彼女たちのこと
フラウアを撃退したことにより、彼が乗っていた大型陸空両用船『ブラックボックス』に拉致されていた人間の証言を得たスワロウの隊員たちは、人体改造を行っていた敵方の機械技師・ガニエを撃破する。
まだいくつもの謎が残ったままなのだが、白神はより強くなるため稲葉に訓練を頼んだり、千咲と宗助は地元の花火大会を守るために奔走したり、隊員達はそれぞれの夏を過ごしていた。
時間的にはかなり前後するのだが、不破と美雪が殺人機械工学者ガニエを撃退した少し後。
「こんなところに呼び出してすまないな、ラフター」
ブルームに呼び出されたマシンヘッド(シーカー)設計者・ラフターは、ガニエの研究室でそのブルームと相対していた。その部屋の主がもうこの世に居ない事を知らないラフターは目だけを動かして室内の様子を伺いながら、ブルームに尋ねる。
「……ガニエはどうした」
「負けて死んだ。自分の作ったマシンに、自分の頭部を破壊されて」
「……。そうか……」
ブルームが至極あたりまえのように言うと、ラフターも静かにそれだけ答えた。
ラフターは内心で驚くと同時に、彼についていつどこで『そう』なって然りだと感じていた。人殺しの機械を作っている自分が言えたものではないが、彼が以前自分に嬉々として語った研究創作内容とその方法は、同じ人殺しでも余りに外道を極めていた。
(奴に死に方や場所や時間を選ぶ権利など、微塵もあるまい)
だから、素直にそう思った。
「忠告はした。だが、彼はそれを聴かなかった。そして今、いくつか稲葉たちに嗅ぎ回られているようだが……それはまた別の話。彼には幾つか頼み事をしていたんだが、それを君に引き継いで貰いたいのだ、ラフター」
「……引き継ぎ? ……一体奴に何をさせていた」
ブルームが次に言ったその言葉に、ラフターは露骨に嫌悪感を顕にする。
「少し話は脇道に逸れてしまうが、ラフター、例えば君は神に『何か一つ好きなものを好きなだけ与える』と言われたら、何を願う?」
「……質問の意図がわからない。いつからここは教会に?」
「難しく考えなくていい。君がどういう考え方を持っているのか、それが私と『合う』か、それが知りたい。必要なことだ。そしてその答えによってある程度それがわかる」
ラフターはブルームの瞳を見る。相変わらず、何も読めない濁った眼だ。
ブルームからこういった会話を仕掛けてくることは非常に稀だ。普段は必要最低限の会話しか交わさないのだが、今日こうして何故かガニエの研究室に呼び出され、意図不明の質問をされている。裏を読んでしまうのは当然のことだ。
「なんでもいいさ。例えば金、自由、食料だとか……素直な答えを聴きたい。くれぐれも、私の機嫌を取るとか、正解を探そうとか、そんなつまらない事は考えなくていい」
「…………」
しばらく黙り込んでいたラフターだったが、いくらブルームを見つめ続けたところで何を言うべきかなど検討もつかなかった。そしてラフターは考えることをやめて、ブルームの言う通り素直に答えることにした。
「私が神に願うのは、…………きっと、時間だ。無限の時間。不老という事なのか……時間という概念をゼロにするという事なのか……どちらかはわからんが」
ラフターのその答えを聴いて、ブルームはほんの少しだけ口角をあげた。
「ありがとう、ラフター。実に、参考になった。……話の続きをしよう」
*
アーセナル、隊長室。
稲葉の机には毎日のように新しい書類が運ばれてくる。ブルーム達やマシンヘッドの件について、同時進行の懸案事項が何件もあるからだ。細かく分ければいくつもあるのだが、主に稲葉の机の上を賑わせているのはこれら。
・宗助と千咲が捕らえたレスターとナイトウォーカー、ゼプロについて。(ゼプロは既に死亡。そしてこれはマシンヘッド絡みではなくリルとジィーナに関する事)。
・カレイドスコープの解析(ほぼ完了。ミラルヴァに強奪される)
・ブラックボックスの追跡
そして今、稲葉が手に取り眉間にしわを寄せて眺めている書類に書かれているのは、ガニエの件についてだ。
ガニエの作った『人造人間』と、そして彼の上着に入れられていた謎の筒型の黒い機械。これらはそれぞれ厳重に保管の上、日々解析が行われている。だがそれらは、専門の人間に見せてもさっぱりの代物だった。アーセナルにはもともと解析用の機器はそれほど充実していないため、細部まで詳しく解析を行うにはやはり研究施設に輸送する必要があるのだが……前回のカレイドスコープの時のような、襲撃されるリスクがある。
そんなリスクを負ってでも、『人造人間』と『黒い筒機械』の二つをそれぞれ研究施設に輸送する許可が欲しいとの事だが……それに対する同行者もとい護衛者を配置する必要がある。もちろん、特殊能力部隊の誰か。
稲葉一人の意思でこの輸送が決まるわけではないが……稲葉はどうにも嫌な予感を感じていた。全く根拠の無い予感なのだが。
「…………そこそこ当たるからな。何故か」
稲葉は小さく独り言を呟いて、窓の外を見た。
アーセナル、医務室。
野外訓練の際に右腕に大きな擦り傷を作ってしまった宗助は、こっそりと医務室内を覗いていた。堂々と入ればいいものを何故にこそこそと中を覗きこんでいるかというと、岬の世話になりたくないからだ。
決して宗助と岬が喧嘩をしているとか、そもそもの仲が悪くなったとか、そういうことではなくて……ただ、擦り傷くらいで岬の手を煩わせるのが嫌なのである。どんな小さな傷でもニコニコとした笑顔で対応してくれる彼女の優しさに甘えてばかりいてはダメだと宗助は考えていて。岬は岬で、宗助達の役に立てることにやりがいを感じているのだが、それとこれとは話が別というか、ただ単に……言ってしまえば宗助の男としてのプライドの問題である。
宗助は医務室内にその岬が居ないのを確認し、多少落ち着いた様子で医務室内へと入る。この部屋のそもそもの主である平山は在室になってはいたが見当たらない。奥の方を覗きこむと、平山が椅子に座って書類とにらめっこしていた。平山も宗助に気づき声をかける。
「おや、どうしたの。怪我でもしたかい。それとも岬に会いに来たの? 今は留守だけど」
「あ、いえ、腕をちょっと擦り傷つけちゃって……消毒液とガーゼとか貰えますか?」
「あぁ、いいよ。そこ座って傷の部分めくっといて。私が手当するから」
「すいません……お願いします」
宗助は言われた通りに指定された椅子へと座る。
平山は書類を机の上に無造作に置いて立ち上がり、棚から治療道具類を取り出した。それらを持って宗助の前にある椅子に座ると、腕を出すように言った。
「ここなんですが」
「あらら、随分派手にやったね。擦り傷っていってもナメちゃいけないよ。ちょっと痛いかもしれないけど……」
平山はそう言ってまず傷口の洗浄を始める。やはりそのへんの手つきは岬よりも手馴れているように感じられた。少ししみるが、丁寧なお陰でそこまで派手な痛みではなかった。宗助は、この機会にかねてから疑問に思っていたことを平山にぶつけてみることにした。
「あの、平山先生」
「なんだい?」
「教えて欲しい事があるんです。なんで、岬は平山先生の事を、『お母さん』って呼んでいるのか。苗字が違うし、顔も、あんまり似てるようには見えないし……」
「……。岬から聞いてないの?」
平山は意外そうな顔で宗助の顔を見る。
「え、ええ。まぁ」
「とっくに言ってるもんだと思ってたわ」
そして手当を続けながらも不思議そうに言う。
「言いたくないのか、言うタイミングを伺ってるのか……ま、同じ隊の仲間だし、教えてあげるよ。あんたは知っといた方が良いと思うし、皆に関わりの有ることだ」
「お願いします」
「ただ……少しエグい話だ。覚悟して聴くように」
「……はい……!」
*
瀬間岬が十歳の頃。
彼女の家からそう遠くない公園で友人と遊んでいると、そこに意地悪な男の子達がやってきた。彼らは構って欲しいのだが素直にそう言えず、嫌なちょっかいをかけることで岬達の気をひこうとしていじわるをしていた。オモチャを取り上げたり、砂をかけたり、ボールをぶつけようとしたり。
非常にありがちなことではあるが……当の岬はいじわるをされて困り果てて、男の子達が怖くて、べそをかきだした。その時颯爽と助けに入って男の子たちを撃退したのが、一歳年上・当時十一歳の一文字千咲。
あっけないというか淡白なようだが、岬と千咲はそこで初めて出会ったのである。
それから岬と千咲はしばしばその公園で一緒に遊ぶことがあって、その時によくお喋りをしていた。一人っ子だった岬には、ひとつだが年上で、しかも意地悪男子から自分を助けてくれて、お姉ちゃんが出来たようで嬉しかった。この辺りの年齢というのは、一歳年上でも随分と大人に見えるものなのかもしれない。
しかも千咲の話を聞いていれば、彼女の両親はずっと海外を飛び回っていて家では一人だとか、現在は時々だが近所の和菓子屋さんで色々お手伝いをしながらご飯を食べさせてもらっているだとか、そんな話が沢山出てきた。
毎朝母親に見送られて学校に行って、友達と遊んで帰ったり、習い事に行って母親に送り迎えしてもらい、食事を作ってもらって、宿題をして寝て、休日には父親が家にいて、なんて暮らしをしている岬には、本当に千咲が大人のお姉さんに感じられたのだった。
岬が家に帰ってその話を両親にすると、母親が意味ありげな声でこう聞き返した。
「一文字? 千咲? ……もしかして……」
出来過ぎた偶然というのは稀にあるもので、彼女の母親と岬の母親は大学時代の友人であった。仕事の関係で海外に行ってばかりという点と、一文字という珍しい名字に、娘の名前が千咲ということでピンときたのだという。岬の母親も、自身の結婚式以来千咲の母親とは会っていないのだが、大学時代はなかなかに深い仲だったようで……千咲が岬の自宅に遊びに来た際に根掘り葉掘り様々な質問をぶつけて、そして
「ねぇ千咲ちゃん。良かったら、うちに住んでみない? 部屋も一つ余っているし、岬も喜ぶわ。千咲ちゃんのお母さんには若いころ随分助けてもらった恩もあるしね」
そんな提案をした。千咲はそれを受けて、その場は「もうすぐ母親が帰ってくる予定だからその時に話してみる」と答えてその話は終わりになったが、後日(二ヶ月程後になったが)千咲の母親が帰国し、岬の母親と再会。岬の母親の方から、「千咲ちゃんを気に入ったから、是非預からせて欲しい」と再度提案した。
「千咲は、どうしたい? お母さんは、あなたにいつも寂しい思いをさせてしまっているから……最大限、あなたの意思と本心を聴いて、出来るだけそれに応えられるようにしたいと思ってる」
「私は……」
今は鶴屋のおじさんおばさんの所にお世話になっているし、その二人には「居たいだけ居てくれて良い」と言ってもらっている。鶴屋家もそこに住む二人も大好きだったが……新しく出来た同世代の友達と姉妹同然で共に暮らすというのが千咲にとってとても魅力的だった。
「私、じゃあ、ここでお世話になってもいいですか!?」
千咲が元気よく言って岬と岬の母親に頭を下げると、岬も岬の母親も満面の笑みで「うん。よろしくね、千咲ちゃん」と答えた。
突然だが。
自分たちが予想している以上に、日常には落とし穴が潜んでいる。
当たり前のように「また今度」「また明日」という言葉で人と人は別れて、その日を終える。まさか永遠の別れがやって来るなどとは、みじんも疑わず。
「またね」とは、別れの言葉であり、次に会う約束を結ぶことを兼ねた言葉。しかし、大抵の人は深くは考えず、ただ、気軽に交わす言葉。
「また会えるのが、当たり前だよね」、と。
千咲が瀬間家の家族の一員となってから二年近くが過ぎ。
千咲は中学校一年生、岬は小学校六年生となった、初夏のある日の夕暮れ前。小学校の放課後のクラブ活動をして、学校からの帰り道、岬は仲の良い同級生と一緒に帰っていた。他愛のない話をしていると、分かれ道に差し掛かる。
「じゃあね、岬ちゃん! また明日!」
手を振る友人に手を振り返しながら、そのまま岬は一人家路につく。岬の自宅はその友人の家からそう遠くはない。子供の足でも歩けば五分もかからない程。
ふと、違和感を覚えて立ち止まる。違和感というよりは、何か、その場所に不思議と注意を引き寄せられてしまうような……。
ちょうどそこは、千咲と出会った大きめの公園の入り口であった。
岬が公園の中に視線をやると、そこに信じられないものを見つけてしまう。
本当の姉のように慕っている千咲が、公園の奥で、小汚い中年男性に中学の制服の襟首を掴まれてズルズルと茂みに引っ張り込まれていったのだ。引っ張られる千咲はぐったりとしていて、抵抗どころか動く様子もない。
「ち、千咲ちゃんっ……!」
岬はパニック状態に陥った。どうするべきか。
――周りの大人に助けを求めなければ!
とっさに思いつき、周囲を見渡すが、誰もいない。その場は不自然に静かだった。
「ど、どうしようっ……!」
岬はあたふたと周りを見回すばかり。足が動かない。
もう一度書いておくと、岬は近しい人の身の危険を目にして、極度のパニック状態だったのだ。正常な判断ができず、焦りと恐怖と不安でぐちゃぐちゃになっていく思考で、彼女は次の行動に出た。
助けてくれる人が居ないのなら、自分で助けるしか無い。
――いつも、いつも私のことを助けてくれる、千咲ちゃん。……今度は、私が助けないと! 手遅れになる前に……!
岬は、一歩、公園の敷地内に足を踏み入れた。




