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machine head  作者: 伊勢 周
16章 午後八時半に空を見上げて
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花火大会


 花火。

 小さく控えめな線香花火から、一瞬で何万人もの人間を魅了する巨大な打ち上げ花火まで、色も種類も多種多様に存在する。火薬のルーツから考えると二千年は遡るのだろうが……日本に花火というものが伝わったのは江戸時代初期と言われ、日本で最初に花火を見たのはかの大将軍徳川家康という説が主流である。もっとも、当時は現在の花火のような色鮮やかなものではなかったのだろうが、それでも、夜空に飛び上がる大きな火の華に人々は心躍らせ期待に胸を膨らませていただろうし、職人花火師はそれに応じより美しい華を空に咲かせるためにその技術を高めていった。

 なにしろ、花火のあがる夜は特別なのだ。

 時に死者の魂に祈りを捧げるために。

 時に夏の暑苦しさを忘れさせるために。

 時に、誰かに想いを伝える場面に。

 花火はそれぞれの時代で、様々な夜空を彩ってきた。



          *



 八月上旬、アーセナル。

 そこで働く彼らに盆休暇や夏休みなどというものは有るはずもなく、レーダーとじっとにらめっこをしつつ暗号レポートを提出し続ける者や、防衛システムのメンテナンスの為にパソコンと向かい合う者。もちろん炎天下での訓練もあれば、室内で格闘鍛錬や肉体トレーニングに励むもの。情報を集め続ける者。手に入れた情報を繋げる者。要するに、基地近辺でのマシンヘッドの出現は無く、平常運転なのであるが……。


『仙谷のニュースをお伝えします。今月に入ってから連続して発生している婦女暴行事件について、同じく今月に入って既に数件確認されている空き巣被害との関連を―』


 食堂の中央に置かれている大きなテレビに映る女性アナウンサーがローカルなニュースを読み上げている横で


「リルちゃん、もう少しで仙谷花火大会だよ、花火大会! 一緒にみよーね!」


 桜庭はそんな事お構いなしにうどんをすすりながら、食券整理も終えて手が空いたリルに話しかけている。


「仙谷花火大会……あぁ、アパートの窓からギリギリ見えていたから、そこから見てたけど……隣の高い建物のせいであんまり見えなかったなぁ」

「リルちゃん、ここは山の上だぜ、遮るものなんて何もない! ここから少しだけ下りた所に、めっちゃよく見える場所があるんだー! 秘密の場所! お姉さんがリルリルを心ゆくまで仙谷花火マイスター(?)にしてやろう!」


 そう行って小春はキメ顔を作る。だが


「小春ちゃん、仕事はいいの?」


 リルが純粋に疑問に感じたのだろう。いつも忙しい彼女の事を気遣っての質問だ。真面目な顔で尋ねると小春の笑顔は急に固くぎこちなくなる。

「い、いいんだヨ、オトナだからって、毎日二十四時間働かなきゃいけないなんて決まりないんだヨ。少しばかり特殊な仕事とはいえ、頼りになる(代わってくれる)仲間がいるんだモン」


 威勢は弱まり、小声でぼそぼそと独り言。何か後ろめたいものでも有ったのだろうか。


 ところで。

 仙谷花火大会とは、宗助達の地元の街・仙谷の人々が主導で行う花火大会であり、毎年お盆の終わり頃行われる、夏の一大イベントでお祭りだ。

そこいら近辺に住む人間にとっては恒例行事であり、その花火大会を迎えることによって『今年も盆が来たなぁ』と季節の移り変わりを実感するものなのだ。街には出店が並び、提灯があちこちに提げられて、これでもかというほど正統派な日本の夏の縁日祭りの様相をつくりだす。花火の本数の規模が多い事もあって、毎年この祭りを目当てに仙谷を訪れる人も多く、街は普段の数百倍の人間で埋め尽くされる。

その分治安は悪化し、騒ぎや事故は毎年数件発生するのだが……多少の喧嘩くらいは、祭りの華とも言ったものだ。だが、しかし。


「でもねぇ……」


 突然小春とリルの会話に参加してきたのはジィーナである。


「どうかしたの、ジィ」

「いや、ね。今ニュースで流れてたでしょ。夜間の婦女暴行とか、空き巣とか。他にもひったくりとか、通り魔的な事件が街の方で近頃すごく多いみたいで……同一犯かどうかはわからないけど……花火大会を開いて大丈夫かって話が自治体で出てるんだって」

「中止にするってこと?」

「それもありうるかもね……空き巣とかひったくりはまだ個人の注意でなんとかなるレベルだけど……婦女暴行はねぇ……。報道では七件ってなってるけど、こういうのって泣き寝入りしている人とかも居るって言うし……実際の件数はもっと多いのかも。犯人が捕まらないと、考えどころだと思うわ」


 ジィーナが言い終えると、三人ともがテレビに目を向ける。アナウンサーの女性が姿勢正しくカメラ目線。


『次は天気予報です』



          *



 そこは古びた木造建築の一軒家。年季の入った桐箪笥と、その横の壁に掛けられているやけに大きな文字の日めくりカレンダー。低めの板張りの天井を立派な年輪の入った木柱が支えている。汚れた障子戸が半開き、ニスで塗られた木のちゃぶ台があって、そこに少し頬のこけた老齢の女性が座っていた。日焼けして色が変わった畳の上を、少し場違いの吸引力が凄そうな最新型掃除機が這いずりまわる。現代の掃除機は走行音がやけに静かだ。


「ごめんねぇ千咲ちゃん、こんな事やらせちゃって……」

「いいって、いいって、子供のころ沢山面倒見てもらったんだからさ」


 その掃除機を操るのは、スワロウ特殊能力部隊の隊員である一文字千咲だ。少し頬のこけた、小柄な老齢の女性がそんな千咲に礼を述べる。


「大人が子供の面倒を見るのは普通の事だよ」

「だからいいって言ってるの! 普段鍛えてるから、これくらいどうってこと無いし気にしないで」


 掃除機をかけ終えた千咲が掃除機を片付け、リビングに戻ってくる。


「でも、たまの休みなのに、千咲ちゃんにこんな老人の世話をさせるのは申し訳ないよ」

「しつこいなぁ、私が自分で好きでやってることだからいいの」


 この老婆と千咲の関係を説明するには、千咲の幼少時代について少々説明する必要がある。

 彼女の父親はいわゆる商社マン、母親は海外旅行添乗員で、それぞれが仕事の都合で日本に居ないなんてことはしょっちゅうだった。一人娘である千咲が小さい頃からそれが通常であり、自宅に家族が全員揃うことの方が珍しかった。まだ小学校に通い始めた程の千咲に独りで暮らしていけるほどの生活力が有るはずもなく、ご近所さんであり(かね)てから親交があったその老婆―名は鶴屋(つるや)千代子(ちよこ)さんと言うのだが―の家に預けられることがしょっちゅうだった。千代子も千咲を優しく迎え入れ、まるで本当の娘のようにかわいがった。

 そんな生活も千咲の年齢が十歳になる頃には終わりを迎えたのだが、千咲は近くを通りかかった時等はなるべく立ち寄るようにしている。

 そして、千咲がなにゆえ家政婦のような事をしているかというと……千代子の体調がどうも良くないのだ。数年前に会った時と比べると余りに不健康な痩せ方をしていたし、声に力がなく、立ち居振る舞いにも覇気が無い。どんな生物も老いというものからは逃れられないものだが、明らかにそれを超えた様だった。

 明らかに、何か重い病を患っている。だが、本人が言ってこない以上千咲も自分から訊くことが出来ない。


「ただいまー……」


 千咲と千代子がやりとりしているところに、玄関の戸が開く音と、続いて男性の声が届いた。声の主はすぐにリビングに姿を表す。両手に買い物袋をぶら下げたその男の正体は。


「あぁ、ありがとうねぇ、宗助君」

「あ、いいえ、言われたものはとりあえず買ってきたので……」

「あぁ、冷蔵庫にしまうの手伝うわ」


 ぼさっと立ち尽くしている宗助に千咲が声をかけると、そのまま二人はキッチンの方へと歩いて行った。

 さて。千咲ゆかりのこの家になぜ生方宗助が居るかというと。こちらはとても単純で、千代子が切り盛りしている『和菓子のつるや』が、生方家が昔から常連で、幼少の頃から何度も店に出入りしていた事によって顔を覚えられたのだ。それだけ。千咲ほどのゆかりは無いにしろ、千代子からすればまた、成長していくさまを何年も見守り続けたかわいい孫のような存在らしい。


 それではなぜこの二人が同時にこの家に居るのか。宗助が妹の見舞いに近頃行っていないという話がきっかけで、「妹はつるやって和菓子屋のまんじゅうが好きなんだよ」という話題になり、その結果千咲がそれに反応し、「まさか『あの』鶴屋ではないか」と探りを入れた所大当たり。

 近頃顔を出していなかったということもあり、千咲が「休みが重なった日に一緒に行こうよ」と誘い宗助もそれを了承。だが、二人で訪ねた千代子はとても体調が悪そうで家事もままならぬ状態であったため、一日お手伝いさんになったという訳だ。

 要冷蔵の食品をしまい終えて、千咲は宗助に買わせたペットボトルのお茶を取り出してコップを三つ並べる。


「ひと通り終わったし、リビングでお茶しよ。持って行くから先行っといて」

「あ、あぁ。よろしく」


 千咲に言われて宗助はのれんをくぐって居間へと向かう。居間では千代子が宗助達の為に座布団を並べてくれていた。


「もうお家のことは良いから、座ってゆっくりしてくださいな」

「はい。それじゃあお言葉に甘えて。いま一文字がお茶の準備してくれてます」


 宗助は座布団の上に座った。


「あらあら。それじゃあうちのお菓子出そうかしら。わらびもちがあるの」

「うちのって、お店の? 良いんですか?」

「いいのよ。どっちにしろ、もうすぐお店は閉めようと思っていたの。食べないと余っちゃうわ」

「え?」


 初耳であった。突然知らされた事実になんとも言葉が出てこない。


「私もあんまり身体の調子がよくないものだから、アルバイトさんにずっとお店番まかせっきりで……それにほら、ウチのお菓子は手作りの物も多いから、朝早くに起きて作っていくのも、もう結構しんどくてねぇ……」

「そうだったんですか……妹もきっと寂しがります。つるやのおまんじゅうをいつも楽しみにしていたので」


 お店を続けて欲しい、とはとてもじゃないが言えなかった。歩くのも少しつらそうな千代子に対してまだまだ働けなどと宗助に言えるはずがない。それから二、三の世間話をしていると、千咲がお茶を運んできた。お盆をちゃぶ台に乗せて、コップを宗助と千代子の前に置く。と、同時に、再び玄関の戸が開く音がして。


「ただいま……」


 リビングに、これまた老齢の男性が入ってきた。短髪白髪で、肌は日焼けしていて茶色い。頬にすすのような黒い汚れがいくつかついていて、首には手ぬぐいがかけられている。


「おかえりなさい。随分と早かったんですね」

「いや、またすぐに戻る」


 男性はそう言いつつ、千咲と宗助に視線を向ける。


「……千咲か」

「あ、久しぶり。おじいちゃん」

「ああ」


 それだけ言って、そのままリビングから立ち去ってしまった。宗助がぽかんとしていると、千代子が笑顔で口を開いた。


「宗助君は初めて会うでしょうけど、あれが私の夫なの。久善(ひさよし)って言うのよ。ここから少し離れた作業場で、花火を作っているわ」

「花火を?」

「ええ。毎年打ち上げられる仙谷の花火も、あの人が主導で作っているのよ」

「へぇ、知らなかった……」


 宗助が感心していると、千咲が苦笑いしながら


「昔、私ね、作業場が見てみたくて勝手に入ろうとしたら、『勝手に入るな!』ってめっちゃくちゃ怒鳴られてさー。その時のおじいちゃんの顔が怖くて怖くて……」


 と、指で大げさに目を吊り上げながら言った。


「そりゃあ、火薬とかあるだろうし、湿気とかさ、調合だって結構気を使うんだろう」

「まぁね。だいたい、子供の遊び場にしちゃあちょっと刺激が強すぎるね、あはは」


 ケラケラと笑う千咲に宗助は苦笑い。そりゃあそうだ、例えばアーセナルに子どもが侵入していたら自分でも叱るだろう。規模が少し違うが。


「でもさ、職人気質って言うか……愛想ワルすぎない? 喋ってる所殆ど見たこと無いんだけど。普段何話すの? ……あ! っていうか、なんて言ってプロポーズされたの? ソッチのほうが知りたい!」


 千咲が千代子に尋ねる。宗助はというと


(こいつも好きだなぁ、こういう話)


 くらいにしか考えず、お茶に手を伸ばす。千代子は千咲の質問に対して、ニコニコと楽しそうな顔をしてこう言った。


「それはねぇ、千咲ちゃん。『花火文字』だよ」


 聞きなれない言葉に、宗助は少し興味をひかれて千咲の顔を見る。


「花火文字!」


 その回答に、千咲は笑顔で応えた。


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