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machine head  作者: 伊勢 周
17章 言葉と記憶
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君の知らない場所

再度訪ねてきた稲葉と実乃梨を玄関で出迎えた先生は、不思議そうに眉を持ち上げて尋ねる。


「どうした? 何かトラブルでもあったかね? しつこい営業マンが来たとか」

「いえ……逆です。あの人の目が覚めて、何かトラブルがあってからでは遅いと思って」

「ふふふ……心配症だな」

「楽天的すぎるよりかは現実的です」

「実にお前らしい答えだ」


 先生はほうれい線に深いシワをつくって笑う。


「まぁ、私の事を心配してくれたのだからありがたいことだ。だが、お前の心配するような事は何も起こっとらんよ。彼は目を覚ましたがね」

「彼は何者なんでしょう。言葉は通じるんですか?」

「ああ。と言っても、起き上がるのも辛そうだ。彼にはしらばくウチで休んでいってもらう事にするよ」

「え、ええ……?」

「手当をしておいて、目覚めたら『さぁ出てけ』じゃあかわいそうだろう」

「……それはそうですが……」

「心配は要らないよ稲葉。彼は良い人間だ。私が保証する」


 先生はそう言って、自分の胸を二度掌で軽く叩いた。


「彼の名前を教えるよ。公助だ」

「コウスケ……」

「そう。天屋公助。彼は今日から私の家族になる」

「…………は……?」


 何を隠そう、先生の苗字もまた天屋なのである。それを聞いた時の稲葉は、随分と間の抜けた顔をしていたという。




 それから二週間ほど経った。稲葉や宍戸が危惧していたような事は全く起こらなかった。なぜいきなり『家族』なのかは不明だったが、先生がそうだと言うのならしつこく口出しする事は野暮だろうと稲葉たちは黙っていた。


 そして当の傷だらけの公助は、ただ大人しくその傷が治るのを待っているようだった。まるで、じっと吹雪が止むのを土の中で眠りながら待つ獣のような。


 先生とその娘は、彼のことを幼いころから知っているのではないのかと疑いたくなるほど心底信用していて、それを見る稲葉たちは余計にハラハラとしていたのだが……三週間程経ったある日、転機が訪れる。


 公助の傷の具合も少しずつ快方へと向かって、歩くにはさほど支障が無くなった頃。公助は先生の案内で施設の中に出入りするようになった。包帯ぐるぐる巻きの姿で子どもたちの心を掴みつつ、稲葉達にとっても彼の存在が当たり前のものとなりつつあった。


 そんな、ある日のこと。

 子供、特に男の子というのは何故か無茶をしたがる傾向がしばしばあって、先生の施設で暮らしていた一人の男の子が、稲葉達が少し目を離している隙に学院の二階の窓の柵をかいくぐって、屋根の上を歩いていた。


「龍彦! 何やってるの!」


 実乃梨が珍しく怒気を込めた声で少年に問いかける。


「あ、みのり先生! おれ、すげーだろ、こんなところも歩いてもへーきだからね!」

「何言ってるの! 全然すごくなんかない! すぐに戻りなさい!」


 聞きなれぬその怒声に稲葉と宍戸、他の子供達や職員が駆け寄った。


「お、おいおい」


 周囲の人間は焦り混乱して、どうするべきかわからずあたふたしていた。と、その時突風が吹いて、屋根の上の少年の身体がよろける。


「――っ!」


 その場に居た誰もが言葉を失くし、少年が落ちていくさまを見上げるしか無かった。一人を除いて。

 稲葉が瞬間的に人の群れの中から飛び出して落下点へと入る。そして落下してきた少年を、まるで羽毛を受け止めるかのようにいともたやすく、音も立てずに、すっぽりと抱きとめてしまった。

 一瞬の静寂のあと、少年が無事なことを確認するとその場がわっと沸いた。稲葉が優しく少年を地面に立たせ、呆然としている彼の両肩を両手で掴んで目と目を合わせて「二度とやるな」と一言低い声で言うと、少年は半泣きの顔で「はい……」と弱々しく答えた。


 その日の昼下がり。

 稲葉が一人で庭のすみっこでかがんで草むしりをしていると、声をかけられた。


「なぁ、稲葉くん」


 稲葉が振り返ると、天屋公助が神妙な顔で立っていた。


「なんでしょう、公助さん」


 稲葉は作業を止めて立ち上がり、公助と向かい合う。


「さっきの一部始終見せてもらったよ。すごい反応だった」

「……それは、どうも」

「それで、訊きたいことがあるんだ」

「はい?」

「いつから、ああいうことが出来るようになったか。最近なのか、それとも子供の頃からか」

「ああいうこと、と言われても」

「あの少年を受け止めた事さ。あれは、ただ腕力で受け止めたわけじゃない筈だ。もしそうだとしたら、君の腕もあの少年も、無事じゃ済まなかっただろうからな」

「……」


 稲葉がなんと答えれば良いか言葉に迷っているところに、公助は微笑んで更に話を続ける。


「ああ。いや別に、その事を隠すなって怒っているわけじゃないんだ。君は、自分が持っている力をもっとよく知りたくないか? っていう話だよ」

「自分の、力…………」

「そうだ。自分を知らなければ、相手の事なんて余計にわからない。自分の力を抑えられなければ、周囲を傷つけてしまう。己を知るということは、生きていくうえで絶対に必要なことだと思う。どうかな」


 公助の言葉の内容とその真剣な眼差しに稲葉は気圧された。

 確かに自分の両手には不思議な力があるとうすうす感じていたが、だからといってどうすることもできず、『有るものは有るのだから』くらいにとどめていた。不利益を被ったこともなかったから。

 だが、そんな一言では流しきれずに日々もやもやとしたものを独りで抱え、誰にも相談できず生きていたのも事実。


「騙されたと思って、俺の話を聴いてみて欲しい。きっと君の力になれるはずだ」


 公助の力を込めた言葉に、稲葉は自然に「お願いします」と頭を下げていた。



          *



 たった三日で、稲葉は自分の力の意味と制御の仕方を知った。

 稲葉自身の持つ才能もあったのだが、稲葉には公助の助言が驚くほど頭によくなじんだ。

 そして稲葉はこの三日、自分の心にかかった靄がたちどころに消え去っていくような爽快感を得ていた。それと同時に、その天屋公助という男に興味がわいた。


『彼は一体何者なのだろうか』


 天屋公助は、自分のことについてほとんど話そうとしなかった。天屋と二人でドライブの訓練をしている最中に一度、稲葉は彼にこう尋ねた事があった。


「あなたは何者なんですか。なぜこんな事を知っているんですか?」


 と。こんな事、というのはドライブ能力のこと。そして返ってきた答えはというと……


「少し意地悪な事を言うが……君は『あなたは何者だ?』と尋ねられた時の具体的な答えを持ち合わせているか? 残念ながら俺は持っていない。どうしても答えが欲しいというのなら……『こういう人間なんだ』。知っているから知っている。どうか、それで納得してくれないか」

「……どこから来たかも、言えないのですか?」

「ああ。君の知らない場所だからな」


 そう言って天屋公助は冗談っぽく笑っていた。本当に冗談なのかどうかは、その時の稲葉には何故か全く判断がつかなかった。



          *


「俺と天屋さんとの出会いはこんな感じだった。お前の言う話が本当なら、なかなかに辻褄が合う。そのレッドウェイという人物の失踪のタイミングとな」


 宗助は一連の話を聞いて、腕を組み俯いてじっと険しい表情で考え込んだ。稲葉はそんな宗助に少し苦笑いしながらさらに付け加える。


「その後、宍戸もドライブの訓練に混じったんだ。俺達は、互いに自分の異変を言いだせず隠し事をしていたって訳だ。それを機にお互いそれがわかって、なんだかスッキリしたもんだよ。だから、天屋さんは俺達にとって、ドライブ能力の先生だった」

「へぇ……そんな感じだったんですね……」


 宗助が顔をあげてその小さなエピソードに感心する。宗助自身も、『確かに千咲に自身の異変を伝えた時は心がなんとなくすっとしたものだった』と少し前の事を思いだしていた。


「なぁ宗助。話は戻るんだが……そのエミィさんとロディさんという二人にここに来てもらうことは出来ないだろうか」

「……いいんですか? 話しておいてなんですが、まだまだ不明な部分が多い二人ですが」

「だからこそ来てもらって、話を聴かせてもらうのさ。何かあれば責任は俺が取る。気にせずに、そうだな、可能ならば、明日の朝にでもその二人を迎えに行ってくれないか」

「明日は海での合同演習に参加予定ですが」

「担当に任務で欠席だと伝えておくよ。この件に関しては、それなりの優先事項とさせてもらおう。デマとか嘘だったってのは勘弁して欲しいがな」


 稲葉はそう言って苦笑い。


「わかりました。明日の朝、二人を迎えに行きます」

「ああ。よろしく頼む。今日はもう休んで、明日に備えてくれ」

「了解です」


 宗助は立ち上がり一礼してから隊長室を後にした。




 翌日早朝。宗助は言われた通りエミィとロディを迎えるために、二日続けて町へと降りてきていた。ロディに教えてもらった通りの宿を訪ねたはいいが、早朝にも関わらず二人は不在だった。宗助は途方に暮れて宿の前で突っ立っていた。

 二人が帰ってくるのを待つしかないかと考え、待っていたのだが……うだるような暑さの中でいつ帰ってくるかわからない二人をじっと立って待っているだけというのもなかなか辛いものがあった。


(……またあのゲーセンにでも行ってみるか)


 宗助にとって残された手がかりはそこしか無くて、とりあえず初めて二人と出会った場所へと歩き始める。

 十分ほど歩いて、商店街にたどり着く。

 商店街では各店舗が開店をし始めたばかりで、まだシャッターが閉まっているところもある。喫茶店だとか軽食の店は朝食目的の客狙いですでに開店しているようだったのだが……。

 宗助がゆっくりと歩いていると、少し遠くで手を振っている女性を発見した。


(…………俺……?)


 宗助は周囲をキョロキョロ見回して、その女性が誰に対して手を振っていることを確認する。周囲に人はおらず、どうやらその女性は宗助に対して手を振っているようだった。

 少し目を凝らすと、すぐにその人が誰だかわかった。


「……あおいか」


 そう。入院している筈の、宗助の妹である生方あおいだった。半袖白ブラウスと紺色ベースのチェックスカートに紺色のソックス、革靴……要するに学校の制服姿をしており、小走りで宗助のもとに駆け寄ってきた。


「なにしてるの、こんなとこで」

「こっちの台詞っていうか、病院は? 身体はいいのか?」

「もうとっくの昔に退院したよ。メッセージ送ったでしょ」

「え……?」

「もしかして読んでないの……返事なかったから、もしかしてとは思ったけど……」


 どうやら日々の訓練や事件にかまけていて、すっかり流して読んでしまっていたらしい。


「お兄ちゃんが外でフラフラしてる間に、私も色々あったからね。結構調子いいんだ。あ、でも、たまには家に帰ってこないと、お父さん心配してるよ? 家のこととかちょっとは手伝って欲しいって」

「あぁ……フラフラね……。はは」


 妹に言われ宗助は苦笑いを浮かべる。一応日夜世界の平和に従事していて、日本への侵略を未然に食い止めた実績すらあるのだが、……彼の妹がそんなことを知る由もなく。


「じゃあ私、今から学校行って夏期講習だから」

「八月の終わりにか」

「そうなんだよ。でも入院していた分も取り戻さないとね」

「そっか。がんばれよ」

「うん。行ってきます!」

「行ってらっしゃい」


 宗助が商店街を歩いて行く妹を見送ってから本来の人探しの任務に戻ろうとしたその時。


「かわいい妹さんですね」


 突然背後の近距離から話しかけられた。すっかり油断していた宗助はビクリと肩を震わせてから慌てて振り返りとりあえず距離を取る。


「おはようございます! もしかして、生方さんも朝ごはんですか?」


 するとそこには、笑顔を浮かべたエミィとロディの姿があった。


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