすぐ背後に迫る。
「ぬぐっ……!」
振り向いて先程と同じように対応しようとするが、不規則な足場にバランスを崩し、先程よりも不完全な体勢となりガードしていない脇腹に受けてしまう。
「がッ」
激しく飛ばされ、しかし意図せずして宗助は海の中に落とされた。
口や鼻に勢い良く海水が入り込んできたのを慌ててむせつつ咳をして吐き出し、海の中に立つ。遠浅なため、海の深さはまだ宗助の膝から足ほどだった。
宗助は二発の攻撃を受けたが、それぞれの重さが凄まじく、以前ミラルヴァに攻撃を受けた時と同等か、それ以上の威力を感じていた。それでも致命傷を免れているのは、宗助の空気の防御壁が当時よりも遥かに成長し強固なものとなったからだ。しかし、少しでも油断したら一発で戦闘不能、最悪、死が待っていると宗助は理解していた。
「ハァ……ハァ……、ハァ……ハァ……」
単純な疲れと、その攻撃力の高さに呼吸が乱れ、肩が何度も上下する。しかしブルームは、そんな追い詰められた様子の宗助をそれ以上追おうとしなかった。やはり海水は苦手という予想はあたっていたらしい。
髪の毛から海水を滴らせながら、ブルームを見る。渚に立っていたブルームは突如また激しく咳き込み、口と鼻からピンク色の液体を嘔吐した。その場に跪き、口を手で押さえている。
「ガはっ、ゴホッ……オエエエッ……!!」
先程よりも苦しむ時間が長くなっている。何万もの魂を短時間で摂り入れる事が一体どれ程の現象を生み出すのかは誰にも想像もつかなかったが……。
「……、ブルーム、卑怯だと言われようが、このまま攻撃させてもらう……!」
掌の中で空気を圧縮、圧縮、圧縮。拳を中心に、コイルのように風がうずまき始める。さらに圧縮し、風力を強めていく。
「喰らえ……!」
圧縮しきれず掌から漏れ出た空気が海面を抉り、拳だけでなく宗助そのものを中心に放射線状の白波が発生する。さらに掌の中の嵐が成長し続け……。そして。その掌の嵐を、まるでドッヂボールのように振りかぶって、大きく一歩踏み込んで……ブルームに向けて投擲した。
それは夜の海風を引き裂きながら未だに苦しむブルームの額に命中し。最初は細かく皮膚を切り裂き、次にベコンッと音を立てて小さく凹んだ。
「うぐ、あ……」
ブルームはうめき声を漏らしながらよろよろとその場から後退し、そして三歩目で力なく仰向けに倒れた。ピクリともしない。
「ハァッ……ハァッ……死んで……ハァッ、ないよな……」
『ええ。まだ意識は生きています。生方さん、お願いします……』
「ええ……。ハァ、ハァ……。わかって、います」
倒れたブルームにアルセラの声を直接聴かせるために、自身のネックレスをブルームに持たせてやろうと考えた。そして狂ったブルームをアルセラが直接説得して、これ以上の凶行を止める。当初の作戦通りだ。
バシャ、バシャと一歩ずつ海水を足でかき分けながら砂浜に上がり、倒れているブルームに恐る恐る近寄る。もともと呼吸が無いため、人間よりも状態がわかりにくい。
『……生方さん、油断せずに先ほどブルームが取り込んだ魂を取り出してしまってください。そうすれば、身体に合わないこのいびつな力も落ち着くはずです』
「はい、わかって、います……あの鳩尾に差し込んだ、試験管みたいな白い棒ですね……」
そして、ブルームの手前に近づいた宗助は彼を見下ろし、指示通りに手を伸ばした。その瞬間。
「……! ……っ、か……」
ブルームの指が宗助の腹部に噛み付いていた。
「……な……に……」
指は強化アーマーを貫き宗助の腹に突き刺さっていた。指は数秒で力なく抜き取られた。宗助は腹部を抑えながらふらふらと後退する。じわりとシャツに血が滲み始める。今度は宗助が跪いて咳き込んで、激痛に身体を支配された。
ブルームはそんな宗助と対極的に、ふらりと立ち上がる。
*
「不破、起きろ」
その頃、アルセラとレナの眠る部屋では、宍戸が意識を取り戻していた。
宗助とブルームの姿が無いことと、部屋に空いた大穴や床につけられた激しすぎる足跡を見て、宗助とブルームが戦っているとすぐに理解し、気絶している不破を起こす。
「んあ……、宍戸さん? 痛ってて……なんだ、この状況……」
「なに寝ぼけてやがる。俺達はブルームにやられたんだ。だがまだ生きてるって事は、生方が奴を引きつけて闘っているという事だろう。すぐ追いかけるぞ」
「そ、そうか! はいっ」
不破も宍戸も肉体へのダメージが大きく疲労も強かったが、部下一人に全てを投げ出してしまっているこの状況の方を恥じた。動くたび負傷部位がズキズキ痛むが、気にしていられない。
「クソッ、宗助、無事でいろよ……!」
残っている力と気力を振り絞り、足跡を追跡する。
*
(……大、丈夫……傷は、それほど、深くは、ない……!)
負けじと何とか堪えて立ち上がろうとするが、その前にブルームが宗助の腹部を蹴る。
砂浜をまた転がり、今度は海とは別の方向で、砂まみれのままその場に倒れる。ブルームも無理矢理パワーアップさせた反動が如実に表れており、そのパワーは先程までと比べると急激に落ちていて、蹴られた事により、宗助はその事実を感じていた。が、宗助が腹部に受けたダメージは軽いものではなかった。
「あぁ、アルセラ、君を、僕は、レナ、リル……次の休みは、どこへ、行こうか、ふ、……どこへ、でも……埋め、合わせを……」
ブルームはうわごとを呟きながら倒れる宗助が居る方向に目を向けていた。宗助を見ているのか、それともただ単にその方向を見ているのか、判別できないような狂った目つきと表情。
宗助は少しでも距離を取ろうと手足で地面の砂を掻いてずりずりと後退するが、そんな程度で取れる距離に大した意味を成さない。
ブルームは指を一点に集めて槍のような形を作って見せた。
「……これなら、空気で、……アルセラ……ふふ……リル、レナ……ふふふ……衝撃を緩和しようが、……関係なく貫ける」
そしてブルームは宗助に向かって駆け始める。
「私の、勝利だッ!」
宗助はなんとか迎撃しようと自身の掌の中に空気を圧縮させるが、ブルームの攻撃を退けられるほどの威力を生み出すには時間が全く足りない。
「負けて、死んでたまるか――」
仲間たちの顔が、いくつもいくつも宗助の脳裏を過る。
――絶対に、帰ってきてね。
確かにその声が、聴こえた。
「……俺達の帰りを、待って、いる……!!」
半ばやけくそで、不完全な空気弾でブルームを迎え撃とうとした。その時、宗助の視界を大きな何かが遮った。




