嫌な予感
それから三日経ったある日。
不破が医務室へと訪れると、そこでは平山が椅子に腰かけ足を組んで、携帯電話で楽しげに通話していた。通話が終わるのを待つために、不破は近くのベンチに腰掛ける。
「うん。もちろんちゃあーんと御馳走するから。あはは、いいよ、そんなの気にしないで。うん、うん、はいはい。じゃあ、土曜日に」
平山は通話を終えて携帯電話の電源ボタンを押して閉じて、机に電話を置く。
「どうしたんだい、ケガでもした?」
「いや、ケガじゃなくて、こないだの件についてなんですけど」
「こないだの件じゃわからないよ」
「公園の事件のやつっすよ。あの子たちから連絡無いんで、平山先生の方はどうかなと」
「あはは、三日連絡が来ないくらいで情けない男だね」
平山はけらけらと笑いながら言う。
「そういう話じゃないッスよ、もう。隊長からも調査してくれって頼まれてんですから。『連絡先教えてそのままです』なんて言ったらただのナンパだろって怒られる」
「ま、何度も言うけど、まだ三日だ。もうちょっと待ってみたら?」
「いやぁ、なんか嫌な感じするんだよなぁ。この事件」
「小学生と中学生の女の子が襲われて嫌な感じしない奴なんて人間じゃないね」
「揚げ足ばっかり取って、もう……」
不破は平山の言い草にため息を吐きつつ頭をかいた。
「……そういや、平山先生が携帯電話って、なんか珍しいっすね。あんまりいじってるの見ないし」
「ん? あぁ、そりゃあ勤務中はね。持ってるのは持ってるよ。自分のも」
「じゃあなんでまた、今」
「そりゃあ、あの子たちにいつでも連絡してって言った手前、『携帯持ってませんでした』じゃだめだろう」
「あぁ。……………………っていうか、今話してた相手って」
「ん? あぁ、一文字千咲ちゃん」
さも当たり前の事のように言う平山に、不破は言葉を失ってしまう。
「何度か連絡を取ってたんだけど、今度、岬ちゃんと三人でお茶しに行こうって話になってね。しっかりした子だねあの子は。言葉づかいもきっちりしているし、しゃべり方もはきはきしてるし。ご両親がずっと海外だって聞いてたけどちゃんとして偉いよ、ほんと」
「…………先生、先に言ってください」
そして、喉の奥からそれだけ絞り出して、頭を抱えるのだった。
*
約束の土曜日。商店街から少し逸れて、小道を何度かまがって住宅街に差し掛かろうかというところ、その一角の家。
小窓があって、小さな花や植木がいくつか入口に飾り付けられていて、猫の陶器の置物があり、控えめなブラックボードが立ててあって、本日のおすすめメニューが書かれてある。そこは所謂『隠れ家的』な喫茶店で、平山と千咲岬はその店の一番奥の席に座っていた。平山の目の前にはコーヒーがあって、そしてその少し向こうにシフォンケーキと紅茶。
さらにその先には、目を輝かせた二人の少女。
「いただきまーす」
「はい、どうぞ」
岬と千咲は言ってからすぐ、二人同時にフォークでケーキを崩し、そして同時に口へと運ぶ。
「おいしい!」
喜び、というよりは驚きの顔で千咲と岬は顔を見合わせる。
「やわらかーい!」
「ふわふわ! でもしっとり!」
そして思ったままの感想を興奮気味に述べた。それを見た平山は満足そうにコーヒーをすする。
「そりゃあ良かった。ここの店長は友達だから、後で言っとくよ」
「そうなんですか!?」
「友達でもなきゃあこんなへんぴな場所にあるお店なんて見つけられないからね」
平山はニヤリと笑いつつそう言って、店の奥に居る中年の女性にちらりと目を向ける。この店の店長である彼女は、平山からの毒を耳にふくまされ苦笑いを漏らす。
しばらくはケーキに舌鼓を打ちつつ世間話に花を咲かせて居たのだが、ケーキを食べ終えてしばらくした後、突然会話が止んだ。
「……さて、このままお茶会だけして帰ってもいいんだけど、話すことも話しとかないとね」
平山はそう言うと、カバンから一冊のノートを取り出した。
「二人共、あまり思い出したくは無いかもしれないけれど……、あの時のこと、もう一度詳しく聴かせてもらえるかな」
「……はい」
平山のその言葉を聴き、千咲と岬の表情も先ほどまでの浮かれたものから一転して真面目な顔になった。
「あの日、私達はあの公園で――」
・・・
千咲と岬が話すことを、平山は一字一句逃さぬ勢いでメモに取り続けた。平山の真剣な眼差しに少々驚きを感じながらも、岬と千咲はあの時怒ったことを克明に語り続け……そして。
「これで、全部です」
「……そう。ありがとう。大変だったね。よく闘った。本当に立派だ」
千咲が言うと平山はメモを閉じて、千咲と岬それぞれの目を見てそう言った。
「今話してもらった事は、大きなヒントになるかもしれない。犯人確保のね。……こんなかわいい子達を襲って怖がらせるろくでもない奴、さっさと捕まえてやんなきゃあいけない」
「あのっ」
と、その時、突然岬が大きめの声で話に割って入った。
「どうしたの?」
「……岬?」
二人が少し不思議そうに岬を見つめる。
「そのっ、犯人とは、関係ないかも、しれないんですけど……えっと!」
「いいよ、なんでも話してごらん。ちゃんと聴くから」
「……。その、私……あの時、膝をすりむいたんです。逃げてる時は必死で、全然痛くなかったんですけど……家に帰って、もう大丈夫だって思ったら、急に痛くなって……」
「あぁ、治療のことかい。まだ痛むの? どうしようかな、今治療の道具持ってなくて。とりあえず膝を見せて――」
「違うんですっ」
少し大きめの声で言う岬に、千咲も平山も目を丸くする。
「それで、痛いと思って……傷口を手で押さえてたら、……傷が、治っていたんです……! あんなことがあったばっかりだったから、頭が変になっちゃってるのかなって思ったんですけど、でも、やっぱり、膝は絶対すりむいていました……あんな一瞬で傷が治るなんて、不思議で……」
心霊体験でもしたかのようにそれを語る岬に、平山は真剣に語りかける。
「岬ちゃん、千咲ちゃん。あなた達はもしかしたら……。思っていた以上に私達に近いのかもしれない」
「近い?」
「ええ。……それで、うん。その件については、怖いかもしれないけど、今度あの不破って男も交えて、四人で話をしましょう。あなた達の事も、きっちりと確かめたいから。彼のほうが、そういうのは専門分野だからね」
「別に怖くはないですけど」
千咲が苦笑いしながら言うと、「なら良かった」と平山も笑い、伝票を持って立ち上がる。
「そんじゃあ、今日のところはこれくらいにして、帰ろうか。送るよ」
「あまり遅くまで付き合わせるのは悪いからね」と付け足して、夕暮れ前には店を出て、平山は彼女らの家まで送り届け、瀬間家に背中を向けて車に乗り込んだ。
二人の見送りを受けながら、平山は車にエンジンをかけて基地への帰路を走り始める。
彼女の家から一つ目の小さな交差点の影。
そこに大きなマスクをつけた男がじっと岬たちを伺っていた事に、その時平山は気付くことは出来なかった。
*
基地に戻った平山は早速不破を医務室に呼び出し、その日の成果を報告していた。
「なるほど。二人共、素質ありって事ですかね」
「まだわかんないけどね。私はその辺りさっぱりだからあんたに判別してほしい」
平山の話の主な点は、犯人のこともまずまずで、より強調されたのは彼女達にドライブ能力の素質があるかもしれない、ということだった。話の展開が少し違った方向に進み始めたことに不破は驚きを感じながらも、対処しなければならない事案である。
「まぁ、何にしろ俺が一旦確かめてみます」
「よろしく頼むよ」
「それで、そもそもの犯人の件なんですが……」
不破が言うと、平山は表情を引き締める。
「うーん。…………私が聴いた限りでは、周囲に幻覚を見せる能力だろうね」
「やっぱりっスか」
ある程度予測は立っていたようで、不破も渋い表情で答える。
「当然予想と対策を立てて追いかけなきゃいけないわけですが……そうだなぁ、今回の話では、能力者本人にダメージを与えたらその幻が解けるってのくらいしかわかりませんね」
「……他にそれらしい事件は起こってないのかい?」
「この三ヶ月で、行方不明者はこの辺りでも二人ありますが、こいつの仕業なのかマシンヘッドの仕業か、はたまた全く別の人間の仕業なのか、判別がついていません」
「ふーむ」
額に右手をあて、平山は唸る。メモをペラペラと捲っていると、あ、と声を出した。
「肝心な事。こいつの特徴だ。千咲ちゃんが『熱』を操るドライブだとして、『肉が焼けているような音がした』と言っていたね。千咲ちゃんが触れて、顔……いや、口周りに大きな火傷がある男。そいつが犯人である可能性が非常に高い。警察は『たまたま眼でも突いたお陰で撃退できたのだろう』とか言っていたみたいだけど……千咲ちゃんの話が本当なら、火傷の痕が有るはずだよ」
「火傷か。そもそも犯人はもともと大きなマスクをつけていたとも聞いています。そのあたりも特徴にはつながるでしょう。花粉症の季節なんてとうに過ぎた。マスクをしてる奴は片っ端から声かけて……。いや、しかし相当厄介そうなヤツだな。用心してかからないと」
不破はそう言って、なんとなく窓から真っ暗な外を眺める。もしも自分が気づかぬウチに幻を見せられていたとしたら――。
(今も、この暗闇の中に潜んでいるのかもしれない)
その脅威に対応策を打ち立てることは急務だ。
*
翌日。
「ただいまー」
「おかえり、岬」
学校から帰宅した岬は母親に帰宅したことを伝えに台所に顔を出して、そしてすぐに二階へと駆け上がり自室に入ると机の上にランドセルを置いた。
「岬ー、ケーキ有るよー」
「はぁーい!」
一階からの母親の呼びかけに岬は大声で返事をした。階段を下りて再び台所に。
「冷蔵庫の一番上の段の箱に入ってるから」
「はーい」
岬は冷蔵庫を開けて指示された通りに上の段を確認。近所の繁華街のケーキ屋のロゴが入った白い箱が目についた。それを丁寧に取り出すと背中で冷蔵庫の扉を閉めて、慎重に、傾けないように、ダイニングのテーブルへと運ぶ。箱をテーブルに置いてから開くと、中にはヒールのケーキがカットされたものが二切れ入っていた。
「片方は千咲ちゃんの分だから。残しておいてあげてね」
「うん。流石に二つ食べたりしないよ」
母親に言われ、そこまで食いしん坊ではないと眉間に皺を寄せて反論する。母はそんな娘を見てふふっと笑みをこぼした。そぉっと一切れだけお皿に取り分けて、ケーキを冷蔵庫にしまい直す。食器棚を開いて、フォークを一つ取り出した。
「あ、そういえば、千咲ちゃん、今日つるやさんのとこに顔だけ出して帰るって言ってた」
「うん。お母さんもそう聞いてる。こないだの件もあったし、暗くなる前には帰ってきてねとは言ってるけど……まぁ近頃は日もだいぶ伸びてきたし、大丈夫でしょう。……千咲ちゃんのケーキは、食後のデザートって言うことで」
「そうだね。それじゃあ、いただきます」
にっこり笑顔で席に着くと行儀よく食前の挨拶を済ませ、ケーキにフォークを突き刺した。ケーキを一口頬張って、岬がなんとなく壁掛けの時計を見ると、短針は午後五時を示そうとしていた。




