理屈じゃない
エミィは目の前の敵が繰り出すそれに気圧され、そして敗北を想像してしまったのか、か細い声で「コウスケさん……」と自分の中に居るヒーローの名前をつぶやいた。ブルームは更にエミィに近づく。
巨大な黒い塊は四つに裂けて、そしてそれぞれが凄まじい速度でエミィへと降り注いだ。
「うわあああああッ!!」
エミィはヤケクソに叫んで、出来る限りの最大出力で電流を生み出しブルームの創り出す磁場を狂わせその塊の統率を崩そうと試みる。が、ブルームの与える磁力は半永久的で、一度狂わせた所でエミィの電雷に因る干渉から外れると再びブルームのコントロール下に入り、襲い来る。はじききれないと判断したエミィは素早く後方に跳び、そして走って逃げつつ背後から襲い来る黒い塊に電撃を放ち少しでもその塊の体積を削ろうと試みる。
しかしそれは、焼け石に水という言葉がよく当てはまった。
ほんの少し削った所でブルームは次から次へと砂鉄や鉄片・石や岩を巻き上げて合流させる。完全にブルームの生み出す磁場の外に逃げない限り、ブルームの創りあげたそれを崩すことは出来ない。
押しつぶされるか、もしくは砂鉄などを高速で走らせる事によって鋭利な刃物に仕立て上げ全身を切り刻まれるか。ブルーム本体に近づかれすぎても、ジィーナのように無条件で制圧されてしまうだろう。
逃げることに気を取られていたエミィは、黒い塊の中から射出されたボルトをはじききることが出来ず、両足のふくらはぎにそれぞれ流れ弾が撃ち込まれてしまう。
「いっ!」
悲鳴を上げてエミィはその場で転んだ。運良く大きな血管へのダメージは避けたようだが、それでもどくどくと鮮血が溢れだす。それほど命を懸けた戦いに慣れていない彼女は、それだけですぐに自身の死がとても身近なもののように感じられて、今更恐怖がこみ上げてきた。
混乱寸前の彼女の耳に声が届く。
「エミィ!」
戻ってきたロディが地面に倒れる彼女の名前を叫びながら駆ける。
「こっちだ、この野郎!」
ロディはブルームの気を引こうと啖呵を切るが、ブルームは彼の姿を確認すると「良く戻ってきた」と小さく呟いた。それは誰に対する言葉でもなく独り言だったのだろうが、ロディの耳はその音を拾っていた。
「っ、舐めやがって!」
情報屋とでも思われているのだろうか、ロディはその呟きに腹を立てたが、絶体絶命のエミィを何とかするのが先だと自分に言い聞かせ、地面に倒れながらも必死で攻撃をいなしている彼女に向かって走る。
しかし、彼女のところへ辿り着いたところであのブルームの攻撃への対策は何も思いつかない。それどころかブルームの作り出すそれはどんどん巨大化しているように感じる。
(……逃げるしかないのか……。いや、逃げる事ができるのか)
対話も、実力行使も、てんで通じる相手ではなかった。ロディは倒れるエミィのもとへ辿り着いた。
「エミィっ、足をやられたのか」
「ロディ……ごめん……」
ロディは彼女をジィーナと同じように両腕で持ち上げて走りだす。その彼の口から漏れたのは、弱々しいセリフだった。
「……もう、喋るしかない……」
「え?」
「リルちゃんのことだよ……じゃなきゃ、俺達も室長探しどころじゃなくなる……」
「で、でもっ……」
次の瞬間二人の足場のアスファルトに大きな亀裂が入り、凄まじい勢いで隆起する。ロディはバランスを崩しその場で盛大に転んでしまい、腕に抱えられていたエミィは放り出されそのまま地面に右肩からたたきつけられた。
「ご、ごめんっ!」
痛みに顔をしかめるエミィにロディは慌てて起き上がり駆け寄る。エミィは「大丈夫」と言うが、彼女の肩の部分は服が擦れて破け、そこからも血がにじみ出ていた。
「クソっ、甘かった……無策すぎだったんだ……」
目の前で横たわり痛みに顔を歪める彼女を目の当たりにしてロディは悔しそうに呟く。二人はブルームに対して、もう少し人間らしさが有る相手だと考えていたのだが、予想は大外れだった。そしてこの男の持つ力は、想像を遥かに超えて強大だった。リルの声を使って気を逸らす事も、もう通用しないだろう。
だが、ブルームはその気になればいつだって自分達を簡単に殺せるだろうに、それをしないのは、余裕か、やはり娘の居場所を聞き出したいという気持ちが有るからなのか、とロディは考える。
(もしも、ブルームが僕らにまだ利用価値を感じてくれているのなら、そこだけが生き残るチャンスだ……)
だから。やはりこれしかないだろうと、ロディはもう一度エミィに言う。
「リルちゃんのところへ、案内するんだ……あいつを。もう、無理だ。いろいろと」
「…………嫌だよ、そんなの……!」
「なんでだよっ、普通に考えろ! 下手に隠したり嘘をつくよりも、それが一番、俺達にとっても、ここの人達にとっても、生方さんにとっても、穏便に済む筈だ。これ以上隠せばこの人は俺達を拷問して、ダメならこの基地の中の人達も拷問して、リルちゃんを見つけるまで殺していくに違いない……! もう増援の兵隊も来ないって事は、ここにあの男を止められる戦力はないんだ……! そして、あの男からもう情報を聞き出せるとも思えない!」
ロディは言ってから振り返ると、ブルームと黒い塊が彼らの背後五メートル程まで近寄ってきていた。基地の出入口はすぐ目の前。
「僕達が命を懸けてここで闘う理由は何だ……! 僕達の目標はこの人を倒す事じゃない、室長を探し出す事じゃないのか!? 真実を手に入れて、一緒に故郷に帰るんだ!」
ロディはエミィの両肩を持って彼女を諭す。
ロディは彼女の瞳を見て、そして長年の付き合いもあいまってエミィの心情が理解できた。エミィはブルームという男の要求を呑むことを、大げさでなく、死よりも厭っていると。
「……ロディは、いつだって、理論的だよね」
「こんな時に理論的も何もあるか! そうしないと殺されるだけだ!」
「私は……、私はあのリルちゃんやジィーナさんとも面識はないし、……ロディの言う通り、今ここで命を懸ける理由なんてない」
「その通りだっ。わかってるんだったら――」
「でもっ! もし室長だったら、絶対にあの人の事を放っておかない思う……! 簡単に人を傷つけて、命を踏みにじって、平気な顔をしてる人を! 私の知ってる室長はそういう人だよ。悪い人は絶対に見逃さない。すごく強くて絶対に負けない。だから私達、憧れたんだよね」
「エミィ……」
「私は、あんな人殺しの手助けをするためにここに来たんじゃない。それで室長に会えたとしてもきっと、素直に笑えないよ」
エミィはそう言って、足から血を流しながらも立ち上がる。
「お、おい……!」
「まだ、まだ。ロディは、電気喰らわないように、わたしの後ろにいてよ」
ブルームは、未だに立ち向かおうとしてくるその女に完全に見切りをつけたようで、塊を更に膨らませて数えきれないほどに裂き、まるで人の肋骨模型を創るように様々な方向から幾つもの磁力の塊をエミィとロディにめがけて撃つ。
エミィも負けじと凄まじい量の放電を行い、空気を震わせ爆発音かと間違えるほどの放電音を放ちながらそれらを撃ち弾いていく。
日も暮れかけだが、彼女の電撃は辺りを真昼であるかのように明るく照らし、砕けた瓦礫や弾かれた金属片が周囲を舞う。エミィは歯を食いしばって放電を続け身を守り、そして隙を見てはブルームにも攻撃を放つ。
だが、その攻防も終わりが訪れた。
エミィとロディは突然自身の身体が急激に重たくなったのを感じた。足を負傷しているエミィは当然、ロディも耐え切れず地面に倒れ、二人は縛り付けられたように微動だにできなくなってしまった。
「う、うぅ……!」
ブルームが二人に対して直接磁力を与えられる圏内に立ち入ったのだ。体全体がプレスで押しつぶされているような感覚に、二人は指を僅かに動かす程度しかできなくなっていた。ひれ伏す二人のすぐ頭上にブルームが立つ。
「遊びは終わりだ。三秒、最後のチャンスをやる。喋るか死か、どちらか選べ」
「言う、案内するよッ!」
すかさずロディが叫ぶ。
「ロディっ!」
エミィがこの期に及んでも非難の色を含んだ声で彼の名前を呼ぶ。
「死ぬよりマシだっ!」
ロディが言い返すと「うぅ……」とエミィは悔しそうに呻く。彼女の目尻から次々と涙がこぼれた。ロディはただただ力に負けてブルームの磁力の言いなりになっている。エミィの闘う意志も無視したように思えた。
だが実情はというと……。
ロディはエミィの言う通り理論的な男だ。正攻法ではどうひっくり返ろうが勝てる見込みはない現状。エミィのような戦闘能力の優れた人間でさえ手も足も出ないのに、直接的な攻撃力が無い彼のドライブでは、歯向かったところでアリがシャチに挑むようなものだ。
しかしロディは、自分達が探し求める人へのヒントを持つ人間を二人も見つけたこの好機をおめおめと逃したくないとも考えていた。
物理的な攻撃はすべて強力な磁力により逸らされてしまう。ブルームに到達する攻撃はこの世に無いのではないかとすら思ったが、自身の持つ『音』は別だと確信を持っていた。なぜなら、先程リルの声は確かに届いたからだ。
隙を見て、ブルームの鼓膜に直接持てる限りのありとあらゆる爆発的な音を叩き込む。気絶とまではいかずとも、一時的に昏倒させる事位は出来るのではないかと。そうすれば、エミィの強力な電撃で一気に戦闘不能に陥れることが出来るのではないかと。
そんな考えの上で。
「案内するから、ドライブを解除してくれ……!!」
「口で居場所を言え。案内は要らない」
「ぼっ、僕らは、ここの人間じゃない。今日たまたま居ただけ。部屋の名前だとかは覚えていないんだ……! 口では案内できない……!」
ロディが声を絞り出すと、それを受けたブルームは数秒黙り込んだ。そして。
「ならば、案内を頼もうか。君にな」
「――……、あぁ、だから」
「だから、君の仲間は再起不能になってもらう」
「え?」
ブルームは倒れるエミィに身体を向け、足を彼女の腰・背骨の上に乗せた。
「これ以上、余計な邪魔をできないようにな」
「や、やめろっ! もう僕らに抵抗するつもりはないっ!」
予想外の展開にロディは焦り、ブルームに次の行動をやめるように乞う。ロディの音のドライブは既に彼女の背骨が凄まじい悲鳴を上げている事を感知していた。エミィの表情は見ていられないほど歪んでいて、口をパクパクさせながら凄まじい圧迫感に声にならない声を喉の奥から漏らしている。
「っ……! ぁ、っ……!」
「エミィ……! くそ、やめてくれっ! やるなら俺をやれ! エミィをこれ以上傷つけるなら、案内はもうしないぞッ!」
「すぐに案内したくなるさ」
ロディは懇願しながらブルームの顔を見た時、自分の心が奥底から冷たくなっていくのを感じた。人が人を傷つける時、これ程までに怒り憎しみ、楽しみさえ、何の感情も見せずにただ淡々といられるものなのかと。ただ目の前の人間を半身不随にしようとしている。
ロディは自身を縛る磁力に逆らって立ち上がろうとするが、いくら力もうがやはりその力にはひれ伏すのみだった。
(室長……! 俺はなんて無力なんだ……! 目の前で仲間が破壊されていくのを見ている事しかできないのか!)
ロディは歯を食いしばりながら、悔しさの余り涙をこぼした。そして戦場に飛び出したことは浅はかな考えだったと後悔した。今までいくつもの困難を乗り越えてきたことによる半端な自信は、この場ではただの過信だったのだと。
(誰でも良い、だれか、こいつを止めてくれ、もう今は、それ以上望まない!)
ロディは祈った。が、誰も助けてなどくれはしない事はもう理解していた。激痛にあえぐエミィと一瞬目があった。
「エミィ、すまない……すまない……!」
ロディは、彼女の背骨がこのまま砕かれたなら、もう自分はこの男の言いなりにはならないと覚悟し……。そして二人は、『自分たちの旅はここで終わりだ』と絶望した。




