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machine head  作者: 伊勢 周
20章 隊長・稲葉鉄兵
222/286

忘れず、前へ

 千咲の病室。ベッドに横たわった千咲は宗助との通話のために手に持っていた携帯電話を適当に枕の傍に放り出した。薄暗い室内の壁に携帯電話のライトが不自然な色を付ける。


(葬儀か……)


 宗助との電話を終えて、そうぽつりと呟いた。今回の一連の戦いで犠牲となったアーセナルの人々を弔う儀式。


(……私は、何の為にあそこにいたんだろう)


 そんな考えが千咲の頭を揺さぶる。彼女もまた、すぐ近くにいたにも関わらず人々を守れなかったという罪悪感に苛まれている。こんな時、隊長なら「千咲、お前が気にすることじゃない」とありきたりでも暖かい一言で心を楽にしてくれていたのだろうか。


(本当に、本当にもう隊長は、いないの……?)


 千咲はスワロウに保護されてからずっと稲葉の指導のもと成長してきた。いわば、スワロウでの父親のような存在だった稲葉が、姿も形もないなんて。その事実を聴かされた時は全く信じられなくて、まるで全く知らない言語で話しかけられているような感覚だった。そしてその夜それが事実だと少しずつ頭が理解して、過酷な現状と相まって……ひとり静かに泣いていた。

 しかし今も、まだ信じたくないという気持ちが千咲の心にしぶとくへばりついている。どんな戦いの中でも傍で稲葉が構えている事でどれだけ安心をもらったか。


(これからも……。戦わなくてはいけないのは私も同じ。ずっと、甘えてばかりだった)


 千咲は今、自分の事も岬の事も……自分が何を想っていて何に悲しみ何に喜んでいるか、わかっていない。今自分がどういう感情なのかがわからない。生と死を目の当たりにし続けて心は重く、とにかく独りになりたくなくて身近な人と沢山話した。この二日間、どの人間と話しても皆がそのような状態だと言う。


 岬を支えていけたらと偉そうな事を言っていたのに、自分が誰かに支えてもらいたいと思っている。こんなに弱く脆い人間だと自分では今まで思っていなかった。


「ただいま」


 そこへ岬が戻ってきた。「おかえり」と平静を装って返事をする。


「どうだった? 宗助、大丈夫そうだった?」

「どうだったんだろう、結局、私ばっかり話を聴いてもらっちゃって……」


 岬はそう言って苦笑いを浮かべる。彼女の表情や醸し出す空気は明らかに軽くなっていて、千咲は彼女をそんな風にできてしまう宗助の事を羨ましいと思い、そして同時にそんな風にしてくれる人が居る岬の事を羨ましいと思った。そしてそんな事を思う自分がますますわからなくなった。


「千咲ちゃん、やっぱり傷痛む? それともだるい? 今日はもう横になってた方が……」

「え? あぁ、いや、大丈夫、大丈夫」

「そう? なんだか少し険しい顔になってたから……」

「……そんな怖い顔とは……。…………こんな顔の事かー!」


 千咲は渾身の変な顔で岬に襲い掛かり、そして岬の身体をくすぐりまわした。


「きゃっ、わっ、やめてやめて、あはははっ、きずがひらくよっ、もー!」


 久々に岬の笑顔を見てそして笑い声を聴いて、千咲は少し心を落ち着けた。


(何を考えてんだろう、私。大事なのはこれから。そう、これから……)


 無理やりな思考で自身に言い聞かせて奮い立たせた。今日から、今までよりもっと強くならなきゃダメだ、と。



          *



 戦死者を追悼するための第一歩として基地の集会施設のひとつにて遺体の識別確認が行われた。葬儀を執り行うに当たって……遺体があるもの、ないもの。遺体があっても損傷がひどく、とてもじゃないが遺族には見せることは気が進まなくなるものもあった。

 あちこちですすり泣く声が聞こえる。大多数の犠牲者の遺体が無いというこの状況、死という事実を受け入れられない遺族が多く、うつろな表情のまま、家族が着用していたのだろう血の染みた制服と名前を記したタグを無念そうに額に当てた。

 彼らはまだ、息子や娘、いなくなった家族はふらりと戻ってくるのではないかという考えから抜け出せずにいる。死因について、『魂ごと肉体を奪われた』などと説明しているのだから、それも無理はないのだろう。中には、説明に対して馬鹿にしているのかと怒りだす人間もいる。


 そして部屋の一角に、また、ありもしない可能性にとりつかれた人間が居た。

 無言で稲葉の遺影の前に佇む母娘。それは稲葉実乃梨と稲葉楓だった。

 不破も、松葉杖をついた宗助も、千咲も岬も、彼女になんという言葉をかけるべきか……その答えを持ち合わせていなかった。自分達でさえ、隊長を失ったという事がいまだに信じられないのだから。隊長だけでなく、あの悪夢のような一日だけで、数えきれない『死』を目の当たりにしてきた面々は、それらの情報を整理して自分の中に巻き起こる感情を受け止めることだけで精いっぱいなのである。

 その彼女達から少し離れた場所に、宍戸が居た。つかず離れず、じっと立っている。


「……ねぇ、忍ちゃん」


 実乃梨は振り返らず、宍戸の名前を呼んだ。


「ほんとに、鉄兵さんは、死んだの……?」

「……。あぁ」


 質問に、宍戸は低いトーンで答える。


「そっか。……忍ちゃんが言うのなら、間違いないんだね……」


 言われて目を伏せ、そっと稲葉の制服に触れる。黒い血のシミとダメージで、どんなデザインの制服だったのか一瞬忘れてしまうほどのそれに、闘いの壮絶さが表れていた。


「……」


 そして暫く、二人は沈黙する。


「この前ね。この子が初めて『お父さん』って言えたの。……今まで言えなかったんだよ。全部、私も鉄兵さんも、どっちもおかあさんって呼んでた。それはそれでおかしいねって笑ってた。だけど昨日、『お父さん』って、よりにもよって、あの人がいないところで」


 実乃梨は楓の手を握る力を少し強めて、声を震わせた。


「『お父さん』……ちゃんと聴かせてあげたかったなぁ、って……思って、私は……」

「……。実乃梨。……あいつは、」

「?」


 言いかけて黙り込んだ宍戸に、実乃梨は不思議に思い振り返った。


「……。引き下がれなかったんだ。理不尽な暴力に。相当な葛藤があったはずだ。進むべきか、退くべきか。何を守るべきか」

「……うん」

「そして、その間。ずっとお前達の事を想っていた。決して置いていったんじゃない。それは、間違いない、事実だ」


 声のトーンは変わらないが、たどたどしい不器用な言葉遣いで宍戸なりに何かを伝えようとしている事を実乃梨は理解できていた。


「……それに、あいつにもきっと聴こえているだろう」

「っ……」


 実乃梨は静かに涙を流し、手をつないでいた楓は不思議そうに母親の涙する姿を見上げるだけだった。


「……忍ちゃん、まだ、心の整理ができそうにないけれど……、私にはまだ、この子がいるんだから……。私が、しっかりしないとね……」

「困ったことがあったら、いつでも言え」

「……うんっ」


 宍戸は手をズボンのポケットにつっこみ、実乃梨に背中を向けてその場を立ち去った。

桜庭は実乃梨と宍戸の様子を離れた場所で見守っていた。彼女はここ毎晩ずっと泣いているようで、赤く目をはらしている。その隣では海嶋と秋月も、沈痛な面持ちで佇んでいる。


「天屋さんと、同じだな」

「同じ?」


 海嶋が呟いて、秋月が真意を問う。


「こんな風に、ちゃんとお別れもできない。姿も形もない。もしかしたら、死んだなんて何かの間違いで、帰ってくるかもって……」

「……そうね……。……二人とも、今帰ってきてくれたらどれだけ心強いか」


 そう言ってまた黙り込む。

 現実に向き合えていないのは、アーセナルの人々も同じ。当たり前のようにすれ違いざまに挨拶をしていたあの人が、一緒に笑っていたあの人が、もうこの世に居ない。負の感情が充満するこの光景を、宗助も、不破も、千咲も、みんなが……絶対に忘れはしないと心に誓った。

 三十分後、無事葬儀は執り行われ、形式的な死者との別れは終了した。

 アーセナルに所属する者全員が敬礼の姿勢で、次々と運ばれていく棺を見送った。



          *



 葬儀・告別式を終え、病室に戻ろうと動き始めた宗助を千咲が呼び止める。


「宗助、どこ行くの?」

「いや、一旦病室に戻ろうかなと」

「もうそんな時間無いよ。時計見てないの?」

「あれ、時間ってそんな詰まってたっけ……」


 宗助は腕時計を見ようとして、そして怪我で時計を巻いていない事を思い出して周囲を見回すと壁掛け時計をちょうど見つけた。


「思っているよりも、結構時間が経ってたな」

「それもあるんだろうけど、何より今は体が動く限り全力で前に進んでいこうって、今回のこのスケジュールに限らず、目の前にある沢山のやるべきことを片づけるぞって、出来ることからガンガンつぶしてく方針で。……感傷に浸るのは、これでしばらくお預け」

「……。確かに、その通りだな。良い方針だと思う」


 少し先を歩いていた宍戸は立ち止まりちらりと振り返って千咲と宗助の姿を確認し、「さっさと行くぞ」とだけ声をかけて再び歩き始めた。宗助は松葉づえを握る手の力を強めて、そして千咲は少し歩きにくそうな宗助を気遣いながら、前に進む。

 リルとジィーナは、一体何処から来た、何者なのかを解き明かす。

 ずっと後回しにしてきたこの疑問に対する答えが、十年に渡り追い求めていたスワロウの進むべき未来を決める。



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