オーバードライブ 3
宍戸が本部からの連絡を受けた直後、ミラルヴァはしばらく黙っていたかと思うと突然ため息を吐いた。
「どうやらブルームが、やられそうだ。お前のところの稲葉にな。奴に対して情などないが、さっきから助けに行けとうるさい。ここはお預けだ。残念ながらな」
「行かせると思うか」
ミラルヴァは答えずただ不敵に笑うと、腰から黒い筒状のものを取り出した。宍戸はそれに見覚えがあった。ガニエの所持品に全く同じものがあったからだ。
「それは――」
「半端な結果になって、少し……残念だ」
宍戸は思い出したかのように拳銃を持つが、その時には円形の暗黒空間がミラルヴァを飲み込んでいた。宍戸が引鉄をひく。銃弾が放たれ、ミラルヴァ目掛けて弾き飛ばされたが……。そのまま銃弾はミラルヴァを通過してから消えて、そして彼の姿は消え去った。
「……アレは、そういうもんだったとはな」
そう言って特に狼狽することもなく目の前の現実を受け入れ振り返り、インカムを右手で触る。
「宍戸だ。ミラルヴァを取り逃がした、そっちに行ったようだがすぐに俺も戻る」
*
シェルターへの移動を命じられた不破は、そこへ向かう途中で発見した虫の息の白神に最低限の応急手当を施し背中におぶって山道を駆けていた。森を抜け、駐車場を抜けて、そしてシェルターへとたどり着いた。出入口周辺には無防備にもぽつぽつとたむろしている人間が数グループ居て、彼らは絶望した表情で座り込んでいた。その中に一つ見慣れた顔があることに気づいた。
「実乃梨さん!」
「不破くん。来てくれたのね……」
稲葉実乃梨は不破を見て、疲弊し、なにやら複雑そうな表情でそう言った。彼女の背中には、くたびれきった少女がぐったりと目を閉じている。
「一体、こんな場所で何を? 敵がそこらに潜んでいるかも――」
不破はそう言いながら、だが、既に安全な場所などどこにも無いという事を思い出し、バカなことを言ったと自分の発言を少し嫌悪した。
「林の中に逃げていった人達も居たけれど、私達は、下手に身動きが取れないから……小さな子供が居るし、足腰が不自由なお年寄りや、病弱な人もいる。もう夜が来るから、下手に身動きをせずにここに居ようって」
不破があらためて周囲を見回すと、今実乃梨が挙げたような状態の人々が不安を押しのけようとするように互いに身を寄せ合ってじっと座っていた。
「しかし、それにしても、もう少し物陰に隠れるとかしないと……!」
「それよりも、不破くん、背負っているのは、えっと、白神くん? 酷い傷……なんとか手当をする場所を――」
その時、シェルターの入り口から人影が出てくるのを見た不破は咄嗟に実乃梨の前に歩み出て様子を伺う。しかしその人影の正体は不破が案ずるようなものではなく。
「ハァッ、ハァッ」
宗助と同じ年令くらいの青年が激しく息を切らしながら周囲をキョロキョロしている。
「おい!」
不破が彼に声をかけると青年は不破の方を向き駆け寄って、そして品定めするように不破の服装や出で立ちを確認。そして。
「あなたが、スワロウの、不破さん!?」
「あぁ、そうだ。お前はナニモンだ」
「アーセナルの方から伝わってないのですかっ、自分は吉村班の岩崎康太です! 奴がっ、フラウアが中で暴れているから、宗助が相手になって、えっとそんでっ、アーセナルに通信が繋がってっ、スワロウの隊員が助けに来るって言うから!」
「ちょっと落ち着け。吉村班か、宗助と共同の……いや、要するに俺を迎えに来たって訳か、案内役として」
「はいっ!」
「わかった、フラウアと宗助のところへ連れてってくれ」
「ええ、行きましょう!」
不破は康太に言うと実乃梨の方へ振り返り、「なるべく、物陰に隠れていてください」と告げて、康太に目線で案内するように促す。そして康太と不破はシェルターの中へと駆けて行った。
彼等を心配そうに見送った実乃梨のもとへ、歩み寄る者が居た。
「あの、これ、どうぞ」
若い女性の声。ペットボトル飲料水が差し出された。視線を上げると、地元の高校の制服を身にまとった少女がくたびれた笑顔で立っていた。
「ありがとう、でもそれはあなたが飲んで。私は大丈夫だから……」
「いえ、私の分もあるんです。あそこの男の人が、逃げるときに非常食料の箱ごと持ってきていたから、分けてくれるって」
少女が五本の指を揃えた掌で丁寧に指し示すと、何やら迷彩色のパンツとタンクトップを着ている中年の男性が今も箱の中身を周囲に配っているところだった。
「何が起こっているか全然わからないし、暑いし、夜も近づいてきて怖いけど……とにかく出来るところから助けあおうって言ってくれて」
そう言われて初めて、実乃梨は少し微笑んで「それじゃあ、ありがたく受け取らせてもらいます」と水を受け取った。残暑の熱気でぬるくなってしまっていたが、確かな水分である。キャップを捻って開けて、手提げ鞄の中から子供用のプラスチックのコップを取り出しそれに注いだ。
「楓、起きて。お水よ。喉かわいたでしょ?」
背中におぶっている楓に対して器用に肩越しでコップを差し出すと、楓はくたびれた様子で小さく頭を上下に動かしコップを受け取り、あっという間に水を飲み干した。
「おかわりは?」
「……いる」
「じゃあコップをかして」
「楓ちゃんって言うんですね」
その一連の様子を隣で見ていた少女が尋ねた。
「ええ。稲葉楓っていうの。私は実乃梨。あなたの名前は?」
「私は、生方あおいって言います。ちょっと珍しい名字なんですけど」
「……うぶかた。生方……って」
「はい?」
「……。いいえ、なんでも。あなたは今一人なの?」
「いえ、父と一緒で、疲れてあそこの岩のとこに座っています。兄は……連絡がつかなくて」
そう言った後、あおいの笑顔は曇ってしまった。実乃梨はすぐに理解した。少女のどこか見覚えのある顔と生方という苗字、連絡がつかない兄というのはきっと少し前に家に訪れたあの生方宗助という青年であると。
だがそれを言うべきなのかどうか、実乃梨には判断ができなかった。少年っぽさがほんの僅かに残るあの青年は、きっと今、命を懸けて闘っている。不破が先程言った「宗助とフラウアのところへ」というセリフからも察することが出来る。
「生方さん」
「はい?」
「お兄さん、無事だといいね……」
「……はいっ。でもきっと無事です。 昔から頑丈なんですよ、お兄ちゃん」
生方あおいは、そう言って実乃梨に笑顔を向けた。相変わらずくたびれていて泥まみれの笑顔であった。
*
「掴んだっ」
固唾をのんで見守っていたオペレーター達のうちの誰かが、思わず声に出した。稲葉が掴んだ瞬間、荒れ気味だった画像が鮮明になって映し出される。
「よし、掴んでしまえば、隊長の独壇場だっ」
他の誰かが言った。だが、秋月の顔は不安と恐怖で固まったままだった。そして彼女は
「だめです……!」
と呟いた。無線機を繋げる。
「隊長、聞こえていますか、そんな身体で、それ以上ドライブを使ってはダメですッ、もちません!」
しかし稲葉の無線機は戦闘の影響があって壊れたのか、返ってきた音声はかなり雑音が混じっていて聞き取りが困難だった。
『ザザ、ザザ、配す、な、……この時のために毎、ザザ練、ブツッだからな、ザザ、皆』
「隊長っ!」
『任せて、くれ』
その言葉だけ、やけにはっきりと拾われた。
*
ブルームを引き寄せた稲葉は、至近距離でブルームを睨みつける。
「今度はもう、絶対に離しはしない……!」
そしてあいさつ代わりと言わんばかりに、ブルームの左腕を掴む際に奪い取ったエネルギーを左拳に込めて、ブルームの腹部に撃ちこんだ。
「ぅごっ……!!」
ブルームはそのダメージに目を見開き呻く。
そしてそのブルームに与えられた衝撃は稲葉の右手が自身のドライブで奪い取り、エネルギーにする。そうすることにより、もう稲葉の攻撃の衝撃によってブルームが吹き飛ばされることは無い。左拳を接着したまま今度は右手を離して、今度は右拳をブルームの胸に撃ちこんだ。その衝撃は左拳が吸収し、また稲葉の身体に還元される。
ブルームはもう稲葉から離れることは出来ない。
「こんなロマンチックなセリフ、妻にも言ったことが無いぜ……!」
左拳、右拳、左拳、右拳。
ブルームは無抵抗のまま、サンドバッグのように次々と稲葉に拳を浴びせられていく。しかし稲葉の肉体もとっくの昔に限界を超えている。自身の攻撃の衝撃と、ブルームを固定するためのドライブ能力の使用に、体中の傷が開き、血が噴出していた。
「や、めろ……、これ以上、は……お前も、ただ、じゃ、す……ん、ぞ……!」
「知ってるさ」
ブルームがかすれた声で稲葉に攻撃を止めるよう忠告するも、聞く耳をもたない。
「……宍戸、聞こえているか」
突然稲葉は、インカムに対してそう問いかけた。
『あぁ、今そっちザザ向かっている、ザザザっ、少し待てッ!』
「待てないな……待てないから、お前に伝えておきたい事があるんだ……と言うよりは、お願いだな……」
『何を……』
「楓に、くまのぬいぐるみを、買ったんだ……。目をぐるぐる回してる、へんちくりんさ。もうすぐ三歳だろ。欲しいって言ってたから……買って、ラッピングして……俺の部屋のロッカーの、下の箱に入れてる」
『何の話だ!』
「渡して欲しいんだ、誕生日は、実乃梨に、訊いてくれ」
『っ、馬鹿な事をぬかすな!』
「頼んだぜ」
『おい、稲』
ブツッ、という音を最後に通信は終わる。




