私の幸せ
(大丈夫……まだ気づかれてない……! 多分……)
地面に跪きながらも周辺に走らせた水の結界の、そのほんの一部から視界に映らぬよう水を上空へ通し、雲のように創りあげた『水塊』。太陽が傾きかけていたことも、それをばれずに創ることを手助けした。
では、それをどうするべきか。
馬鹿正直に上からハンマーのように叩きこむか。
それともこのままばれぬよう水圧カッターで攻撃するか。
水で包み閉じ込めて呼吸を封じるか。
考えつつ……腹部に与えられたダメージはかなり重かったらしく、
「ぐ、うぅ……」
と、呻き声をあげる。視線はブルームから外さない。ジィーナは、どれだけ力で負けようが、気持ちで負けたくなかった。躊躇いのない暴力ほど恐ろしい物はない。ブルームはまさにそれだ。何度も何度も、頭の中で自分の声が響き渡った。こんな狂った男の為に、今まで彼女を守ってきたわけではないと。
(エゴだとか、ただの自己満足だとか……言われたって知ったこっちゃない)
「あの子の幸せは、私の幸せなんだから……!!」
唸るように叫んだ。そしてジィーナは、次の攻撃方法を決めた。滝のように打ち下ろして、水に巻き込み拘束し、ブルームを無力化する。それが彼の能力に対して一番有効な手であるかもしれないと考えた。
痛みで制御を奪われそうな身体に活を入れ、上空に二十五メートルプールくらいなら簡単に溢れそうなほどの水を、ブルーム目掛けて一気に叩き降ろした。水を打ち下ろしたせいで傾き始めた太陽光線を折り曲げて不自然にまだらの影がゆれる。その異変に気づいたブルームは素早く上空を見上げるが、その頃には彼のすぐ頭上にジィーナの水は迫っていた。
瀑布は一瞬でブルームを飲み込み、そしてその全てはジィーナにコントロールされているため拡散されずその場にとどまり続ける。水のドームが出来上がり、その中心では激しく水が渦をまき続けている。
「うぅ……!」
中の様子は見えないが、戦闘不能とまでは行かなくともダメージはあってほしいと願いながら、ジィーナは水を操り続ける。
だが、その水のドームの一部が、まるで内部から押されているかのように変形し始める。それはジィーナがコントロールしたものではない。彼女は必死にその変化を抑えこもうとするが抵抗むなしく水は焼いた餅のように徐々に大きく膨らみ、そしてついに水のドームは破かれる。中から、まるでモーゼの伝説のように水を割って出てきたブルームには、ダメージどころか水滴さえ付着することはなかった。
「私たち『家族』の問題だ。君の幸せなど、知ったことじゃあない」
近づいてくるブルームに対してジィーナはうずくまったまま再度水を巻き上げてブルームへと針のような攻撃を何発も何発も打ち込むが、すべてがあっさりと進路を捻じ曲げられてしまう。
(この人の、……この人の能力は……!)
諦めず後方や上空からの攻撃も再度打ち込むがすべてブルームを避けるようにくるくると翻弄されていく。
(何も手が思いつかない……、強すぎる……!)
ブルームはついに、跪くジィーナの目の前へと到達した。
瞬間、ジィーナの体に凄まじい上方からの圧力がかかった。耐え切れず地面にうつ伏せになる。さらに背中から押し潰されそうな程の圧力がかかり、背骨や肋骨がミシミシと悲鳴をあげはじめた。ジィーナは歯を食いしばって耐える。
「ぐ、うぅ……っ……!」
「君の役割はここで終わりだ。ジィーナ・ノイマン」
ブルームのセリフに対して鋭い目つきで見上げるが、ブルームは構わずに彼女の右膝裏に右足を乗せた。徐々に圧がかかっていく。
「いッ……!」
ジィーナの顔が激痛に歪んでいく。
*
ロディエミィとリルはしばらくお互いを見つめ合っていた。ただそこから近づくきっかけもなく、ここで離れるのも何かおかしいので。エミィは怪しまれまいとして精一杯の愛想笑いを浮かべて小さく手を振るが、リルはそれが余計に怪しく感じたのか上体をのけぞって距離を取ろうとする。
エミィはそんなリルの態度に苦笑いを漏らしつつも立ち上がりゆっくりとリルのところへと近づき始めた。
「あの、えっと。私の名前は、エミィ! こっちのはロディっていって……私たちは怪しいもんじゃなくて……」
などとお決まりの怪しい文句でリルの心の防壁を取り払おうとしたエミィだったが。
「あのっ、すいませんっ!」
意外なことに、リルの方からエミィに何故か謝った。エミィと、後を追ってきたロディはきょとんとした顔でリルを見下ろしていたが、彼女の顔は真剣そのものだった。エミィは膝をつき、リルに視線を合わせる。
「えっと、な、何が……?」
「その、あなた達は、私の父を、知っているんですか……!?」
彼女は謝ったわけでは無かったことに気づき、エミィとロディは「言葉って難しいなぁ」などと考えつつ、返事をする。
「えっと、……父って?」
「私、あのっ、ごめんなさい、さっきのあなたたちの話、聞こえてしまっていたんです……。『ブルーム副所長だ』って……」
リルの言葉を聞いて、エミィとロディはお互いの顔を見合わせた。その意味を理解するのに数秒かかったが……。噛み砕いて、そして目を丸くした。
「まじか……」
「……普通ある? こんな偶然……」
そう呟いて、再びリルを見る。
「それじゃあ、もしかして、君は……えっと、レナちゃん、でいいのかな?」
ロディが言うと、今度はリルが目を見開き、口を手で押さえ、とても驚いた表情を見せた。
「レナの事も、知ってるんですか?」
「知っているというかいないというか……名前だけね。直接会ったことはないんだけど。ということは、あなたはリルちゃん」
「はい。それで、あの、父についてなんですけど……」
ロディが「あ、えっと、そうだったね」とエミィの代わりに返事をして、そして続けた。
「僕達も面識が有るわけじゃなくて……若くして研究所の副所長に就任するくらい機械工学に関しては知識も技術も天才だったって、そっちの方面で有名で。顔の写真を何度か見たことがあるだけなんだ。だから、君のお父さんについてよく知っているとか、そういうのじゃない」
「そうなんですか……じゃあ、父がなぜ、あんなことをしているかも……」
「悪いけど、僕らには見当もつかないな……」
「……」
「あの、リルちゃん。私からも訊いていいいかな?」
エミィが恐る恐るといった感じでリルに話しかける。
「なんでしょう?」
「あのね、私達、コウスケ・レッドウェイという人を探しているの。あなたのおじさんよ。何か、知らない? 覚えてない? どんな些細な事でもいいの」
「コウスケ、おじさん……」
「うん、覚えてる!?」
「えっと、少し。コウスケおじさんは、子供の頃私をジィと一緒に逃がしてくれました。でもその時に、はぐれてそれっきり……。顔だって、今ではあまり思い出せません……」
「そっか……。……、…………ん? ちょっと――」
リルの話をより深く掘り下げようと思ったその時、バン! と大きな音がして、部屋の電気が消えた。まだ夕暮れ前だが室内は薄暗くなり、人々は驚きと不安に悲鳴をあげざわつく。リルもそれにもれず、顔を不安に曇らせてキョロキョロと辺りを見回している。モニターは壊れてしまったのか真っ黒で何も映していない。
エミィとロディはそんな室内の様子を見回して、そして何かを決意した様子でお互いの目を見つめ頷いた。そして、リルを見る。
「あのね、リルちゃん。もし、さっきのモニターに写っていた人が本当にブルームさんで、あなたのお父さんなら……。私達は、あなたにも、あなたのお父さんにも、話を聞きたいと思っている。コウスケさんの事を」
「え……」
「だけど、外の状況は尋常じゃなくて、悠長にお喋りしている状況じゃあなさそう。そして、その原因は…………あなたのお父さん、みたい」
そんな言葉を受けて、リルは辛そうに唇を噛んでうつむく。エミィは続ける。
「だから私達も外に行く。あなたのお父さんに会いにね。この事態が落ち着いたら、さっきの話の続きを聞かせてね。ロディ、行くよ」
「あぁ」
「えっ、えっ」
突然話を切り上げた二人にリルはただただ混乱しておろおろとするだけで、そうしている間に二人は部屋から姿を消した。
*
フラウアの乱入によりシェルター居住区から逃げ出した群衆はそれぞれ思うままにシェルター内を逃げ回り、出口に押し寄せていた。出入り口へと配置されていた警備兵らは当然居住区での異常に気付いておらず、その暴動のような熱気に目を丸くして混乱していた。
一番にたどり着いた男が開口一番「出入り口を開けろ」と警備兵に詰め寄った。訳が分からず、しかし言葉の意味事態は直球でわかるので
「ダメです」
と反射的に答えた。すると男は顔を真っ赤にしてさらに警備兵に詰め寄る。
「中に殺人鬼がいる! 目の前で大勢殺されたんだぞ! お前ら、最初から俺達を奴に殺させるつもりでここに収容したのか!? 実験動物のように!」
警備兵はその男の剣幕と、次々辿り着いてくる彼と同じような表情をした人々を前に、どうやら狂言だとか閉塞感に気が狂っただとかでは無い事を悟る。しかし警備兵が持っている情報としては、フラウアという殺人鬼がこのシェルターに向かっているという事だ。はいそうですかと扉を開けることは、自殺行為に等しい。
「そんな、でも待ってください、私一人の判断では開けることができません」
その返事を聞いた男は激昂した様子で警備兵の胸倉を掴んだ。
「このままじゃああいつに殺されるのを待つだけだぞ!」
「ですから、外は敵が居ます! あなた方もここへ来るときに見たでしょう!」
警備兵も語調が少し荒くなる。
「じゃあお前が、アイツを止められるのか! 警備兵は全員一瞬で殺されたぞっ!」
「そうだそうだ!!」
「早く開けろ!」
「こんな狭苦しいところで閉じ込められるより、よっぽど逃げ場がある!!」
「もういい、お前をぶっ殺して俺達で開ける!」
「開けろ! ぶっ殺してでも!」
「開けろ!」
「開けろ!」
群衆は自分達の意見を口々に叫ぶ。
その袋叩きにされそうな圧力に警備兵は震え上がり、少しばかり躊躇いつつも壁に取り付けられた扉の開閉コントロールパネルを開く。だが、まだ躊躇いがあった。この扉を開ければ、そのすぐ目の前に敵がいる可能性だってあるのだ。開けるか開けないか、どちらが正しいのか。
躊躇している間にも「まだか」「早くしろ」「殺される」「死にたくない」とけたたましい叫び声があちこちから放たれ……、彼はそのプレッシャーに耐え切ることが出来なかった。慌ててパスコードを入力し、扉を開く作業へと移る。彼はまだ新米で、その群衆を押さえつけるには荷が重すぎた。
その時彼には、パスを打つ自分の指が、まるで他人のもののように感じていた。




