涙のあと
宗助はそのままレポートに目を走らせていた。そのレポートに目を奪われたのは岬の事だけではなく、信じられないような一文がさらに続けて書かれていたからだった。
『リル・ノイマンについて、ブルームと血縁関係にある可能性あり。ジィーナ・ノイマンについても過去にブルームとのコンタクトがあったとみられる。ジィーナ・ノイマンの意識が回復し次第、情報を要求する次第』
読み終えた宗助は掌に大量の汗を感じつつ、顔を上げる。
「あの、これって……! ……え?」
レポートについて質問しようと、黒岩が立っていた方へと顔を向けると、そこには黒岩はおらず、驚いた表情をした岬が立っていた。
「っ…………! えっと、ごめんなさい、あの、ノックしても返事がなかったから、居ないのかなと思って覗いたんだけど、すごく難しい顔してて…………」
ボーダー柄のブラウスに花柄のスカートといった、完全に私服姿の彼女。最初、おおきく目を見開いた驚きの表情を見せて、そして次に突然話しかけてきた宗助にしどろもどろで釈明した。宗助は宗助で、彼女の入室に全く気付かない程レポートを読むことにのめりこんでいたのかと思うと少し恥ずかしかった。
「いや、こっちこそごめん、これ読むのに夢中で」
宗助は手元のレポートファイルを両手でぱたんと閉じて枕の横に置き岬に向き直る。
「あの、でも、思ったよりは元気そうで、良かった……本当に、怪我の内容だけを伝え聞いた時、本当に、し、心配で……っ……!」
突然涙ぐみだす岬に、宗助は慌てて彼女をなだめる。
「ご、ごめん心配かけてっ! その、もっと俺がしっかりしてれば良かったんだけど……」
「そんなこと無いっ! 宗助君は、わ、私と千咲ちゃんを、守ってくれたもんっ!」
「いいから、落ち着いてっ、ほら、椅子、座って、それ!」
涙目になりつつ少し大きめの声で反論する岬をたしなめて、ベッドの傍にあった椅子を彼女の目の前にずらし、座るように促す。岬は椅子に座ると少し落ち着きを取り戻し、ふぅ~っと一息ついた。そして宗助は、彼女が落ち着いたタイミングを見計らって、ゆっくりと言葉を告げる。
「岬、ごめん」
「え?」
「少し前に、嫌な事言ったから。その……記憶がない事をなんで言ってくれなかったんだって。誰にだって他の人に言ってないことくらいあるし、……それに、俺だって岬に自分の子供の頃がどんなのだったかって話なんてしてなかったのに、あんなこと言って……。だから、ごめん。この三日間、ずっと謝ろうと思ってた」
宗助はぺこりと岬に向けて頭を下げる。
「え、えっと、ううん、そんな。私の方こそ子供みたいな拗ね方してごめんなさい。大事なことを教えていなくて。私も謝ろうと思ってた。それで、全部話そうって思ってた」
「謝ろうと思ってたのに、謝られると具合が悪いな……」
「それはお互い様だよ。それに、その話なんだけどね、……私、思い出したんだ。子供のころの話。お父さんとお母さんの事も、千咲ちゃんと、本当に初めて会った時の事も」
「……! そうか、それは――」
良かった、と言いかけて、宗助は踏みとどまる。岬が過去の記憶を取り戻したという事は、彼女が記憶を失くす切っ掛けとなった出来事も思い出したという事なのだろう。言葉にするだけで耳を塞ぎたくなるような凄惨な出来事を思い出したことを、果たして『良かった』と言っていいのかどうかと、考えたのだ。
口をつぐむ宗助を見て、岬は少し悲しそうに笑う。
「いいんだ。結構平気だよ。最初はぐちゃぐちゃーって感じだったけど、どうやったって過去は変えられないし、自分の人生の一部分だもん。知らないままでいるより、知った方がきっと前に進める。……うん、むしろ、なんだか胸のつっかえが取れたような気持ちかなって感じるよ」
岬のその言葉は強がりなのか本心なのか。
多分どっちでもあるし、どっちでもないんじゃないかと宗助は推し量る。人間の心は、そう簡単に一つの方向へと固まらないのは、自分でもよくわかる。だがしかし、瀬間岬が確かに受けている精神的なダメージというのは、勿論この世界を包んでいる惨状のせいもあるだろうが、きっと彼女の記憶の回復によるものにも比重が少なからずある事は、間違いがないだろうと思った。
(岬の心の傷は、時間が癒してくれるものなのだろうか。いや、必ず一生付き纏う……。きっともう、忘れることは出来ないだろう)
宗助がそんな風に内心思っている横で、岬はへたくそな笑顔を見せながらこんな話をしていた。
「あ、でも……千咲ちゃんが、私の子供の頃の話を殆どしようとしなかった理由がこれだったんだってわかって、すっごく気を使わせちゃってたんだなって、ちょっとショックというか、ごめんなさいって思ったかな。他の皆もなんだか、気を使われてるなって薄々、感じてたんだけどね」
「……岬」
「今は皆が大変で、隊長の事もそう、皆が傷だらけだし、家族や仲間を亡くした人がたくさんいるし……。なのに、思い出したって言った時、千咲ちゃんも、お母さんも、私なんかよりよっぽど傷まみれなのに、本当に辛そうな顔で『辛いよね、遠慮なく甘えてね』って言ってくれて。……私、その時も、私は平気だよ、大丈夫だよって言って、一人一人に……」
岬の言葉は徐々に途切れ途切れになり、話の文脈も少しおかしくて、なけなしの笑顔はすぐに消えて、声が震えていた。
「……みんなが、今は、すごく辛いんだから、……」
そしてふと、彼女の口は動きを止めた。暫くの間、沈黙が続く。そして。
「……あのね、みんなに、平気だよって言ったけど、さっきも、わたし言ったけどっ……宗助君……。わたし、嘘をっ、……」
岬は両手で顔をおさえ、嗚咽交じりに言う。
「っ、ごめんなさい、わたし、全然、平気じゃない、っ……」
その両手で何度も何度も拭っても、涙が溢れこぼれた。袖を濡らし、服を濡らし、床を濡らす。宗助は衝動的に彼女の腕をひいて、胸の怪我を気にもせず自分の胸に抱き寄せた。
「そんなの、……平気な訳ないって……」
今、周囲の全ての人の心が悲しみや怒りで一杯の中、自分の事で辛い悲しいと言い出せなかったのだろう。我慢して、我慢して、今日も我慢するつもりだったのだろう。そんな彼女に対して、宗助の頭にも言葉が浮かんでこず、ただ岬の感じている辛さを少しでも和らげてあげたくて、優しく抱きしめた。
岬は驚いて目を見開いて、最初は何が起こっているかわからないという表情を見せていたが、すぐにそれも落ち着いて、宗助に身体を預けて思い切り泣いた。
岬はどのくらいの間泣いていただろうか。
宗助は少しでも彼女の心が落ち着けば良いと思いながら 黙って頭を撫でてあやし続けた。ようやく嗚咽がおさまった頃、岬は顔を隠したまま宗助に話しかけた。
「あっ……ごめん、胸、痛むよね。わたし、治してあげられないのに……」
「い、いや、こっちこそごめん。急にこんな」
「えっ、あ! その、あ、ああっ、うう……」
ふと我に返ると二人とも今の抱き合った体勢が照れくさくなり、揃って顔を真っ赤に染めるが、しかし宗助は本能的に手放したくないと感じているのか、謝りながらも彼女の肩に置いた手を離そうとしなかったし、岬もまた、妙なうめき声を出しながらも無理やり腕の中から抜け出そうとはしなかった。
「え、えっとその、け、怪我は大丈夫だから、もうしばらく……このままでも、大丈夫」
「う、うん……。その、私も、きっと眼とか鼻とか真っ赤だと思うし……顔は見せられないかも」
岬は変な言い訳をして、顔を隠すように俯いた。
「ど、ドライブの事だってさ、今まで散々岬はみんなに頼りにされて、沢山頑張ってきたんだから、休ませてって体が言ってるんだ、きっと。しばらくは静養だな」
「……。こんな大事な時に役に立てないのは辛いけど……うん、きっとすぐにまた使えるようになる。それまでにまた攻めてこないと良いんだけど……」
お互い緊張でどもりつつもその体勢を解こうとはせず、会話は継続される。
「不破さんは割と大丈夫そうだったけど、宍戸さん、白神さんや千咲や、他のみんなは、どんな感じなんだ?」
「千咲ちゃんは、お腹の筋肉の裂傷がひどくてたまに痛そうにしてるけど骨や内臓には傷がないし、普通に歩き回ってたりする。一番ひどかったのは白神さん。未だに、薬ばっかりで寝てることの方が多いし……」
「白神さんは……そうだよな」
山の中の川べりで見つけた彼の惨状を思い出す。血が付着していない部分を探すことの方が困難なほど血だるまで、生きているという報告を聞かされた時は安心すると同時に少し生存が信じられないような不思議な気分を味わったものだ。
「宍戸さんや不破さんは軽傷でなんてことないって顔してるけど、きっと隠しているだけでものすごく、肉体だけじゃなくて、精神的にも、負担はかかってると思う……」
「……そうだよな。平気なはずが無い……隊長が死んで……」
不破はずっと稲葉の事を慕っていたし、宍戸は子供の頃からずっと一緒に育ってきたのだ。だが、二人は被害状況をしっかりと見つめ、被害の責任を全身で受け止め、そして情報を集め次にどう動くべきか、既に道を模索し始めているという。
「ブルーム達に対してこの戦いでどれだけの抵抗をできたか、昨日の晩考えた……。俺達はどれだけ失ったんだろうか、とも。あいつらの作った機械に沢山の人が殺された。沢山の人が消されて、その人達の帰りをそれでも信じて待っている人も沢山いる。マシンヘッドはいくつもぶっ壊したけど……機械は部品があれば修理できるし、作り直せる。だけど人間の命はもう、戻らない」
宗助が悔しそうな表情で語ると岬も表情を曇らせ、肩と手指に少しだけ力がこもった。
「……。ねぇ、宗助君は将来の夢ってある?」
岬が突然宗助の腕の中で顔を上げて問いかける。
「夢?」
「そう、なりたい職業とか、やりたいこととか!」
「夢か……一応、あるにはあるんだけど……」
「何? 教えて?」
「突然どうしたの?」
「こんな時だからこそ、もっと楽しい話がしたいなって。あの映画が面白いよ、とか、あんなところに行ってみたいね、とか……だから、聴かせて」
「なるほど……。夢は、実はカメラマンなんだ」
「カメラマン?」
「そう。世界中を回って、珍しくて綺麗な風景とか、動物とか、撮って旅する。それが夢」
「いい夢だね」
「そう? これ、人に話すのは初めてだ」
「うん、素敵だと思うよ」
「じゃあ、岬の夢は?」
「私は……、実は学校の先生。大変そうだけど」
「へぇ。岬が学校の先生をやったら、なんだか生徒になめられそうで、危なっかしいな」
「そんなことない! とは言い切れないのが悲しい……。でもそうならないように頑張るつもり。宍戸さんをお手本にして威厳を手に入れる! だけど――」
「だけど?」
「その先生にはなりたいけれど……。世界中を旅するカメラマンの、えぇっと……アシスタントもいいなって、その……」
「え、――」
その時、ガンガンガン! と荒っぽいノックが三回室内に響き渡った。二人は慌てて身体を離して、岬は椅子に腰を下ろし、宗助はベッドに背中を倒す。
「は、はい!」
「宗助、具合はどうだ!」
ノックをしたのは不破だった。がらっと音を立てて扉を開き、無遠慮に入ってくる。
「ん? 岬も居たのか、もしかして邪魔だったか」
「い、いえ、そんなことは――」
何の気も無さそうに尋ねる不破に対して宗助が答えながら岬の方をちらりとみると、彼女は不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、下唇を出して床をにらみ、しかし両手両足は揃えて姿勢よく座っていた。
「いや、まぁ、休んでる最中悪い、もともと見舞いには来るつもりだったんだが、今後のスケジュールも伝えてこいって言われちまってさ。ほれ」
「スケジュール?」
不破が言いながら一枚の紙を宗助に手渡す。宗助は手渡された紙を見るとざっと全体に目を走らせる。そしてまず目についたのが
「合同葬儀……」
「そうだ。ちょっと辛いかもしれないが、具合が悪くなければなるべく出てくれ。何かしてくれってワケじゃないからよ。それと、お前に関係有るのはそのもうちょい下だ」
「下?」
言われて視線を下にずらす。
「リル ジィーナ エミィ ロディ 四名より、事情聴取……」
宗助はその文を読んで、読みかけだったレポートの衝撃を思い出した。
『リル・ノイマンについて、ブルームと血縁関係にある可能性あり』




