ノスタルジックロード
翌日、岬は宗助に謝る為に朝から居住区の男子寮前の動く歩道の側でぽつんと待ちぼうけ。そこまで来たのなら部屋まで行けばいいのだろうが、部屋まで押しかける度胸が岬には無かっただけ。そこが彼女の精一杯の場所なのだ。
そわそわしながら彼女がそこで待っていると……。
「おい」
低い男性の声が岬の背中にぶつかった。びくっと肩を震わせて振り返ると、少し寝ぼけ眼の不破が立っていた。
「……不破さん、おはようございます」
「おお……おはよう。どうしたよ、こんな朝っぱらから……」
「あ、えっと、それは……ですね……」
何やら言いにくそうに視線を彷徨わせもじもじとする岬を見て不破はすぐにどういった理由なのか見当をつけた。そして不破は、自分が持っている情報を岬に伝える。
「あー……えっとだな、宗助なら朝早くから出かけたぞ」
「え?」
「今日は非番だから、母親の墓参りに行くって。もうすぐ命日なんだってよ。暑いから早めにやって早めに帰るって言ってたけどな」
「……そう、ですか」
少し俯き落ち込んだ様子の岬を見かねて、不破が「緊急用の電話鳴らしてやろうか?」ととんでもない冗談を言うが、岬は特にそれには笑顔を見せること無く、「いえ、また、帰って来るのを待ちます。……急ぎの用事じゃないので」と寂しそうに笑って、不破に礼を述べ本棟への通路を歩いて行った。
岬の背中を見送りながら、不破は何事だろうかと考えつつ。
「あの野郎め」
とりあえず宗助が何かやったに違いないと考えてそう呟いた。
4
生方宗助は、スワロウに来る前はもともと父親と半分二人暮らしだった。半分、というのは、宗助の妹であるあおい次第だったという意味で、彼女が身体を悪くして入院をすれば、それはつまり父親との二人暮らしが始まる事を意味する。
近頃では宗助は妹にべったりという様子だったが、もともと仲が良かったかというとそうでもなくて、むしろ家では殆ど会話をしない冷めた兄妹だった。
嫌い合っていた訳ではなく、ただお互い『なるべく不干渉』を心がけていて、「お風呂あいた」だとか「ごはんできた」だとか必要最低限のコミュニケーションしか取っていなかった。宗助の母親はそんな二人を随分心配して「もっと仲良くしなさい、兄妹なんだから」と説教をするのだが、そんな時だけ息ピッタリに「仲が悪い訳じゃなくてそんなに喋らないだけ」と言い返すのだった。それは「仲良くしろ」と言われている事に対する返事としてはただの屁理屈でしかないのだが……。
ともあれ、そんな二人の仲を温かくしたきっかけは、皮肉にも二人を一番心配していた母親の入院だった。
宗助は、母親が病院に入院した夜に父親に告げられた。
「今まで黙っていたが……母さんはもう、治らない。もって半年だ」
そこには、現実感なんて欠片も無かった。そんな台詞は漫画やドラマの中だけの話だと思っていたのだ。その事実は次に妹にも知らされて、そして妹は部屋にこもってずっと泣いていた。
宗助は放心状態のまま、隣の部屋から小さく聞こえる妹のすすり泣く声をずっと聞いていた。
それからの数ヶ月間。ほぼ毎日病院に通う日々の中、父と妹とよく話し合って、協力し、励まし合って、時に愚痴をこぼして、思い出話をして……。みるみる弱っていく母を目の当たりにして、精神力も体力もすり減っていく日々の中。家族の尊さというものを初めて自覚したのだった。
*
午前九時。快晴の霊園に、ミンミンゼミの鳴き声が響き渡る。
墓へとやってきた宗助は雑草がちらほらと生えた母親の墓を見て、まだ父親達は来ていないのだな、と思う。
宗助の母の命日はまだ三日ほど後だったが、一番近い休みの日が今日だったから来たのだ。父親が来るのなら、次の土曜か日曜が妥当だろう。虫除けスプレーを自身の手足にふりかけて、よし、と気合を入れる。
墓参りと言っても宗助はそういった作法だとかに詳しいわけではない。ゴミ袋と線香と数珠を持って、途中で花とお供え物を買って行き、墓の中の雑草を抜いて墓石を磨いて花と餅をお供えして、線香をあげるくらい。ただ、心の中で、近頃起こった様々なことを報告するように念じながら。
一時間ほどで墓参りは終わり、宗助は霊園からそのままバスに揺られて帰っていた。ただ、行き先は基地ではなくて、宗助が生まれ育った町。宗助がスワロウに入隊してから四ヶ月と少ししか経っていないのだが、それでも彼は随分と長い間ゆっくりと町を見ることが出来ていなかったように感じていた。近くに寄ったついでに、せっかくだから少しぶらついていこうと宗助は考えた。
平日午前十一時のバスは随分と空いていて、宗助は一番後ろの端に座っていた。エアコンの効きすぎたバス車内。外は真夏日で、日差しの侵入を防ぐためにほとんどの窓にブラインドが下ろされている。車内アナウンスが馴染みある停留所の名前を告げたのを聞いて、停車ボタンをゆっくりと押した。
下車すると、すさまじい太陽の光と熱が容赦なく降り注ぎ、バスの冷房に慣れかけていた肌には刺激が強く、宗助は思わず顔をしかめる。熱風を顔に浴びながらとりあえず、と繁華街へと歩き始めた。
たまに学校帰りに寄った安いラーメン屋だとか、漫画を立ち読みしていたコンビニとかを通りすぎて……そして次に宗助の目についたものは。
「ゲーセンか……たまに来てたなここ。学校帰りに」
校則違反だとかで先生に捕まってる奴もちらほら居たなぁなどと振り返りつつ、フラフラと吸い込まれるように宗助はゲームセンターの中へと歩いて行った。
ゲームに限った話ではないが、近頃は一、二年経てばガラリと様変わりしてしまう。宗助が来ていた頃に流行っていたアーケードは隅の方へと追いやられていて、今流行りらしいゲーム機が入口のあたりを占領している。
「山にこもってると、最近のは全然わからないな、もう……」
などと、まだ十代のくせしておじさんめいた事を呟きながら中をブラブラと歩いていると、宗助は端の方の少々周囲からの死角になっているところで、何やら一人の女性がチンピラ風の三人の男性に囲まれているのを見つけた。
そちらに意識を集中させて、どんなやりとりをしているのか音を拾ってみる。すると、聞こえてきたのは、いいじゃん、とか、あそぼうよ、とか外に車置いてあるから、とか……。
(タダのナンパか……本当に居るんだな、ああいうのって……)
半分感心しつつ、宗助は続けて様子を見る。ここからでは女性の方の顔は見えなかったが、そこで女性の声が聞こえてきた。
「しつこいなぁ、もう。だから、人待ってる間の暇つぶしって言ってんでしょ。遊びに行ってる時間なんてないの」
明らかに面倒くさそうな声だった。宗助が周囲を確認すると、怯えた様子で見て見ぬふりしている女性店員と視線があった。
助けに入った方がいいのかなぁと思いつつ、先日白神が地元の暴走族を壊滅させただとかなんだとかで反省作文を書かされていたのを思い出す。めったに使わない事務机でにこやかにタイピングする白神の姿はなかなかシュールで衝撃的だったのだが、それは置いておいて……。
すると男の一人が女性の肩に手を置いて、「何? 彼氏とか待ってんの?」と問いかける。その動きのお陰で、女性の顔がチラリと見えた。身長は小柄で、肩の上あたりまでの明るめの金髪に、半袖の白ブラウスとデニムの短パンにニーハイソックスを履いた、大学生くらいの女性。顔立ちは西欧人というよりかはアジア系のように見えるが……。
「きれいな髪だねー、自分で染めたの?」
男が手慣れた様子で、流れるように肩から彼女の髪へと手を動かし、触れる。
すると男は「ゔっ」小さく呻き声をあげてその場に崩れ落ちてしまった。
「これ、地毛だから」
女性が倒れた男を見下ろしながら、ため息混じりに吐き捨てる。残り二人の男は何が起こったのかわからず、倒れた仲間と女性の間で顔を行ったり来たりさせている。
「スタンガンか!?」
髪に触れた瞬間「バチッ」という小さな音が鳴ったのを宗助は聞き逃さなかった。だが、彼女が道具を使ったようにも見えなかった。男は彼女の髪に触れただけ。
(まさか、ドライブか……?)
こうなっては、一般人がどうとかは別の話だ。宗助が彼女に歩み寄ろうとした時には既に、残り二人も地面に崩れ落ちてしまっていて、彼女は触られた部分を右手でパンパンとダルそうに払い、そして倒れた男たちに背を向けて去ってしまった。宗助は慌てて駆け寄り、倒れている男たちの様子を見る。当然殺されてはいないようで、仲良く三人で気絶している。
次に宗助は、一体彼女は何者なのか確かめなければと考え、背中を追う。これがドライブ能力の仕業ならかなりのレベルで力をコントロールしている。
「すいません、そこのあなた、ちょっと」
女性に追いついた宗助は、その背中に声をかける。すると女性は歩いていた足を止めて、「はぁ~~~」と大げさにため息を一つ。
「なんですかぁ、もう。さっきの奴らの仲間だったら、もうほんと、私に――」
女性はダルそうに言いながら振り返る。しかし、宗助の顔を見た瞬間、何故か彼女は絶句した。そしてダルそうな顔はみるみる驚愕の表情へと変化して。
「……し……!」
「……し?」
「し……し……!」
「……?」
「しつちょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「う!? うおおっ!?」
女性は大声で謎の単語を叫びながら宗助に思い切りタックル&ホールドをかました。宗助はとっさの事で避けることができず、そのまま女性に押し倒されてしまう。
「いってててて……」
顔をしかめつつ、未だに自分に抱きついている女性を何事かと見る。すると女性はガバっと顔をあげて、宗助の顔を泣き笑いのような表情で見下ろした。
「室長! やっぱりご無事だったんですね! 信じていました!」
「……へ?」
周囲の客は何事かと二人を見ているが、彼女はそんな視線などお構いなしでマウントポジションを譲らず。
「私です、エミィですよ! 憶えてないですか!? 十二年ぶりですもんね、私も大人になりましたからッ!」
宗助の頭上にハテナマークが飛び交う。十二年前と言えば、自分は七歳の頃の話だ。小学校二年生の頃に彼女と出会ったのだろうかと考えたが、どうにもそんな、涙を流しながら再会を喜び合うような友人が居た記憶はない。エミィなんていう外国人のような名前なら尚更だ。そして室長なんて呼ばれ方をしていた記憶もない。
(……間違いない)
人違いだ。
「えっと、あの――」
「それにしても、室長、十二年経ってもお変わりの無いようで……! さすがです! 今、ロディを待っていたところなんです。ロディも喜びます!」
人違いである事を伝えようとしたが、彼女の言葉に押されてかき消されてしまう。
「いや、だから――」
「おいエミィ、叫び声が通りまで聞こえてきたぞ。一体何をやって――」
宗助が再度大事なことを伝えようとしたところ、今度はエミィの背後から男性の声がした。
そこには紫のポロシャツと黒のチノパンを履いて黒縁メガネをかけた長身の男性が立っていた。エミィは宗助に馬乗りになったまま振り返り、「ロディ、室長だよ! 室長無事だったよ!」と叫ぶ。ロディと呼ばれた彼は宗助の顔を数秒じっと見て、そして。
「し……」
「し?」
「しづぢょおおおおおおおおおおおおおお!!」
ロディは叫んで、宗助に駆け寄って跪き、宗助の右手を両手で力いっぱい握って「無事だと信じてましたぁぁぁっぁぁぁ!」などと叫んでいる。それにつられてか、エミィは再び宗助の胸に抱きついて「私も信じてました!」と言って泣き笑いしている。
視界の端に、先ほどの女性従業員の怯えた表情が見えた。
「………………なんだこれ……………」
周囲からの遠巻きの視線に痛々しいものを感じつつ……宗助はそう呟くしかなかった。




