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machine head  作者: 伊勢 周
16章 午後八時半に空を見上げて
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雨音に隠れて

 花火文字、というものが何なのかわからなくて、宗助は千咲と千代子の顔を交互に見る。二人共楽しげな笑顔である。仲間はずれにされて困惑している宗助に気づいた千代子が宗助の方を見て声をかけた。


「ごめんなさいね、宗助君は知らないだろうけど……私とあの人は幼なじみでね。あの人の家は代々花火職人をしていて……、確か十歳になる頃には、既に花火づくりの手伝いをしていたわ。昔からそんなに多くを語る人じゃなかったけれど……不思議とそれが心地よくてねぇ。なんだかんだといつも一緒にいて……」

「へぇ……」

「それでね、本格的にあの人が花火を作り始めたころ……恥ずかしがり屋だったのね、あの人は、『花火文字』というのを自分で作って。その花火言葉っていうのはね……打ち上げ花火の種類とか、色とか、大きさとか、同時に何色を何個打ち上げるとか、そういうのを『文字の代わり』にしたもので……」

「文字の代わり……?」


 宗助には上手く想像できず、首を傾げてただただ千代子の話の続きを待つ。


「そう。牡丹花火で、大きさは中で、赤色一色なら『あ』。輪の花火で大きさは小、緑と黄色の二色なら『ふ』。そんなのが書かれた表を渡されてね。それから、午後八時半から打ち上げる数十発の花火は、花火言葉での私にだけへの手紙になったの。まどろっこしいったらありゃしなかったわ。最初はね」

「な、なるほどー……随分ロマンティックというか……うん、まわりくどいというか……」

「はじめは『げんきですか?』とか、単純な文章だけだったんだけど、次第に文字の種類も増えて、私もその文字を覚えてきて。普段口では言い難い事を、毎年のお祭りの日だけは、花火で伝えてくれた。毎年、本当に楽しみにしていたわ」


 しみじみと語る千代子を見つつ、宗助は、『さっきの愛想の悪いおじいさんがそんなことをしていたなんて』と、不思議なギャップを感じていた。


「それでね。丘の方に、よく花火が見える小屋があって……千咲ちゃんは何度も一緒に行ったことあるけど」

「うん。だって、そこで花火言葉を教えてくれたもん」

「そうだったね。……あそこで、私が二十二歳だったお祭りの日。『午後八時半にそこに来てほしい』ってあの人に言われてね。事前に地図と鍵を渡されていて、なんだろうと思って、着物を着て家を出て、花火に背中を向けつつ急いで丘を登って小屋に辿り着いたの」


 隣の千咲が「それでそれで?」と話の続きを煽る。


「それでね、八時半の、十分前に小屋に着いて。いざ預かった鍵を開けて中に入ってみると、誰もいなくて、真っ暗だった。ちょっと恐かったわ。そしてすごく残念だった。そもそも鍵を渡されたって事は人が居ないってことだろうし、そもそも八時半なんてあの人は花火の打ち上げ真っ最中なんだから居るわけがないのに、当時の私はそれに気付かなかったのね。でも、中に入ったら、大きな窓があって、窓の前に木の机と椅子があって、『あの人が、花火の特等席を用意してくれたんだ』ってすぐにわかったわ」


「へぇーーー」


 図らずも千咲と宗助は相槌をユニゾンさせてしまい、お互い顔を見合わせる。千代子はそんな二人の姿を見て微笑んで、更に続きを語る。


「椅子に座ったら、机の上に何か載っているのに気づいたの。見たら、きれいな装飾箱で。花火の光が反射して、いろんな色に光ってた。それで、箱の上には『千代子へ』って書かれた紙が置かれていたから、開けてみたの。そしたら、きれいな漆塗りの櫛とかんざしが入っていて。それで、懐中時計を見たら八時半で、ふと顔をあげたら、『花火言葉』が始まっていた」

「なんて書かれていたの?」

「あれは随分と長かったけれど、今でも覚えているわ。

『結婚して欲しい。

 今から会いに行きます。

 受けてくれるのなら、

 そのかんざしを付けて

 待っていて欲しい』

 って。その日は、今までで一番せっかちな花火だった。読み取るのが大変でね。けれど、すごく嬉しかった。本音を言えば、直接言って欲しかったけれど……あの人らしいなぁとも思ったわ」


 それを聴いて、千咲は両手で自らの頬を押さえ、感嘆のため息を吐き、「いいなぁーそんなことがあったんだー」と言った。


「それで、かんざしを付けて待っていたんですか?」


 宗助が尋ねると、千代子は優しい微笑みから急にイタズラっぽい笑みを浮かべこう言った。


「それがね。最初はそうしていたんだけど。花火が終わって、薄暗い小屋の中独りで待たされている間に、なんだか少し腹が立っちゃって……かんざしを外して待ったの。ふふ、それで、あの人ったら、かんざしをつけていない私を見て、本当になんとも言えないような顔で固まっていたわ。今思い出しても傑作ね、あの顔は」

「え、え? じゃあ、それでその時は結婚、ダメだって言ったんですか?」

「まさか。あの人の目の前で、ちゃんとかんざしを付けましたよ。『不束者ですが、よろしくお願いします』って。そしたら、しばらく呆然としてから、『ありがとう』って」


 それを聴いて、宗助は乾いた笑いが出た。あまり女性を待たせたり怒らせるもんじゃないなと、隣にいる同僚を見てなおさらそう感じたのだった。


「あの人が花火文字を始めてから四十年以上経つけれど、毎年欠かさず手紙を書いてくれている。無愛想というよりは、照れ屋で不器用なのよ、あの人は。さっきもああして、私の体調を心配して様子を見に来てくれたんだわ。ここのところ毎日、理由も言わずにお昼に帰ってくるの」

「そうだったんだ……」

「ただ、あの人は千咲ちゃんも花火文字を読めることは知らないから、言っちゃあダメよ。恥ずかしがって、もう書いてくれなくなるかもしれないから」


 千代子は語り終えて喉が渇いたのか、お茶を飲む。


「あぁ、そうだ、わらびもちだったね」


 ごほごほと不健康な咳をしながら立ち上がろうとする千代子を制し、千咲が立ち上がる。


「いいよおばあちゃん、私が取ってくる。どこにあるの?」

「そう? ごめんね」

「だから、もう。謝らなくていいって。半分自分の家みたいな感じだし」


 そんな千咲と千代子のやり取りを、宗助は座りながらじっと見ていた。




 時は夕暮れ前。

 鶴屋家を後にして、宗助と千咲は基地への道を歩いていた。アブラゼミとツクツクホウシの鳴き声が混じって遠くから聞こえてくる。宗助が額に滲んだ汗を腕で拭った時だった。


「……ねぇ、どう思う?」


 千咲が前を向いたまま突然そう言った。


「どうって、何が」

「……おばあちゃんの体調」

「……」


 宗助は千咲程鶴屋家とは関わりはないが、小さいころから顔は知っている。少し前に見た彼女の顔と、今日に見た彼女の顔。その差は老いだけでは説明できないほどで。


「……良くは無い……だろうな」


 宗助はなんと言うべきか迷った挙句、少しだけぼかした言い方をした。なんとなくだが、はっきりと『悪い』と言うのは、彼女にとってあまり良くない事であると感じたのだ。


「……だよね……病院とか、ちゃんと行ってるのかな……」

「直接訊いたりしてないのか?」

「……だって、私にはすっごく気を使ってるみたいで、言いたくなさそうなんだもん。そんなの、訊けないよ……」

「……なるほどなぁ……」


 宗助が相槌を打ったところで、千咲が立ち止まった。宗助は振り返り千咲の顔を見るが、今度は俯いていて表情がよく窺えない。


「……私、おじいちゃんのところに行ってくる」

「行ってくるって、今から?」

「うん。おばあちゃんの事、訊いてくる。先に帰ってくれて良いから」


 言って千咲は振り返り、きた道を早歩きで戻り始めた。彼女の背中は、見るからに心細そうだった。普段の強気な態度や覇気は全くない。


「待てって、俺も行く!」


 当然そんな千咲を放って一人で帰るほど宗助は薄情者ではなく、彼女の背中を小走りで追いかけた。


 十分ほど歩いた所に、鶴屋久善の作業場はあった。鶴屋煙火店という立て看板と、閉じられた門に立入禁止の文字。門柱にインターホンが設置してあり、千咲は躊躇なくそれを押した。『はいー』と中年男性の声がスピーカーから返ってくる。


「すいません、鶴屋久善さんの家の者なんですけど……」


 しれっと嘘をつく千咲。いいや、家族同然と考えている彼女からすれば案外嘘ではないのかもしれない。


『あー、君か。久し振りだね、大きくなった。今呼んでくるからちょっと待っててよ』


 インターホンにはカメラも搭載されており、そしてどうやら千咲の顔に見覚えがあるらしくそんな事を言って通話が切られた。しばらくして仏頂面の久善が門までやってきた。当たり前だが、先程家に来た時と全く同じ服装だ。


「なんだ、作業場までわざわざ来て」

「おばあちゃんの事で訊きたいことが有るの」

「千代子の……?」

「うん……あの、おばあちゃんの、体調について……なんだけど」


 千咲は少し言いづらそうに久善に尋ねる。答えを聴くのが少し恐いのだろう。自分の想像の遥か下を行く悪さだったならどうしようと感じているのだ。久善は千咲と宗助から少し目をそらし、居心地が悪そうに足元の石を小さく踏みつけた。


「…………隠しても仕方ないから単刀直入に言う。千代子の身体はかなり悪い」

「え、―」

「具体的な事を言うのなら。…………もう、治ることはない。現代の医療技術では。医者の話では、もう一年ももたない」


 久善が淡々と告げた事実に対して千咲は余程ショックを受けたのか、無表情のまま凍りついていた。彼女の精神的動揺を察しているのかいないのか、単に彼女に気を回す余裕が無いのだろうか、久善はそのまま続ける。


「だから、今年の花火は、絶対に打ち上げたい。あいつがまだそれなりに元気なうちに、最後に俺の花火を見せてやりたいんだ。花火に集中したい。……だから、千咲。毎日とは言わん、花火の日まで、たまには今日みたいに、千代子のところに顔を見せてやってくれると助かる」

「え、ちょっと、ちょっと待ってよ……そんな……」

「嘘は言っていない。こんなのは冗談でも言わない。顔色を見たのなら、少しは分かったはずだ」


 久善の喋り方は随分ととぎれとぎれで、言葉と言葉を無理やりくっつけたようなものだった。だがそれがかえって、千咲に現実を一つ一つはっきりと突きつけられた。久善は一瞬だけ寂しげな表情を見せて、そして踵を返して作業場へと戻っていった。宗助と千咲は、何も言葉が出てこず、それを呆然と見送ることしか出来なかった。



          *



 再び、基地への帰り道。二人の足取りは先程よりもずっと重かった。普段から『命に関わる仕事』はしているものの……目の前で枯れていこうとする命に対して、自分達はあまりに無力だった。病気に対しては、岬の治癒能力もほぼ無意味。

 宗助はまだ、『常連の店の仲良くしていたおばあさん』という関係なのだが、千咲からすれば殆ど肉親のようなものらしく、彼女の落ち込みぶりは相当なものだった。

 久善の元から帰っている最中も、一言も言葉を発さずに、ただ俯いてとぼとぼと歩いている。それもそうだろうと、宗助も納得していた。鶴屋家での千咲と千代子が楽しげに喋る姿は、まるで本当の祖母と孫のように感じたほどだったから。

 ぼちぼちと二人で歩いていた、その時。

 空が突然陰りを見せ始めた。先ほどまで夕暮れの赤い空だったのが、突然真っ暗になる。そして周囲からぱらぱらという音。夕立だった。数秒後、バケツをひっくり返したような雨が辺り一帯を襲った。


「うわ! 夕立か!」


 宗助が両腕を頭上に持ち上げて雨から身体を守り、雨をしのげる場所がないかどうか周囲を見回す。すると三十メートルほど先に公園があり、その中に屋根付きのベンチが置かれた休憩スペースを見つけた。


「とりあえずあそこで雨宿りしよう!」


 千咲の方へと振り返りそう提案する。だが。彼女はまるで雨が降っている事に気づいていないかのように、ただ俯いて立ち尽くしており、髪の毛は既にずぶ濡れで、前髪がべったりと頬など顔に張り付いてしまっている。宗助はそんな千咲を見て、どれほどのショックを受ければここまでの状態になるのだろうと思いつつ、だがしかしこのまま雨に打たれてずぶ濡れになるのも避けたいので、彼女の手を無理やり取った。ぴくりと千咲の肩が震える。


「ほら、行こう!」


 引っ張ると、一応付いてきた。フラフラと足取りはとても心もとないものだったが……。

 そうして屋根のある場所へ到達すると千咲をベンチに座らせて、宗助はその隣に座る。自身のびしょ濡れになって額に張り付く前髪を右手でかきあげてから、カバンの中をごそごそと探り、ハンドタオルを取り出した。

 そして、まるで借りてきた猫のように縮こまって座る彼女の頭にタオルを乗せると、宗助は自身の身体についた水滴を掌で拭い始める。


「ちゃんと拭いとけよ。夏風邪は長引くって言うし……」

「……あ……がと……」

「ああ」


 千咲は両手を気だるそうに持ち上げてタオルに触れると、緩慢な手つきで頭を拭く。だがすぐに、千咲は頭を手とタオルで抱えた状態のまま背中を丸くして、水を拭く動きを止めてしまった。そして彼女は僅かに身体を震わせて、小さく鼻をすする。彼女の頬を水滴が滑り落ちる。ひとつ、ふたつ、みっつ。次から次へと流れていく。


 宗助は彼女を横目で見て、そして遠くの空を見上げる。情けないことに、今度ばかりは泣いている千咲にどんな言葉をかけていいのか彼には全くわからなかった。じっと黙って隣に座るだけ。

 彼女に同情するかのように降りしきる雨が地面を打ち続け、その轟音は彼女の小さな泣き声をかき消す。雨音以外何も聞こえない薄暗い公園のベンチで二人、ただただ雨雲の晴れ間を待っていた。



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