忍び寄る過去 1
「お、おい宗助、無理だって……」
康太が宗助に声をかけるが、宗助はとりつく島もない。
シェルターの扉を『見えない力』で無言のままひたすら激しく攻撃し続ける宗助の気迫に康太は気圧されつつも、それが意味の無い行為だとは素人目で見てもわかることで、宗助の鬼気迫る背中を見ながらおろおろとしていた。扉には無数のひっかき傷やへこみができており、シェルターの扉に対して生身でこんなことができる人間が居るのかと恐れながら。
「だいたい、この扉をなんとかしてこじ開けられたとして、中に敵がいるとは限らないだろ? 完全に封鎖されてるのにどうやって入ったって言うんだよ。それで敵が近くで開くのをじっと待ってたりしたらどうするんだ、それこそ敵の思うつぼだろ! 中の様子を何とかして確かめてからでも……」
「無線も携帯も繋がらないから本部に確認が取れない……中の様子を知る方法は無い」
ようやく宗助は攻撃の手を止めて、唸るように言った。
「何かねぇのかよ……あるだろ、えっと……」
「フラウアの狙いは俺だ。もし奴が中に侵入していたとして、または外に居たとしても、俺が目の前に行けば奴の殺戮は止まる。いいや、止める」
「それでも、あんな化け物相手に……。宗助……俺はお前のその、ドライブだっけ。それをよくは知らねぇけど……アイツに殺されかけた時の事ははっきりと思い出せる。あんな奴まともに相手してたら、命がいくらあっても足りねぇよ……」
言葉を選びながらも、康太は宗助のことを思って語りかける。宗助のその言動は、自己犠牲の精神にあふれているように感じたからだ。果たしてそれは正しいことなのかと、康太の中に疑問がある。
「……そうだな……。俺の仲間も、ヤツにやられた。あの人が負けるのなら、俺が行った所で果たして勝てるのかわからない……正直、自信は無い」
「だったら、そいつが宗助を狙ってるからって、馬鹿正直に囮みたいなことする必要ねぇだろ……! 俺だって、仲間を殺された! あんな奴ほったらかしにしとくなんて許せねぇ! けど!」
「中に家族がいるかもしれないんだ。きっと居る。……大事な仲間もいる。ちょっとした言葉の食い違いで喧嘩して、仲直りできず、話したい事があるって、約束したままだ……。一度でいい、もう一度顔を見ることができれば……それで十分だと思う。康太の言う通り、フラウアは中に居なかったとしても……」
姿勢は曲げず、ただ独り言のようにつぶやく宗助に、康太はこれ以上何と返してよいのかわからずしゅんとして耳だけを傾けていた。
宗助も話している間に少し冷静になって、この扉は力づくでは破壊することは出来ないと悟った。むしろ止まるのが遅すぎるくらいだ。
そうなると無線の回復を待ち本部に連絡を取るか、なんとかして内部に直接連絡を取るか。
どちらの方法を取るにしても宗助は有効な手立てを持っておらず……。本部に戻ろうにも生身の足だけでは往復に一時間はかかってしまうだろう。それではもう何もかも手遅れだ。
「開けゴマ、なんて言ったら開いてくれるのか?」
完全に参ってしまい、そんなくだらないことを小声で呟いたその時。
「っ!?」
何の前触れもなく、宗助の目の前の扉が静かにゆっくりと動き始めたのだ。康太も、こじ開けようとしていた宗助でさえもぎょっとした。
「嘘だろ……?」
呆けて見ていると、中から雪崩のように人が駆け出してきた。宗助と康太はあっという間に人の波にもまれ弾かれ、もみくちゃになってしまった。
「な、なんだこれ! 何が起きた!?」
康太が押し合いへし合いの中混乱して叫び宗助を見ると、宗助も必死で人の波に逆らっていた。まるで福男レースのような人の濁流。その流れに逆らうことも出来ず二人はなんとか横へ横へと移動し、人の波から脱出することが出来た。
「ぶはっ、中から扉が開けられたのか!?」
「わからないけど、皆何かから逃げてるみたいだ! 逃げろと叫んでる人が何人も居た!」
「やっぱりフラウアってヤツが、中に入ったのか!?」
「確認しに行く!」
そう言って宗助は再び人の波に自ら飲み込まれに走り始める。
「あ、おい宗助、ちょっと、俺も行く!」
康太もその後に続く。
開いた直後に比べると人波の密度はまばらになりつつある。シェルターを飛び出し駆ける人間たちは好き好きに散らばり、各々の信じる安全そうなルートを駆け抜けていく。本来なら、理由がどうであろうとそういった人々を落ち着かせるのが宗助や康太の役割だったのかもしれないが……数が数だけにもはや個人の力ではどうしようも無い状況になってしまっていた。原因を取り除くしか、この混乱を収める方法はない。
しかし宗助の頭にはそんな思考は殆ど無くて、ただただ……中に居た仲間や家族の事だけを思っていた。
*
市街地の宍戸とミラルヴァの戦闘は佳境を迎えていた。ミラルヴァが拳を振るたびに街の形が変わっていく。アスファルトの地面は割れて激しくめくれ上がり、木々は折れオブジェは粉砕された。
宍戸が、その原因であるミラルヴァの攻撃を冷静に避けつつ効果的な反撃を行う。そんなやり取りが、もう何度繰り返されただろうか。ミラルヴァが正面から突撃し、そのまま正攻法で突きかと見せかけて軸足を踏み込みぐるりと体を横に回転させて右拳の裏拳を宍戸の側頭部にめがけて放つ。
宍戸は意表を突かれながらも上半身を反らしてかわす。そしてミラルヴァはさらに踏み込み今度はジャブを右と左で一発ずつ。宍戸はそれらを見極め、正面からではなくそれぞれ手首を払いのけることによっていなし、がら空きになった顔面に素早く軽打を打ち込む。
見事直撃するがミラルヴァにはダメージにならず、お返しとばかりに左足が宍戸の脇腹めがけ打ち上げられる。
それすらも宍戸は読んでいた。彼の足元に落ちていたロープが突然浮き上がりミラルヴァの足に巻き付いた。ただの合成繊維で作られたロープだが、宍戸のコントロール下に置かれていることでそれは空中で鋼の拘束具のような働きをする。
宍戸は間髪入れずに、すさまじい速度でミラルヴァを縄ごと彼の後方へと吹き飛ばし、大型の乗用車に叩きつける。フロントガラスを大破しそのままミラルヴァの巨体を運転席にねじ込み、宍戸は拳銃を抜いて六発の追撃弾を車のエンジン部やオイルタンクに撃ち込みミラルヴァもろとも爆発させた。
「少しくらい、ゆっくりしといてくれ」
そこでようやく一息ついて、独り言を言う。
宍戸はこの戦闘の中で、今まで一度も到達した事が無い研ぎ澄まされた感覚が自身に舞い降りている事に若干の高揚感を感じていた。戦闘時に集中力を跳ね上げるのは基本的なメンタルコントロールの技術として持っているのだが、それすら圧倒的に凌駕する集中力を現在、宍戸は手に入れていた。
飛び散る汗の一粒一粒が見分けられ、チリの一つ一つでさえコントロールできそうな程漲るドライブ能力への自信、攻撃を加えた時外した時、攻撃をされた時かわした後、次にするべき動きをすべて正確に体が反応してくれる。
そしてそんな状態になって初めて、ミラルヴァという男と対等に渡り合えているという状態を理解して、そして相対している敵への恐ろしさを改めて感じていた。
目の前を灰色に染める燻煙から、ミラルヴァがゆっくりと姿を現した。
衣服は所々焼け焦げているが、肉体のほうには期待していた程のダメージは受けていないようであった。どうやらギリギリで爆発から脱出してダメージを最小限にとどめたらしい。
「……」
宍戸は珍しく露骨に嫌悪感を表した表情で舌打ちをする。そんな彼を見たミラルヴァは対称的に薄ら笑いを浮かべている。
「いい加減何か喋ったらどうだ、ミラルヴァ。理由も告げずに暴れ回られるのはたくさんだ」
宍戸は苛立ちを隠さない表情のまま問いかける。するとミラルヴァは。
「……リル」
「リル?」
「宍戸。お前はあの子がどういう存在か知っているか?」
「……あのガキがどうした」
「あの子は、ブルームの娘だ」
「……何を喋るかと思えば」
「信じるか、信じないか? どちらでも構わない。何の因果か、あの子はお前たちの手元に居た。ブルームの奴がずっと探し求めていた家族の破片がな」
「破片……?」
「大量のシーカー共も、フラウアも、自分も……結局は奴が娘を迎えに行くまでの壮大な囮というだけの話。安っぽ過ぎて、お陰で……お前との勝負が実に楽しいものになっている」
宍戸は警戒を解かないまま、ミラルヴァとの会話を続ける。
「食い違った点は多く有るが……つまり、あのガキと女を昼夜問わず付け狙う輩は、お前らの手先だったって訳だ」
「残念だがそれはハズレだ。あの子を付け狙う輩は別に居る」
「別? ならば、あんなガキを捕まえるのに眼の色変えて、どうするつもりだ? そいつらは」
「金だ。莫大な金が手に入る」
「ボロアパート住まいの十歳そこらのガキがか。ブルームが身代金を払うとも思えんが」
宍戸の軽口にミラルヴァは少しにやりとして、そしてこう答えた。
「厳密に言えば……あの子ではなく、あの子が持つ、記憶」
*
岬は千咲に言いつけられたことをしっかりと守り、医務室内でじっと彼女の帰りを待っていた。部屋の外でいくらか騒いでいる声やどたばたと足音が聞こえたが、それもじきに止み……。岬が扉の隙間から外を覗くと、廊下には不気味な静けさだけが鎮座していた。
(……何があったんだろう)
千咲は行ったきり帰ってこない。広いシェルター内だ。まだ充分に想定内の時間であるが、それでも彼女の心は落ち着かない。振り返ると、室内には何人ものけが人が寝転がっている。その場はなんとなく引き下がって部屋の中の椅子に座りなおしたが、ソワソワとした様子であった。机に向かって祈るように手を組んでみたり、膝の上に置いてみたり。どれくらい待っただろうか、しかし岬は時計を確認することを意識的に遮断していた。
そして立ち上がった。
「様子を見に行こう」
そう決断した。
「私、様子を見てきます。三十分以内に戻らなければ、本部の方に連絡をお願いします」
不安そうにしている同じ部屋の衛生兵たちにそう伝えて、危惧する彼らの声に耳を傾けずすぐに部屋から出た。
岬は、千咲が自分なんかよりも何百倍も何千倍も強いのは当然知っているが、それでももし何かに巻き込まれて大きな怪我をしてしまっていたとしたら、それを治すことができるのは自分しかいないという自負がある。
岬は小走りで静かな廊下を進んでいく。ブーツと鉄床がぶつかる音が廊下に響く。
二、三分そうして進んでも特に異常はない。むしろその静けさが彼女の不安と恐怖をあおってくるが、大切な友のことを思い、勇気を振り絞り前進する。居住区への入り口にたどり着くと、岬は床に視線を引かれた。血の付着した足跡が複数ついているのだ。その足跡居住区の中から出て、廊下の先へと続いている。
その血の足跡の続く廊下の先か、それとも居住区内か、どちらに進むか考える。
足跡の向きからして、血の原因は部屋の内部に有る。そう推理して、岬は部屋の中へと足を進めた。
居住区にもやはり人の気配はなく、ただ所々に避難した人々の所有物や物資だけが乱雑に散らばっており、一瞬でこの部屋全体が混乱に見舞われたことを察することが出来た。
左右に小スペースがずらりと並ぶ廊下の先にも人の気配はしないのだが、血の足跡はその廊下の先から向かってきていた。岬はごくりとつばを飲み込んで、きっと通路の先を睨み、そしてさらに進む。足跡を逆に辿り、突き当りを右へ。足あとの血色が濃くなり始めた廊下を進み、また突き当りを左へ。
「――っ!」
そこで岬は、柱に座って寄りかかっている兵士を見つけた。彼の真下の床には血だまりができている。慌てて駆け寄り治療を施そうと思ったのだが――。
「……死ん……でる……」
その彼は腹部から胸部にかけて激しくえぐられていて、目も当てられないほどの激しい出血をして事切れていた。岬の身体はがたがたと震え始め、呼吸は浅くなった。一体この場所で何が起きたというのか……この先に何が居るのか……恐怖と悲しみで涙がこみ上げ、視界が少しにじむ。
そして。
「っ、いたっ……」
またしても、ズキンと頭に痛みが走った。先程よりも強く、脳の奥を突き刺すような痛み。そして彼女の脳裏には、似たような光景が微かに写った。血だらけの部屋と、乱れた家具。
更にその映像の先を思い出そうとするが、しかしそれ以上掘り返そうとしても強い痛みが邪魔をする。
「……これは私の、……記憶……?」
岬はおさまらない痛みに頭を手で抑え、動悸と息切れに見舞われながら、さらに奥を目指す。この先に千咲が居るのかもしれない。ただ、それ以上に……見えない何かが彼女を血煙の先へと誘いこんでいた。




