真実の記憶
仇敵であるブルームの妻・アルセラ。リルに瓜二つな彼女の顔を見れば、それは間違いないのだと直感する。
「アルセラ、さん……。奴が俺たちの仇だと知っていながら、一体この俺に何の用が……?」
「どうか落ち着いて、私の話を聴いてください」
宗助の怒気が篭っている言葉と態度に対し、アルセラがなだめる口調でゆっくりと言う。
「あなたは、今、仮死状態にあります。思い出してください。ブルームとの戦いに不完全な肉体のままで出撃し、そして仲間の千咲さんを遠ざけるために自ら犠牲になり、ブルームに捕えられた。あなたの身体は依然としてボロボロの状態のままで、ブルームの住処にある。リルが、あなたを救うために私の所まであなたを運んでくれました。あなたの身体は今私が修復している最中です」
「リルが? いや、肉体は、ってどういう……」
「何から話せば良いか……。でも、まず何よりも、あなた……いえ、あなた方に、謝らせてください。私の夫がしでかしたことは、何もかも取り返しがつかない事」
アルセラと名乗る女性は宗助の手を離して跪き、そして床に手をつき、次に額をつけた。
「本当に、本当にごめんなさい……」
宗助は言葉が出てこず、ただ唇を噛み眉間に皺を寄せて、その様子を見下ろしていた。
突然目の前に現れた、年上の、それも女性にそんな事をさせるのは宗助の望むところでは全くないのだが、しかし「大丈夫です」「気にしないで」などとは口が裂けても言えそうになかった。ブルームのした事は許さない。が、目の前の女性に土下座までさせてそれを謝らせているのは違う、しかし、ブルームのした事は許さない。その堂々巡り。
「許して下さいなどとは申しません。どれだけの言葉や行動を並べてもこの罪が許されることは無いのは、承知しています」
「……おっしゃる通り、ブルームは許しません。ですが……頭を、あげてください」
宗助が言うと数秒間躊躇いがあった後にアルセラがゆっくりと頭を上げる。すると彼女の今にも泣きそうな顔が見えて、そしてその顔がリルにそっくりなものだから、宗助はさらに罪悪感を強く感じてしまった。
「あなたがブルームの妻だと言うのなら、俺が聴きたいのは謝罪の言葉じゃない。少なくとも、今は。あなたがリルとジィーナさんと別れた後、ブルーム達に何があったのか……それが聴きたい。奴がこんな事をしている理由を」
「もちろん、それはお話しするつもりです。あなたの『修復』には少しばかり時間がかかるので、その間に……貴方に知ってもらいたい事があるのです」
すると、真っ白だった空間が一瞬にして空は青空に、周囲はどこかの見知らぬのどかな住宅街、町並風景に塗り替えられていく。
「……これは……、これがあなたの能力なんですか? さっきの空間は一体……」
宗助が尋ねると、アルセラは静かに立ち上がり宗助と正面から顔を向き合わせる。
「ここは、私の魂のある場所。……と言っても、理解しづらいかと思います。私のこの能力については、お話ししながら説明させていただきましょう。ちなみに今私達が立っているこの町は本物ではありません。ただの記録であり、私達ヒトの記憶」
アルセラの言う通り、その言葉の意味がよくわからず、宗助は首を傾げる。
と。複数の子供が大きな声ではしゃぎながら走ってくる。宗助はぶつかってしまうと思い彼らに道をあける。ところがアルセラはその場を動かない。子供たちはそのまま速度を緩めず駆けてくる。宗助が「子供が走ってきてますよ」と声をかけても、「大丈夫です」とほほ笑んだ。そうこうしているうちに子供たちは駆け寄ってきて、そしてなんと、そのままアルセラの身体を透き通って走り抜けていった。
「え、な……今のは……?」
「今私達が見えているこの景色や出来事、世界には私達が介入することはできません。ただの過去の姿ですから。過去は、変えることが出来ないからこそ過去なのです」
宗助が近くにあった壁を触ろうと手を伸ばしたが、手は触れることなく壁を突き抜けた。
「ご理解いただけたのなら、あの時の事を、全て包み隠さずにここでお伝えします」
*
「アルセラさん、どうか、どうかお願いいたしますっ!」
大きな声が響き渡った。そこはどこかの住宅の一室、リビングルーム。
椅子に座るアルセラに対して、スーツ姿の中年男性が、額を床で削ろうとしているのかと聴きたくなるほどの勢いで土下座し、大声でアルセラに対して懇願している。
そしてその横で、身なりの整った中年の女性が同じく土下座し、その中年男性と同じように懇願している。
「我々は、あなたが死者を蘇らせる事が出来るお人だと拝聴し、飛んで参りました……! どうしようもない事故だったのです、息子は何も悪くない……! 大事な一人息子なのです! 報酬なら、おいくらでもお支払いいたします、どうか、どうか私たちの息子を何卒……!」
泣きながら懇願する二人の後方には、顔を青くしてピクリとも動かずに寝ている一人の青年の姿が。少し注意して見れば誰にでも気付くことが出来るだろう。それは眠っているのではなく、死んでいるのだと。
今まで二人の必死の懇願を黙って聞いていたアルセラは、口を少し開いて息を吸う。その行為は彼女が何かを話す前触れなのではと感じ取り、二人は一旦懇願を止めて様子をうかがう。
「……おっしゃりたいことは、よくわかりました。不運な事故でたったひとりの跡取りである息子様を亡くされたのですね。心中お察しいたします……。私にも子供が居ますから、もしあの子たちが不慮の事故で奪われてしまったとなると……想像するだけで身を裂かれるようです」
「それでは、アルセラさん……! 我々の息子の命を、救っていただけるのですか……!?」
「ウェイクマンさん。考え方は人の数だけあるものですが……、どのような形であれ、命を失うという事は、その生を全うした、という事なのかもしれません」
「……え?」
「既に生を全うし死んでいった生物が『まだ生きている』という状態は、この世にとってどういう事なのか……考えたことはございますか? 死者が依然としてこの世に生きている。その意味を」
「……えっと……」
アルセラの問いに、その土下座していた夫婦はよくわからないという様子でお互いに顔を見合わせた。
「その意味と……、蘇った生命が何に対して影響を与え、そしてどのような結末をもたらしていくのか、私にも知る由もありません。ただ、常にそれらを考えていて下さい。それが、……その方を蘇らせる条件です」
「え、は……はい、考えます! 考えますから、早く息子をお願いします!」
アルセラはゆっくりと椅子から立ち上がり寝ている青年に歩み寄ると膝をつき、彼の頬に右手で触れた。そしてそのままじっと動かない。何も変化が起きないのだが、それでも息を呑んで夫婦はその様子を見守り続ける。
それが五分ほど続いた後、唐突にその青年が目を開いた。
「……う、うん……?」
「マーティー!」
夫婦は声と表情を揃え、息子の『目覚め』を歓迎し歓喜し、抱き着いた。
「アルセラさん、本当に、本当にありがとうございます!!」
涙ながらに謝礼の言葉を述べる夫婦に、アルセラは言葉を発さずにそっと目を伏せた。
「アルセラさん、どうか、謝礼をお渡ししたいのです、何なりとお申し付けください」
有頂天の男性はそんな事を言い出した。だがそんな言葉にもアルセラは少し控えめな笑顔を返すのみ。
「謝礼や報酬は必要ありません。何かと引き換えにできる命などありませんから。どうか、今日はお気をつけてお帰り下さい」
「そんな、おっしゃることはごもっともですが、しかし何もお礼をせずに帰れと言われても、そんな事をすればウェイクマン一家の恥になってしまいます! この恩を、少しでも何らかの形で返させていただきたい!」
「いいえ、そんな事はございませんよ。私は彼の頬に触れただけ。礼を言われたり、ましてや何かをいただくような事はしておりません。恥に思う必要などどこにもございません」
「ですが……!」
「どうしても、とおっしゃるのならば……条件を二つ付け足させていただきます」
「条件を、二つ……?」
「ええ。ここで今起きた事を、一切誰にも口外しない事。そして……二度とここに現れない事。それが条件です。もし破られた場合は、そう……一○○○億円支払っていただきます。例えどんな手を使ってでも」
「いっ、……」
「その為の契約書がここにあります。サインしてください」
夫婦の目の前に一枚の紙切れが提示された。その紙切れにはアルセラが今述べたとおりの文言。アルセラの鬼気迫るその声色と表情に、夫婦とそして事情がいまいち飲込めていないその息子も息を飲む。
「あなた方に私の情報を漏らした方とも契約をしているはずなので、ちゃんと調査の上その契約を履行してもらいに参ります。よろしくお伝えくださいませ」
「う、あ、えっと……」
妻の方が戸惑っている夫に何か耳打ちすると、三人はそのまま、そそくさとアルセラの前を後にした。
「……ふぅ……」
静かになったリビングを前に、アルセラはため息をついた。
すると玄関の扉が開く音がして、「ただいまー!」と大きな子供の声が二人分聞こえてきた。
「ただいま、アルセラ」
「ブルームさん。おかえりなさい。レナとリルも、おかえり」
外見がそっくりの双子の姉妹は、母親であるアルセラの顔を見ると一目散に飛びついた。
「これー!」
「買ってもらった!」
そう言って二人はおそろいのおもちゃのおまけがついているお菓子を提示して見せた。
「あら、良かったね。でも晩ごはんも近いから、明日にしようね」
「えー」
「えぇー」
「返事ははいでしょ」
「はーい……」
「はーい」
「さ、手を洗ってきなさい。今日の晩御飯はクリームシチューだぁー」
「やった! あらってくるー!」
洗面所へと駆ける双子の背中を見送っていると、ブルームがアルセラに歩み寄る。
「……アルセラ。まさか、また『客』が?」
「……ええ、まぁ」
「相手をしたのか」
「うん」
アルセラの返答を聴くと、ブルームは小さくため息を吐いてアルセラに歩み寄り彼女の両肩に手を置いた。
「アルセラ、なぜはっきりと断らないんだ。蘇らせることは出来ないと、そう一言言うだけでいいのに……」
「私も最初は断るつもりだった。だけど」
「『目の前で嘆き悲しまれると、断れない』。いつも君はそう言ってる。そう言っては、その後に辛そうな顔をして……。それに、一○○○億だなんて金、請求したこともないだろう」
「ごめんなさい、ブルームさん。だけど大丈夫。さぁ、あなたも手を洗ってきて」
「アルセラ……。とてもじゃないが、大丈夫って顔には見えないよ、俺には」
心配そうに顔を覗き込んで来るブルームに対して、アルセラはふっと小さく微笑んでみせた。
「ほら、そろそろあの子たちが手洗いから戻ってきますよ」
「あ、ああ……」
ブルームは釈然としない様子で、彼女のもとを離れ手洗い場へと向かって行った。




