天屋公助という男
嫌な気分のまま医務室を後にした宗助は、雑念を振り払うかのように早足で資料室へと向かっていた。
まず宗助は、天屋前隊長について調べようとしている。今、自分には調べるべき事柄が有って目標も有る、と考える事で、嫌な出来事を振り払おうとしているのかもしれない。
『資料室』と書かれた案内板を見てここだと確信する。隊員証を扉横のスリットに通して扉を開き中に入ると、図書館のような懐かしい紙の匂いとほこりっぽさが部屋中に充満していた。
それもそのはず。部屋中に背の高い本棚がずらりと並べられていて、奥行きが見えず風通しも悪そうで、どれくらい広いのかが宗助の位置からでは全く判別できない程だった。そしてその本棚にはファイルだとか本がギュウギュウに詰められていた。
宗助はそんな『資料室』の光景に少々頭痛を覚えながらも、調べ物にとりかかる。
(経歴、かな……まずは。天屋さんの、履歴書というか、入隊の経緯。……いや、待てよ…………天屋さんは確か、スワロウの創設者って言ってなかったか……?)
なんとなくそんな情報を思い出して、天屋のプロフィールというよりはスワロウが設立された経緯が気になり始めた。
「こっちかな……」
なんとなく本棚の通路を歩いてみたが、それらしきファイルがなかなか見つからない。隊の概要だとか規則だとかのコーナーから、今までに確認されたドライブの種類を事細かに書いているファイルだとか(それはそれで興味があったが)、宗助が求めている物はなかなか見つからなかった。
数分間資料室を練り歩いていたその時だった。
「生方くん」
静寂に包まれていた資料室で宗助は突然名前を呼ばれた。目的のファイルを探すのに必死で人の気配に気づかなかったのだ。振り返るとそこにはオペレータールームの秀才・海嶋夏彦が立っていた。
「海嶋さん、お疲れ様です」
小さく会釈をする。
「お疲れ様。資料室のセキュリティに生方くんのアクセスが有ったから、珍しいなと思って様子を見に来たんだけど、何か調べ物?」
「あぁ、えっと、……その、天屋さんについてちょっと」
「天屋さん……? なんでまた突然」
「なんでって、それは、えっと、……あまりに皆さんが凄かったと言うものだから、その、どれくらい凄かったのかなとか、どんな人だったのかなって……」
凄まじく下手くそな言い訳になってしまったが、海嶋は特に怪しむわけでもなく(相手が宗助というのもある)「そうなんだ」と言う。
「天屋さんがどうやってスワロウを創ったか、みたいな事とか?」
「ええ。ざっくりと言えば……。スワロウを創る前は何していたのかなって。海嶋さんはご存じですか?」
「うーん、実を言うと、天屋さんのプライベートな話って、あまり知らないんだよね……」
「そうですか……」
「でもまぁ、天屋さんの事を調べるのなら、どっちにしてもここを探すのはよしたほうが良いよ」
「え?」
「だって、ほら、見たら分かるだろ、この膨大な量の書類とかファイル。全部の表紙ラベル見るだけでも一日かかっちゃうよ。生方くん、今日休みだろ?」
「ええ、まぁ……」
それは言外に『こんな事で休みの日を費やしていて良いの?』というニュアンスが含まれているのだが、宗助だって言われなくても嫌な休日の過ごし方だと思っていた。しかし、情報部に情報の開示を求める適切な理由が思いつかない。
「だからさ、僕に付いてきて」
「はい?」
「こういう情報にアクセスできる専用の端末が情報部にあるから、それで調べよう
「あ、えっと、海嶋さん、悪いですよ、仕事中なのに」
「いいさ、隊員のサポートをするのが僕らの役目だからね。それに……」
「それに?」
「僕もちょっと興味が出てきたよ。言われてみればね」
海嶋はそう言って笑うと、資料室の外へと歩き始めた。宗助も彼の背中を追い、資料室を後にした。
海嶋が言った「隊の情報にアクセスできる端末」がある部屋は基地の少し奥まった場所に存在していて、資料室から三分ほど歩くことを要求された。見た目は普通のデスクトップパソコンと変わらないそれに、海嶋が軽快な指さばきでキーボードを通して命令を打ち込んでいる。
「天屋公助……。お、出たよ。……えっと……」
「どうですか?」
「うーん。生方くんが求めているような情報は、無さそうだなぁ。経歴とかも真っ白だ。家族の存在も何も書かれていない」
「出生地とか、行っていた学校とかも?」
「うん。何も書かれていない。十一年前にスワロウが創設されてそこで入隊となっている、そして同時に隊長に。それだけだね」
「十一年前に……」
言われて、宗助が入隊した際に十一年前この部隊は創設されたのだと稲葉に言われた事をおぼろげながら思い出す。
(コウスケ・レッドウェイという人物が失踪したのが十二年前……一年違いか)
「えっと、じゃあ、設立された経緯とかはご存じないですか?」
「経緯か。それなら、触りだけ聞いたことがあるね」
「さわり?」
海嶋はパソコンから目を話し回転椅子を回転させ宗助に向き直る。
「うん。当時の国連平和維持活動局の担当事務次長……だったかな、詳しい肩書は忘れたけどその人が、夜中にマシンヘッドに襲われたんだ。そこに颯爽と現れてマシンヘッドをやっつけたのが天屋さん。そこから話がトントン拍子に進んで、対策を練らなければ、とスワロウ創設の流れとなったんだったかな。ごめんね大雑把な話で」
「いえ……充分です」
「あ、でも。その頃、つまり創設前には天屋さんとは、稲葉隊長も宍戸副隊長も知り合いだったって言うから、二人に話を訊いてみれば色々教えてくれるかもしれないよ」
「隊長と、副隊長が?」
「うん。聞いた話ではね。創設するだいたい一年前に、二人が天屋さんに出会ったって。二人が二十歳になって間もない頃だったかな」
「……つまり。十二年、前……」
「どうしたの? 怖い顔して」
海嶋は考えこむ宗助の顔を覗きこんで尋ねる。宗助は、「いえ、なんでもありません」と答えて、そして「隊長に話を訊いてみます」と続けた。
*
時刻は一時間ほど前、リルとジィーナが先日まで過ごしていたアパートの部屋。周囲の建物のせいで傾き始めた夕日の光さえほとんど差し込まない薄暗いその部屋に、二つの男の声がぼそぼそとひびく。
「……もぬけの殻だな」
「やっぱり情報が古すぎたのかな……」
「高い金払って手に入れた情報だったんだがな」
「どうすんだよ、兄貴ィ」
「情けない声を出すな。すぐに泣き言を言うやつだよお前は、ったく」
かなり荒んだ風貌をしている男二人が、家具類が一切無いその部屋で途方に暮れていた。ちなみにその部屋は、稲葉の提案で借りたままにしていた。「『釣り堀』になるかもしれん」という理由で。
「この手配のガキ捕まえんの、やばい気がしてきて……」
「あぁ? なんだよ。今更諦めるって言いてぇのか。この程度の事で」
「だってよぉ、俺、聞いたんだよ、あの情報屋のオッサンに。このガキ探しに出た賞金稼ぎで、無事帰ってきた奴はいないらしいって……」
男の手には、しわくちゃになった紙が握られており、そこには紺色の髪を持った三歳か四歳程の少女の写真が写されていた。
「今更怖気づいたか……」
「……噂によれば、あの名うての殺し屋のゼプロもやられちまったって話だし……」
「だからなんだってんだ、俺達は、このガキを追うために何人も殺してんだぜ。もう後には退けねぇ……。捕まえりゃあ、貰える賞金は人生三回はやり直せるレベルの金額だ」
「う、うう……」
「そしてガキを追うには、お前のドライブが必要だ。わかったらさっさと探せ! どんだけ掃除してようと必ずアレは有るはずだ」
片方の男はそう言って、ペンライトを取り出して足元を照らし、そして跪いた。
「俺の『追跡』を頼りにしてくれるのは嬉しいけどよぉ、兄貴、ただ、索敵範囲がその日の調子によるんだ……自信ないよ……やれるかな……」
「……見つけた。あったぞ。ふん、掃除が甘いな」
跪いていた男は床から何かをつまみ上げて立ち上がり、ライトの光にかざす。
「紺色だ。間違いない」
それは、一本の髪の毛だった。
「ほら、お前が持て」
男は言いながら、片方の男に一本の髪の毛を渡す。男はおずおずと手を差し出してその一本の紺色の髪の毛を受け取る。
「いいか、ロッセル。自信なんてもんは、『やって』から付いてくるもんだ。『やる』『やらない』の選択に、そんなくだらねーモンを持ち込むんじゃねぇ。俺達は、確実にこの娘に近づいているんだ。さっさと『やれ』!」
ロッセルと呼ばれた男は「わかった」と言い、受け取った髪の毛を握りしめて額の前に持ち上げ目を瞑り精神を集中させている。
そしてその体勢のまま、十秒……二十秒……三十秒。ロッセルの表情は徐々に険しくなっていき、額に汗がにじむ。一分もその状態が続いた頃。ロッソは突然目を開く。
「……見つけた……! 見つけたよ、兄貴!」
「言ってみろ」
「こっから、北北西だ。遠くない……距離はだいたい、直線距離で十五キロってところか……山の上だな、少し標高が高い」
「よし。やはりお前は信頼できる奴だ、ロッセル。細い位置は近づきながら絞っていこう」
男はロッセルの肩をひとつポンと叩き出口へと歩き始める。ロッセルはそれに気を良くしたのか表情を緩め、そして男の後を付いて歩く。
ところが。唯一の出入口である玄関に、一人の男が立ちふさがっている。薄暗くて顔がわかりづらかったが、天井スレスレの身長に随分と逞しい体つきで髪型は金色であることだけは判断することが出来た。
「い、いつの間に……」
当然二人は身構える。金髪の男は黙って玄関に仁王立ちしている。ロッセルが兄貴と呼ぶ男に後ろからひそひそと声で話しかけた。
「あ、兄貴……こいつ、同業者かな……俺らと同じところで情報貰って、ここに?」
「……いや、そうかもしれないが……。どこかで見覚えがあるぞ……このでかい図体に金髪……。まさかここの大家だなんて言わねぇだろうしよ」
金髪の男は無言のまま、そこで始めて一歩、玄関から家の中に足を踏み入れた。ロッセルは驚き一歩下がる。兄貴と呼ばれていた男は目を細めてその金髪の男の顔をうかがう。そこで男は、驚きに目を見開いた。
「……――っ!! 驚いたな。こんなデケェ獲物が、自分から姿現してくるとはよ」
「え……兄貴……? この男を知ってるのか!?」
「恐らくこいつはミラルヴァだ。リルとかいうガキを追っていて、まさかこいつに出会えるとは」
「ミッ、ミラッ……!?」
ミラルヴァはもう一歩部屋の中へと足を進めると、そこで初めて声を放つ。
「知っているのか、自分の事を」
「あぁ、手配書の中でだけだがな……! お前の場合生死は問わねぇと言われている。そのぶっとい首を置いていって貰うぜ」
「……手配書、か……。自分の首の事などどうでもいいが……、お前たちは先程、『リルを追っている』と言ったな」
ミラルヴァは薄暗闇の中で赤い眼光を走らせ言う。
「だとしたらどうだって言うんだよ」
「お前達の表情と、一直線に出口へと向かってきた所を見る限り、たった今探索を終え、何か手がかりを見つけたと言うところか」
会話が成り立たない事と、軽く自分たちの行動を言い当てられた事で、男は怒りと不気味さを同時に感じて身体を強張らせる。
「お前は、なかなか鍛えられた肉体をしているな。戦闘系の能力か……だが後ろの奴はそうでもないらしい。補助系か……。その中でも追跡系の能力を、何か持っているな……。猟犬のような……」
ロッセルは思わず「なぜ判った」と口に出してしまいそうになって、ぐっとこらえる。だがしかし、ミラルヴァにはそれさえも見透かされていた。
「『なぜ判った』、という顔をしているが……。この部屋の状態を見ればすぐに判るさ」
「……っ」
「喋ってもらうぞ。『リル』への手がかりとやらを」
「教えてやる義理も必要も無いな。なぜならおまっ――」
男の台詞は、途中で強制的に止められた。次の瞬間には、すでにミラルヴァの右掌が男の首を静かに握ってへし折っていたから。ミラルヴァの手で首から宙吊りにされた男は、もう二度と声を発することは無かった。
見せしめと言わんばかりに男の死体をロッセルの目の前に投げ捨てる。
「ひっ、あっ! 兄貴ぃぃぃぃっ、むごっ」
そしてロッセルの口も、一瞬でミラルヴァの掌に塞がれてしまう。
「お前が今から喋っていいのは、『リルの情報』だけだ。関係ない事を喋る毎に歯か腕か足を一本へし折る。いいか、よく考えて言葉を喋れ」
まさに眼と鼻の先に迫るミラルヴァの眼光。ロッセルは涙目になりながら必死にこくこくと首を上下に振った。




