女の闘い
もう数える事すら億劫になるほどの数のマシンヘッドを破壊した不破は、それでも自身を取り囲む多数のマシンヘッドを見回して肩で汗をぬぐう。
本部に連絡も通じないものだから流石の不破にも不安や困惑があって、ところどころの攻撃だとか移動だとかに本人でもはっきりと意識できない程度でも迷いや躊躇いがあった。
心が折れるという事は無かったが、それでも際限なく暴れるマシンヘッドを倒していくのみという行為に対して、先の見えない暗闇の道でひたすらマラソンをしているような感覚で、ついひとこと弱音を吐きだしてしまいそうな精神状態であった。
一体何が目的なのか、不破のすぐそばに建っているビルからは突然火の手が上がった。ジリリリリと警鐘が鳴るが、警備会社や消防車など来るはずもなく、 十階建てほどのオフィスビルはみるみるうちに炎上し崩れ始める。窓ガラスは割れて地上へ降り注ぎ、火は隣の建物に燃え移り、そして火の粉がぱらぱらと降り注ぐ。
不破は慌ててその場から避難した。崩れ落ちたビルの向こうに火炎放射器を搭載したマシンヘッドが居て、そいつが好き勝手炎を撒き散らし続けているのが見えた。
不破は舌打ちをして、そいつをまず排除することを次の目標に据えたが、少し遠くの別の建物も炎上を始め、それに目を取られている間にも他のマシンヘッドたちが次々と不破に襲い掛かる。
どうやらこの大量のマシンヘッド達は、人間だとか建物だとか、目につくものを見境なく破壊し、燃やし、殺すことだけをインプットされているらしい。
次々と無機質な暴力をぶつけてくるマシンヘッドを蹴散らして、それでも休まらない攻撃の手から一旦退避するため、マシンヘッドの気配がなさそうなビル建築物の壁に触れて取っ手を作り、そのままドライブの力で上方へと移動させて屋上まで素早く昇る。フェンスを破り屋上へと突入すると、そこには見立て通りマシンヘッドの姿は無かった。
不破は振り返り、そこから街を見渡した。
道路は割れ、建物は崩れ、焼失し……。
自分達がいつも見下ろしていた景色が、理由もわからぬまま静かに削られていく。
*
思わず嗚咽を漏らしてしまいそうな生臭い血の匂いが充満する、安全な居住スペースの筈だったそこで、向かい合うフラウアと一文字千咲。
千咲はフラウアの攻撃手段が手足による物理的なものしかないという事は既に把握していたので必要以上に間合いは取らず、隙を見て攻撃をする。遠慮することは無い、相手はもう死んでいる、ゾンビマシンだ。
(そう、人の形をしているだけの、ただの機械……! マシンヘッドと違いはない!)
ここでこの狂った機械を破壊しなければ、被害は際限なく広がってしまう。
千咲はフラウアに突進していく。
近づくたびに一つまた一つと目視できるフラウアの体中に付着し滲んだ血は、どれほどの痛みや悲しみを伴ってきたのだろう、そんな事を考えると鼻の奥がつんと痛くなった。
フラウアは腰を落として脱力し素早く迎撃態勢に入る。
だが千咲は刀でフラウアは素手だ。リーチの差は歴然で、先手も千咲が取った。決して大振りはせず、コンパクトな振りで袈裟からフラウアの胴を狙う。フラウアは大げさに背後に飛ぶが、身体能力を強化している千咲は一瞬でその間合いを詰め、今度は左から右へ横なぎ。これもフラウアは大きく跳んで避けた。そしてフラウアが空中に跳んでいるその一瞬の隙を千咲は逃さず、持ち手を絞り斬撃のフォロースイングを最小限にとどめ、手首を返して刀を肩口に抱え、小さな足さばきで器用に距離を詰めて、逆胴に切りつけた。
「ふっ!」
千咲は、完全に斬撃が打ち込めるタイミングだと確信した。だがフラウアは器用にも空中で腰を引き斬撃をかわそうと試みた。フラウアのその超反応に千咲も対応し、腕を伸ばしきって刀を振り切る。微かに掌に返ってくる手応え。
(斬ったッ……!)
しかし鋒が触れた程度だ。
フラウアの腹部に横一文字の傷が加えられた。傷口が焼けて僅かに煙が起きて、薄い赤色の液体がどろりと流れ出る。
千咲は攻撃の手を休めず刀を持ち上げ担ぎ上段に構えた。対するフラウアは腹部を斬られても、これといったリアクションは全く見せない。千咲はその姿を見て、「どうやらもう、痛みなど感じることは出来ないようだ」と悟った。
(だから……、だから人の痛みや悲しみなんて、コイツにはわからないんだ……!)
同情など微塵もない。溢れ出るのは正義感と怒りのみだ。さらに踏み込んで斬撃を放つ。小刻みな足音と刀が空を斬る音と、そして微かな吐息と声だけが部屋の中に響く。
何度かの千咲の猛攻があり、フラウアの体のあちこちに小さな切傷はつくものの、致命的な一撃は加えられないまま、二人の距離が一度五メートルほどに離れた。それくらいの距離は今の千咲ならば一足飛びで詰めることが出来るのだが、攻め一辺倒で単調になってしまっている状況に少し変化をつけるため、一拍溜めてテンポを変える。
そこでフラウアが言った。
《良い剣捌きだ。刀ノ長¥、自身のリーチを完璧ニ把握し、攻撃を放っている。生方宗助にも間合いの取り方は感心サせられタが、完全にそレ以上だ》
突然ほめ言葉を並べるフラウアを無視し、刀を再び持ち上げ攻撃態勢に入る。刀の周辺に陽炎がゆらめいた。フラウアについた斬撃痕はすべて焼け焦げている。
(待て。待って。…………体は温めていても、頭は冷静にしなきゃ)
千咲は考える。
(そもそもこいつ、一体どうやって入ってきた? シェルターは完全に封鎖されている。万が一何らかの手段を使って無理やり開けたとしても、必ず異変が出るはず。それに、被害が出ているのは、ここいらの、奥まった部分だけ……破壊された形跡もないし、……どの入り口からこの居住区へ?)
目の前にあった凄惨な光景とフラウアという男の存在感のせいで、それらの事に疑問すら感じなかったが……、ほんの少し冷静になった事でその当たり前に感じるだろう疑問を千咲も持つことが出来た。
千咲はシェルターの連絡手段の不便さのせいで、フラウアの能力の全ては未だ知らされていないのだ。そしてその疑問が、機械と化したフラウアの能力は強力な近接戦闘だけでは無いのではないかと推理を持ち始める。もしこの眼の前の敵が白神を倒したというのが真実であってしまうのならば、この程度の動きだけでそれを成し遂げることが出来るとは到底思えない。
そう感じた。
以前のような多彩な技を予想外のタイミングで繰り出す不気味さは無いが、何かまだ力を持っている。
千咲の思い切りの良さは長所の一つだ。だが一長一短という言葉がある通り、短絡的になってしまう短所もある。じっくりと攻めるべきだ。と冷静な頭脳は言っているが、自身の熱で身体能力を強化する荒業を使ってしまった以上、その制限時間は一秒一秒迫ってきている。
相手の正体を暴いたところでそこで時間切れとなってしまえば、千咲は無抵抗のまま殺されてしまうだろう。相手の手の内がわからないことなど、戦闘の常。そう考えて千咲は仕切り直し、そして再度フラウアに突進した。
自身の能力的な制限に急かされて冷静になりきれず、勝負を焦ってしまった。
*
アーセナル内の避難部屋で、ジィーナが部屋から飛び出た後、エミィとロディはぽかんとした表情のままそれを見送って、二人してしばらく硬直していた。
「……あの人、外に行ったの?」
硬直から回復したエミィが呟いた。
「そう、みたいだね……」
「何のために……?」
「僕に訊くなよ……」
再度沈黙。数分間、場の重い空気にあてられて黙り込んでいた二人だったが、今度はロディがポツリと呟いた。
「さっきの映像のさ、あの銀髪の男……」
「……え?」
「だから、さっきそこのモニターに写ってた銀髪の男」
「うん」
「なんか、どっかで見た事ある。あの人に似てる人を」
「どっかってどこよ」
「…………あともうちょっとで出てきそうだ、ここまで来てる」
ロディは自身の喉仏を指し示す。
「それならさっさと吐き出してよ」
「エミィはなんか心当たりないかなって」
「心当たりって……映像荒くて、殆ど銀髪くらいしかわからなかったし……」
「そうなんだよ、白髪じゃなくて銀髪で、銀髪……銀髪……」
何度目かの沈黙。
「おあっ!」
「……今度は何?」
ロディが奇声をあげるものだからエミィは眉間に皺を寄せつつ尋ねるが、当のロディは静かにしろと言わんばかりに右掌をエミィの眼前に提示して、力んだ表情のまま正面を睨みつけて、まるで何かと葛藤しているようだった。
エミィは怪訝な表情でロディに向けた視線を正面に戻す。ロディは右の手のひらを自身の額に置いて、人差し指でトントンと頭頂部あたりを叩き始める。傍から見たらかなり怪しい一連の動きだが、それもすぐに終わりが来た。
「…………っ、副所長だ……!」
「ふくしょちょう?」
「ああ、思い出した! ブルーム副所長だよっ! 雰囲気はだいぶ違ったけど、一度見たことがある! ケネス製作所の生体機械研究部の副所長だった! エミィも知ってるだろ!」
「ケネス製作所の生体機械研究って、あぁ、機械義手義足制作第一線の……。ブルーム副所長って……あっ」
「コウスケ室長の妹さんの旦那さん!」
二人が大きめの声でユニゾンすると、それが耳に入ったのか、少し離れた場所でうなだれていた紺色髪の少女と目があった。
*
アーセナル、正門前広場。
ジィーナは自身の操る水を素早く駆け巡らせて、ブルームよりも数メートル背後に居るマシンヘッド達を一瞬の内に貫き、または切り裂き、破壊した。
その行為に対してブルームは少し眉を顰めるが、ジィーナはブルームをきっと睨みつけたまま。水を自身のもとへと戻し、また周囲に張り巡らせる。破裂した水道管からは次々と水が溢れているためジィーナの操る水の量は更に増え続け、まるで複雑巨大なウォータースライダーのような水の結界が出来上がっていた。
「大した能力だ。一体どれほどの水を操れるのか……」
ブルームが呟くと、その言葉とは裏腹に一歩前へと踏み出した。今度はそれにジィーナが顔を顰めた。
何故か耳鳴りがあった。体全体、全身の肌がピリピリと弱い電流を流されているような不快感もある。それは、ただのブルームの威圧感で済ませるには無視できないほどの感覚だ。
ジィーナは、ブルームの能力の正体について心当たりがあった。過去にとある所で、文字に因る情報のみだが、ブルームの能力を確かに見た。だがそれも十年以上前の事なので……記憶を探りなんとか思い出そうとするが、どうにもそこへ至らない。
手や足を何も動かした形跡すら無いのにアスファルトにヒビが入り、銃弾は逸れ、人が勝手に吸い寄せられる。これだけの情報があれば、はっきりとした正体はわからずとも立てるべき対策はある。
それは単純明快。近寄られてはならない。
ジィーナは一歩下がり、ブルームの足元を横一文字に水圧カッターを走らせる。
が、自身のコントロール下に有るはずの水がブルームに直撃する直前に歪み彼を避けた。コントロールをねじ曲げられた違和感にジィーナは少々困惑して唇を噛む。触れもせず、風だとか熱だとかも起こした様子もなく、水の動きに強い力で干渉された。
そしてひらめいた。
過去の記憶が突然目の前に提示された。
「思い出した……!」
ジィーナが独り言を呟いたと同時に、ブルームの背後に散らばっていた破壊されたマシンヘッドの部品たちがふわりと宙に浮き、まるでジィーナの真似をするかのようにブルームの周辺を高速で飛び回り始めた。
そして飛んでいた五センチ程の大きさのネジの一つが、すさまじい速度でジィーナに向けて射出された。ジィーナは咄嗟に反応して水により撃ち落とす。だがそれだけでは終わらず、次々と機械くずが拳銃で撃ったかのように射出されていく。
巧みに水を疾走させてネジだとか鋭く尖った金属片を撃ち落としていくが、その手数の多さにすぐに防戦一方になってしまった。しかも撃ち落とした部品はバラバラになりながらも再びブルームのもとへと戻り、再度攻撃の時を待っていた。壊せば壊すほど、相手の攻撃手が増えていく。更には床のアスファルト片までがめくれ、浮き上がり、ジィーナへの攻撃に参加し始める。
「シーカーを壊したのは、失策だったな」
ブルームは冷静な表情で言うと、さらにジィーナへと近づいていく。
「君はもう、私の攻撃から逃れることは出来ない」
水の結界をくぐり抜けた金属片が、ジィーナの脇腹に撃ち込まれた。
「……ぃ……ッ!」
彼女の脇腹に赤いシミが出来て、それが徐々に円形に広がっていく。それでも悲鳴どころかうめき声もあげず更に襲い来る金属片たちを撃ち落とし続ける。幸か不幸か金属片は体内にとどまらず、彼女の身体を貫通していた。
もちろん彼女には宗助達が装備しているような強化アーマーは配布されていない。あくまで非戦闘員のくくりで、雪村ももちろん彼女の能力は把握していたのだが、最後の最後までなるべく頼りたくはない手段であったし、何よりも今こうして戦場に出ているのは彼女の独断専行によるものだ。
脇腹にダメージを負った事がドライブの操作に影響を与えたのか、肩、腕、脛、太腿……大小の金属片が次々とジィーナの身体に突き刺さる。更に飛んできたガラス片のような物が頬を掠め、彼女の白い肌に赤い線が刻まれた。
そこで一端、ブルームの攻撃の手が止まる。
「君の能力では私には勝てない事を理解したなら……。排除すると言ったが、君はやはり娘の恩人だ……立ちはだかるのを止めて、娘のところへ案内しろ。そうすれば」
「そう、すれば……うぅっ……命は、奪わな、いって?」
「その通りだ。その後の生活も支援する」
「……ふふっ……」
ジィーナは辛そうな笑顔でブルームに向けて嘲笑する。
「ふふっ、ぅ、ふふふっ……」
血に濡れて痛みに耐えながら笑う姿をブルームは真顔のまま見つめていた。するとジィーナは、これでもかというほど怒気が篭った目つきでブルームを睨んだ。
「舐められたもんだわ……私は、あの子のッ、保護者だって言ってんでしょうッ……!」
「……」
「あんたは、二度とリルの父親だと名乗るな……! 名乗ればそのたびに、あの子が不幸になるッ……!」
ブルームはほんの僅かにため息を吐いて、そして足元に落ちていた二リットルペットボトル程の大きさの鉄塊を軽く蹴る。するとそれはすさまじい速度でジィーナ目掛けて弾き飛ぶ。ジィーナはやはり水で撃ち落とすが、威力を殺しきれず、その鉄塊はジィーナの腹部に直撃した。
「ッう、ぇ……!」
幾つもの痛みを与えられても凛と立ちはだかっていたジィーナも、その急所に撃ち込まれた衝撃に対して流石に耐え切れず、生々しいうめき声をあげてその場に崩れ落ちた。
「ゴホッ、うぇ、ゴホッ」
激しく咳き込みながら、それでも自身を取り囲む水の結界は大きく崩さない。
「もういい。虱潰しに探せば見つかるだろう。君が素直に教えていれば、ここの基地の連中も無駄に殺されることは無かったかもな」
他人事のようにそう言って、ブルームは更に一歩、二歩とジィーナへ、そして基地へと近づき始める。ジィーナは咳き込みながらも、タイミングを見計らっていた。見つからないよう遥か上空に作っていた巨大な水の塊をブルームへとぶつけるタイミングを。




