反撃
エミィとロディ、それぞれが絶望に陥ったその時。乾いた音が響き渡った。それはエミィの背骨が砕かれた音ではなく……二メートルに迫ろうかという大男が、ブルームの胸部に拳をめり込ませている音だった。誰一人指一本触れることが出来なかった、その男に。
「……ぇ?」
その男の表情こそ西陽に被さって見えなかったが……、ロディはその大男から溢れる覇気と迫力で恐怖を覚え悲鳴を漏らしそうにすらなった。
そして同時に、身動きが自在になった。ブルームの能力が解除されたのだ。そのブルームはというと吹き飛ばされて地面を転がり、自身の能力で作ったアスファルトの隆起に激突。それさえを突き抜けて、そして基地の傍の茂みに転がり込んでようやく止まった。周囲に壁を作っていた砂鉄やがれきの塊は一瞬で崩れ去った。ロディは起き上がると倒れるエミィを慌てて介抱する。
「エミィ、立てるかっ!?」
「うぅ、ん……なんとか……。それより……」
エミィがうつ伏せのまま視線だけ自身の上方に向ける。そこには、二人をブルームから守るように立つ男の姿があった。その姿はまさに、威風堂々。
「……すまないが、君達はここの人間か? あまり顔に覚えがないんだが……」
男は視線をブルームの吹き飛んでいった方向に向けたまま二人に問いかけた。
「あ、い、……いえ、あの、生方さんという方に、そのっ」
「……宗助の……? ……あぁ、成程。言っていた二人組というのは、君達の事か」
「え?」
「話は後だ。自力で避難できるか? できるならすぐにこの場を離れるんだ。基地の中へ」
その男の鬼気迫る横顔にロディはごくりとつばを飲み込んで無言で頷き、エミィを仰向けにすると再び膝と背中に手を入れて両手で持ち上げた。そしてもう一度その男の背中を見る。
「心配しなくて良い。これ以上あの男をこの基地には近づけはしない。絶対にな」
背中越しにそう言われたロディは、しかしブルームの圧倒的な力も目の当たりにしているため「大丈夫なのか?」と尋ねそうになる。男はそんなロディの心情を知ってか知らずか、少し強めの語調で「早くしてくれ」とだけ言う。
「は、はいっ!」
ロディは返事をするとエミィを抱えたまま一目散に基地の中へ目掛けて走った。
*
「ねぇ、海嶋くん……」
「何」
「……どれくらい経ったかな」
「何が」
「機械がさ、全部、ダメになっちゃってから」
桜庭がか細い声で言いながら力なく指差した機械に付属するデジタル時計は正しい表示を放棄していた。個人個人の腕時計さえ正常に作動しないようだった。マシンエンジニアが機械達の中身を見ているが、異常な部分は見当たらず、どうにもお手上げなようだった。
時間の感覚を失いつつあった桜庭は、おかしくなったコンピューターの前で恐怖に押しつぶされそうになりながら、隣の海嶋に話しかけていた。
ジィーナが玄関前に出現してから、その後彼女がどうなったかわからなかった。なぜなら荒れていたカメラの映像がその後完全に役に立たなくなってしまったから。
桜庭はその最後の映像と音声を思い出す。ブルームはリルを自分の娘だと呼んだ。ジィーナはそんなブルームに向かって、自分の家族だ、と敵意をむき出しにして立ち向かった。
彼女は一体どんな気持ちであそこに飛び出したのだろうかと考えると、桜庭は涙が溢れそうになった。だから桜庭は、なんでも良いから、違う話をしておきたかった。
「……十五分くらいじゃないのか……」
「そっか……てっきり一日くらい経ったかと……」
「冗談言える余裕が羨ましいよ」
「いや、冗談じゃないんだよね……」
おまけに扉の電子ロックも故障し閉じ込められた上、外はおろか基地内の連絡も途絶え、完全にアーセナルの情報網は死んだ。十数分のそんな状態でも針のむしろのように感じていて、いつどこからブルームが侵入してくるかもわからず怯えていた。
が、成す術もなく混乱し恐怖していたオペレータールームに待望の一言が響き渡った。
「っ、電波回復しました! 通信、使えます!」
それは突然だった。
幾つかの機械は故障したままだが、不幸中の幸いで、操作不能になっていた機械類のうち、現在必要最低限のものの大半は復旧を遂げた。それと同時に、桜庭の通信機のランプが光りブザーが鳴る。
「うわわっ、っと、繋ぎます!」
慌てて桜庭がつなぐと、そこに聞き慣れた声が。
『こちら不破だ! さっきまで全く繋がらんかったが、なんかあったのか!』
「……ふ、不破さぁぁぁぁぁん……! うぇぇぇ、えぇぇ……!」
桜庭は任務中にも関わらず、不破の声を聞いて涙声で彼の名前を呼んだ。それだけこの状況が心細く、不破の声が、そして生存しているということがとてつもなく頼もしく聞こえたのだ。
『おい、どうした! マジでなんかあったのか!』
「すいません、機械の調子がすべておかしくなっちゃって……それより、ブルームが止まらないんです! もう基地の正面玄関まで来てるんですッ! 銃火器の類は一切通用しなくて、みんな簡単に殺されていって……!!」
『隊長はどうした! 戻ったんじゃねーのか!』
「まだ、確認できていません! というか、ほんと、さっきまで基地の機械の調子が急に全部おかしくなって! 隊長とも連絡が……隊長、そうだ、今なら連絡取れるかも!」
桜庭が混乱して同じことを繰り返しながらも、喋りながら単純なことに気づいたようで、振り返り秋月に稲葉への連絡を要請しようとしたところ……。
「映像機器、一部回復しました! 正面玄関の映像をモニターに回しますッ!」
叫び声と同時に、メインモニターに映像が映しだされた。
少し荒れ気味のそれには、基地の前で男が仁王立ちしていて、その傍には一組の男女が居る光景が映し出されていた。見たところ女性の方はかなり傷ついてしまっているようだったが……。それでもオペレータールームの面々はその映像をみて一斉に「おおッ!」と歓喜の叫びをあげた。
それも無理は無い。その男の姿は、もはやアーセナルの最後の希望だった。
「隊長です! 不破さん! 隊長が、戻ってきてました! 今、そこに! ブルームは……あそこに! あれ、でも、ジィーナさんは……!? それにあの二人は誰??」
『おい待て、そことかあそことか声だけで言われてもわかんねーよ!』
桜庭が不破とやりとりをしている最中、別の回線にも通信が届いた。秋月は叩くように通信ボタンを押す。
『こちらシェルタ#$連絡室! アーセナル、聞こ#ますかっ!? こちら救護班の杉本です! アーセナル! 応答願いますっ!』
ノイズ交じりで、若い女性が必死に呼びかける声がイヤホンから流れる。
「こちらアーセナル司令室の秋月です」
『やっと繋がった! 状況と情報を交換したいのですが、今の状況を教えてください!』
「残念ながら私達も今の今まで情報を遮断されていて、提供できる情報は少ないわ。ただブルームがこちらに出現していて、交戦しています。今、その戦況も確認を進めますが……状況は芳しくありません」
『そんな……』
杉本と名乗る女性はしばし言葉を失っていたようだった。だがすぐに、自分の持つ情報を共有せねばと思い直したようで、『シェルターの状況なのですが……』と始める。
『こちらは、現在原因不明ですが、封鎖したはずのシェルター出入り口が解放され、居住区に何者かの侵入の形跡が見られたため、調査中です!』
「何者かの侵入!? それで、警備の人達は!?」
『……居住区前から連絡室まで、一人も会うことが出来ませんでした……今、私の上官が居住区を調査中ですが……』
喋っている最中、バタン! と大きな音がスピーカーから流れた。
『アーセナルと連絡はとれたか!? ここを出るぞ!』
『っ、はい!?』
スピーカーの奥からそんな叫び声が届き、秋月は何事かとぎょっとする。
「どうしたんですか!?」
とマイクに向かって大きめの声で言うと、がさがさと何か動く音と、なにやらマイクが音をはっきりと拾いきれていないが、いくつかの人の喋り声が聞こえた。そしてしばらくそれが続いた後「私が出る」という声がはっきり聞こえ、スピーカーからはっきりと声が流れ始めた。
『こちら救護班の森脇だ。シェルターの第三居住区でフラウアという男が殺戮行為を行っている。数えていないが、居住区内には目に見えただけで警備兵と一般人合わせて二十から三十程の人間が殺害されていた。避難していた民間人は外へと逃げ出してしまっているらしい。現在そちらの生方という隊員がその男と戦闘に入っているが、一文字という隊員は腹部に激しい損傷を負う重傷で、救急手当をしたが当分は動くこともかなわないだろう、瀬間は身体よりも精神的なダメージが強い……、自力歩行が難しい状態だ。治療行為もできない。一刻も早く、患者たちとここを抜け出したいのだが、より安全な場所の情報が欲しい。隣の居住区も心配だ』
「…………。なんてこと……」
矢継ぎ早に語られる報告に、今度は秋月が言葉を失う番になった。閉鎖状態のシェルターだけは無事なはずだと、勝手に思い込んでいた分余計に衝撃が強かった。
「桜庭! 不破の回線をこちらに繋げ!」
一方で桜庭が一人で滅茶苦茶喋っているのに痺れを切らした雪村がそう言うと、「はっ、はい!」と言い挙動不審になりつつも雪村につなぐ。
「不破、今の状況は?」
『……はっきりと、簡潔に言うと、街は壊滅状態です。味方の戦闘部隊はもう見つけることも困難です。生き残りは街に隠れて、逃げる事に精一杯なようで……司令、俺は……自分の無力さに手と足が震えている……』
「……いや、お前は本当によくやってくれている。不破。もうお前の街での任務は中止だ。シェルターに向かってくれ」
『シェルターに?』
「シェルターに、フラウアが入り込んだ。白神と一文字は敗北した。一文字は死んではいないが重傷だ、白神は……連絡がない。今は、生方が食い止めているようだが……」
『…………了解。これより市街地任務を中止しシェルターに向かう』
「迎えは出してやれんが、出来る限り急いでくれ……!」
『ええ。どんな手を使ってでも』
*
シェルター内の医務室に運び込まれた千咲は、腹部を襲う激しい痛みと傷の炎症による発熱に苦しめられながら、微かな意識の中で今の状況を把握しようとしていた。
(フラウアと、宗助と、そして……)
僅かに瞼を持ち上げて左に目をやると、苦しそうな顔で横たわっている岬の姿。聞いた話では白神と宗助がフラウアを止めるためにこちらへと戻ってきていた筈だった。だが、駆けつけたのは宗助だけで白神の姿は無かった。
『もうこの世には居ない』
フラウアの言葉に嘘はなかったのだろうかと考えた。もし真実を語ったのであれば……。
(そんなの、そんなのって……)
現実感のない状況と、現実的過ぎる腹部の激痛。気を失っている間に何か薬を打ってもらったのだろうか、傷を与えられた時に比べれば格段に気分は楽だったが……。千咲はそれらから逃れるように身じろぎして、やはり逃れられない痛みと悲しみに小さくうめき声をもらした。だが、自身の痛みよりももっと憂う事がある。
(このままじゃあ、……このままじゃ、みんな殺されてしまう……!)
相当強い薬を打たれたらしく、千咲の身体は彼女の脳が発する命令を殆ど聞こうとしない。
(この場所を……、こんな事態のために居たはずなのに……私は……)
両目から涙が溢れても、それを拭うために腕を動かすことすらかなわない。




