約束の日
宗助の精密検査の結果は、特に異常は見当たらず、怪我は岬の手によって完治した。
医務室で身体を休めていた彼の元に隊長・稲葉が姿を見せた。岬と平山が見守る中、宗助と再度の顔合わせ。お互い無言のまま顔を見合っていたのだが……稲葉が口を開いた、その瞬間。
「あの」
宗助が稲葉の言葉を遮るように声を発した。
「これから、よろしくお願いします」
そう伝えられると、稲葉は意表を突かれたような、しかし、ほっとしたような表情を見せると、「こちらこそ、よろしく」と告げて医務室を去った。
各種手続きや入隊式、寮への引越しもあるし、隊の概要説明だとかが一通り待ち受けている予定なのだが、しばらくは安静に、との事で自宅療養となった。
準備期間を兼ねた療養期間が設けられた形であるが……宗助には、その間にしなくてはならない大切な事がある。
それは、父親との話し合い。
マシンヘッドと特別な能力の存在については、家族にさえも話すなと言われている。真相を話す訳にはいかないが、ここまで育ててくれた、たった一人の父親だ。とても感謝しているし、だからこそ、ここを離れるのだと強い想いを持っている。
宗助にもまだまだ幼い心が残っており、そんな気持ちにむず痒さもあるが、紛れも無い本心だ。だからこそ誠実に話をつけたい。
しかし、真実を話さずして、いかに話の落とし所を作るか。宗助はずっと考えているのだが、全く良いアイデアが浮かばず、時間だけが過ぎていく。
ついには、やぶれかぶれ、気持ちでぶつかるしかない、という精神論に到達した。
そして宗助は、会社から帰宅して夕食にありついている父に話を切り出した。
「なぁ、父さん」
「ん、どうした」
「俺さ。えっと。うん、その……なんだ……」
「んん?」
普段は、会社から帰ってきてすぐに息子が話しかけてくるなんてことは滅多に起こらないため、克典は宗助の真意を図りあぐねてしまう。
「なんていうか、ちょっと相談があってさ。相談って言っても、もう決めたことなんだけど」
「……なんだ、小遣いでも欲しいのか? バイト見つけるって言ってただろう。欲しいものが有るのなら給料日まで我慢して――」
「違うんだ。その、違うんだよ。小遣いじゃない」
「……じゃあなんだ。お前、大学に入ってから何かおかしいな。夜中に突然女の子を二人も連れて帰ってきたり、いきなり外泊したり」
「最近のそういうのは、謝る、ごめん。えっとその、一人暮らし。そう、一人暮らしをしようと思ってさ」
「一人暮らしぃ? そんなもん、する必要無いだろう。学校も三十分で行ける。その分家賃だとかの金も余計にかかる」
「金は全部自分で何とかする。父さん、生意気言うかもしれないけど、俺だっていつまでも子供じゃない。自分がどれだけやれるか試してみたいんだ。大げさな事を言っているつもりも無いし、俺は本気だ。明日にはもう家を出る。引越し先も決まってる。大学の費用も生活の費用も税金とかも、自分で何とかするから」
「引越し先が決まってるって、どこに。家探しなんかいつの間にしたんだ」
「それは……な、内緒」
「内緒ってお前なぁ……」
「いつか、落ち着いたらちゃんと説明するから……今は俺を信じてくれ、としか……」
「……どうしても、か」
「……どうしてもだ」
克典は、宗助の目をじっと見つめる。宗助もじっと見つめ返す。いいや、それは睨み返すと言っても良い程の、鋭い眼差しであった。そこで目をそらせば、きっと信じてもらえないという予感が宗助にはあった。その息子の眼光の鋭さに、思わず克典も圧し負けてしまう。
「お前、なんだか懐かしい顔をしているな。顔って言うより眼かな」
「眼、って……?」
「若い頃の母さんに似てる。母さんも昔っから今のお前のように、時々、突然とんでもないことを言い出す人だったな……。それでも、なんでかな、押し切られて、納得させられてしまうんだ」
しみじみとした様子で話す父親の頬は、ビールが回っているのか、ほんのりと赤い。今ここに居る宗助に、在りし日の妻・奈緒子の姿と重ねて見つめていたのかもしれない。
「正直、お前のこの突然の申し出はびっくりしたし、それと同時に、不思議だな、妙な嬉しさも感じてる。内容はどうあれ、しっかりと自分の考えを言える奴に育ったな。お前が今何を考えているかはさっぱりわからんし、どうやって生計を立てるつもりなのかも一から教えてほしい所だが」
酒のおかげか、克典は少し饒舌だった。むしろ、酒が父親の本心を引き出したのかもしれない。嘘偽りのない息子への言葉を。
「その眼が……、お母さんがな、『黙って行かせてやりなさい』って、そう言ってるんだよ。お前は、俺がこんなこと言ったら笑うかもしれないが、本当にそこにいるみたいに聞こえるんだ。お母さんの声がさ」
「……笑わないよ。別に」
克典がえらくしんみりしているので、釣られて宗助もしんみりしてしまう。
「バカ息子が。こういう時は笑ってくれたほうが恥ずかしくないんだよ」
「だから笑えないって」
「宗助にはそのへんの、そういうあれがわからんのだな」
「そういうあれって何」
父親の曖昧な物言いに対してつい苦笑いを浮かべてしまう。
「……こんな大事な話、父さんはいま酔っ払ってどうかしているんだろうけど」
克典は、視線を窓の外へとはずし、一息ついた。
「やりたいように、やってみろ。ただし中途半端は許さん。やるなら、とことんやれ。…………だけど、本当に辛くなったらいつでも帰ってきていい。あおいもお父さんも母さんも、みんなお前の味方だ、それを覚えておきなさい」
克典は、「少し大げさかな」と言って頭をぽりぽりとかいてから、グラスに残ったビールを一気に飲み干した。
「うん。……とことんやってみるよ、ありがとう」
宗助は、感謝の言葉を述べた。自分勝手な申し出を受け入れてくれた父親と、それを後押ししてくれた母親に。ちらりと見えた、棚上に飾ってある母親の写真は、今日も変わらぬ優しい笑顔を湛えていた。
*
スワロウとの約束の日が訪れた。不破に指定された待ち合わせ場所である最寄り駅のロータリー。正午の十五分前、宗助は着替えやら日用品を詰めた大きなスポーツバッグを左肩にかけ、立っていた。
「そういえば、誰が迎えに来てくれるかとか、全く聞いていないな……。お互い顔がわからないなんて事になったらどうしよう」
宗助は、できれば見知った顔の三人(不破・一文字・瀬間)の中の誰かがいいなと思ってはいたが、彼らにもそれぞれ都合があるだろうし、誰が来ようがこれから仲間になる人なのだから親睦を深めるコミュニケーションの場であると考えることにした。
賑わう駅前の喧騒の中、約束の時刻である正午まであと一分を切ろうかという頃、宗助は背後から肩をぽんぽんと叩かれた。
つい数日前肩を叩かれた事を切っ掛けに嫌な経験をしたばかりで、その記憶が蘇り少しばかり背筋に冷や汗をかいたが、振り返った先に居たのは、見る限りではフラウアのような危険人物とは程遠い朗らかな人相の人物であった。
「えっと。生方宗助さんですよね?」
宗助よりもちょうど頭ひとつ分くらい低い身長で、栗色のボブヘアーの女性。
「はい、そうですが」
「よかったー! 一分前ギリギリセーフっ!!」
その彼女は全身で喜びを表すように、両手に握りこぶしを作って身体をくねらせ、小躍りをしていた。
「いやぁ、君の写真、ちゃんと鞄にいれてきたつもりだったんだけど、忘れてきちゃって! さすがに財布に写真いれるのもなーって迷ってたらそのまま置いてきちゃったっぽいんだよね。携帯でデータに入れときゃ良かったってね。あー、でも良かった、私の記憶力の勝利」
そしてきりりと勇ましげな顔でガッツポーズ。
「はぁ……」
一人で盛り上がる彼女についていけず、リアクションに困った宗助はそんな気のない返答をしてしまう。
「あー、ゴメンゴメン。こっちの話ばっかしちゃって。まずは自己紹介。私の名前は桜庭小春。スワロウから君の事を迎えに来た、って言ったら判るよねっ。どうぞよろしくぅ!」
彼女は早口で言ってから右手を差し出した。桜庭小春と名乗る目の前の彼女が、スワロウのお迎え係らしい。
差し出された右手を握り握手を交わすと、「こちらこそ、よろしくお願いします」と応えた。




