道標 4
どれくらい抱き合っていたのか定かではないが、部屋の奥の窓から見える屋外の様子は、どうやら夕暮れ時を過ぎてもう夜に近い。宗助は衝動が向かうままに岬の肩に手を添えて、少しだけ彼女を自分の体から押して離した。
「……?」
まだそこに居たかったのだろうか、岬は名残惜しそうに宗助の首もとあたりを見て、次に顔を上げる。眼と眼が合った。
「……岬」
上ずらないように、意識して低い声で彼女の名前を呼ぶ。
もう一度じっと見つめ合う。
宗助は、岬の肩に添えた自分の手が妙に汗ばんでいることに気付いた。無駄な力も入っている。心臓の鼓動の音が妙に自身の鼓膜を震わせていて緊張を煽り、さらにこれから自分がしようとしている事に余計に胸をざわつかせる。
「岬は、いつも一緒にいてくれて、優しくしてくれて。俺は、心配ばっかかけて、いつも助けてもらって……。でもっ、岬は、俺にとって本当に大事な人で……人間として、男として、本当に……本当に大好きな女性、だと思ってる……」
しどろもどろでどもっていたけど、伝えたいことは言った、と宗助は勝手に自分自身で納得した。彼女の言葉も待たずにやり遂げてやったという達成感すら味わっていた。
「わた、し……、……は……、……」
岬はその言葉を受け、かすれた声でそれだけ呟いて、少し唇を開いて、また少し閉じた。
宗助の目は、やけにその唇に目が行く。
先程よりも潤んだ目を見て、唇を見て、再び目を見て……。
言葉の続きを待てず、彼女の薄い紅色の唇に首から上が少しずつ引き寄せられるように。
物事にはまだまだ色々と順序が有るんじゃないかとか、拒否されたらどうしようだとか、果たしてこんな場所で良いのかとか、そんな考えはあるにはあったが、まさにたった今閉じられた岬の瞼が、それら全てを遮ってしまった。
唇と唇はあと数センチの位置に近づいて、お互いの小さな呼吸が肌をくすぐった。
その時。
ビーーッ!
ビーーッ!
「うおおおっ!!」
「あわわっ」
宗助がジャケットの内ポケットに入れていた携帯電話が緊急呼び出し用のけたたましいコール音を鳴り響かせ、その音に驚いた宗助と岬は何故か慌ててお互い距離を取った。
「あぁ、もうっ、なんてベタなっ」
未だに鳴り続ける携帯を取り出すためにあたふたとした様子で内ポケットをまさぐるが、焦っているのと直前までの行為の影響で手が震えて上手く取り出せず、しばらく宗助は、自分のジャケットと取っつかみ合いの喧嘩をしていた。
「はい、はいっ、生方です!!」
『生方、今から緊急作戦会議だ。すぐにブリーフィングルームに来い』
「いっ、……わかりましたっ」
『以上だ』
呼び出し音を鳴らしたのは宍戸だった。あまりに短い業務連絡。
「……全く、これくらいなら普通に呼び出してくれよ、なぁ、あはは……」
宗助が無理矢理な作り笑顔をこしらえて岬に向き直ると、彼女は宗助に背を向けて自身の顔を両手で包んでいた。
「ど、どうしたんだ……?」
「えっと、……かおが、かおがあつくて……もう……!」
背中を見せたまま岬は上ずった声でそう答えた。
*
緊急呼び出しとの事なので間違いなく重要な案件である。名残惜しさを感じながらも宗助は気持ちを切り替えて、断腸の思いで岬と一旦離れてブリーフィングルームへと急ぐ。
ブリーフィングルームでは、司令と副司令、宍戸と不破に治療中の千咲まで席についていた。いつもここに来るたびに最後になってしまうがこれで良いのだろうかと少し下っ端としての立ち位置に疑問を感じながらもいつもの席についた。
「全員揃ったな。集まってもらったのは他でもない、生方が乗って帰ってきた潜水艇の解析が終わり、それをもとに調査を今行っているが、確かにそれらしき施設を確認できている。もう少し調査は続けるが、九割九分間違いないだろう。生方、お前の持って帰ってきた情報はな」
司令が厳かな様子でそう言うと、宗助は小さく頷いた。
「信頼する為の資料の一つとして、潜水艇を解析している最中こんな音声が流れた。咄嗟に録音したが、聞き取りにくい部分もある、静かに聴いてくれ」
そう言うと宍戸が小さな録音機をテーブルの上に置いて再生ボタンを押した。
・・・
「……レオン、こんなものも入れておいてくれたのか」
聴き終えて宗助は素直に感心して呟いた。
「ま、疑い始めたらキリがないし、他に手がかりらしい手がかりもない。もし罠だとしても、ブラックボックスの時と同様、くぐり抜けて逆に情報をふんだくればいいって事さ」
不破が司令や宍戸とは対照的に軽い口調でそう言った。
「あぁ、この施設には、戦力や位置関係等総合的に見てスワロウ本部が調査・制圧を一任されている。少数精鋭……宍戸と不破と、そして一度踏み入った経験がある生方を派遣する。白神も派遣したいところだがまだまだ奴も出撃できるような状況ではない。現在スワロウに所属しているドライブ能力者データベースを見ても、似たような能力者は居ない」
「司令、あの、私は……、私だって戦えますっ! 行かせてくださいっ!」
「一文字、少数精鋭と決めた理由は防御を固めておきたいという部分がある。未だにブルーム襲撃の傷が癒えていないこの基地をお前が残って護って欲しい。こちらが攻めている最中に突然懐に攻め入ってくるのは奴らの常套手段だからな」
「重要な任務だ。そうなった時は、今度こそ負けるな」
雪村と宍戸がそれぞれ千咲に声をかけると、千咲は悔しそうに唇を噛んで俯いて、少し間をあけて「わかりました」と答えた。
本音七割建前三割といったところなのだが、千咲もそれを察しているのだろう。彼女自身の戦績が近頃思わしくないのも事実だから、なんとも言い返せないのだ。
「あの、司令。作戦の決行は、いつに?」
千咲の話が落ち着いた所で宗助が尋ねる。
「ああ。明朝五時を予定している。急だが……先程も言ったな。これ以上被害を増やす訳にはいかない、奴らが次の手を繰り出し来る前に、今回ばかりはこちらが先手を打って叩く」
「五時……」
ちらりと時計を見ると、もうその時まで十時間を切っていた。
「俺と不破と生方三人の詳細な作戦を今から伝える。生方、お前の記憶を頼りにこの作戦を組んでいる。相違点などあれば言ってくれ」
「はい」
「まずは、ブラックボックス作戦時同様に高速ヘリで移動。近寄る際に撃墜される可能性がある。俺のドライブでの到達可能距離に達したなら、海面上を飛行して移動する。ゴーグルは忘れず携行しろ。生方が脱出時に通ったという入江に侵入後、不破が入り口の扉を破壊、侵入。ここまで順調であれば、まず目指すのはその内部協力者であるレオンという人物の所だ。マシンヘッドを動かしているシステム自体を停止させる。生方の話では、扉の開閉も中央システムで管理されているとの話だが……、突き破れば問題あるまい。全てのマシンヘッド達を停止させれば、確認できている残りの戦力はブルームとミラルヴァのみだ」
「重要なのは、ミラルヴァやブルームを叩く事よりも、まず先にそのシステムを完全に停止もしくは破壊することを最も優先するという意識を持つこと。奴らは必ず叩くが、マシンヘッドを操作しているシステムさえ止めてしまえば、任務は半分以上達成したと言っても過言ではない。反撃の芽さえ摘んでしまえば、世界中から支援要請を行う事も出来る。……が、それは大してアテにしなくていいな。支援に時間がかかりすぎる。俺達が残りの任務に失敗した時の話だ」
「この会議の内容はアーセナル全体と、これより世界中の支部に伝える。明朝五時に、全員再度ここに集合だ。それまで、準備を怠らぬよう」
「大まかな説明は以上だ。手元の資料に詳細を書いてある。目を通しておいてくれ」
もともとテーブルに置かれていた部外秘の資料。だが宗助はそれよりも、もしブルームのアジトにあるシステムを全停止させたとしたら、アルセラとレナはどうなるのだろうかと、そんな懸念を抱いていた。
*
解散を命じられてブリーフィングルームを出た不破と宗助と千咲は廊下を歩きながら会話を交わしていた。自由時間を与えられたため、決起集会も兼ねてささやかながら食事会でもしようという話の流れが終わり、雑談に移ったところだ。
「準備って言っても、殆ど心の準備だな」
「そうですか?」
「宍戸さんや千咲はともかく、俺達には大して武器は無いし……ま、しっかりと休んで、心も体も万全の調子で臨む。それが一番の準備ってことさ」
「成程……」
「でも、私も武器って言っても、優れものなのでちゃんと刃がこぼれてないかとか、柄がとれかけてないかとか見るだけですけど」
「そういえばお前はあれだもんな、最初の頃は、巨大はんだこてみたいなの持たされてたもんな。あの試作品その五くらいまで」
「うふふ、なんのことでしょう」
「なんだよその口調……。開発部の奴らに格好悪いって言い出せなくて困ってたところを俺が助けてやったんじゃねぇか」
「へぇ、そんな事があったんですね」
宗助は二人の会話を聴きながら、自分がまだのんびりと学生生活を謳歌していた頃、既に不破や千咲はそんな風に命を守るための闘いに身を置いて、生き残るために必死で訓練していたのだろうと思うと、乗り遅れたというか、仲間外れというか、とにかく複雑な気持ちにかられていた。
「おお、まぁな。研究者ってのはとにかく合理的にしたがる奴が多くて。千咲の能力が一番効率的に活用できる武器をってんで、いろいろ作ってたよ。刀に落ち着いたけど」
「最初、熱はエネルギーそのものだから、活用できる幅が広いはずってウキウキしてたかな。最近はそういう協力とか頼まれる事減ったけど」
「忙しいからな。お前の所に話が行く前に秋月が断ってんだよ」
「え? それ初耳です」
「あいつも案外見えない所で色々やってくれてるって事さ。というか、お前さっきからちょっと歩き方がぎこちないけど、本当に足大丈夫なのか?」
「一〇〇%って訳じゃないですけど、大丈夫です。私の事より、二人は自分の任務の事を考えてくださいね」
「そうかい」
会話を交わしているうちに、目的地である食堂へと着いた。
「なんか、食堂も久しぶりな気がします」
宗助は初めてここに来た時と何も変わらない食堂を見てぽつりと呟いた。だが、少し前まで、食券売り場の前で元気を振りまいていた少女が居たのだ。それに比べると、現在のスワロウの状況も相まって、場の雰囲気が冷たく重たいように感じた。
食堂はガラガラで、しんと静まり返っていた。今まで見たことの無いその光景を目の前にして、千咲も寂しげに僅かに目を伏せた。
「……今日は俺達の貸切だな」
不破がそう言うと、つかつかと食堂の中に入っていって、一目散に食堂中央の席に陣取った。
「おう、ここ座ろうぜ」
「なんでわざわざそんな」
宗助が苦笑いして突っ込みを入れるが、千咲は「はーい」と言って不破の歩いた通路を辿った。
「いいだろ、たまには。こんな機会もう無いかもしれないぞ」
「そうだよ、私、ちょーお腹空いてんの、さっさと動く! 食券選ぶ!」
「……わかったよ、わかりました」
宗助も別に真ん中に座るのが嫌な訳ではないので、不破と千咲に催促されるがまま素直に従って二人の後を追う。
こんなにも静かでがらんどうな食堂のど真ん中で食事をする。不破の言う通り、こんな機会は今日を逃すとないかもしれない。明日……。遅くとも明後日にはきっと、この場所は活気であふれている筈だから。




