恩を仇で返す
にこやかに挨拶するマオとは対称的に、ブルームは苦虫を噛み潰したような顔でマオを睨む。
「なぜ、我々の居場所がわかった……!」
「これでも結構探したんだよ、ブルーム君。あのレッドウェイとかいう警察官に随分手を焼かされてね、本当に苦労したよ。一時は完全に見失ったかと思ったね、全く」
マオはまるで旧い友人と思い出話をするかのような穏やかな表情であった。しみじみと、感情を込めて語っている。
「私にも仕事がある。国民の為に身を粉にして働かなければならないからね……君達ばかりに構っていては色々と滞ってしまう。眠る時間なんて無かったよ。そんな時、この辺りに逃げ込んだのでは、と調査していく中でたまたま行き着いたのが、この家の主のマーティー君だった」
「……な……に、を……」
「おいおい、マーティ君。自分の家なんだ。遠慮せずに入ってくれば良い」
マオが背後の扉に向かって声を投げかけると、玄関から、気まずそうに俯いたマーティーがとぼとぼと入ってきた。
「……マーティーさん……?」
アルセラが悲しげな顔と声で彼の名前を呼ぶと、マーティーは俯いたままピクリと肩を震わせて唇を噛んだ。
「いやいや、縁とは不思議な物でね。彼のご両親とは、昔何度が食事をご一緒した仲で……、ま。そんな事はどうだって良いのだが、不幸な事故で亡くなられたと聴いた時は非常に悲しい気持ちに見舞われたよ。お二人が経営していた事業は、そのまま息子である彼に引き継がれたわけだが、何の準備もしていなかった状態で、それもまだ若く勉強不足な彼がやりくりできるほど社会も甘くない。もともと業績も苦戦していた事もあり、周囲のサポート空しく事業はつい先日破綻。その責任を負って彼の両肩には借金だけが残り、重くのしかかった……」
マオの芝居がかったその一連の語りを前に、マーティーは手を強く握り、さらに唇を強く噛み黙ったまま立ち尽くしていた。
「古い知人の不幸を聴いて、私も政治家としてではなく一個人の人間として、何か支援してあげたいと思ったんだ。たとえば、彼の借金を、私が肩代わりしてあげる、とか……」
「まさか、俺達を売ったのか……!」
ブルームは拘束され地面に転がされた状態ながらもマーティーを睨む。恩を返したいと言う彼を信じて施しを受けていたが、その裏では自分たちの情報が売られていた事に、ブルームは憤慨し、アルセラは困惑した。
「勘違いしないで欲しい。彼にそんな卑怯な取引は持ちかけていないよ。ただ、借金を肩代わりしてあげるよと、君も私に隠し事をせず誠意を見せてほしいと、そう『お話』をしたんだ。もしこういう人を見かけたら、教えて欲しい、とね」
「同じことだっ! ……それで俺達を売ったお前もお前だ、アルセラに生き返らせてもらった恩を、こんな形で返すとは、よくもっ!」
「…………そんなの……僕が、……僕が生き返らせてくれとお願いした訳じゃない……」
「え……?」
マーティーが呟くと、その言葉を耳にしたアルセラは一層悲しげな表情をさらに深めてマーティーを見る。
「僕はっ、あのまま死んでいても良かったんだっ……! 死んでいれば、こんな、こんな惨めでつらい思いをしなくて済んだ……、あなたが僕を生き返らせたからっ、生き返らせたせいで! やりたくもない仕事の事で山程苦しんで悩んで、付き合っていた恋人も借金が出来てどこかに離れて行った! 身寄りもない! 独りぼっちになったっ! 生き返らせた、あなたのせいだッ! だから、僕は、僕は……!!」
マーティーは両目からぼろぼろと涙を流しながらアルセラに向かって叫ぶと、その場で泣き崩れ床にうずくまった。
「違うっ、ふざけるな! アルセラのせいなんかじゃない、お前の失敗は、お前の責任だ! ムシのいいことを抜かすな!」
「いいえ、ブルームさん……マーティーさんの言う通りです。私が、彼を生き返らせた」
「アルセラ、何をッ!」
「それは私が、ずっと、ずっと……私にお願いをしてきた人に何度も何度も言ってきた事。『一度死んだ人間を蘇らせるという事が、どういう事になるのか、それを考えてください』と。それを一番よくわかっていたのは、私自身の筈です。私が生き返らせたマーティーさんが、こうして私達に対して危害を加えたとしても……それは私の責任なんです。その選択権は、私にしか無かったもの」
「アルセラ……そんな事ない、そんな事あるものかッ、君は……!!」
「こうなってしまった以上、マーティーさんを責めても、仕方有りません……それに、私達は一度この人に危ないところを救ってもらいました。例えそれが、報酬目当てだったとしても……」
アルセラは口ではそう言っているが、目からは次々と涙をこぼしていた。一度信頼した人間に裏切られる事は、そうそう簡単に受け入れられるものではない。
「さぁさ、夫婦の会話はそこまでにして……。ブルーム君、君には訊きたいことがあるんだ。だからこいつ等に君を殺させなかった」
マオは屈んでブルームの顔を覗き込むと、ふぅーと一つ息を吐く。
「……なぁ、君のもう一人の娘はどこだ」
マオは突如ドスの利いた低い声で尋ねた。
「もともと君達の身柄確保なんて、それほど大した事案じゃないんだ。あそこまで忍び込まれたのは予想外だったが、もう脇を緩める事も無い。だがね、君のもう一人の娘だけはそれとは別だ。調べたところ……あの娘には記憶領域を補助するナノマシンが埋め込まれていると。それが少し厄介だ。君ら一般市民がああだこうだと騒ごうが潰してもみ消すのは簡単だ……。だが、映像・音声・そしてそれの持ち主である人間の証言……これらが全て揃っているあの娘と、娘の体内にあるナノマシンは、明るみに出るとちょっとばかし困る。確実に回収しなければならない。こればかりは、私が直接この手で行わなければいけないことだ」
「……そういう事かっ、だが自分の大事な娘を売ると思うか、俺はそこに居る奴とは違うッ!」
「あぁ、思わない。君は本当に立派な父親だよ。だからそれをさせるには『痛み』が必要だ。死んだ方がマシと思う程の、飛び切りの『痛み』がね」
マオは鼻と鼻がふれあうほどまでに顔を近づけ、愉快そうにブルームに告げる。
「くっ……」
「痛みになど屈しないと、そう言いたそうな顔だな。まぁ、すぐに話したくなるさ。この点に関しては、私は冷静を装っているが、実は結構必死だ。君らがあのナノマシンで私の足元を崩そうとする未来に対しては……」
マオは立ち上がると、今度はマスク人間に拘束されているアルセラに目を向けた。
「何、痛い目に遭ってもらうのは、君じゃなくてもいいんだ。少し考えれば、どちらが良いかわかりそうなものだけどな。娘一人を失うか、結果的に家族全員を失うか……」
そして、マオはアルセラに向かって歩を進める。アルセラもそれに気づき、恐怖に唇を震わせ息を乱す。拘束から脱そうとするが、彼女の腕を掴むマスク人間の力は、まるで万力で挟んでいるかのように強固でびくともしない。
「なっ、やめろっ、貴様、やめろッ! やめてくれッ!!」
「やめられないなぁ。君が、リルちゃんだったかな、あの子達の隠れている場所を言うのなら話は別だけど」
ブルームは手足を拘束されている状態にも関わらず、身体をジタバタさせて、何が何でもという様子でマオに近寄ろうとする。
「やめろっ、この腐れ外道め! 俺の家族に手を出してみろ、何十年かかってでも、お前も、お前の家族も、全員殺してやるッ!」
「アルセラさん。あなたなら話せるかな? 娘さんの居場所を……」
アルセラは、口を割らないという意思表示で唇をきつく一文字に結びマオを睨んだ。
「やれやれ……そんな目つきをしては、お美しいお顔が台無しだ。まぁ良い。ならば、アルセラさん。遠慮無くあなたのドライブごと、その魂を頂く事にするよ。あなたの娘から頂いたこの能力で」
そう言ってマオは自身の右手にはめていた手袋をゆっくりと取り外した。
「やめろぉッ! 俺達もあの娘の居場所は知らないんだッ、コウスケが連れて行った! 奴だけが、知っているッ!」
「なるほどね。まぁ、大方の予想はついている。この世界で、一月もすれば完全に君達の居場所は無くなる。それはこの三日ほどで痛感したはずなんだ。となると、逃げ込める場所、行き着く先はたったひとつ。平行世界だ」
「…………!」
「おや、やはり正解かな。その表情を見ると」
マオはにやりと笑い、手袋を床に投げ捨て、そしてその右手でアルセラの首を鷲掴みにした。
アルセラが苦痛に呻く。彼女の両腕は後ろ手に縛られたままだ。
マオの右腕に力が入り、アルセラの華奢な体は徐々に持ち上げられていく。まだ自由が効く足をばたつかせて抵抗を試みるが、それも無意味で……アルセラの足の動きは徐々に緩慢になった。
「やめろ、やめてくれ……! なぁ、話しただろ……!」
「居場所を答えられないなら同じことだよ。意味がない。……それではアルセラさん。さようなら。あなたは人類にとって実に、実に素晴らしい仕事をした。本当に…………感謝していますよ」
ブルームの懇願も空しくマオがそう言ってにやりと笑った。
と、同時に、ドシャ、と音がして、レナを抱きかかえていたマスク人間がその場に倒れた。抱えられていたレナも地面に放り出されたが、どうもその二人の様子がおかしい。
まずマスク人間なのだが、彼女はもともと全身をぴったりと張り付く強化スーツを装備しているが、へそから上の半身がまるで空洞になったかのようにぺったりと平らになっている。数秒遅れてスーツの中からべっとりと大量の血液が漏れ出した。どうやら、スーツは破損せずに、中身の上半身だけがこの世から消え去ったと、そういう事である『らしい』。
そしてもう一方のレナは地面に放り出された後、もぞもぞと両手足を動かした後、自力でゆっくりと立ち上がった。この三日間、指一本動かさなかったというのに。
「レ、ナ……?」
意識不明だった娘の突然の覚醒に、アルセラが危機という状況もあるが、ブルームも戸惑いが隠せない。レナの表情は、前髪で隠されており窺う事が出来ない。二人目のマスク人間は、すぐ隣で発生したその異常な光景にどうも唖然とした様子で立ち尽くしている。
レナがよろめきながらも、一歩、二歩と静かにマオに近寄り始める。マオは不気味さを感じ取り一旦アルセラを手放し、レナの方へ体を向ける。支えを失ったアルセラは床に落ち、力なく倒れた。
「おい、何を呆けている。眠らせろ」
マオがマスク人間に命令すると、彼女はびくりと肩を震わせ、そしてすぐに命令を遂行すべくレナの方へと大きく一歩踏み出す。だが、その瞬間、彼女の『中身』は音もなく削り取られ、スーツだけがひらりとその場に落ちた。厳密に言うと、彼女の左足首だけはスーツの中に残っていたのだが。マオは後ずさる。
「お前が……やったのか……。いや、ドライブが暴走している……?」
目の前に立つたった四歳半ばの少女に恐怖して、足が勝手に背後へ引っ張られる。
「おとうさん、……おかあ、さん……」
レナはうわごとのように言うと、マオに向かってさらに一歩、歩み寄る。
「……クソ、もう少し連れて来るべきだったか……一旦退くか……」
床で血だまりに沈んでいるスーツを見てそんな事を呟いた。そしてマオはレナに近付く事を恐れ、一定の距離を保つために彼女を中心に円を描くように移動し、未だに自己嫌悪で地面にうずくまっているマーティーの襟首を荒っぽく掴み無理やり起き上がらせた。
「ぐあ、なっ、なんですかっ」
「私の盾になれっ」
マーティーをまるで貢物のようにレナの目の前に投げつけると、マオは一目散に家の外へと逃げ出した。
「な、何が……」
ずっとうずくまっていたマーティーはこの状況が読めず目の前に立つレナを見上げる。つい先程まで意識が無かった筈の彼女が立っている事に驚きを隠せず、目を見開いた。そして。
「君は……、いしうブッ」
そしてマーティーもレナの暴走したドライブに飲み込まれ、胸から下だけの亡骸となった。千切れた両腕がぼとりと床に転がる。
「レナッ!」
ブルームが彼女の名前を呼ぶと、レナは立ち止まりブルームの方を振り向く。
「おと、う、さん……」
彼女の目から、ひとしずく涙がこぼれ……。
「たすけて」
そして目を閉じて、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。




