忍び寄る過去 4
三名は居住区に踏み込み、慎重に周辺を伺い進みながら、小声で会話を交わしていた。
「つまり。この区画に保護されていた民間人はほぼ外へと流れでてしまった、と」
「あぁ。他の区画までは見てねぇからはっきりとは言い切れないけどな。っていうか、あんたらは中にいて気づかなかったのか?」
「そう言われてしまうと痛いところだが……そう言ったケースも当然想定していて、見張りの兵隊が非常ベルを鳴らす手はずになっていたのだが……混乱と恐怖に役割を忘れてしまったか。しかし、酷いな……」
横たわる惨たらしい死体を見て、衛生兵の一人が顔をしかめつぶやいた。
「まるで、何か……自分の存在だとか力を……、知らしめようとするような……そんな、必要以上の殺傷のように感じる……」
その時、部屋の奥から地鳴りのような「フラウア」という叫び声が聞こえてきた。康太は目を見開いて、「宗助の声だ!」と言って居住区の通路を駆ける。
「なっ、おい、君!」
康太の突然の疾走に衛生兵二人は驚きつつも、その後を追う。通路の先へ、宗助の声がした方向へと駆けて行く。横たわるいくつもの死体を通り過ぎ、血だまりを踏みしめ、走った。その先――康太は目に入ってきた光景に思わず足を止めて、そして全身に鳥肌が立つのを感じていた。
「あっ、ぁあ……う、……!」
康太は戦慄の表情で、歯をカチカチ鳴らし、身体を震わせる。覚悟は決めた筈だったのに、恐怖と絶望が蘇る。追い付いてきた衛生兵二人も康太の後ろで立ち止まった。
「あ、あいつだ……! やっぱりっ! 俺の部隊を全滅させた……!」
白髪や両手両足をどす黒い血に染め不敵な笑みを浮かべる男。そしてその男の視線はピタリと目の前の男・生方宗助を捉え続けている。康太はそんな中、宗助に目立ったダメージが見られないことに安堵も感じていた。
「宗助、良かっ――「その二人を連れて逃げろッ!」
宗助はすさまじい声量で叫んだ。叫びというよりは怒鳴り声だった。何のことかと視線を少し彷徨わせると、すぐにその言葉の意味がわかった。二人というのは、少し離れた場所にうずくまっている岬と千咲の事だ。
「えっ!? ……あ、おっ、おうっ!!」
宗助の醸し出す剣幕さに康太と衛生兵二人は戸惑いつつも、うずくまる千咲と岬に駆け寄る。ここにとどまった所で戦力にならないことは、悔しさを覚えつつも理解はしていた。
千咲には衛生兵二人が、岬には康太が駆け寄る。
「おい、あんた、大丈夫かっ!? 何処を怪我してる? とにかくここを離れないと……」
康太が早口に話しかけたが、岬は返事をしない。
「こっちは、生きてはいるがかなりの重傷だ、早く傷を塞がなければ……!」
衛生兵二人が千咲を一目見て言う。
「マジか……!」
すると岬はゆっくりと立ち上がって、千咲の方へふらふらと歩み寄る。
「お、おい……!」
岬の表情は髪の毛で隠れていて康太からはよく見ることが出来ない。彼女は千咲のそばに座ると、彼女の傷口に手をかざす。康太は、直に見ることは無かったが彼女は宗助と同じく不思議な力を持っていて、傷をまたたく間に治してしまうことを思い出した。
しかし。千咲の傷は何秒経っても治ることはなかった。
「……あ、れ……?」
岬はかすれた声で呟きながら、再度彼女の腹部に手をかざす。康太には、その手がぼんやりと光っているようには見えたが、千咲の傷は塞がらない。
「なん、で……?」
見かねた康太が千咲に駆け寄り身体を仰向けにさせて肩と膝裏それぞれに腕を入れて軽々持ち上げ、衛生兵二人に「とりあえずここから離れるぞ、手当はそれからだ!」と言う。
「了解!」
衛生兵は岬を護るように腕で彼女の背中を覆い、先へと歩くよう促す。岬は押されるままに足をよろよろと進めるが、彼女の表情は相変わらず前髪で半分隠れていて伺うことは出来ず……、それでも頬にははっきりと幾つもの涙のあとがあった。
康太は再度ちらりと宗助を見て、そして元来た道を戻り始める。
ここに居ても、自分は戦力にはなれない。自分に出来ることをしなければならない。
「そ……ぅ……す、け……、……」
千咲の蚊の鳴くような声を最後に、静寂が訪れた。その空間に立つ者は宗助とフラウアだけになった。睨み合ったままじっと構え、立つ。フラウアが、相変わらずのノイズ交じりの声でその静寂を破った。
《心配せズとも君に出会エた今、奴¥には、もウ興味は無いのだがな》
「いつ汚い手に出られるか、わかったもんじゃないからな」
《成程》
フラウアは嗤う。
《それにしても。もっと早く、僕ニ到達しテ##ると思ったんだがな。死体ヲ見て、ピンとコなかったか?》
「死体……?」
《街中に捨て置イタ死体ダヨ。君ガ僕にしたヨウに、右手と右足をちぎり、心臓部を抉りとって――》
瞬間。フラウアに再び爆風が押し寄せた。それ以上は喋らせないと言わんばかりに。フラウアの髪や服が激しくなびき、その風圧に少し目を細めて腕を顔の前にかざす。一秒して風は吹き止んだ。
《フフ。準備は万端のよウだな。そろそろ始めルか》
宗助は歩幅を少しだけ広げ、フラウアは両手のすべての指を、動作を確かめるように何度か曲げ伸ばしする。
《きっと、これガ最後さ》
*
アーセナル、正面玄関前広場。
アスファルトの床は砕け、幾つもの機械片や大小の瓦礫がそこかしこに散らばり、あちこちが水浸しになっている。
小さな虹が薄く浮かぶ。東の空に、少しずつ紺色が混じり始めた。
ジィーナは完全にブルームの能力によって制圧され、うつ伏せの状態で立ち上がれない。彼女の膝裏はブルームの足によって踏みしめられて、ミシミシと骨が軋む音が小さく鳴っていた。
「リルはどこだ。この場所に居るのか?」
ジィーナはブルームの質問には応えず顔をしかめて黙って痛みに耐える。
「……黙って押し通すつもりか? 答えなければ膝を砕くぞ」
加害者であるブルームは表情一つ変えることは無い。他人を傷つけるという事に、この男には躊躇いが無いのだ。すると、そこに。
「その人から、足をどけてください!」
凛とした声が広場に響いた。ブルームが視線だけちらりと声のした方へと向ける。その声の発生源であるアーセナルの正面玄関に立っていたのは、エミィだった。
「……」
ブルームは表情を崩さず、エミィを値踏みするようにじっと見ている。当然彼女の「やめろ」という命令には従わない。目の前の男の冷酷冷静な態度に、エミィはじくじくと身体中を針で突かれているような圧迫感を感じていたが、ここに踊り出た以上すごすごと引き下がるわけにはいかないと、ずいと一歩前へと歩み出る。
「ならば、君が私の質問に答えてくれるのか?」
「足をどけなさいっ!」
エミィはたまらず強い口調で言う。その瞬間、バキバキッという鈍く乾いた音と、一瞬遅れて
「っ、あああぁぁぁあああぁぁあっあっ!!」
ジィーナの悲鳴が響いた。ブルームの足がジィーナの膝を踏み砕いたのだ。エミィはそれを見て強く唇を噛み、顔を紅潮させ叫んだ。
「っ、答えるからっ! どけてッ!!」
ジィーナの目尻には涙が浮かんでいた。歯を食いしばりながらうめき声をあげて痛みに耐えている。そこでようやくブルームはジィーナから足をどけた。
「ならば――」
『おとうさん』
今まで顔色一つ変えなかったブルームが、突然その声が聞こえた途端血相を変えて声のした方へと振り向いた。しかし、ブルームが振り向いた先にはだだっ広い、床がところどころめくれ上がった殺伐とした広場のみ。
「……っ!?」
その瞬間、エミィは身体がふっと軽くなったように感じた。
周囲を見回しながら混乱しているブルームをしり目に、いつのまにやらロディがジィーナを担ぎあげてブルームから遠ざけていた。
「……。……そうか、今の声はドライブか。音を操る……」
ブルームは一瞬でその状況を理解したようで、そう呟いて、しかしロディに対して追撃だとかはせず、追おうとすらしなかった。冷たく鋭い視線は再びエミィへ向けられる。つかの間の隙だった。再び両肩にずしりと重たい空気が付き纏い始める。
「私は娘の居場所さえ知ることができればなんでも良いのだ。君が教えてくれるのか? さっきの彼には、名前は知らないが感謝する。君達が私のことを、そして娘の居場所を知っていて、近くにいる事を決定づけた」
「残念ですが……。私はあなたに、そんな話をするためにここに来たわけじゃありません」
エミィが言った瞬間、小さなねじが彼女の足元に凄まじい速度で飛来し、アスファルトを穿つ。エミィはそれでも一歩も退かなかった。
「そんな脅しにビビると思ってるんですか?」
エミィは不自然に口角をあげて余裕ぶってみせた。
『エミィ、とりあえずジィーナさんは隔離した! 今から戻る! 無事でいてくれ!』
エミィの耳元でロディの声がした。
一瞬でブルームには看破されていたが、ロディの能力は音を操る事。リルの声も、避難所で『録音』していたのだ。彼女の耳元に、まるでトランシーバーのように声を届けた。送信専用であるが。それを聞いたエミィはふぅっと息を吐き、そして再び息を吸い込んだ。
「コウスケ・レッドウェイ!」
エミィが大声でその名前を叫ぶと、ブルームはほんの少し目を細めた。
「あなたの義理の兄の名前です。知らない筈はありませんよね、『ブルーム副所長』」
「それがどうした」
「……交換条件です。コウスケさんについて、知っている事を教えてください……! 何があって『こちら』に来ているのか、今どこにいるのか! そうすれば、……私も、あなたに有益な情報を教えましょう」
「それで交換条件のつもりなのか?」
「ぐっ……」
「君達がどこから来て、義兄とどういう関係なのかは知らないが………奴の事は追うだけ無駄だ。もうこの世にはいない」
「……ぇ?」
「さぁ、教えてもらうぞ、有益な情報とやらを。娘の居場所をな……!」
ブルームは力強く一歩前に進む。その瞬間、エミィの指先からブルームに向かって激しい雷光が走る。だがそれはブルームには逸れて当たらず、白煙だけが辺りに立ち込めた。
「う、嘘っ! そんな、その場任せのくだらないウソをっ!」
「嘘をつく理由がない」
「嘘だ、ウソだっ! くだらない嘘で、私を動揺させ油断させようとっ!」
「無駄な時間を使わせるな」
金属片がまたエミィに向けて飛ばされたが、エミィの太腿の前で激しい火花が散りそれは進路を変えて後方に吹き飛んでいった。
「あなたのドライブは私にはもうお見通しですッ! そう簡単にやられません!!」
ブルームはそれ以上喋らず、エミィへと向かって歩き始めた。
「そしてっ、その程度の情報じゃあ、私はあなたに教えない!」
「交換条件と言い出したのはお前の方だ」
「……ッ! 私は、まだっ、納得のいく答えをもらっていません!」
今度は複数の金属片が同時にエミィへ向かって発射される。
そのブルームの超高速はじき攻撃が襲いくるたびに電撃で進路をそらしたり撃ち落としたり……そんな攻防を数度繰り返す。
「この世に居ない……死んだって事……!? 私はっ、あの室長がそんな簡単に死ぬなんて絶対に信じない……! やっとここまでたどり着いたんだから……手がかりらしい手がかりを見つけたんだから……!」
エミィは自分に言い聞かせるように呟くと、目の前のブルームを睨みつける。
「もういい」
「え?」
「排除する。この程度の建物、探せば一時間もかかるまい」
「く……!」
ブルームの冷酷な視線が今まで以上に鋭くエミィを突き刺すと、エミィはついに半歩後ずさる。先程ブルームに対して能力はお見通しだと言った通り、彼女は自分の電撃がブルームに当たらず逸れてしまう理由を肌で理解していた。そして理解したからこそ、彼女の明晰な頭脳は、「絶対にこの男に、これ以上近づかれてはならない」と何度も警鐘を鳴らしていた。
幾つもの死角からの銃撃だろうが激しい爆風や飛来物だろうが進路を捻じ曲げるそのブルームの能力の正体は、それと考えるのが妥当だとエミィは考えた。
「磁力……触れるなんてもんじゃない、人だろうが物だろうが、近づくもの全てに磁力を与え、思うままに反発させ、引き寄せて……」
「知った所でどうにもなるまい」
ブルームは周囲の鉄片から地面に埋れる砂だとかアスファルト片まで、全てに磁力を与え引き寄せて集めて、巨大な黒い塊を作り上げていた。
「君の電気ですべて防いでみるか? 無理だと思うがな」




