Ran away from… 3
足音がすぐ近くで聞こえ、(見つかってしまう)とジィーナが恐怖に震えた瞬間。ロボットは男を引き摺りながら通路の角で息を殺していたジィーナとリルの横を通り抜けて、一本先の角で曲がっていった。二人の存在に気づいていたのかいないのかは、不明だが……。
「ぷはぁ……」
緊張が解けて、ジィーナは息を大きく吐きだした。
「…………何なのあれ、なんで……!」
それでも混乱は解けず、その場で体を震わせながら目の前で行われた暴力的なシーンを思い出す。そっと通路角の陰から片目だけ出して左右を見渡すが誰も居らず静まり返っている。ジィーナの思考は、リルを両親のもとへ送り届けるなんて事は既に頭の片隅に追いやられていて、さっさとこの場所から逃げた方が良いという結論に至っていた。ここに居てはまずい、一体この少女の両親はこんな所で何をしているのか、今無理矢理ブルームのもとへ向かわなくとも、リルの事は一旦自分の家で預かるなりなんなり出来るはずだ、と。
「ねぇ、さっきのおじさんどこにいったの? はしっていっちゃった?」
暴力シーンを見ておらず状況を把握していないリルはきょとんとした顔でジィーナに問う。
「えっと……」
「レナのことしってたし、どこにいるか しってるかも。おいかけようよ」
家族への手がかりを見つけたと思っているらしく、ジィーナに追いかけることを提案する。
「だっ、だめ! 今日はもう帰ろう? 私の家に泊まったらいいから、明日また、お父さんとお母さんとレナちゃんに会えるよ」
ジィーナがそう提案するが、リルは不満げに口をとがらせて黙り込む。
「そ、そうだ、じゃあ、もう一回お父さんかお母さんに連絡してみよう?」
「……うん」
母親への道案内に使用していた端末をいったん通話モードにして母親に連絡を試みる。しかし連絡がつかない。父親も同様。その結果に疎外感と孤独を感じて、リルは涙目になって小さく嗚咽をこぼし始めてしまう。
「り、リル、泣かないで、大丈夫だから……」
ジィーナは言いながらリルの背中を撫でるが、自分で言っておいて何が大丈夫なのかと頭の中で自問自答していた。
「……わかった、もうすぐそこまで来てるし、頑張ってもう少しだけ探してみよう。きっとすぐに見つかるから……」
「うん」
ジィーナの言葉に、リルは手で涙をぬぐいながらうなずいた。それはリルを励ますと言うよりかは、自分に言い聞かせているようであった。
(そうよ……さっきのは多分、泥棒か何かが入り込んだのを警備ロボットがやっつけただけ……さっき私たちが受付のロボットに会った時は何もなかったし……大丈夫、大丈夫……! 自分で言った通りだ、もうすぐそこに、アルセラさんもブルームさんも居る。この会社の人だもん、会えばきっと大丈夫……!)
楽観的かつ前向きに考えて、ジィーナは男が引き摺られていった方向へと行くことに決めた。先ほどのロボットには待っていろと言われたが、やはりあんなシーンを見せられた後となると、ポジティブに考えつつもロボットの暴力的な振る舞いに恐怖の念を抱かずにはいられず、やはり自力で生身の人間を探すことにした。さっきのボロボロの男が何から逃げようとしていたのか、その部分について深く考えるのはせずに。
男の引き摺られた後には僅かに血痕が残っており、よく観察すれば追跡するのは難しくない。先程までよりもこそこそと、それでいて姿勢を低く小さくなりながら血痕を追って移動する。少し進んだ所で、電子ロックが壊れて開きっぱなしになっている扉があった。血痕はその部屋の中へと続いている。
「……えっと」
そして、リルとアルセラの母娘追跡機能で現在地を見ても、偶然なのか必然なのかその部屋の奥の方向を示している。つばをごくりと飲み込み、リルの手を少し強めに握り、部屋の中へと入る。
中は広いが薄暗く、倉庫なのだろうか、ベルトコンベアが端から端までつながっており部屋中の壁際には大きな箱が山積みされている。そしてそれらを運ぶための小さなフォークリフトが三台無造作に停車されている。埃臭さに鼻と口を手で塞いだ。
ジィーナはその部屋を見て、変に思った。こんなに大きな工場なのに、こんな風に誰も作業しておらず製造ラインも止まっている物なのだろうか、と。殆どがロボットによる作業で昼夜問わず稼働しているという話を聞いたことがあったので、尚更不可解だと感じた。
もうこの部屋は使われていないのだろうか。そもそもこの工場は、本当に稼働しているのか?
そんな疑問を頭の中に浮かべつつ、部屋の中へと足を踏み入れていく。
(早く終わらせて、すぐ帰ろう。家で、きっとお母さんも心配してるし)
入り口から部屋の真ん中あたりまで歩いた時、ふと何かの気配を感じてジィーナが振り返ると、入り口にあの案内ロボットが立っていた。反射的にフォークリフトの影に隠れ、リルの口を抑える。
『このエリアは、立ち入り禁止区域です。関係者以外は速やかに退出してください。退出しない場合は強制的に排除します』
ロボットがそう告げて、ゆっくりと部屋の中へと入ってくる。赤い光が二つ、薄暗い部屋の中にぼんやりと浮かぶ。カチャッ、カチャッっという機械的な足音が、室内に響き始めた。
(……どうしよう、どうしよう……! わたし達、バレてる? やっぱり、ここのロボット何かおかしい……!)
「ジィ、どうしたの?」
リルがジィーナの手を口から自力で剥がしてに疑問を投げかける。ジィーナは慌てて両手でリルの口を再び押さえたが、時既に遅し。その声に反応したようで、ロボットがジィーナ達の方向へ向き、まっすぐと進み始めた。
『立ち入り禁止区域の侵入者を排除します』
ロボットはそう告げ、更に近寄ってくる。明らかに、二人の存在とその位置を把握している。
(……っ、だめだ、あれに捕まったらダメ、逃げよう、逃げなきゃ!)
ジィーナはこのまま隠れているだけではもう駄目だと察し、部屋の奥へと逃げるか、それともロボットの横をすり抜けこの部屋の外にでるか考える。考えている間にもずんずんとロボットは近づいてくる。ジィーナの呼吸が早くなる。
(どっちが良いか、一旦出るのが良いの? 奥に行っても、逃げられる道は多分ない……!)
一旦この部屋から出る選択が妥当だと考えた。ギリギリまでロボットを引き付けて、フォークリフトの死角を利用し、来た道をUターンで戻る単純な作戦だ。ロボットはフォークリフトの右側から回り込もうと進路をとったので、それを見たジィーナは姿勢を低くして中腰のままフォークリフトの左側へゆっくりと回り込む。ロボットの視界はどのくらいの範囲で、そしてどうやって人間を見分けているのか、その仕組みなどもちろんジィーナは知らないのだが、捕まらないためにできる限りの努力をする。
もくろみ通りロボットがフォークリフトの横に差し掛かった時に、反対側からジィーナはリルを抱えて、入ってきた扉へと全速力で駆け出した。
後ろは振り返らないが、タンタンタンと機械の素早い足音が後ろから迫ってくるのが聞こえた。そしてジィーナはまだ十四歳の少女で、四歳のリルを抱きかかえて走るには体力が足りず、すぐに足取りがおぼつかなくなった。
「くっ……」
足がもつれそうになったところで、右肩が背後からがっしりと掴まれ、乱暴に引っ張られて振り向かされる。
「きゃっ」
突然に身体を動かされ小さく悲鳴をあげるが、振り向いた先、目の前に無表情で目を赤く光らせたロボットが自身を凝視している顔に、驚きと恐怖で呼吸が一瞬止まる。
『侵入者を捕捉しました。排除します』
腰が抜けてその場にへたり込みそうになるが、ロボットに両腕をしっかりと掴まれてそれすらかなわない。
「いっ……!」
万力のような強い力で腕を掴まれ骨が軋み激痛が走る。耐えきれず、抱きかかえていたリルを手放してしまう。リルは上手に地面に着地したが、ジィーナに危害が加えられている事を見て、それをしているロボットを敵であると認識する。「やめてよ!」と叫んでロボットの胴体に平手でぱしぱしと打撃を与えるが、そんなものが通用する訳もなく、ジィーナの顔はその間にもますます苦痛にゆがむ。ロボットは両腕でいとも容易くジィーナを持ち上げて投げ飛ばした。幸い彼女が投げ飛ばされた先は比較的やわらかい段ボールの山で、それらは雪崩を起こしつつも彼女のクッションになった。
「痛ったぁ……」
ジィーナは顔を顰め両腕の掴まれていた部分をさすりつつ段ボールの山の中から立ち上がる。そこで目に飛び込んできたのはリルに向かって手を伸ばそうとするロボットの姿だった。
「っ、リル、逃げてっ」
思わず彼女に指示を出すが、リルが子供の足で逃げたところですぐに追いつかれてしまうだろう。このままでは彼女は暴力にさらされてしまう。瞬間的にいろいろなことが思い浮かんだ。なんで工場に入っただけでこんな目に遭わなければならないのとか、彼女が怪我をしてしまったら、それはこんなところに連れてきた自分のせいだとか、さっき無理やりにでも帰ればよかったんだ、だとか……。
「え? えっ?」
指示を飛ばされたリルはといえば、ジィーナが投げ飛ばされた事にショックと恐怖を覚えて混乱し足がすくんでいるようだった。ジィーナとロボットを交互に見るが、その場からは離れようとしない。
「走りなさい、早く!」
ジィーナが叫んでから、ほんの一度まばたきをした、その瞬間。風が一陣通り抜けた。ロボットの頭が胴体から分離してフワリと浮き、次にゴトン、という音とともに地面に転がった。
「え……?」
首部に断面を見ると鋭い刃物で斬られたような形跡があった。首から下はバランスを失って、ぐらりとリルの方向に倒れる。危ない、とジィーナが叫ぼうとした瞬間、リルの身体はその場から消えていた。ズシンと音を鳴らして首無しロボットがその場に倒れ伏した。
ジィーナは何が起こったのか全く理解できずにきょろきょろと薄暗い室内を見回すと、少し離れた場所でリルを抱きかかえる男の姿があった。リル自身も気付かない内に持ち上げられていた為何が何だか理解できていなかったが、自身を抱えるその男の顔を見上げるとすぐに表情は明るさを取り戻し、弾んだ声で彼の名を呼んだ。
「コウスケおじちゃん!!」
「リル、お前……こんなところで何をしてるんだ」
一方のコウスケは困ったような表情で姪っ子の顔を見てそう尋ねた。
「おとうさんとおかあさんがね、ここにいるって!」
「……アルセラはリルを家に置いてきたと言っていた筈だし、あいつらにしたって俺が来るまで待っていろと言っておいたのに……やれやれ」
ため息を吐きながらリルをゆっくりと地面に下ろすと、まっすぐ立たせて彼女の洋服についたホコリを手でパンパンと叩き払う。ジィーナはその姿を唖然として見ていた。
そのコウスケ・レッドウェイはジィーナ達が住む街の警察官で、町の住人ならば殆どの人間が彼の名前を知っている。目にも留まらぬ速さで地を疾走し、ツバメのように空を舞う……いくつもの凶悪犯罪を未然に防いできた街のヒーローだ。
そして彼が、リルの母親アルセラの実兄でありリルの伯父さんであるという事も話には聞いていたのだが……。こうして突然目の前に現れると何も言えなくなった。
「君、怪我は?」
「……あっ、いえ、……大丈夫です!」
コウスケに尋ねられ、ジィーナはその場で軽く足を動かしたり腕を軽く回したりして、特に足をくじいたり打ち身をしただとかは無いと判断しそう答えた。
「名前は?」
「ジィーナと言います。ジィーナ・ノイマン」
「ジィーナさん。君はなぜここに?」
「あの、その子が町の通りを独りで歩いていたので、それで、声をかけたら、お父さんとお母さんとはぐれたみたいだったから、心配で……」
「……やっぱり勝手に家を抜け出したんだな、リル」
コウスケはそう言ってリルの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。
「だって……」
リルがしょぼくれた顔で言い訳をしようとしたその時、事態はのんびりと会話をしていられない状況へと変わっていく。
『異常を確認しました。警備員は現場に急行してください。異常を確認しました。警備員は現場に急行してください』
けたたましいサイレンの音とアナウンスが流れる。どうやらロボットを破壊すると建物内のセキュリティが反応する仕組みになっているらしい。
「ま、こうなるのは当たり前か……。しかしまずいな。二人をここに置いて行くわけにもいかないし……一緒に連れて行けば無暗に巻き込んでしまうかも……」
コウスケは小声でつぶやき顎に手を当て考えるが、すぐにそれをやめる。彼の耳は既に、エアロドライブにより廊下から大量の足音がこの部屋のすぐ傍まで接近している事を聴きとっていた。そしてジィーナとリルが放つ『置いて行かないでオーラ』を無視することもできず、今度は「仕方ないな」と呟いて「俺に付いてくるんだ。離れるなよ」と二人に言い放った。
「はい!」
「はーい」
二人はそれぞれ返事をしてしっかりと手をつないで部屋の奥へと歩き始めたコウスケのすぐ後に続いて歩きはじめる。




