傷だらけのつばめ 後編
宗助は、フラウアの特性をはっきりと理解していなかった。というより、知る機会がなかった。ただ、なんらかの方法でシリングの瞬間的に位置を入れ替えるドライブ能力を継承しているということだけ頭に入れていた。そしてそれは普通のドライブ能力と同じものだと考えていたのだ。
何より、その目の前の男の惨状に、油断した気持ちが心の隅にほんの僅かにあった。
「これで、終わりだ」
ためらわず、一直線に刀を振り下ろす。手首を絞り、脇へと刀を引きこむように基本に忠実な斬撃を放つ。刃は確かにフラウアの首に落ちて、肉を断っていった。そして刃が根本へ食い込もうかというその瞬間……フラウアの身体は視界から消えた。停電した時にテレビの映像がブツリと消えるように。
「え――」
急所に攻撃をすると、フラウアの意思とは関係なくシリングの入れ替わりが発動する。
フラウアは、宗助の背後へ。
一瞬の判断遅れの後、宗助はその状況を咄嗟に把握して振り返るが、その頃にはフラウアが右手刀で宗助の側頭部を狙っていた。先ほどまでのような避ける時間はなく、咄嗟に千咲の刀を手から離し、左手でフラウアの手首を掴む。フラウアの手刀は宗助のこめかみ一センチ手前で止まるが、先程までスクラップ寸前だった事が信じられない程のパワーで押し切ろうとしてくる。
力勝負に気を取られていると、今度は左手刀が襲い来る。
そちらもなんとか右手で受け止めるが……そのどちらの腕も宗助の力を凌駕しており、徐々に押し負け宗助の身体自体がゆっくりと地面へと押し潰されて行く。
「ぐっ……うぅっ……、壊れたんじゃ、なかったのか……!」
《……お、おわ、り……?》
《お、おわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわり、おわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわりおわり》
フラウアはギラついた目で宗助を見つめながら、さらににじり寄る。その行動や表情、そして放たれる音声からは、機械だということを差し引いても知性なんてものは欠片も感じられなかった。
このままでは力で押しつぶされてしまうと判断した宗助は無理やりにでもこの状況を打開するために、ドライブを使い無理やり空気で自身の腕や身体を押し返す。すさまじい量の空気が宗助の後方へ噴出され、風が広いシェルター内を縦横無尽に駆け巡る。
フラウアの左右の手首をつかむ手と腕から、みしみしと骨が軋む音が鳴り、宗助の額には汗が滲んだ。
「っ……、くっ……!!」
それでもフラウアの力に勝てず、じりじりと押されていく。負けじと更に、まるでジェットのごとく空気を吹き出すが、ジリ貧だ。その力相撲に対して宗助の限界は近かった。押し返すこともいなすことも迷い、結局出来ない。
《ドドウドド¥%ドドドドウシシシシタブブブ$ブブ##ブ、生方、ソウスゲ……!》
フラウアは口を閉じたままどこからかノイズ音声を放っている。何かを言おうとしているのか、それともただのバグった音声なのか。判断する余裕など無く、宗助はただこの状況を、力の流れを変える一手を探していた。
そして宗助は思い切って、左手だけ押し返すのをやめる。当然フラウアの右手は宗助の首を目掛けて襲いかかる。その左右のバランスが崩れた一瞬のタイミングを逃さず、宗助はフラウアと体を入れ替えるようにして回転しそのまま地面へと投げる。
力押し一辺倒だったフラウアは宗助のその動きに対処することは出来ず、背中を地面に激突させた。
宗助は少々痺れる手を振りかざして仰向けに倒れるフラウアの胴体部に向けて全力で切り裂く空気弾を放つが、それもフラウアに直撃したと思った瞬間に姿を消す。そして同じように背後に現れた。今度は宗助も先程よりは速い反応で振り返るが、腕が飛んでくると思っていた矢先にフラウアの頭突きが額を直撃する。
「ぐあっ!」
石頭ならぬ機械頭で殴打された為、当然防護していない宗助の額は大きく切れて血が吹き出す。そして衝撃は脳にまで達し、膝が笑い、足もとがふらつく。
そこに追撃でフラウアの拳が思い切り宗助の腹部にめり込んで、そして一瞬後に彼の身体は後方に吹き飛んでいた。居住区の備え付けパーテーションを幾つか吹き飛ばしながら、数メートル後方でようやく宗助の身体は止まる。
「ゴホッ……! ぅ、くっ……!」
《あははははははっはああああああああああああああああああはははは!!》
揺れる視界に気分の悪さを感じながらも顔を持ち上げフラウアを見返すと、そいつは追っては来ずにまっすぐ上を見つめながら笑い声のような音声を垂れ流している。
「……このっ……!」
頭が上手く働かず、手足も感覚がいつも通りに感じられない。膝を立てて立ち上がろうとするのだが足は震えて言う事を聞かない。
(……ま、ずい……、肋骨が、折れたか……? それよりも、頭が、考えが……)
腹部へのダメージも相当大きく、鈍った感覚の中でもそこだけが別世界に飛ばされたようにはじけるような鋭い痛みが襲う。
肺に酸素を取り入れようとするが、そのたびに脇腹あたりに激痛が走り、まともに呼吸が出来ない。ダメージ部分の患部を見ると、強化アーマーはなんとかその壁を保っていたが、衝撃は防ぎきれず内側から血液が染み出てきていた。
機械化した事により純粋なパワーが上がったとはいえ、たったの二撃で凄まじいダメージを受けてしまった。額から溢れ出た血が顔を伝って床に滴り落ちる。
(とにかく、……態勢を、整える、整えなけれ……ば……!)
痛む肋骨下あたりを右手でおさえつつ再度立ち上がろうとするが、やはり身体を起こすことすらままならず……それどころか、痛みは激しさを増して視界と思考は淀み始める。
(……殺さ、れる……このままじゃ……)
宗助の薄れていく意識が、時折感じる自分の中の「誰か」が……そう、フラウアやミラルヴァに殺されかけた時に、頭に声を響かせ身体を操っていた「誰か」が……また自分を助けてくれれば良いのに、いや、助けてくれるはずだと、現実から目を背け始めた時。
自分の方に向かって、フラウアの足がよろよろと近づいて来ているのが見えた。
《ま、まだ、生きて生きて生きて@##+####、立……って……》
こんな所で負けるなんて、死ぬだなんて受け入れたくなかった。頭にはまさに割れるような痛み、そして胸には引き裂かれるような熱が走り続ける。
妙な話だが、フラウアのパワーや攻撃自体のスピードはシェルターに突入したその時よりも格段に上がっている、と宗助は感じていた。比較する対象が少ないが、それでもかなりはっきりとその差を認識できていた。
フラウアは崩れていくのと同時に、何か内部で設定されているリミッターのようなものが取り除かれてしまったようだった。その半面戦術だとか格闘術においては型など全く無く、まるで野生動物のように獲物に一直線で躊躇がない。
宗助自身が実際に今、「自分は狩られている側」だと心の隅で感じていた。だが、この今現在、文字通り死力を尽くして、不確かなものに助けを求めるのを止めて、もう一度立ち上がらなければと身体にムチを入れる。
「負けて……、死んで、たまるか……」
倒れていった仲間や、今なお戦い続けている仲間、守りたい人、家族の事を必死で頭に巡らせて、考えて、空気を無理矢理肺に取り入れる。そして宗助はよろよろと、だが、痛みと苦しみに負けじと歯を食いしばり再び立ち上がった。
腕を伸ばせば届く位置に、宿敵が。
頭を上げてその顔を見ると、それはつい先程までの狂った笑顔ではなく、ただただ無表情であった。
先ほどまでの獰猛さはなりを潜め、脱力した様子で立っている。
その視線は宗助の事を見ているような、はたまた見ていないような……。
「……お前、もしかして……、もう、眼が……?」
宗助が息を切らしながら言いかけた時、フラウアはそれをかき消すようにゆっくりと、口を開いた。
《……あ。ボク、ボノクククbボ、ボクの、ちからはキミ$&前デ》
「……?」
《存在サエ、ザザザザザ、ア、スベテ……スデニgd敗北、シタンダ》
いちいち起こすフラウアの変な行動や乱れた言葉には既に意味など無いとわかっているのだが、つい言葉の先を待ってしまう。
《生方宗助》
するとフラウアはやけに名前だけをはっきりと発音した。
《だが、ガガガガ、こうkして、今……哀レ、な道化としてビ、死して、なお……。
………キミニハ見えてイルか?
一体、ボクラニハt、ドンナ、結末が……嗚呼》
フラウアの目尻から赤い液体が一筋流れ落ちる。
《お似合いなんだロウ、な……》
赤い液体はフラウアの輪郭を滑り落ち、顎にとどまって。しずくの一つが彼の顎から重力に従って徐々に小さく膨らんで、そしてこぼれ落ちた。
雫が地面に触れてハジけた瞬間、宗助とフラウアはそれぞれ右手を振りかぶる。
宗助の掌には無色透明の純粋な空気の渦。
フラウアの拳には赤黒い血。
ほぼ同時に矢のように放たれたそれぞれの腕はお互いに向けてまっすぐと伸びた。
圧縮された空気の弾丸が甲高い風切り音を部屋中に轟かせながらフラウアの左肩中心部を射抜き、直径五センチ程の風穴を開け、そしてその後の衝撃波でフラウアの左腕はちぎれ落ちた。
ボタボタボタ、と音を立ててフラウアの肩切断部から赤い液体が大量に床へと流れ落ちる。
宗助のそれは、渾身の一撃だった。そしてそれから、この部屋に風が吹くことはなかった。
「ガハッ!」
宗助は喉の奥から血を吐き出した。
フラウアの右拳は宗助の腹部の最中心部を捉えていて、宗助は白目を剥いて両膝が同時に床に崩れ落ち、そのままうつ伏せに倒れ。
場に、静寂が訪れた。
フラウアはただその場に立ち尽くし、顔はまっすぐ正面に向けたまま、こうこぼした。
《……、なかなかの、オ、#$皮肉じゃナいか》
その構図は、フラウアと宗助の一度目の闘いの結末に酷似していた。
似ているが、全く違う。
宗助は今から敗れようとしていて、そしてフラウアは破滅だけを感じていた。
それを皮肉と表現し、フラウアはちぎれ落ちた左腕を気にする素振りも見せず、右手の指をそれぞれ試すように数度動かし……。
《ココニ、……ドんな結末が、っhfrpダロウガ&%&トアア!》
フラウアは意味不明な言葉の羅列を叫びながら再度右腕を振りかぶり、宗助にトドメを刺すためにまっすぐ振り下ろす。気絶している宗助の手の指がぴくりと動いたが、それがどうなる訳でもなく。
そしてフラウアの右手は宗助の生命を奪い取る……前に、ピタリと止まった。
うつ伏せに倒れ動かない宗助と、その上で中腰のまま壊れたオモチャのように動きを止めたフラウア。
待っていたのは、ぴちゃん、ぴちゃん、とフラウアの左肩から溢れ出た赤い雫が床を叩くその音だけが唯一の、静の世界。
横たわるいくつかの死体。
破壊され散らばる室内備品や、床に放り出された刀。
あちこちに飛び散った赤と、それを照らす不自然に明るい照明。
フラウアの機械としての活動も、とっくの前から限界を迎えていた。
と、そこに無遠慮な侵入者がずかずかと訪れた。
「……やれやれ、信号やらが滅茶苦茶な数値データを送ってくるから何事かと、船をレオンの奴に任せて飛んできたが、予想をはるかに超えてバカをやったみたいだ……」
ブルーム側の機械技師であるラフターだった。
彼は動きを止めたフラウアに歩み寄ると、渋い顔で身体のパーツを幾つか触ると、ちぎれた左腕を拾い上げながら「全く、ここまでとなると、私にはもう直せんぞ……」と低い声で呟いた。次に倒れている宗助を見てため息を吐く。
「生方宗助か……持って帰ればブルームはお前を使って例の『実験』に取り組むだろうが……今日のところは定員オーバーだ。うむ、つくづく、お前は運にも恵まれているようだ。自信を持って良い」
そう言ってラフターは懐から黒い缶ジュースほどの大きさの筒を取り出すと、適当に空いている場所に放り投げた。それは空中でとどまり、半径一メートル程の暗黒の円が出来上がる。
ラフターがオブジェと化したフラウアを引きずりながらその黒い円の中に入ると円は収縮して二人を飲み込み、そしてその場からこつ然と姿を消した。




