幻の侵入者 2
千咲を立ち直らせた矢先に、不審者による侵入があったから近くの応接部屋に鍵をかけて待機しろと命令され、不安な気持ちともどかしい気持ちを抱えながらソファの端に座って千咲の到着を待っていた。詳細は殆ど伝えてもらえなくて、そのせいで色々な憶測と考えが岬の頭の中を泳ぎ回っていた。一番に思い浮かんだのが、もしその侵入者がブルーム達の仲間なのならば、というところで
「そうだったら、捕まえてじんもんするとかっ、人質にして、宗助君を返せって取引するとかっ」
ある意味渡りに船なのかもしれない逆に希望が出てきたかも、なんて普段使わない言葉をたどたどしく使いながら、事態を少し気楽に捉えていた。
思考が一巡してふと頭の回転が止まると、突然に寂しさと心細さが彼女を襲い始めた。ソファの上で膝を抱えて、泣きそうになるのをぐっとこらえる。スワロウはいつだって大変な苦難を乗り越えてきた。だけど、隊長であった稲葉の死からそれが綻びはじめているような気がしてならなかった。悪い方向へ、悪い方向へと流れが出来つつある。それを、何としてでも塞き止めて、良い流れを呼び込みたい。
(せめて、私のドライブが使えるようになれば……)
昨日のブルーム襲撃による怪我人に試したが、結果は芳しいものではなかった。
一体、自分の中の何が蓋をしているのだろう。そんな風に悩んでみて、そしてそれをおぼろげながらわかっていたとしても、「それじゃあその気持ちを切り捨てて前に進みます」と出来る程人間の心は単純ではなく、岬の心はまだ強くなかった。
(宗助君を取り戻した時に、私が傷を治してあげなきゃ)
そんな風に意気込んでいたのだが、血のにおいを嗅ぐとどうしてもあの日のことを思い出してしまう。そして、それを乗り越えられない。
岬は膝に顔を付けて目を閉じ、しばらくじっとしていた。
「岬」
突然名前を呼ばれてはっと顔をあげる。
「……え?」
向かい合ったソファには、いつのまにか生方宗助が座っていた。
「……!?」
岬は思わずその場で立ち上がり、両目を手でごしごしと拭う。何故か目の前には、生方宗助が居る。岬は激しく混乱し、狼狽し、金縛りにあったかのようにその場で固まったままじっと宗助を凝視していた。その宗助は怪我もなく、健康な様子でそこに居るのだ。
少しして、ちらりと出入り口の扉を見ると、ちゃんと鍵はかかっているし、そもそも扉が開いた音もしなかった。
すると目の前の宗助は「ぷっ」っと噴き出して「どうしたんだよ」と岬に苦笑いで声をかける。
岬の思考はあらぬ方向に飛びまわり、そして彼女の混乱は頂点に達し、『宗助は死んでしまい、最後のお別れにと彼の幽霊が遭いに来たのでは』と考えるに至った。
「いっちゃ、やだっ」
そしてそんな言葉が咄嗟に出た。その言葉を言ってしまった途端、今まで気丈に振舞おうと堪えていたいろんなものが胸の奥から溢れだして止まらなくなった。昨日から今日にかけてこれでもかと言う程涙を流したのに、また目の奥が熱くなり涙がぽろぽろとあふれ始める。
「いっちゃやだって、俺はどこにも行かないけど」
宗助は穏やかな表情で答える。
「うそっ」
岬は涙を流しながらも批難する声色と顔で言った。
「昨日だって、あの時私っ、黙って抜け出したりしないって、私はちゃんときいたのにっ」
「ごめん。だけど、もうどこにも行かない」
「本当に?」
「本当に」
「……幽霊じゃないの?」
「ははは、違うって、いつ死んだんだよ俺が」
「じゃあ、怪我は、どうしたの?」
「怪我? 怪我ってなんだよ」
「え……? だって、昨日……あなたは……!」
話が噛みあわない。岬は宗助が連れ去られる際の映像は見せられていないのだが、皆の口ぶりから相当の重傷を負っていた筈だ。なのに、今傷一つない宗助が目の前にいる。混乱し、思考を巡らせ……だが考えれば考えるほど、岬は何やら頭がぼんやりと、霞がかかるような感覚に囚われ始めていた。
何者かが頭の中で囁く。
そんな事どうだっていいじゃないか。目の前に、あんなに心配して、あんなに会いたかった人が居るのだから、と。
岬はぼんやりと、宗助に向かって手を伸ばす。すると宗助も鏡のように手を差し伸べてくれた。指と指が触れ、手と手が触れて、昨日握った手のぬくもりが少しずつ思い出された。あの時、離してしまった掌が。
「本当に、あなたは、宗助くん……」
岬は宗助の手を握ってそう呟くと、宗助は「そうだよ」と答えた。
「良かった、……私、わたし、もう会えないかもって、本当はずっとっ……!」
岬はその場に膝をついて、そしてもう二度と宗助の手を離さぬよう両手で彼の手を握りしめ、嗚咽を漏らし泣き崩れた。宗助はただ、じっと岬のその様子を見て、優しく微笑んでいた。
*
千咲は岬を守るために応接室に向かっている。
カンカンカンカン、と廊下に小刻みな足音が響き渡る。この敵には絶対に岬に近づけさせないと息巻きながら、得物である刀をきつく握り、そして更に走る。
そんな彼女の耳に、突然こんな声が届いた。
「千咲、命令はしっかり聴け。急いては事を仕損じるとは、よく言ったものだ」
その声に思わず足を止めて振り返る。
「なっ、え……?」
そこには稲葉が立っていて、千咲を優しい瞳で見つめていた。
「だがのんびりしていても良い、という意味の言葉では勿論無い。頭は冷静に、身体は熱く、それが理想的だ。岬の所に向かおう。感情はなるべく抑えて」
稲葉はそう言って千咲の横を通り、そして数歩歩いてから千咲の方に振り向く。
「どうした。呼び止めたのは俺だが……さぁ、岬のところへ」
「隊長……? なんで……、死んだ筈じゃ」
「死んだ? 俺が? ……おいおい、言って良い冗談と悪い冗談がある。お前はそんなことを言う人間じゃないと思っていたが」
「え? あ、いえ……。すいません……」
稲葉が少々厳しい表情でそう言うと千咲はすぐに怒られた子犬のような表情となり口をつぐんでしまう。
「何も聞かなかったことにしておくが、次にまたそういう事を言うのならば、俺も教育を考えなおさなければならないな」
「あ、いや、なんだか、……違うんです、ずっと嫌な、夢を見て……。あれ……?」
千咲は思考にもやが掛かったような感覚に襲われ、どんどん、目の前に稲葉が居る光景は何も問題がなく、その状況が当たり前のように思え始めた。
(隊長が、生きてる……? いや、なんで、私は死んだなんて、思っていたんだろう……。あんなに強くて、頼りになる人が……、今、こうして目の前に居るんだから)
「何でもいい、早く岬のところへ向かおう。宗助、お前は引き続き周囲の気配を探りながら進んでくれ」
「はい、任せてください」
「えっ」
真横から返事が聞こえ、千咲は慌てて右向け右。そこには、生方宗助が立っていた。
「……宗助っ……!?」
「千咲、どうしたんだよ、任務中に寝ぼけるなんてらしくないな」
そう言って宗助は千咲の顔を心配そうに覗き込んだ。千咲は思わず宗助の顔を両手で挟む。
「む」
宗助は、なにやってんだ、と批難の目で睨み返す。
「あった、かい……」
千咲は手を離し、自身の両掌を不思議そうに眺めた。
「何なんだよ、一体」
「……そういえば、宗助も……居たんだった……そっか……」
「変なことやってないで、さっさと行こう」
ぶつくさと独り言を呟いている千咲に対して宗助もそう言うと前に進み背中を見せた。それを見て千咲も「そうだ、急がなくては」と思った。二人に続いて足を前へ。この二人が居れば、心強い。負けるわけがないと思ったその時。
『携帯カメラを、見ろ』
ふと、靄の中方角を指し示す灯台のように、一つの言葉が鮮明に彼女の頭の中に響いた。
(……違う。この状況は、何か違う。何が?)
その言葉を機に千咲は再び立ち止まる。目の前で稲葉と宗助が自分を見つめている。千咲は自分の思考にまとわりつく『二人がここに健在しているのが当たり前』という常識と、『二人は居るはずがない』という常識、それぞれを必死に考えないようにして振り払い、ただただ声の言う通りに懐から携帯端末を取り出してカメラ機能を起動する。
そして、ゆっくりとカメラを持ち上げ、稲葉と宗助に向けていく。
『ファントムドライブは、機械を騙せない』
また、言葉が聞こえた。
「……ファントム……幻? ……あぁ……」
「千咲、さっきから様子がおかしいぞ。大丈夫か」
そう言って自分を見つめる二人を、千咲は悲しげな瞳で見つめた。
「そう……幻じゃ、なければいいのに……」
そう言いながら、躊躇いつつもカメラのレンズを二人に向ける。すると、その携帯電話の画面に写している筈の彼らの胴体部分だけが、ぽっかりと欠落、何も写っていなかった。肉眼で見えている上半身と足は確かにそこに有るように見えるのに。
皮膚に触れて、息遣いも感じて、声も聞こえるのに。
「……やっぱり、でも、これは、幻」
それを千咲が認知した瞬間に幻は徐々に薄くなり始め、声も遠のき、稲葉と宗助は姿を消した。
「くっ……うぅ……はぁ、はぁ……」
凄まじい精神的疲労感に襲われた千咲は汗だくで呼吸を乱しおり、彼女は思わずその場にへたり込みそうになるが、『幻』が言っていた通り、早く岬のもとへ向かわなければと両足に力を込める。
「絶対に、絶対に負けない。勝ってやる……!」
額の汗を右手の甲でぬぐい、前に進む。一瞬幻に心を取り込まれそうになった事にほんの僅かな恐怖心を植え付けられながら、千咲は岬のもとを目指す。
走りながら、かすかに思う。
次に同じ幻に見舞われた時、もう一度幻を振り払えるだろうか、と。
その、あまりに心地よい幻を。




