脱走
『……リル。良かったのか? 一緒に戻らなくて』
「うん。それに、必ずまた戻ってきてくれる。みんながお父さんと傷つけあうのは嫌だけど……」
リルの背後で、勢いよく鉄の扉が開いた音がした。彼女が振り向くと、父親であるブルームが早歩きでリルの方へと歩いてきている。表情は無表情だが、逆にそれがリルにとっては恐怖に感じられた。しかし、たじろがずうろたえず、リルはまっすぐと父親の顔を見つめながら彼の到達を待つ。
「リル。こんなところで何をしている」
「お父さん……」
「勝手に歩き回ると危険だ」
「……起きたら知らない場所だったから、真っ先に、逃げようって思ってしまって」
「やはり、目覚めるまで傍に居るべきだったか……すまない、リル。不安にさせたな」
「ううん、それは、大丈夫……」
宗助の事には触れてこないので、共に行動していたことはバレていないと内心安堵の息を吐いた。だが。
「生方宗助はどこにいった」
「…………っ、しらない。宗助は……無事なの?」
咄嗟に嘘をつけた。ここでバレてはいけない、という思いだけがあった。もし宗助が乗っている船をレオンが何かしらの方法で操っているのならば、すぐにこちらに戻るように命令を出す事も可能なのだろう。ばれたら、何もかも終わりだ。最低でも、宗助が戻るであろう二日間は悟られてはならない。宗助を守るのは自分だと自身に言い聞かせると、少しだけ心が強くなった。
「拘束していたが、何者かがロックを外して連れ去った。奴は自力で歩けるような状態ではなかった筈だ」
「ひどい、なんでそんな事をするの、私の友達なのにっ」
「友人なんて、これからいくらでも作れる。だが肉親は代わりなどいない」
「そんな考え方、おかしいよっ、宗助だって、この世に一人しかいないのに!」
「お母さんには、会ったか?」
ブルームはリルの反論を無視してそう尋ねた。その質問に思い当たる節があって、つい口をつぐんでしまう。
「……お母さん……は、……『会ってない』。会い、たい……」
「そうか。もう一つ質問だ。リル、小型艇を見なかったか? ここにあった筈なんだが」
ブルームは、そう言って小型艇が止まっていた筈の場所……つまりリルの背後を指差した。
「……っ」
リルは喋らずに、首を左右に振った。リルとブルームはしばし見つめ合う。
「そうか……知らないのなら、良いんだ……」
ブルームはこの時、娘を疑うという思考は頭から消え去っていた。やさしくリルを抱きしめ、「中に戻ろう。海に落ちたり、ケガをしたら大変だ」と言った。
だがリルは、その父親の腕の中にぬくもりを感じることは出来なかった。
ブルーム一派の工学者でマシンヘッドの直接的な生みの親であるラフターは、先日の件で活動不能状態にまで壊れたフラウアの修理と調整を行っていた。
「あー、この線も切れてるし、この部品もダメだな……むしろなんでこの状態で動いとったんだ、全く……」
ラフターは改めてその惨状を見て、ため息を吐いた。ブルームに引き継げと命令された、生物を機械化するガニエの遺した技術。フラウアはあくまで実験体で、全てはブルーム自身が機械化する事が目的だった。
ラフターは以前にブルームと面談した時の事を思い出していた。人間が話す『時間』という言葉は、全て『寿命』に置き換えることが出来る。時間そのものは永久に存在する。寿命を超越するために、その永久の時間に寄り添うために、自分は機械の『生命』になるのだと。
その計画と設計図は以前から作成されており、ブルームが稲葉に半死半生状態にされたため計画は少しばかり早く実行された。その影響でフラウアの修繕が後回しにされており、ようやく着手され始め、今に至るのだが……。
「一体何が起きていたんだ? 怨念とか、執念だとかで動いていたとでも言うのだろうか……」
今はもう壮絶な表情のまま横たわり動かないフラウアを見て、ただただ畏怖の念を抱いた。
と、そこでラフターの部屋の通信機に通信が入る。
「ああ、どうかしたか?」
応答すると、その通信の主はブルームであった。
『生方宗助が脱走した。まだここに潜伏している可能性もあるが、おそらくここから逃げた』
「奴は独りで動けるような身体じゃないだろう。施設には鍵をかけている場所も沢山あるし……」
『誰かが連れ出したのかもしれん。アルセラの部屋で血痕が見つかった。監視カメラの映像も出ている。だが途中から消息が不明だ』
「ならばその誰かに訊けばいいだろう。例えば建物内をウロチョロとしているらしいお前の娘にな」
『リルは知らないと言っている』
「嘘をついてるんだろう」
『娘を疑う訳にはいかない』
「…………」
ラフターは呆れて返す言葉を失ってしまった。状況証拠が揃っているのに、娘がやっていないと言うからそれが正しいと言うのだ。親バカと言うべきなのか、ただのバカなのか。ブルームは、家族が絡むと異常に思考が遠回りするのは知っていたのだが。
(……ま、私には関係のない話だな。こちらに危害を加えてくる可能性も無い事は無いが……)
「わかった。何か見たり聞いたりしたら言うよ」
ラフターは適当に話を合わせて、話を切った。そして作業に戻ろうとフラウアに向き直った時、ラフターは呼吸を忘れる程恐怖を覚えた。
フラウアが立っていた。
「あ……!? ……っ、……なっ、……っ!?」
ラフターは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。故障して完全に動かないと思っていたのに、理論的にはその筈なのに。
「なん、で……」
フラウアは一歩、二歩、無言のままゆっくりとラフターに近寄る。
体内の機械部分はむき出しで、外部から動力を取り込むために接続されたコードをずるずると引き摺って。ラフターは腰を抜かしたまま後方へずりずりと後ずさるが壁にぶつかり、そしてフラウアはラフターの目と鼻の先まで近づいた。鉄部品がむき出しの右手がラフターの首に添えられる。
《うぶ……かた、そ、すけは……生きテ*#か?》
「……っ、あ、う……生方宗助の、ことかっ……!?」
《ソう……だ》
「い、生きてるようだが……行先は……私は知らない……奴は、ここから逃げ出したんだ……!」
ラフターは自身の首に添えられた手に、徐々に力がこめられて行くのを感じた。喉が圧迫され呼吸が妨げられていく。
「う……ぐ……、待て、なぜだ」
《…………》
「やめろ……私を殺したら、……お前はもうっ、二度と元通りには直らんぞ……!」
《元、通り……? あぁ、だから、コロス、*:fのだ……》
―僕は、これ以上……、お前達の思い通りにはならない。
「や、やめてくっ、う、がっ……!」
フラウアの握られた左拳が、苦悶に歪むラフターの顔前にかざされる。
《さらバ、ダ……!》
そしてグシャ、っと、骨肉が砕ける音と共に鮮血が飛び散った。
*
宍戸、ロディらがアーセナルの研究施設に半日閉じこもってガニエの残したマシンの解析を行っていたのだが……。結果はと言うと、成果は得られなかったに等しい。分解することに成功し、構造も判明した。だが、それだけだった。それを修理しようだとか、さらに応用しようだとか、そういった技術や知識は、ロディも持ち合わせていなかったのだ。
彼は途方に暮れた。
時刻は午後六時を過ぎた頃。季節ももう秋に向かい、その時刻になると日はほぼ傾いていた。
「すいません、宍戸さん。せっかく俺の事を頼ってくださったのに……これ以上は、やはり俺にはどうしようも……」
「簡単に諦めるな。今すぐにこいつを修理しろと言っている訳ではない」
「そうです。総力を結集して、この機械の謎を解明しましょう」
「我々も全力でサポートします!」
宍戸が喝を入れると、周囲の研究員達もその言葉に次々と賛同し始める。
ロディにとってはその励ましが嬉しくもあり、重圧でもあったが、とにかく、宍戸の言う通りわからないから、で諦めていてはダメだと気持ちを切り替えた。その時、研究室の扉が小さくノックされてゆっくりと開き、隙間から不破が顔をのぞかせた。
「宍戸さん、ちょっといいですか」
宍戸は無言で立ち上がり、不破のもとへ歩み寄る。
「どうした」
「事後報告なんですが……例のファントムドライブの男、奴がアーセナル内に侵入しましたが、これを直ちに捕縛しました。警備部隊が味方同士に電撃弾を浴びせるケースはありましたが、特に目立った人的被害は無し。これ、報告書です」
「そうか、ご苦労だった」
宍戸はホチキスで留められた紙の束を受け取り、目を走らせる。
「司令は、こいつの処理を保留していますが……」
「……頭のイカれた野郎だが、基地の中……それも資料室に入られたとなると、それ相応の処分が必要だろうな。二度と基地に潜り込もうなんて思わない程度には」
「そうですね……」
「瀬間は」
「はい?」
「瀬間はどうしている」
「あ、あぁ……あいつも随分強くなったみたいで、今の所、しっかりとしてますよ。恐らく心配ありません」
「なら良い」
戦闘中ならばともかく、平時に宍戸が部下の心配をするという行為に初めて遭遇した不破は、しばしの間驚きで口が塞がらなかったが、宍戸は特に気にした素振りもなく報告書に目を通し続けていた。
そんな二人の緊急呼び出し用の携帯電話が同時になった。二人は同時に携帯を取り出す。
『マシンヘッドの反応です! オペレータールームに戻ってください!!』
*
二人がオペレータールームに戻ると、室内は平時よりもざわついてはいるものの取り乱しているという様子は全くなかった。ブルームが大量のマシンヘッドをばら撒いて以来マシンヘッドの反応は珍しいものではなかった。今は宗助とリルの救出に皆思考のウェイトが偏っており、マシンヘッドが出現するという事象に関しては、言い方は悪いが『雑務』というような扱いがされていた。
「状況は」
宍戸が海嶋に尋ねると、海嶋は自身の端末映像を宍戸と不破に見やすいように傾けた。
「数は合計で二十七。動きが確認されているのはそのうち七つです。その七つともが別々のエリアで、これは地図を見てもらった方が……この赤点が動きのあるマシンヘッド、青点は殆ど動きが無いものです」
「ったく、他にやりたいことがあるって時に……」
宍戸が苛立たし気に呟くと、雪村が宍戸に顔を向ける。
「だが放っておくわけにもいかん。生方の追跡調査はこちらに任せて、お前達は本分をこなせ。マシンヘッド処理の任務についてだが、先日のような事が無いとも言い切れん、宍戸は基地に残れ。一文字、不破。お前達二人、それぞれマシンヘッドの処理を頼む」
「はいっ!」
千咲と不破はすぐさま二手に分かれて出動し、マシンヘッドの反応が出ているポイントを地道に巡回して潰して行っているのだが……。千咲が三つ目のポイントに到着して周囲を哨戒し、首をかしげる。
「パッと見、なにも見当たらないけど……」
そこは以前に宗助と不破が一体のマシンヘッドを破壊した沿岸部の工業地帯近くのさびれた広場。赤色のコンテナが沢山積まれているが、それ以外はそれなりに見通しの良い場所なのだが、マシンヘッドは見当たらなかった。もう夜に差し掛かっているため見通しは悪いが……。
「レーダーの誤作動?」
『いや、近頃は精度もかなり上がってきているんだけど……』
千咲がオペレータールームを疑うと、不満げな海嶋の声が帰ってきた。
「あのコンテナのとこあたり、もうちょっと見て……ん?」
千咲は視界の端で何かが動くのを感じ取った。最初は海の鳥か何かかと思ったが、それにしては動く影が大きかった。コンテナの山と山の間。千咲が刀を握りなおして、そのコンテナの山へと一歩一歩、警戒心を強めながら近づいていく。
「さぁ……、さっさと出てきてよね~……」
小声で呟きながら、コンテナとコンテナの間の中へと入りこんでいく。
それぞれが横と高さ三メートル、幅三メートル、横が十メートルほどのそれらが二個ずつ等間隔で積み上げられており、簡単な迷路のような見た目になっている。それによって作られた通路の幅も三メートル程。コンテナの壁に身を寄せながら十字路に差し掛かるとちらりと曲がり角の向こう側を顔だけ見せて覗き込む。
(……居ない)
念のため背後を確認。そちらにも居ない。
「……そうだ」
一旦刀を腰に預け、二段重ねになっているコンテナとコンテナの間にできている小さな隙間にジャンプして指をかけぶら下がり、そこから腕力と脚力だけでコンテナをよじ登り、少ない凸凹を利用してさらにもう一つよじのぼる。千咲はいともたやすく、自分の四倍は有る高さのものの上に到達する。
コンテナの上に昇り通路を見下ろせば一目瞭然と思っての行動であったが、結果的に見下ろす必要は無かった。千咲が上ったコンテナから一つ離れた区画のコンテナ上に、その影は居た。
千咲は身構え、影の正体を見極めるために目を凝らす。
「―っ!」
その影は、ズタボロの布を纏い体中に赤黒いシミを付着させ、千切れた電気コードを体のあちこちからぶら下げていて……。そしてその顔は、腹部の傷跡がじくじくと痛むほどに見覚えがあった。
「フラウア……!」
だが当のフラウアはと言うと、名前を呼ばれても虚ろな目で千咲を見返すだけ。
「……?」
先日シェルターで死闘を演じた時も相当様子がおかしかったが、まるで壊れた銅像のように、ピクリとも反応しない。いつでも反応できるようにと刀をかまえつつ、小さい歩幅でフラウアに近づいていく。
ある程度近づいた時。
《……なん*だ……、イチモ%ン、ジ、カ……》
ピクリとも動かずに、音声だけを放った。




