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machine head  作者: 伊勢 周
17章 言葉と記憶
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彼女の決断


 たった今出会ったばかりの大男の話を全て信用して付いていくか、ここに残るか。冷たい口調で選択を促され、リルは一歩後ずさる。


「わたし……は……、……」


 ミラルヴァは黙って、彼女が答えるのを待っている。彼ならば連れ去ろうと思えばいつだって連れ去れるだろうに、彼女の決断を待っている。

 そしてリルはというと混乱し、まともな思考回路が成り立たなくなっていた。

 普通に考えて、いきなり現れた正体不明の男に「付いて来い」と言われて「わかりました」とほいほい付いていくかどうかという話なのだが、その男の口から飛び出した父親の名前とその現状が彼女の考えを迷わせる。

 自分の父親が、自分を探している。そして、自分の友達を殺そうとしている。そのせいで、自分の友達が父を憎んでいる。それが本当の話ならば、絶対に止めなければならないと考えた。そこにどんな理由があろうとも。

 そして、彼女は父親に会いたかった。リルにとって幼いころに生き別れた父親で、写真もないが……たった一人の父親だ。心の奥底では覚えている、温かく優しかった父親。

 自分の名前を呼ぶ声。自分を抱き上げる手の大きさ。


「おとう、さん……。……」


 震える声で、小さく呟く。


「決まったか」


 そう言われても、リルはしばらく唇を噛んで黙っていた。が、ようやく小さい口を開き、か細い声で語り始めた。


「……。……あなたの話すこと、嘘だって思いたい。……本当は、あなたはわたしを連れ去ろうとするただの悪い人で、お父さんはあなたとなんて、全然関係なくて……どこかで、元気にしていて……いつか、優しく迎えに来てくれる。そんな風に、思いたい……」


 リルは言いながら悲しげに俯いた。


「……だけど、なんとなくわかる。あなたの目を見たら……。今まで何人もの人達がわたしのことを、嘘ついてだまして、連れ去ろうとしてきたけれど。その人達はみんな同じ目をしてた。どんよりしていて、怖い目。でも、あなたは違う」


 そして「あなたが嘘つきだった方が、よっぽど良かったのに」と付け加え悲しそうな表情のまま笑みを作る。ミラルヴァはリルの言葉に何も答えず。しかしリルは、顔を上げてミラルヴァを見つめて更にもう一言放つ。


「あなたの目は、……なんだか、とても悲しそう」


 それからリルとミラルヴァは、何も言葉を交わすこと無く数十秒の間見つめ合っていた。日は徐々に傾き、そして夕闇が訪れる。東の空が紫に染まり始めた頃、その見つめ合いも終わりを迎えた。


「……わたしは、あなたには付いていかない。ここに居る」


 リルは唐突に、きっぱりと言い切った。体の震えはいつの間にか止まっていた。衝撃と困惑が混ざった濁流の中で、彼女はとても大切な事を思い出していたからだ。


『私は、好きであんたと居るのよ』


 自分を守って傷だらけになって死にかけても、笑顔でそう言ってくれた人が居る事を。血も繋がっていない自分の事を十年以上の間育て、守り続けてくれた、母親同然のとても大事な女性が居る。そんな彼女を置いて黙って自分だけ父親の元へと行くなんて、リルには絶対に出来なかった。


「まだ、わたしはジィに何も伝えてないから」

「……そうか」


 ミラルヴァはたったそれだけ言って、彼女から目を離し振り返る。


「……戻るの? お父さんのところに」

「もうここでの用は済んだ」

「……わたしを……迎えに来てくれたの?」

「迎えに来た訳じゃない。…………先程言った通り、お前と少し、話をしに来ただけだ。そして忠告をしておいてやる」

「忠告?」

「今の話をここの連中にするかどうかはよく考えてから決めた方がいい。時間は無いがな」


 懐から缶ジュース程の大きさで黒い筒状の機械の塊を取り出し、空中に放り投げた。するとその機械は空中に浮かび、白い直径二メートルほどの球体を創りだした。と言っても質量が無いようで、実体の無いヴィジョンだけ浮かび上がっているような、不思議な球体であるが。


「……。ねぇ、私、あなたと会ったことが有るの? もっと私が、小さい頃とかに」


 リルは続けて質問を投げかける。ミラルヴァはそれには答えない。しかし。


「……リル。お前は、近いうちに父親と会うことになるだろう。その時……」

「……?」

「決断をした以上、……揺らぐなよ」


 そんな意味深長な一言を言い残し、ミラルヴァは白い球体の中へと消えていった。するとすぐに球体は縮んで、それを作り出していた機械ごと消えてなくなった。目の前で起きたその出来事と贈られたぶっきらぼうなエールに、リルは立ったままでその場からしばらく動くことが出来なかった。



 しばらくして、そこに、レターセットを持った桜庭が帰ってきた。立ち尽くして呆然としているリルを疑問に思いおそるおそる話しかける。


「えっと……リルちゃん?」

「……えっ、あっ、うん、お帰り、小春ちゃん」

「どったの? なんか……深刻そうな顔してたけど……」


 尋ねられ、リルは考えた。言うべきか、そして尋ねるべきか。桜庭の優しげな笑顔が、逆に言いづらさを増幅させる。


『わたしのお父さんは、あなた達を殺そうとしているんだって』

『あなた達は、わたしのお父さんを殺そうとしているの?』


 言葉が頭に浮かぶ。それは数秒で出せる選択ではなくて、次にリルは桜庭にこう言うしか無かった。


「えっと、なんだか、ちょっとぼぉっとしていただけ……夕焼けが綺麗だったから」

「そう? おぉ、ほんとだ、めっちゃ綺麗!」


 桜庭は言われて空を見上げる。上空には薄紫色に染まった空と、一番星。

 言ったリルは、夕焼け空など見てはいなかったのだが。



          *



 アーセナル、ブリーフィングルーム。

 基地の近くに流れる川の上流に、またしても男の変死体が見つかった。そんな連絡が来て、宗助が話し始めたパラレル・ワールドの話は一旦後に流れてしまった。

 死体が見つかった程度ならば、いちいち全てがスワロウ管轄の事件であるという訳でもないのでそう身を強張らせることは無いのだが、その男が懐に入れていた一枚の紙が問題だった。

 その紙は川の水に浸かりぐっちょりと濡れてしわくちゃになってしまっていたのだが、乾かしてよく見てみるとその紙には少女の写真が貼られていた。それの何が問題かというと、その少女の容姿にある。四歳ほどの女児なのだが、目鼻立ち、そして髪の毛の色が、リル・ノイマンそっくりだったのである。その男の顔立ちも、リルとジィーナが住んでいたアパートで死亡していた男と、まるで兄弟のようによく似ているという。……首をへし折られたその死に方さえも。

 その報告事項を聞いた不破が「兄弟か何か知らんが、こいつらはグルで、同じヤツに殺られたって事だろうな」と言うと、千咲もその予測を肯定する。


「そうですね……だけど、なぜ死体の場所がこんなにも離れているんでしょうか」

「逃避行の末追い詰められたか……」

「……犯人に連れ去られたとか」


 それぞれが思い思いに推理を立てていくが、どうも終わりのない予想大会の様相を呈してきた。そんな場を稲葉が引き締めようと少し大きめの声で全員に言う。


「みんな」


 全員が稲葉に注目する。


「今回の件というのは、単純な視点で見ると『ドライブ能力を持った犯人が町に潜んでいる可能性が高い』ということで、そして上から警備巡回に出ろと言われればそうするし、次に何かあった時に瞬時に対応できるよう準備をしなければならない。そのために集合待機している。……宗助も、すまないが先ほどの話の続きはこの場が落ち着いてからにしよう」

「いえ、構いません。……あの、俺、着替えてきても良いですか?」


 宗助は稲葉の話に答えてから、その話と相まって自分だけ私服の状態に居心地の悪さを感じ、通常装備に着替えるために退席する事への許可を仰ぐ。


「あぁ、構わない。行って来い」

「はい。それじゃあ」


 宗助は一礼して席を立ち退室すると急いでロッカールームへと向かった。



          *



 結局その日は午後十時過ぎまで待機。そして、特に何も進展が無いまま待機解除を命じられた。ただ、警戒は解かぬように、とそれだけ。それは犯人を追う手がかりがあまりにも少なかったためだった。まさか犯人がセキュリティをかいくぐって中庭に忍び込み、リルと話していたなどとは知らずに……。

 待機解除を命じられた宗助はその足で再び医務室へとやってきていた。招集前に岬と約束した『話』をするためなのだが……時間が時間だけに、


(……もう、今日は部屋に戻ってるだろうなぁ……)


 そんな風に思っていて、宗助は『岬はもう医務室には居ないだろうな』と半分諦めつつ、扉の前にやってきた。部屋のすりガラス越しに、部屋の中の電気が一部しかついていないことがわかった。一歩前に出て扉の前に立つと自動扉は静かに横にスライドして開いた。中をのぞき込むと、奥の一角のパーテーションで仕切られた部分だけ電灯がついている。そして耳をすませば僅かに呼吸の音がしているので、人が居るらしいことがわかった。


(岬か……平山先生かな?)


 宗助が部屋の中へと入り電灯で照らされている部分へと足を進める。パーテーションの裏側を覗きこむとそこには……机に突っ伏して、すぅ、すぅ、と規則的に寝息を立て、自分の腕を枕にして眠っている岬が居た。。


「……疲れてるなら部屋に戻りなさいって言ったのに、なかなか帰ろうとしなくてね。……原因はあんただったワケか」


 宗助がその光景に目を釘付けにされていると、横から突然声をかけられた。そちらに振り向くと、椅子に腰掛けて片手にコーヒーが注がれたマグカップを持った、呆れ半分笑顔半分といった表情の平山が居た。


「あ、えっと、お疲れ様です。平山先生」

「こっちの台詞さ。緊急の招集があったんだろう? 内容は知らされてないが」

「……まぁ、えっと、……それなりに」

「言えないことなら別にぼかさないで、『言えない』って言っていいよ」

「……はい、まだ言えないんです」

「そうかい」


 平山は苦笑いしつつ言う宗助の様子を見て満足気な表情でマグカップに口を付ける。


「えっと……」


 なんて言っていいものかと宗助は迷い、なんとなく眠っている岬をちらりと見る。すると平山が宗助の心境を察したのか、少し小さめの声で言う。


「その子、あんまり眠れてなかったみたいでね。誰かさんのせいで」


 平山にじろりと見られ、てっきり宗助は説教されるのかと身構える。だが、平山は特に宗助を責め立てるわけでもなく。


「若いっていいね、いろいろ楽しそうで。まったく」


 と苦笑いで呟いて背もたれにもたれた。


「昨日の今日で、説教されると思ったかい?」

「少し」

「若いうちは、皆すれ違いを上手に繕いながら仲良くなってくもんだと思うよ。少なくとも私はそうだったね。完璧なコミュニケーションなんて無いんだから」


「年取ってくると、そうはいかなくなってくるけど」と後に付け加えて平山は小さくため息を吐いた。


「この子は気弱なくせに、自分が『それだ』と思った事には結構頑固で強気なところがあるからね。理由も言わずに、じぃっと、ずっとそこで『何か』を待ってたんだ。もしかして、とは思ったけど」

「……」

「それでまぁ、起こすのが申し訳ないくらい良い寝顔してるから、どうするか迷ってた所」


 宗助が再度岬の寝顔を見ると、少し薄暗いが本当に穏やかな表情で寝息を立てているのがわかった。


「確かに、ちょっと起こしづらいですね」

「だろう?」


 平山が、今度はいたずらっぽく笑う。宗助は膝を床について岬の顔と同じ高さに自分の顔を持ってくると、少しの間無言で寝顔を見つめてから、彼女に小声で話しかける。


「岬、待たせてごめん。話はまた明日にするよ」


 そして立ち上がり平山に一礼した。


「平山先生、お疲れ様です。今日のところは戻ります」

「あぁ。あんたは明日の朝まで非番だろ。ゆっくり休むといい」

「はい。色々、ありがとうございます」

「岬には、一応あんたが来てたって言っておくよ」

「……助かります。待たせてごめんと、言っておいてください」


 宗助は少し微笑んでもう一度礼をして出口へと振り返り、部屋を後にした。


 そして。

 宗助が平山に「戻る」、と言ったのは嘘ではないのだが、宗助はどうしてもその日の内に済ませておきたい案件があった。居住棟の方とは逆の方向へと足を進め始める。歩きながら携帯電話を取り出し、短縮ダイヤルを押して耳へと持っていき、電話が繋がるのを待つ。


「……。もしもし、隊長、こんな時間にすいません、生方ですが……」





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