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machine head  作者: 伊勢 周
16章 午後八時半に空を見上げて
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黙ってられない

 三十分も経った頃に雨は上がった。

 その頃には千咲の涙も止まっていて、少しだけ目鼻が赤い彼女は先程までよりは少しだけスッキリした面持ちで立ち上がり、「雨、上がったね」と短く言った。

 宗助は「そうだな」と返し、千咲から受け取ったタオルで濡れた頭を少しだけ拭くと「帰るか」と続けた。今度は千咲が「そうだね」と返し、両腕を真上にあげて伸びをしてベンチを離れる。雨の後の独特な匂いがたちこめ、待っていましたと言わんばかりにセミが一斉に鳴き始める。

 すぐにいつも通りの夏の風景が始まった。


 人生には、どれだけ予知できようとも避けられないことが有る。この世に生まれてきた誰だって知っている事だ。それがまた一つやってきたのだ。逃げずに受け止めなければ。


・・・


 千咲がまだ八歳の頃。

 鶴屋家に預けられていた彼女が家の掃除を手伝っていると、千代子の部屋で一冊の冊子に出会う。それはやけにボロボロで、日焼けしていて、手垢で汚れていた。だけどなぜだかそれは妙に幼い千咲を惹きつけた。まるで宝の地図を見つけたかのような、そんな様子。人の家の物だから、勝手に触ったり読んだりしてはダメだとわかりつつも、子供の持つ強い好奇心の方が勝り、千咲はそれを手にとった。


「花、火……文字?」


 習いたての漢字だったのでギリギリ読めた。


 「あらあら、手が止まってるわよ」


 背後から千代子に声をかけられて、千咲は振り返る。手にはその薄汚れた冊子が掴まれたまま。


「ねぇおばあちゃん。このはなびもじってなぁに?」

「……その本に興味があるのね……。……花火文字はね、読んでそのまま、花火で作る文字のことよ」

「えー? 花火でもじがかけるの!? すごーい!」

「そうよ。……本当は誰にも教えていない、私とおじいさんだけの文字なんだけれど……特別に千咲ちゃんにも教えてあげる。花火文字の読み方」

「ほんと!?」

「うん。そうね。二人だけの秘密。名前に千がつく女同士の秘密よ。私と、千咲ちゃんだけのね」

「うん!」


 くったくのない笑顔で笑う千咲の頭を、皺が目立ち始めた手が優しく撫でた。


・・・




 千咲と宗助が鶴屋家を訪れた翌日。

 昼下がりのアーセナルの食堂で、不破と宗助が同じ食卓でコーヒー片手にそう長くない昼休憩時間を満喫しながら食堂中央の巨大液晶テレビを眺めていると、ニュース番組が始まった。どうやら地方局によるローカルニュース番組で、少し冴えない背広姿の男性がニュースを読み上げ始める。


『今朝未明、仙谷市内で空き巣被害が有りました。これで、今月に入ってからの空き巣被害件数は五件に上ります』


 そのニュースを聴いて、不破がむっと表情を曇らせる。


「またか。多すぎだろ、最近」

「同一犯だとしたら、こんだけやってて捕まらないってのはある意味感心しますけど……」

「たしかになぁ。忍者だな、忍者」

「今月で五件って事は……だいたいニ日に一回のペースですね。何がそんなに欲しいんですかね。何か探しているんでしょうか」

「気になるなら、お前がとっ捕まえてそいつに直接訊いてみりゃ良い」

「はは……」


 冗談なのか本気なのかわからない口調で言う不破に宗助は乾いた笑いをこぼしながら、ニュースが映るテレビに再度目を向ける。テレビには、空き巣被害に遭った家屋の近所の路地が映されている。その映像を見て、宗助は息を呑んだ。


「この道……」


 つい昨日通った道だった。つまり、テレビに映し出されていたのは、鶴屋久善と千代子の自宅から一〇〇メートル程離れた路地だったのだ。


「ん?どうかしたか?」

「え?あ、いえ、知り合いの家の近くが写ったんで、被害に遭ってないか気になって」

「マジか。確認しといたほうがいいな」


 だがしかし、プライベートの携帯電話はロッカーに入れたままだ。基地配布の特殊な携帯(有事に即座に専用の電波で連絡が行く)なら有るが、むやみな私用は控えるように言われている。報道によると、留守中の空き巣らしいので、万が一鶴屋家が狙われたとしても怪我だとかは無いのだろうが……。


「……後で、連絡してみます。恐らく大丈夫でしょうけど……」


 被害に遭っていないかどうかも心配では有るが、もし被害にあったのが鶴屋家だったとして……その時は一文字千咲がまた心を痛めてしまうだろうと思うと、二重に心配になるのであった。

 以前宗助は千咲のことを、『良い奴』という一言で言い表したことがあったが、一体何がどう『良い奴』なのか、この五ヶ月程でほんの少し、そう思う理由というか、根拠というか、納得がいき始めてきた。

 彼女はとてもまっすぐで、楽しい時は口を大きく開けて笑うし、悲しい時はしょんぼりする。いいと思えばいいと言うし、ダメだと思えばダメだと言う。そのせいで時折きつい一言をもらったりもするのだが、まっすぐな故に裏がなく、そして当然表もない。だから、この半年弱、彼女が本当に心から自分のことを正面から受け入れようとしてくれていることがはっきりとわかったし、その態度のお陰で右も左もわからず焦りがちだった心は随分と軽くなった。

 宗助はそんな風に彼女のことを考えていた。未だに「一文字」と苗字で呼んでいるが、彼にとって隊で一番に仲のいい部類に入る人間だろう。

 そしてそんなまっすぐな彼女は、昨日突然の別れの予告をされて、静かに泣いていた。あの時横目で見た彼女の頬を滑る涙を思い出す。宗助は、千咲にこれ以上鶴屋家の事で心を痛めないで欲しいと思った。





 結果を言うと、その空き巣被害は鶴屋家ではなく、別の家だった。

 訓練が明けた後に、心配になって和菓子屋の方に電話を入れたのだ。ついでに千代子に「物騒だから注意するように」と伝えると、先程千咲にも電話で同じことを言われたと掠れた声で言って笑っていた。

 普段なら人の笑い声を聞けば大なり小なり嬉しい気持ちになるものだが、宗助も千代子の体調の事を知っているため、その弱々しい笑い声を聞くと妙な悲しみがこみ上げてきた。

 その後自分の部屋で物思いに耽っていると、突然携帯電話が鳴り響いた。アーセナルのものではなく、プライベートのもの。ディスプレイに表示されていたのは。


着 信

一文字 千咲


 同じ建物に居るというのに何事かと思いつつ、通話ボタンを押す。


「もしもし、なんだよ電話なんて」

『あんた今何処?』

「何処って、自分の部屋だけど……」

『そっか……』

「?」

『…………あのね。花火大会なんだけど』

「うん?」

『……今年、花火中止になっちゃうかもしれないんだって』

「……え、中止!?なんで!」

『例の、空き巣とかひったくりとか、婦女暴行とか……あの件が解決しなければ、祭り参加者に危害が加わる可能性があるからって。殆ど中止の方向で話が進んでるって、おばあちゃんが言ってた』

「そんな、じゃあ、久善さんは……」

『……』


 電話越しに、沈黙が続く。電話をくっつけた耳たぶがじりじりと痛い。


『話を聴きに行こう』

「え?」


 沈黙を破ったのは千咲。


『花火大会を仕切ってる自治会に。このまま人伝に中止って聞かされたって、納得出来ないっていうかさ』

「…………そうだな。それに、警備を増やすとか、立ち入り禁止区間をしっかりと設定するとか、やりようはいくらでも有るはずだ」

『……。うん! そうだよね! そうよ、いきなり中止だなんて、みんな楽しみにしてるのにさ! 一週間前に何言ってんのさって感じ!』


 千咲の声が、少しだけ弾んだ。それから、ほんの少しだけ世間話をして、電話は切られた。





 自治会に話を聴きに行く。とは言っても、休みがそうそう何度も有るわけではなく、ましてや宗助と千咲が丸一日休みが被ることもそれほどない。よって、訓練や待機任務を終えた後の夕暮れおよび夜の時間帯に外出許可を取って出ることになる。幸いマシンヘッドの出現も無く、起こるのは人が人を傷つけたり悲しませる事件だけ。それはそれで心境は複雑なのだが……。

 なんとか訓練後の時間を見つけて外出し、花火大会を仕切る自治会の集会所も特定することに成功し、二人はそこを訪れた。しかし、時間が時間だけに玄関口の鍵は閉ざされており、ガラス戸から見える玄関は真っ暗だ。


「やっぱり、時間帯が悪かったかな……昼に電話でアポとっとくべきだった」

「すごい基本的なところが抜けてたな……」


 宗助が自嘲気味に呟く。そのとなりでは千咲が渋い顔。このまますごすごと帰るのであればまさに無駄足だ。未練がましく扉の前に立ち尽くしていると、横から声がかけられた。


「なんだキミら。ここに何か用かい」


 白髪が目立つ男性が、裏口でもあるのだろうか、庭の中から歩いてきたのだ。


「え、あ、えっと……花火大会の件でお訊きしたいことが……」


 素直にというか、ほぼ反射的に用件を伝えると、その男性は「ああ……」と呟き、少し考えた後「いいよ、わざわざ来てもらってそのまま帰らせるのも悪いし、中で少し話そう。こっちにおいで」と言い宗助と千咲を裏口へと招いた。


 裏口から中に入った二人はそのまま会議室に通される。学校にある多目的室のような外観で、広さは二十畳ほどだろうか。そこには、少しくらい顔をした中年男性が二人パイプ椅子に座っていた。彼らの目の前の簡易机には数枚の紙が広げられている。

 その男性二人は、室内の空気が微妙に動いた事に気づいて紙に向けて下げていた顔を上げて、何事かというような目で入り口に目を向ける。そして宗助と千咲の姿を確認すると、少し怪訝な顔をする。


「何、君たち。どっから入ったの?玄関閉めてたでしょ」


 片方の男性がそう言うと、宗助と千咲を招き入れた張本人が背後からその質問に応える。


「私が入れたんだよ。花火大会について話を聴きたいって言うからね」

「あぁ、山口さんでしたか」


 そう言われて納得したようで、二人の男性から警戒した表情は薄れた。


「さ、立ち話もなんだし、そこの椅子に座って。そこのやつは座り心地が一番マシなんだ」

「どうも……」


 促されるままに二人が着席すると、『山口さん』と呼ばれた男性も近くのパイプ椅子に腰掛ける。


「自己紹介させてもらうね。自治会長の山口です。よろしくね」

「私、一文字千咲です」

「生方宗助です」

「一文字さんに生方くんね。それで、訊きたいことって何かな」

「あの、花火大会が中止になるかもって、噂を耳にしたのですが、……本当の話なんでしょうか」


 千咲が尋ねる。


「……あぁ、正式決定じゃないが、明日には正式にそう連絡を回そうと思っている。出店や花火の制作元のこともあるしね。楽しみにしてくれている人達には申し訳ないがね……」

「なんで、中止なんですか?延期とかは出来ないんですか?」


 次は宗助が尋ねた。


「キミらもニュースを見ただろうけど……近頃この一帯では色々と物騒な事が起きている。それが解決せずに花火大会を行って、そしてそれで来た人が巻き込まれてしまったら、楽しいはずの花火大会は一気に暗いものとなってしまうだろう。そうなっては、来年の開催も危うくなる……。下手に延期をして誤魔化したところで、いつ解決するかもわからないしねぇ……」


 山口は千咲と宗助に言い聞かせるかのように言った。


「警備を増やすとか、ルートの整備をしっかりすれば、安全面は確保できるんじゃあ……」

「警備を増やすって……現実的な事を言わせてもらうが、警備の人件費で予算オーバーしたら、その分はキミらが払ってくれるのかい?例年警察にも整備隊を動員してもらっているし、別の警備員も雇っているけれど、あの人ゴミだ。整備するにも限界がある」

「「……」」

「君たちは随分と花火大会を楽しみにしてくれているようだね。嬉しいよ。……だが、私達も、色々と議論に議論を重ねたんだ。事件の早期解決も祈っていた。しかし、事件はまだ解決せず、開催予定日はすぐそこまで近づいている。だから、中止が一番妥当だという結論に至ったんだ。本当に、すまないけれど……」


 主催側としてもなんとか開催したいという気持ちはあったのだろう。山口は本当に申し訳なさそうに言って頭を下げた。端で訊いている中年男性ニ人もどこか寂しげだ。


「そんな……悪いのは、あんな事件を起こす犯人ですし……」


 頭を下げられた宗助はと言うと、彼らに謝ってもらうのはお門違いだと感じ、慌ててフォローの言葉を述べる。が、宗助の隣にいる彼女はどうも違ったようで……。ガタッと音がして、彼女の座っている椅子が大きく揺れた。


「じゃあっ! すぐにでも事件が解決すれば通常通り花火大会を行って頂けるんですねッ!!?」


 千咲は身を乗り出して山口にそう言った。


「あ、ああ……。そりゃあ、今日にでも犯人が捕まればと、私も思っているが……」


「三日!……いや、ニ日待ってください!」


 千咲から発せられた謎の時間指定と凄まじい勢いに、山口は思わずのけぞってしまう。


「えっと……?え?待つって、何を? ニ日?」

「私、と、あと、こいつが! 必ず! 犯人を捕まえてみせます!ニ日以内に!」


 千咲は勢い良く宗助の腕をとると、大声でそう言い切った。宗助が横から見た彼女の赤い瞳は、大げさではなく本当にメラメラと燃え上がっているように見えた。


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