激突 3
「ごほっ、ごほっ……しまったな……あんまり派手に、周りのもの壊すなって……アルセラさんに言われてたのに……」
さんざん変化させ尽くして、天井が地に落ちて埃が舞っている通路を見て、不破は息を切らしながらぼそりと呟いた。
「だけど、まぁ……さすがに、効いただろ、あの筋肉バカも―」
ミシ……と、通路の空間全体が軋んだ。さらに、何度もミシミシと壁に圧がかかり軋む音が一層強くなる。
「―、おいおい……まさか、マジかよ」
壁と天井がひび割れ始め、そして獣のような雄叫びが空気を震わせる。そして不破が変化させた天井が徐々に持ち上がり始める。十センチ、二十センチ、三十センチと浮き上がっていく。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
不破が打ち下ろした天井ごと、そのすべてをミラルヴァは身体一つで持ち上げているのだ。額から血を流した彼がその丸太のような両腕で目測幅三メートル奥行五メートル厚さ二メートル程の、天井だった巨大な塊を支え、持ち上げ、雄たけびをあげている。
ミラルヴァは塊を真上に投げて、両腕でそれを凄まじい速度とパワーで何度も何度も殴り、粉々に砕いてしまった。瓦礫が周囲の床に次々と落ちて行く中、額から流れる血を気にする素振りも見せずに不破に向かって歩き始める。
不破は不破で全身へのダメージがあり未だにうまく直立できず、立膝を付いてミラルヴァを睨み、今以上の攻撃をどう生み出すか考えている。だが……。
(頭が……耳鳴りがする……集中、しろっ……立ちあがれっ!)
考えとは裏腹に、その場に再び座り込んでしまう。ミラルヴァも顔には見せないがダメージは確かに蓄積されていて、ふらふらとよろめきながら不破に近づいている。
しかし、少し離れた場所でミラルヴァは不意に立ち止まった。
「……?」
不破は不思議に思いつつ、目での威嚇を続ける。すると、ミラルヴァはゆっくりと口を開いた。
「不破……。一つ、訊きたい……」
「なんだよ」
「何故、そこまで……必死に戦えるのかを、教えて……くれ……」
「……なに?」
「何故、顔も名前も知らない、会ったこともない人間達の命が……大事に思えるのか。自分の幸せとは関係ない場所で、死と隣合わせの闘いに……向かえるのか。お前程の力があれば、自分の身を守るのには、十分だろう……」
ミラルヴァがどういった意図でその質問をし、どんな答えを求めているのか。不破は少しだけ威嚇を解き、ミラルヴァの目を、その意図を量る為に覗き見た。だが、どう思っていようが、そんな簡単な質問の答えなど、不破は、もうとっくの昔から心の中に持っている。
「……はは、買い被りだな。……生憎だが、顔も名前も知らねぇ奴の為に……、この人生まで投げ出してやれるほど、お人よしでもヒーロー気質でもないんだよ、俺は」
「ならば、何故ここに居る……」
「何故? ……俺がここで戦う理由は……………ふふ、ふ……」
不破はそこまで言って少し口角をあげる。
「あいつらは、まだまだガキだ。トシも十八か十九だったか、とにかく、酒の味も飲み方もろくに知りやしねぇしよ」
「あいつら……?」
「俺の部下だよ。お前も知ってんだろ? すぐ調子に乗るし、すぐ泣くし、すぐに騒ぐし、勝手に凹んで、いちいち無茶して……。マジで、冗談じゃなく目が離せない。……歩き始めの、幼児かってんだよ。手間がかかるったら無いぜ……」
そこで一旦言葉を切り、乱れた呼吸を整えてから、「だがな」と言葉を継いだ。
「毎日悩んで苦しみながら、無茶してても、……何とか前へ進んでるのを傍で見てると、よく思うんだよ。そういうガキがバカやらかして失敗しても、見守って、道を作ってやる。そういうのが、……俺みたいな大人の仕事だってな」
「……その命を亡くしてもか」
「大人はガキより先に死ぬもんさ」
ミラルヴァは不破の言葉を受けてしばし沈黙し、その場に立ち尽くしていた。不破はまた目を吊り上げて睨み、凄む。
「てめぇらのやってることは、どうしようもなく……あいつらの邪魔ばっかしてんだよ。だから止めるのさ。この命を懸けてな……。仲間とか、尊敬する人の為とか、他にも色々あるけどよ、それが、ここで今アンタと闘ってる理由の大半だ。くだらないと思うか? 大真面目だぜ、俺は」
「……」
「そう言うあんたは何なんだ。聞かせてくれよ、元警察官さんよ……俺は頭フラフラすんのに、わざわざ答えてやったんだぜ」
不破が眼光鋭いまま口元だけで笑顔を作ってミラルヴァに問いかけるが、ミラルヴァは額から血を流したまま不破を睨み直立している。
「言いたくないなら、俺が言って当ててやろうか」
「……戦う理由など、……とっくの昔に忘れてしまった」
「……いいや。あんたは、忘れてなんかいない筈だ。忘れられるわけがない。リルや、レナ……アルセラさんを守りたかったんだろ。だけど、守る為に満足に闘う事すら出来なかった。簡単な罠に嵌められて、闘う場所を奪われて負けた。だから、ブルームと居るんだ。負けた事を、失ったことを認めたくなくて、ここで守って闘っているフリをしてんだろ」
ミラルヴァの瞳がピクリと揺れる。それがどんな感情によるものなのかは定かではないが、不破の言葉に何かしら思うところがあるのか。
「何百万人も殺して、お前らの目標が達成された。それでアルセラさんが生き返ったとして……、どんな顔して会うつもりだったんだ? 俺なら情けなくて会えねぇだろうから、想像出来ねぇな」
「自分は、……」
「違うなら、違うと言ってみろっ! だが、これだけは言っとくぜ。俺の親友の命も、奪われていった隊長達の魂も、宗助達の未来も、美雪の涙も……。お前らの過去の『負け』を拭うのに使ってやれる程、安くも軽くもねぇんだよ……!」
不破はミラルヴァを睨みつけて、右の掌を床に置いた。
「ミラルヴァ。今日、ここで決着を付けてやる。諦めを付けさせてやるよ。女々しい負け犬の遠吠えにな!」
「……随分な言われようだ……。好きに言えばよい。最終的に生きていた者が勝者なのは不変の真実。貴様らに何と言われようが、何と思われようが。自分達は、もう―」
ミラルヴァは右手で顔の血を思い切り拭う。
「引き返すことなどできんのだッ!!」
血で真っ赤な形相と化したミラルヴァが、血管が浮き出るほどにこぶしを握りしめて見せた。
「おおおおおおおおおおッ!!」
雄叫びを上げてミラルヴァが突進する。不破は冷静にミラルヴァの足元を大きく凹ませて足場を崩す。そしてよろめいたところに両サイドの壁を同時にせり出させて潰すようにはさむ。
「ぬんッ!!」
ミラルヴァはそれを両腕で力任せに抑え込んで、そして押しつぶそうとする力から抜け出しさらに不破へと近づいた。
不破はそれ以上周囲の壁や天井・床を変化させてミラルヴァを何度も嵌めて攻撃したところで『気が済まない』とやや感情的な考えが浮かんだ。自分も、相手も、きっと気が済まないであろう、と。不破はそっと床から手を離した。そしてよろめきつつも立ち上がり、ミラルヴァに向かって格闘の構えを見せる。それを見たミラルヴァも、不破のドライブによる攻撃への警戒を解き、両腕を肩の高さに持ち上げて格闘の構えを取る。
「……一体何のつもりだ」
「せこせこ回りくどい事は止めだ。正攻法でお前に勝たなきゃ意味が無い。いや、負ける気がしねぇのさ、頭がおかしくなったのかな」
「……そうか、ならば……」
ミラルヴァの肉体が一回り萎んだ。
「自分もドライブによる強化は使わず、鍛えたこの力と技だけで、お前を倒す」
「ふん、別にいいのによ、そんなの」
「お前の言う通りだと思ったからだ。そして自分も、試してみたくなった」
「あん?」
「正攻法、とやらを」
「そうかい」
不破は不敵に笑い、ミラルヴァもほんの僅かに口角を上げる。お互いにこの空間を、この状況を、この巡り合わせを、心の何処かで楽しんでいるかのように。
じりじりと距離を詰めながら視線をぶつけ合う。
そして、不破が先に仕掛けた。息を吐きながらミラルヴァの顔面目掛けて左拳の突きを放つとミラルヴァは不破の手首を左の掌底で払いのけた。そうされる事は不破には想定済みで、続けざまに右拳を、脇を締めつつ撃ち出す。
ミラルヴァはそれをかわしながら、大きく一歩、不破の懐に踏み込んで不破の腹部に右拳をめりこませた。
「ごぉっ……!!」
ボディアーマーを着込んでいるとはいえ衝撃がもろに腹部を襲い、不破は苦悶の表情で唾を吐きだした。よろよろと後方へよろける。ミラルヴァは追い打ちに不破の無防備な側頭部を狙い、横から斬撃のように鋭い蹴りを放つ。
ミラルヴァの足の爪先は不破のこめかみの手前で一瞬減速した。不破が左手でミラルヴァの脛を受け止め押し返したのだ。すぐさま右手もそこに加えてミラルヴァの丸太のような足を力任せに時計回りに思い切り捻る。そうすることによりミラルヴァの上半身も同じように捻られて、ぐるりと体が時計回りに横回転し左足も浮いて、顔面から床へと落ちる。しかしミラルヴァは両手を床について顔面からの落下を阻止すると、間髪入れずにぐっと肘を曲げてためを作り、その両腕に溜めたパワーをバネに使って、なんと腕で体をジャンプさせ、不破に向かってミサイルのように飛び蹴りを放った。
予測不可能なその動きに対して不破は初動が遅れてしまい、慌てて両腕をクロスさせてその蹴りを防御する。その腕を重ねた部分にミラルヴァの足が激突し、しかしそれはほぼ防御の為の攻撃であり、威力は不破の腕をしびれさせる程度のものだった。
不破は顔を顰めつつもその腕の痺れに耐えてすぐに両こぶしを握ると床に着地して態勢を整え直しているミラルヴァに向かって攻め込む。右左右と連続して拳撃を放つ。それらはかわされるが、態勢が不十分なミラルヴァはそこから反撃する事が出来ない。
それを好機と見た不破はさらに左足をミラルヴァに踏み込んで右足を大きく持ち上げ、蹴撃をミラルヴァの胸に突き入れた。ドスッと重たい音がして、そしてミラルヴァの口から強制的に空気が吐き出される。
「ぬぐおっ」
ミラルヴァはよろけ、一方で不破は波に乗り、蹴った右足をそのまま下ろして着地して左足で同じように今度はミラルヴァの腹部を蹴る。
「うおおおッ!!」
不破はよろめいて後退するミラルヴァにさらに踏み込んで三発目のケリを鳩尾に撃ちこむ。
「今のは……フゥ、ハァ、……手応えあったぜ」
不破の三連撃に流石のミラルヴァも少々グロッキーな状態となり、しかし不破も自身の体力と肉体的な損傷でそれ以上踏み込んで追撃を与えることは出来ない。お互いが一旦間をとった。
「ハァ……ハァッ……」
「ハーッ、はーっ……」
お互いにらみ合いながら、呼吸を整える。二人のそれぞれの肉体を強い倦怠感が襲っている。
肩で息をしながら、じり、じり、と互いの隙をもう一度伺い直していく。
「……不思議な男だな、不破要」
「あぁ……? なんだよ、急に」
「認めよう。お前の言う通り、自分は戦う理由を忘れたフリをして、過去の失敗や敗北から目を逸らして生きてきた」
ミラルヴァは低い声で言う。その声は僅かに震えていた。
「……だが……。だがしかし、一番悔やんでいるのは……そこではない……。アルセラやリル達を守れなかったことよりも、さらに深く悔やんでいる事がある」
「なんなんだよ、そりゃあ」
「……敗北を埋め合わせるためにと、誰よりも憧れていた上司であり戦友の、コウスケ・レッドウェイという男を……卑怯な罠にかけて殺してしまった事だ」
ミラルヴァは悲しげに自分の右掌を見つめた。
「あの日の事は心から消えず……今も夢に見る。……アルセラは、絶対に自分を許す事は無いだろう。だからと言ってここで止まれば、さらに全てが無に帰る。向かう先が前だろうと後ろだろうと関係ない。先程も言った通り、もう自分達に、退路など存在しないのだ」
彼の目には、僅かに涙が溜まっているように見えた。ミラルヴァを暗闇の中で突き動かしているのは、消えることのない、上官への行いに対する後悔であったのだ。
「同情なんて出来ねぇな。それを期待してんなら言っておくが」
「そんなもの、期待していないさ」
「……まぁ、間に合う間に合わねぇはお前ら次第だけどよ。……どうやら自分で止まれねぇようだから、しょうがねぇ、ここで俺が止めてやる」
「いいや。自分達は、このまま目的を達成する」
「言ってろ。……まー、そろそろお互い限界も近そうだし、……決着を、付けようぜ」
「望むところだ……」
そして再び両者がゆらりと構えをとり数秒の間睨み合い。
空間の中で視線同士がぶつかって、じりじりと焼け付くような錯覚さえあった。どちらが先に仕掛けるか……そして仕掛けてからどう立ち回るか、反撃方法は……。まるで将棋を指すように、この短い期間でやりとりした事で得た相手の格闘能力やクセなどの情報を総動員して、次の一手を選んでいる。
たった一つの読み間違い、判断ミスが……敗北に繋がると、お互いが理解していた。
先に仕掛けたのは、またしても不破だった。
ボクシングのように左右の腕を前に出しつつ両脇を締め、姿勢を低くしっかりとミラルヴァの懐に潜り込んで、ミラルヴァの顎を目掛けて右拳を振り上げる。天井をぶち下ろした攻撃で大きなダメージを負っているミラルヴァの頭部は、現在一番の弱点である。そこを揺らせば、必ず隙が生まれると踏んでいるのだ。
しかしミラルヴァも自分の今の最大の弱点と、相手がそこを狙ってくるであろうことは予測済み。最小限の動きで難なくかわされ、今度は逆にアッパーを放った不破のボディががら空きになる。ミラルヴァはそれを逃さず、彼の右腕がまたしても不破の腹部に撃ち込まれる。
「おごっ……!」
腹部を抑えながらよろよろと後退する。今度はミラルヴァが流れに乗って不破に迫り、低い姿勢から喉元目掛けて正拳突きを放つ。なんとか上半身を捻りそれをかわそうとするが、避けきれず拳が肩に直撃する。
「うぐっ……、うおおりゃあッ!!」
不破は力強く右足を後方で踏ん張り両腕を横に伸ばしてコマのように身体を回転させて、ラリアット気味に右掌底をミラルヴァの左側頭部に命中させた。
ダメージを受け弱点となっている頭部に激しい衝撃と振動を受けたミラルヴァは立ったままほんの一瞬気絶し、身体をだらりと弛緩させる。
「おおおおおおおッ!」
不破は雄叫びを上げて左足を力強く踏み込み、同時にミラルヴァは目に光を取り戻す。その不破の踏み込みに「蹴りが来る」と多くの経験と本能から予測。防御・攻撃、どちらが正解か。
(蹴りは威力も大きいが、隙と反動も大きい。一旦防御に徹し、出来た隙を反撃する)
そう冷静な判断を下した筈なのに。ミラルヴァの身体は、不破の攻撃に対して真っ向から攻撃で返しに向かっていた。
「うおあああァァァァッ!!!」
不破よりも凄まじい、野生の獣のような雄叫び。
不破の右足が床を蹴って浮き上がり、ミラルヴァの右拳が唸りを上げる。
ほぼ同時に繰り出されたその攻撃と攻撃。
先にたどり着いたのは―。
不破の足の甲。ミラルヴァの左側頭部を再度捉えていて、ミラルヴァの拳は不破の顔の横で空を切っていた。
「…………!」
「…………っ」
ミラルヴァの膝はガクリと力を失い、その場で両膝を床つき、そして……ゆっくりとその場にうつ伏せで倒れこんだ。
「ハァ……、ハァ……ハァ……」
不破は暫く無言のままその場に立ち尽くし……そして宛てもなくフラフラと歩く。適当な壁に寄り付いて、背中からもたれ、ずるずると壁伝いに滑り、その場に座り込んだ。そしてじっとその場で呼吸を整える。
「か……勝った……」
ミラルヴァに意識は残っていた。だが、強い脳震盪で体が言うことを聞かない。
彼にとって、このような真っ向からの敗北は久しいものだった。思い返せば、まだ警察官だった時代、コウスケに訓練で打ちのめされた時以来の事。奇妙な偶然で、それはコウスケがこちらの世界で能力を見出した男たちによってもたらされた。
(コウスケ、さん……何故……自分は……こんなにも、情けなく……愚かで……)
揺れる思考の中、かつての上司であり戦友に思いを馳せて、涙を流した。
「あなたの、ように……なりた、かったのに……」
掠れた声が、埃まみれの空気の中へ消えていった。




