来訪者達 9
避難用シェルター内の簡易救護室。横たわる血まみれの男性を岬と衛生兵達が囲み、ボロボロで赤黒く汚れた服を切って傷口を露出させ、彼女の『治療』が始まる。岬が傷の前に手をかざし静かに念じると見事に出血が止まり、すさまじい速度で傷はふさがった。その光景を初めて見る者は皆一様に「おお……」とどよめいた。
目立った外傷をひと通り治療し終えた岬は、ふぅと小さく息を吐く。
その時。
「いっ……」
岬は突然頭に襲い掛かってきた激痛に、思わず右手で自身のこめかみのあたりをおさえる。隣に居た千咲はそれに反応して、すぐさま心配そうな表情で岬の顔を覗き込んだ。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ん、ちょっと頭にピシって、なんか……でも、もう大丈夫。すぐおさまったから」
岬は額に汗を浮かばせつつも微笑みを作り、自分の肩に置かれた千咲の手をやさしく押し戻した。
「そう……ならいいんだけど……。私は本部にもう一回連絡取って、状況を教えてもらってくるね。しんどかったらすぐに休むんだよ? 無茶したらダメだからね!」
千咲はそう言って、シェルター備え付けの連絡機がある場所へと歩いてった。内部は無線が通じにくい為、備え付けの通信機器で基地と連絡をとっているのだ。岬は千咲の背中を見送り、そしてまた治療した男性へと向き直る。
・・・
――まばたきをするたびに仲間が倒れていく。肉眼では捉えられないほどの速度で動き、次々と簡単に命を刈り取っていく赤い悪魔。その赤は、返り血で染まった赤。
時折『悪夢のような現実が待っていた』という言葉を目にすることがあった。岩崎康太は目の前に巻き起こるその光景に、「あぁ、あの言葉は、こういう時に使うのか」と、頭のどこかで呑気に感じていた。
そして。気付けば目の前にその『赤い悪魔』が立っていた。
自覚なく仰向けに倒れていて、胸にじわりと熱を感じ、数秒経ってようやく激痛が襲ってきた。大きく引き裂かれ赤く染まっていく自身の胸部を見て、小さく悲鳴をあげる。自分が攻撃されたことを理解する。悪魔は倒れている自分に歩み寄り、制服の胸倉を掴み持ち上げこう言った。
《聞きたいことがある。答えられたなら、見逃してやろう》
その声は、悪魔にしてはえらく機械的な声だった。比喩表現だとかではなく、本当に機械で作られた、言うなればシンセサイザーのようであった。
《難しい質問じゃあない。生方宗助という男を、知っているか? それだけさ》
(…………宗……助……?)
背後で、味方の隊員が数名、悪魔が康太に構っていることを良いことに自分かわいさで一目散に逃走していった。フラウアはそれを目で数秒追い、すぐに康太に視線を戻す。
《探している。彼に会いたい。とても尊敬しているんだ。……必ずこの手で殺したい》
それはよどみなく、とても穏やかな声だった――。
尋ねられながら康太は、こんな悪魔に尊敬などという概念がある事に驚きを覚え、そして次にこんな悪魔に尊敬されている宗助はいったい何者なのだと一瞬考えたが、その後に付いてきた「殺したい」という言葉にはっとさせられた。
その質問に対して答えるかどうか、康太の思考は揺れる。たった数時間前だが、それでも友人となった宗助の事をこの目の前の殺人悪魔に教えていいかどうか。教えれば、言葉通り見逃してくれるのかもしれない。だが教えなければ、きっと殺されるのだろう。
いくら人間離れした動きを見せる宗助でも、この眼の前の男に果たして勝つことが出来るのか、と考えて……出した結論は。
「……知らない……知っていたとしても、教えねぇよ……この、悪魔」
《そうか。知らないか》
悪魔がそう呟いたとき、康太は思った。
(殺される)
彼の心の中に後悔は…………それほどは、なかった。
両親は自分を、友達を売るような馬鹿には育てなかったのだと、どこか清らかな気分を感じていた。当然まだ生きたいと願っていたが。
目を閉じた。
まぶたが震える。
静寂は続く。
出血量が多いせいか、意識が朦朧とし始める。
《……ふふ、気が変わった。自分で探すのも、必要過程の一つなのかもしれないな》
悪魔は康太を殺さなかった。とどめの一撃をくらうものだと目を閉じて身構えていた康太はその悪魔の一言に驚いて薄く目を開く。
《僕はなぜだか、そういう嘘は嫌いじゃあない。悪魔か、なかなかいい表現だ》
「……なに、を……」
《そうだな。もし君が僕より先に彼に会うことがあれば、こう伝えておいて欲しい》
悪魔は口角をあげる。
《――、――》
言い終えると康太の顔面を殴る。彼は沿道植え込みの茂みの上まで吹き飛ばされた。
《それで判る筈だ。頼んだよ。君がこの街で生き残れたのならな》
康太の意識は、そこで途絶えた。
*
そしてシェルターの医務室にて岬に治療してもらった康太が目を開けると、そこにはえらくかわいらしいお嬢さんが自分を覗きこんでいる光景があった。
黒髪の彼女は心配そうな表情から一転嬉しそうな表情。自分を見下ろす彼女に少々胸の高鳴りを感じつつも、自分が今置かれている状況を必死に把握しようとする。そしてすぐに自分が体験した記憶を取り戻し自身の胸部を見るが傷一つ無い。だが、あの痛みと恐怖は確かに現実のものだったと再度思い返す。少し身震いがした。
「い……生きてる……。なんで?」
康太が混乱気味に呟くと、その女性――瀬間岬は笑顔で言う。
「もう大丈夫ですよ、傷は治しましたから。今、血が足りていないので、栄養を摂って安静にしなければいけませんけど」
「な、治したって……どうやって……。……いや、そうか、きっとアンタもあの不思議な能力を――」
康太が話している最中、そこに今度は赤い髪をした女性、一文字千咲がやってきた。
「岬、今アーセナルと連絡取ったんだけど、不破さん曰く、その人の所属がさ――」
康太はその女性――もとい、その女性の服装に覚えがあった。宗助と同じ軍服。そして、悪魔に襲われた時の記憶がさらに蘇る。康太はかっと目を見開いて、とても重要な事を聞かされたのを思い出した。
「あ、アンタっ!!」
康太は叫びながら簡易ベッドから身を乗り出すが、思った以上に身体に力が入らず、そのまま派手な音を立てて床へとずり落ちてしまった。
「ちょっと、ダメですよ! いきなり立ち上がろうとしたら!」
岬が慌てて康太を起き上がらせようと床に膝を突くが、康太は息切れしつつも彼女を手で制す。よろよろと自力で立ち上がり、そして千咲の両肩をがっしり掴んでこう言った。
「っ、あんた、スワロウ部隊の人だろっ……! その制服ッ、すごい力を持った!!」
「えっと、そうですけど……。それが何か……?」
千咲は困惑気味に答える。康太は必死な形相、興奮気味に話す。
「なら、宗助とも、知り合いなんだろ!?」
その名前を聞いて、二人は同時に顔を強張らせた。
「やべぇんだ、宗助が……! すぐに伝えてくれっ! できるんだろッ!?」
「宗助、が、何……?」
「狙われてるっ、あの悪魔に!!」
「悪魔……? ちょっと、落ち着いてください。断片的で、何を言ってるか……」
「俺の部隊の仲間を殺しまくったあいつ! あいつは言っていた…………!」
「だからっ、冷静にっ」
千咲はそこで、自身の両肩を掴む康太の両手を掴んで下ろさせる。康太は少し落ち着きを取り戻し、千咲から一歩、二歩とゆっくり後ろへ下がる。周囲に居た衛生兵達は驚きの表情で彼らに視線を集めていた。
「宗助が、狙われている? あなたを襲ったヤツに、っていうこと?」
「……ああ。必ず殺すと言っていた。なぁ、宗助は、まだ無事なのか? なんであんな奴に狙われている? ……というか、俺はどのくらい気を失っていたんだ? 俺の部隊は、皆どうなったんだ……他に逃げ延びたやつはいるのか?」
「宗助は、大丈夫な筈です。先程本部と連絡を取っても、特にそういう報告は聞いていないから……。それと……あなたの部隊の仲間は、その……」
「……そうか……いや、良い。だいたい予想はついていた……」
言いづらそうにする千咲を見てある程度の状況を察したのか、康太は顔を両手で覆いながら再び簡易ベッドに腰掛けた。
「……奴は、あの悪魔は俺にこう言ったよ。なぁ、アンタ達は意味が判るか?」
康太は恐る恐る告げる。気を失う直前に悪魔に託された言葉。
《フラウアが再び会いに来た、と伝えてくれ》
「な、なぁ。なんで宗助が狙われているか、ってのは今はいい。このままじゃ、宗助がいくら凄くても、あいつに殺されちまうのは目に見えてるよ……勝てるわけない、あんな奴……。なぁ、無線でさ、こっちに戻るようにとか作戦を変更できないのか?」
康太はよほどフラウアに恐怖を覚えているらしく、声が震えていた。自身を瀕死に追いやり、仲間を次々と殺されたのだから仕方が無いだろう。彼の言うことに対して千咲は厳しい表情を浮かべ、ゆっくりと話し始める。
「当然今の情報はすぐにスワロウで共有させてもらいます。策も立てる。だけど、彼も一人の兵士です。狙われているのは、……戦場に居る皆が同じこと」
「それはわかってるよ、だから、敵の狙いが――」
「負けません」
千咲の話に康太が食って掛かろうとした時、途中で突然岬の声が割って入る。きっぱりと言い切った。
「宗助君は絶対に、負けたりしません。皆も居ます」
岬は思う。
沢山話したいことが有るから、聴いて欲しい。つまらないことで言い合いになって、すれ違って、それでお互いにそう約束したきり、今ここに至る。本当は、今すぐ逃げて欲しいと。ここに来て、傍に居て欲しいとも思った。そうすればきっと、自分はとても安心できるだろうと。
だけど。宗助は過去に、『自分には守るために闘う力がない』と言う彼女にこう言った。『岬が待ってくれているから、更に一歩踏み出せた。自分の闘う力になってくれた』。
岬はこの言葉が本当に、本当に嬉しかった。
だから、自分には待っていることしか出来ないけれど、きっとそれが、彼の力になっていると信じている。一緒に、この目の前の人々をきっと守ってみせるのだ、と。




