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machine head  作者: 伊勢 周
25章 最後の一撃を
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システム・ダウン

 彼女は、母親の優しい笑顔が好きだった。

 そのため、もし自分に能力が身に付くなら、人を無条件に笑顔にできる能力が良い、と本気で願っていた。そのことを母親に言ったら、「そんな能力がなくても、人を笑顔にできる人になって」と言われた。彼女の好きな優しい笑顔を添えて。

 それは彼女の名前がまだ、リル・クロムシルバーだった頃。


 ある日、双子の姉にだけ能力が身についた。『なんで姉だけ』、と少し残念に思ったが、特に能力には憧れは無かったし深くは考えなかった。

 姉は、能力を制御するための能力訓練学校に入学する事になった。いつも遊び相手だった姉としばらくは離ればなれになってしまう事が寂しくて、やはり彼女は、『何故姉だけが』と思った。

 それからそんなに遠くない日、姉の能力は学者たちの間でも非常に興味深い物だったらしく、研究施設にて能力研究が実施されることとなった。

 彼女は、寂しい寂しいと何度も口にしていたが、両親からわがままを言ってはいけないと窘めら

れた。そのため、両親には内緒で、母親の兄であるコウスケに愚痴を聞いて貰っていたりもした。

 様子がおかしくなりだしたのは何時頃からだっただろうか。

 彼女の姉からの手紙は途絶えてしまい、帰宅予定日になっても帰ってこなかった。

 研究施設に勤める人間に問い詰めても『元気にしている』の一点張りで、詳しい様子は判らない。

 両親は彼女に留守番させて、二人研究施設に足を運んだ。

 とにかくその後、訳も判らぬうちに少女は、姉と母を同時に失い、さらにそれどころか命を狙われる身になってしまったのだった。

 コウスケに守られながら、土壇場の逃走劇の末。

 父親とも離ればなれになり、彼女は四歳にして家族と会えぬ孤独と闘うことになった。『パラレルワールド』。きっとそこで家族そろって会おうと約束した。

 その約束だけが彼女の希望だった。

 少女が故郷を飛び立ってから、当然彼女に友達というものは出来なかった。

 話し相手はいつもジィーナだけ。なんとか基礎的な知識に対する教育は施されていたが、友人たちと過ごすことによってしか得られない大事な経験は、何をどうあがいても手に入らなかった。

 彼女には、思い出が無かった。

 限られた空気、限られた景色、限られた音にしか触れる機会が無かった。追手を警戒するあまり自由に動くこと適わず、自由に人も信じられず。


 そして、そんな生き方の中。心の底から信じた人が今、泣きそうな顔で、困っている。自分と仲間の命を天秤にかけて、苦しんでいる。いや、自分が苦しめている。

 笑わなければ。彼女は瞬間的にそう想った。笑顔を作って、自分は大丈夫だと伝えなければ。だけどそれ以上笑顔を保っていられなくて、宗助に抱きついた。



こんなのズルいかもしれないけれど、最後のお願いをしよう。

……どうか私の事を忘れないで、と。



そしてリルは自ら、システム停止の為の最後のボタンに、人差し指で、触れた。



          *



―この子が何をした。何をしたら、こんな目に遭うんだ。ただ、普通に生きたかっただけなのに。なんでこの子なんだ。自由に外を歩きたいと、たったそれくらいが。


「なぜ叶わない……。……なんで……。なんでだよ……」


 わなわなと唇が震え、うめき声にも似た声が漏れる。


「誰か、俺を納得させてみろッ……出来るものなら! 早く……、早く、俺を納得させてみろッ」


宗助の言葉に答えられる者など、その場には居るはずもなかった。リルの閉じられた瞳から一筋の涙がこぼれた。


「あぁ……ああぁぁあッ、うああぁぁあああッ……!!」


 宗助は動かないリルを抱きしめて、両目から涙をぼろぼろと流しながら、行き場を失った感情を、ただただその場に叩きつけていた。しばらくの間、宗助の怒声のような慟哭だけが狭い室内にずっと響き続けた。襲い来る理不尽さから、必死に自身の心を守るように。


 その場で脱力し膝から崩れ落ちたレオンは、目の前の宗助とリルを呆然と見つめることしか出来なかった。まさか、リルが自分で最後のボタンを押すという行為をするとは思わなかった。


「う、うう、うああ……ああ……」


 そして起きてしまった現実を理解して、ボロボロと涙が溢れてきた。


「初めて、……初めてできた、僕の……友達……」


 彼女との関係は、たった数日間。それでもこれまでの人生で感じたことのない温かい感情が、その短い時間の中に確かに存在していた。レオンは、胸に穴が開くという表現がこれほどまでに自分の状態を説明するのに適切であると思う日が来るとは思いもしなかった。

 一体何を責めればこの心の穴は閉じてくれるのかと逡巡した。

 ボタンを押した、もう目覚めないリルか。

 プログラムを止めるよう強要した生方宗助か。

 それとも、そんなプログラムを作った自分自身か。

 何をどう考えても、埋まる気はしなかった。

 


 宗助は、叫んだことによりほんの僅かだが心が落ち着きを見せ、涙を拭ってリルを抱きかかえたまま立ち上がり彼女をソファまで運び横に寝かせた。


「レオン。俺にはまだ、やらなきゃならないことがある」

「なに……」

「ブルームに会いに行く。ボコボコにぶん殴って目を覚ましてやらなきゃ。リルに、アルセラさんに、レナちゃんに、そして世界中の人に謝らせる。レオン。お前は早くここから逃げた方がいい。負けるつもりはないが、勝負に絶対はないからな……」

「……いや。ぼくは、ここでリルと居るよ……なんていうか……一人ぼっちにさせたくないんだ」


 ソファに寝かされたリルはやはり穏やかな表情だった。まるで今にも、名前を呼びかければ目を覚ましそうな程。


「そうか……そうだな。じゃあ、側に居てやってくれ」

「その……えっと」


 何か言いづらそうにどもっているレオンを見て、「どうした?」と言葉を促す。


「ごめん、なさい。僕が気づいていれば、リルにスイッチを、押させることはなかったし、最初から、ちゃんと君に説明していれば……」

「……いや、リルは、全部勘付いていたのかもしれない。どうしようもなかった……俺には絶対に押せなかったし、そのままどっちつかずにして、世界中で犠牲者を更に増やしていたかもしれない。俺やリルの友達も殺されてしまっていたかもしれない。リルは、それを嫌がったんだ。きっと」

「……それでも、ごめんなさい」

「こちらこそ、ごめん」


 お互い謝って、そして宗助はインカムとイヤホンを拾い上げて耳に装着しなおした。


「桜庭さん。すいません、色々とあって返事が出来ませんでした」

『生方くん!? ザザ良かった! 何か悪いことが起きたのかって心配してたんだよぉ~! それより、マシンヘッド、全部止まった! ザザ世界中、動いてる報告は一つも無しッ! 生方くん、あなたのおかげなんだよねッ!』


 相変わらずノイズ混じりであったが、桜庭の話していることは全て理解できた。世界中を襲っていたマシンヘッドはもう動くことはないのだ。


「俺一人じゃ、ありませんよ……」

『うんうん、わかってるって! チームみんなの勝利だねッ! 兎に角、こっちのことはもう心配いらないから! あとはブルームとミラルヴァを倒しちゃってよ! それで、無事に帰ってくること! リルちゃんも連れてね!』

「っ……。はい。必ず。これよりまず宍戸さんのところへ合流します。……通信終わる」

『頑張って! 最後のひと踏ん張り、死んじゃダメだよッ!』


 通信を切ると、宗助は虚空に向かって言葉を投げかけた。


「アルセラさん。無事なんですか?」

『……私の方は、問題有りません。私達の生命維持装置には簡易的ではありますが非常時に対する予備電源とサブシステムが設けられており、少しの間はそれが代替機として動いてくれています』

「そうですか……。ブルームやミラルヴァは今どうなっていますか?」

『不破さんはミラルヴァに見事打ち勝ちました』

「本当ですか!? 勝ったのか……すごいな」

『ええ。しかし不破さんも立っているのがやっとの程のダメージを受けている。宍戸さんは、……ブルームとはぐれたようです。ブルームは今、私の部屋に向かっています』

「はぐれたって、なんで?」

『……宍戸さんも相当な深手を追っています。追う気力が無かったのかもしれません。すぐに戻りましょう』



 そして宗助が立ち去った後、レオンは、ソファの上で静かに眠るリルをじっと見つめていた。


「……ごめん……。もっと、もっと出来る事があったかもしれない……無理だ、ダメだって言っている間に……」


 ぼそりと呟いた。返事が来ないのはわかっていて話しかけたから、もうこれ以上落胆することはない。


「いや、これからまだ何か出来る事があるんだ。きっと」


 大事なのは、これからだ。そう言い聞かせて心を奮い立たせる。

ブルームの奴隷としての存在だった頃から脱却する為に。



          *



 宗助はもと来た道を走って戻っていた。

 このブルームのアジトに来てから戦闘もろくにしていないため、心はともかく身体は元気いっぱいだ。走っていると、アルセラの声がまた聞こえて来た。


『生方さん、ありがとうございました』

「……? 何がですか?」

『リルのことです。あなたの言うように、あの選択を迫られることを知っていて、私はあなたに行って欲しいと言ったから』

「……大丈夫です。むしろ、自分があの場にいて良かった。自己満足かもしれないですけど」

『そう言っていただけるのなら……』

「それに、死んだワケじゃない。リルのことは、……帰ってから、考えます」

『はい。今、あなたがするべきことは一つ。ブルームを、止めて下さい』

「わかってます……!」


 宗助は新たに決意を心に据えて、全速力で駆けて行く。



          *



 システムが止まった、という事は、宍戸を追いつめていたブルームを防衛するシステムにも当然変化が訪れる。宍戸の身体には幾つもの深い傷が負わされていて、これ以上戦闘を続けても敗北の色が濃くなるばかりであったが、突然に、宍戸の蹴りがいとも容易くブルームに命中した。

 ブルームは吹き飛ばされて尻餅をつき、唖然とした表情で自分の両掌を見ている。


「……? 防御、しない……? ……、まさか……っ!」


 そしてその異変は、システムに何らかの異常が生じた事によるものだとすぐに理解した。


「そんな馬鹿な……何ということだ……!」

「……生方が、ようやくシステムを止めたようだな。…………ふぅ~……。正直、負け、いや、死がチラついた。やれやれ……。だが、もうこれでお前の守りは無いに等しいようだな」


 宍戸は口の中の血をべっと吐き出して、ブルームに近寄る。しかしブルームには、そのシステムダウンについて自分の防御が剥がされた事よりも気がかりな事があった。


「アルセラッ!」


 ブルームは叫んで立ち上がると、一目散に宍戸の横をすり抜けて全速力で駆けて行った。


「……なっ、くそッ!」


 宍戸は全身傷だらけ、その影響で初動が遅れ、走るブルームをすぐに追うことが出来なかった。よろよろとした足取りで走り始めようとするが、そこに宗助が戻ってきた。


「宍戸さん、戻りました!」

「生方か、……良くやった。ギリギリだったがな」

「いえ、それより、その傷、大丈夫ですかっ? すぐに手当を」

「……ああ。悪いが、止血だけでもやる。手伝ってくれ」

「すぐに。俺もそんな得意な方じゃないですけど……」

「おおーい、宍戸さん、宗助!」


 そこに、不破も合流した。その不破のなりもあちこちボロボロで血とホコリにまみれていて、宍戸もそうだがとてもこれ以上戦えそうには見えない。


「不破、勝ったのか」

「ええ、なんとか……やばかったっすよ、あの馬鹿力」

「って事は、残りはブルームだけって事か」

「ん? ブルームと闘ってたんじゃないんですか?」

「生方がここのシステムをダウンさせることに成功して、それに気付いて大慌てでアルセラの所に向かったようだ。しかしシステムを止めたって事は奴に搭載された戦闘システムはもう役に立たんし、マシンヘッドももう動かん」

「マジか、やったな!」


 そう言うと不破はボロボロの腕を持ち上げて宗助に掌を差し出した。宗助はその掌を叩き、ハイタッチ。すると。


「ん。通信が入ってるな」

『不破さん、海嶋です、応答願います』

「あぁ、不破だ」

『良かった、そこは電波が繋がりやすいみたいですね。報告です。生方君がシステムを止める事に成功しました! マシンヘッドは―』

「もう動かない、だろ。たった今聴いたよ。こっちは宍戸さんと宗助と合流した。これよりブルームを追い詰める。勝利は目前だが、油断せずに行くぜ」

『はいッ、良い報告を待っています! 迎えが必要になったら連絡して下さい』

「了解」


 通信が終わる頃には宍戸の止血もおおまかな部分は終わっており、既に立ち上がって衣服を整えていた。


「よし、行くぞ。生方、案内してくれ」

「はいッ!!」



          *



 宗助は走りながら、事の顛末を二人に話した。マシンヘッドを止める為にはリルの記憶……人生を犠牲にする必要があったこと、決断できない自分を見かねて、リルが自分を犠牲にして全てのシステムを止めてくれたと。

 宍戸も不破も、前を走る宗助の背中に対してかける言葉が見つからず、ただ無言で走り続けた。ハッキリとしている事は、ブルームを止める。とにかく、あとはそれだけ。


 三人はアルセラの部屋にたどり着く。扉は開いており、暗い室内へと慎重に足を踏み入れていく。内部では、ブルームが慌てた様子でアルセラとレナのおさめられている機械を、泣きそうな表情で弄くり回していた。


「……よし、これで……、非常電源は安定する……あとはシステムを立ち上げ直すだけだ……。リルの記憶のバックアップを確認しなくては……」


 アルセラとレナが浮かぶカプセル内は光で照らされ、ぶくぶくと気泡が発生し続けている。ブルームは安心した様子でカプセルを見上げていた。


「……。もう、やめろ。ブルーム」


 宗助がブルームの背中に語りかけると、彼は一変して憤怒の表情を見せながら振り返り、宗助宍戸不破の三人を睨みつける。


「貴様ら……よくも……!」

「もうマシンヘッドは全て止めた。お前の計画は終わりだ。これ以上アルセラさんやレナちゃんを悲しませるな」

「……黙れ、黙れっ、ダマれぇ!」


 ブルームは凄まじい声量で叫ぶ。しかし宗助達もそれに全く動じず、ブルームを睨み続けている。


「まだだ、何度だってやり直せる! その為に機械の身体を手に入れた! 時間はいくらでもある……、お前達さえ消せばな! お前達は、ここで早急に始末するッ!」


 ブルームはヤケクソになったのか絶叫し、力任せに三人へ突進する。しかし防御支援システムが停止した今、ブルームに残されている戦闘力は通常のマシンヘッド程度のもの。


「どけ、俺がやる」


 宍戸が一歩前にでて、突進してきたブルームを簡単に右足一本で返り討ちに遭わせた。足蹴にされて吹き飛ばされ、アルセラが浮かんでいるカプセルの真下にどてどてと不細工に転がる。


「がっ……く……!」

「このまま戦闘不能になってもらう」


 うずくまるブルームに宍戸がリボルバーを取り出しつつ歩み寄る。


「う、うぐ……畜生……。すまない、……すまない、アルセラ、レナ……リル……」


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