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machine head  作者: 伊勢 周
15章 僕に欠けているもの
163/286

子供の頃の話

 

 子供の頃の話。

 生まれてからまだ両手の指で数えられるほどの年しか経っていない、知らないことだらけで、そして覚えることだらけの、試練のような毎日が続く頃。大人には必ず子供の頃があって、たいていの人は、ふとした瞬間子供の頃を思い出して

 あの頃は楽しかったな

 とか、

 あの時なんであんなことしたんだろう

 とか、

 あの頃の自分が今の自分を見て、どう思うだろう

 とか。

 そんな栓のない考えごとの中に迷い込むのだ。


『テッペイ、今日こそ決着、つけてやるからな!』

『のぞむところだ!ミノリのことではシノブ、お前にでもぜったいゆずれないからな!』

『今日の夕方6時に、あの丘で決闘だ!』


 そんな、遠い記憶の中に迷い込んだ大人が、今もまたここに一人、……二人。



 *



 宗助が待機任務を終わらせて廊下を歩いていると、ほんの数メートル先には、隊長の稲葉と一文字千咲、瀬間岬が3人で話し込んでいた。廊下で楽しげに談笑するには少しばかり珍しいその組み合わせにはてと思いつつ、だからといってどうするわけでも無い、宗助はそちらに目的があるので近づいていく。近づいてきた宗助にいち早く気づいたのは隊長の稲葉だった。


「おお、宗助。ちょうどいい所に来たな」

「はい?お疲れ様です。ちょうどって……」


 挨拶をかわすと、千咲と岬も宗助に気づき「お疲れ様」と声をかけた。宗助の質問に稲葉は「いや、な」と言って語り始める。


「今度ニ日連続で休暇がとれたものだから、自宅に泊まろうと思っていたんだが……二人がうちの娘にまた会いたいって前々から言ってきていてな。近くだから、ちょうどいいしそのタイミングで晩御飯に招待しようと思っていたんだ」

「へぇ、そうなんですか」

「ちょうどいいってのは、うちの嫁さんも、お前の話をしていたら、その新人の子に会ってみたいって言ってたもんだから」

「……な、なるほど」


 「どんな話をしたんだ」という疑問は頭の片隅に置いておいて、それよりも宗助には一つ気になったことがあった。


「隊長、ご結婚されていたんですね」

「……言ってなかったか?」

「自分の記憶に間違いがなければ……それに、指輪とか、していなかったので」

「あぁ、指輪は服で見えないが、チェーンに付けてドッグタグと一緒に首にかけているよ。戦闘時に一緒に吹っ飛ばしたくないからな」


 そう言って稲葉は、自らの胸元を右手の親指でトントンと叩く。


「なるほど」


 宗助は本日二度目の相槌を打つ。


「で、どうだろう。今週の木曜日の夜なんだが。あぁ、自宅は基地のすぐ近くだから、そのあたりは安心してくれ。少し頑張れば歩いてでも行ける」

「木曜ですか。木曜は、確か通常勤務なので、問題ありません。事件が起きなければ」

「そんときはお互い様でしょうが」


 千咲が呆れた顔で宗助にツッコミを入れる。


「それじゃあ、木曜日の夕方六時にエントランスに集合だ」

「了解です」





 そして、約束の木曜日。

 宗助達が危惧するような事件や任務は起こらず、通常通りの訓練に明け暮れ、心地よい疲労感に包まれながら夕暮れを迎える。三人は稲葉のプライベート使用のセダンタイプの車に乗り込み、彼の家へと向かう。基地から十分程車を走らせると、とある一軒家の前で車は停車した。


「ここだ。車を停めるから、先に降りてくれ」

「はい。ありがとうございます」


 三人は礼を述べるとそれぞれ降車し、稲葉が車を駐車スペースに車を停め終わるのを待つ。宗助が稲葉の家を見上げる。自分が住んでいた実家より一回り大きい家というのが宗助の第一印象で、外観もレンガの積み方や壁の塗装などに工夫が施されていて、夕焼けで赤く照らされたその家を見上げながら『いい家だなぁ』と子供のような感想を抱いていた。

 車を停め終えた稲葉に促され門から敷地内に入り、これまた立派な玄関扉の前に立つ。稲葉にとっては自分の家なので当たり前なのだが、何も遠慮すること無く扉のノブに手をかけて開き中に入る。


「ただいま」

「「「お邪魔しまーす」」」


 稲葉に続いて宗助と千咲と岬が家の中へと足を踏み入れる。三畳程の大きな玄関と、上品な絵が正面に掛けてある。フローリングの床は綺麗にしてあって、室内灯の光を反射してテカテカと輝いていた。


「あー! かえってきた!! かえってきたよー!!!」


 すると、家の中から子供の叫び声が聞こえて、そしてドタドタと床を叩く音が鳴り響いた。


「かえりー!」


 三歳程の少女が、舌っ足らずな挨拶と満面の笑みで四人を出迎えた。


「ただいま、かえで

「楓ちゃん、久しぶり!」

「久しぶり、楓ちゃん」


 それぞれがその少女に挨拶を返す。岬や千咲もめったにお目にかかれないような満面の笑みだ。


「えっと、はじめまして、楓ちゃん」


 宗助もそれに倣って彼女に挨拶をするが、楓は稲葉の足の裏に回りこんで宗助から隠れてしまった。


「嫌われてやんのー」

「今のやりとりだけでか」


 千咲のからかいに対して宗助は苦笑いを浮かべるしか出来ず。


「あぁ、すまんな宗助。少し人見知りな性格なんだ。すぐ慣れるさ。上がってくれ」


 言われてそれぞれが靴を脱ぎ、家に上がる。


「楓、お母さんは?」

「おかあさんごはんつくってるのー」

「そうか、ありがとう」

「わぁ、楓ちゃん、めちゃくちゃ喋るようになりましたね!」


 岬が嬉しそうな顔で稲葉に言うと、「最近突然ペラペラ喋り始めてな」とこれまた嬉しそうな顔で言う。すると部屋の奥から一人の女性が現れた。エプロンを肩からかけた、薄めの茶髪でボブカットに軽くパーマをかけていて、くりくりとした目が特徴的な少々童顔の女性だ。


「鉄兵さん、おかえりなさい。千咲ちゃんと岬ちゃんも、お久しぶりね~」

「あぁ、ただいま、実乃梨」


 彼女が、稲葉の奥さんなのだとすぐに理解して、宗助は「はじめまして、お邪魔します」と言う。すると彼女はにこりと笑って「はじめまして、貴方が生方君ね。お話は鉄兵さんから聞いているわ~はじめまして」と言って、ペコリとお辞儀をした。


 身長は岬と同じくらい(千咲よりも指一本分低いくらい)で、宗助は彼女の喋り方からも佇まいからも、『なんだかふわふわした女性だ』という印象を持った。


「ちょうどご飯できたから、手を洗って食卓に座ってくれるかしら~。お腹すいたでしょう?」

「あぁ、頂くよ」


 稲葉の案内で、三人は手洗い場へと歩き始める。



 *



 夕食を終えて、稲葉と宗助がお茶を飲みながら食卓で寛いでいると、ひと通り片付けが終わった実乃梨が洗い場から戻ってきた。


「どうもありがとうございました」

「いえいえ、子供の遊び相手にもなってもらっていますから~」


 食卓の隣のリビングで、千咲と岬が楓と遊んでいる。子供用の料理オモチャで遊んでいるようで、上手だなんだと黄色い声が上がっている。


「楓ちゃんは、今いくつなんですか?」

「九月で三歳になるよ。いろいろと喋るようにはなったんだが……なかなか俺のことはお父さんと呼んでくれないんだ」

「この人ったら、あの子に『おかあさん』って呼ばれてるんですよ~」


 実乃梨がおかしさをこらえるように言う。


「発音が難しいのかな、私のことも、鉄兵さんも、『おかあさん』って呼ぶんです。おかしいでしょ~」

「はは、隊長が、お母さん……」


 苦笑いしながらちらりと視線をやると、ちょうど楓が岬の胸に飛びついているところだった。


「そういえば、今日もしのぶちゃんはダメだったの?」

「あぁ、あいつは遠慮しておくと――」

「しのぶちゃん?」


 稲葉の言葉を遮って、宗助がその名前を言葉にする。


「うん、しのぶちゃん。生方くんも当然会ったこと有るよね?」


 実乃梨は不思議そうな顔で宗助の顔を覗き込む。アーセナル・スワロウの関係者で、忍なんて言う名前の女性で、隊長と親しい人間はいただろうかと記憶の中を探り回す。すぐに思い浮かばず宗助は眉間に皺をよせる。そんな宗助を見て稲葉は少し楽しげな顔で言う。


「宍戸のことだよ。あいつの名前は宍戸忍だ」

「え、あっ、ああ! ちゃん付けで呼ぶから、てっきり女性の隊員の方の話かなと!」


 隣のリビングからそんなやりとりを見ていた岬が、ふふ、と小さな笑い声をこぼしていた。


「宍戸さんと仲が良いんですか?」

「うーん、近頃はあまり会う機会はないんだけれど~……」


 困り顔で言う実乃梨。稲葉が横から付け加える。


「俺と実乃梨と宍戸は幼なじみなんだ。小さい頃からずっと一緒に育ってきた」

「そ、そうだったんですかっ!?」


 新事実ばかりで、宗助は若干困惑気味だ。


「あぁ。孤児院でな。日本だと、児童養護施設という呼び方だが」

「こ、孤児院?」

「俺たち三人は、産みの親が居なかったんだ。それで同じ施設で育った。捨てられたのか、親が死んだのか、それはわからないが……まぁでも、施設の先生はすごくいい方だった。厳しく優しい人だったよ。育ての親だ。今でも時折連絡は取るようにしている。楓が生まれた時は会いに行ったし、お礼にランドセルを送ったりな」

「へぇ……」


 稲葉はなんてことないようにサラリと言ったが、話を聴いていた宗助には想像しにくい世界だった。肉親や親類、兄弟さえ『居るかどうかすらわからない』状態というのが、一体どういうものなのか、と。


「この人と、しのぶちゃんは、昔ちょくちょく喧嘩してたわぁ~、私のこと取り合って」

「へぁ?」


 変な声が出た。楓と遊びながらも耳を傾けていた岬と千咲もぽかんとしている。稲葉はまだ想像できるが……。


「宍戸副隊長が……?」

「そうよ~。ちっちゃい頃から『みのりは俺のものだー!』って言い合ってねぇ。『決闘だー!』なんて言って。『勝ったほうがみのりをお嫁さんにする!』ってねぇ~」

「部下の前で、恥ずかしいからやめてくれ……」


 実乃梨は少しだけ頬を赤く染めて思い出に浸り、稲葉は珍しく頭を掻いて照れた仕草を見せる。


「そ、それでそれで、どっちが勝ったんですか!?」



 興味津々な様子の千咲が、四つん這いで稲葉達の会話へと文字通り這い寄ってきた。


「それはねぇ~」


 そんな千咲に対して嬉しそうに続きを語ろうとした実乃梨だったが、その時、稲葉の家に備え付けてある固定電話が突然鳴り響き始めた。


「あらあら、こんな時間に誰かしら」


 パタパタとスリッパが地面を叩く音を引き連れて、実乃梨は電話の方へと向かっていった。あからさまに残念そうな千咲だったが、流石に話したくなさそうな隊長に向かって追求するのは憚られて、仕方なしと楓の遊び相手に戻っていった。


「あの、隊長」


 宗助が複雑そうな表情で稲葉に声をかける。


「なんだ」

「あの、やっぱり…………………顔がわからなくても、ご両親に会いたいって思ったりすることは有るんですか?」


 稲葉は、宗助がそんなことを聞いてくるとは思いもしておらず、少し驚き目を見開いた。だがすぐに質問に対しての答えを考える。


「……そうだな。会いたくないと言えば嘘になる。どんな顔で、どんな声なのか。どんな気持ちで俺が生まれてくるのを待っていたのだろうと、訊いてみたい。ただ、会えたとしてもどんな顔をして、どんな風に距離を取るのかな。俺にはわからない」

「調べたりは、しなかったんですか?」

「したさ、多少はな。だが、どこかで生きているとわかったら、探しに行きたくなってしまうんじゃないかとも思うと、そこで手が止まった。その時には既にやるべき事がたくさんできていたし、守るべき家族や仲間もできた」


 しみじみと語る稲葉。その表情には到底嘘偽りなどは存在しない。


「……養護施設の先生の事はとても尊敬しているし恩も感じている。だけど、言ってしまえば育ての親だ。血の繋がった親が近くに居なかった俺達は、子供に対してどうやって接すれば良いのかわからなくなる時がある。そんな時、少し恨めしくなる時はあるな。名前も顔も声も性格も知らない両親の事が」

「……すいません、難しいことを訊いてしまって」

「いや、いいんだ。お前の方からこんな事を訊いてくるのは意外だったが、いずれ話そうとは思っていた。それに――」


 リビングにいた千咲も岬も、神妙な顔で稲葉の言葉に意識を向けていた。


「――顔も名前も知らない両親より、お前たちの方がずっと親しい家族のように感じられる。それで十分だよ、俺は」


 そう言う稲葉の顔は、穏やかさと寂しさが混同している、まるで夕暮れ空のような表情だった。





 午後九時半。

 宗助、千咲、岬の三人は食事会を終えた後、稲葉の車でアーセナルまで送ってもらい、エントランスを抜けて隊員寮への道を歩いていた。


「あ」


 と、宗助が声をだす。


「どうしたの?」

「そういえば、隊長と副隊長のケンカの結果がどうなったか聴けなかったな」


 宗助に言われて岬と千咲も気づいたようで、同じように「あ」と短く声を出した。


「まぁ、でも、隊長が勝ったんじゃないの?現に結婚しているわけだし」

「そうっぽいよなぁ、まぁ……訊かないと結局わからないことだけどさ」


 千咲にそう言われ、宗助はとりあえずそれで納得しておくことにした。


「それにしても、副隊長が、しのぶちゃんねぇ……ちゃん付けがあれほど似合わない人も――」

「俺がどうかしたか」


 何の気なしに呟いた一言に、背後からまさかの返答。宗助の身体が硬直する。おそるおそる、背後へと首を回すと、そこにはいつもと変わらぬ仏頂面の鬼上官の姿があった。


「し、宍戸副隊長っ! お疲れ様ですっ!!」

「俺がどうかしたかと訊いている」


 振り返り敬礼し挨拶する宗助を蛇のような眼光がじっと捉え続けている。だらだらと、顔中を流れ落ちる汗。蛇に睨まれたカエルである。


「い、いえ……稲葉隊長から、少々、ええっと、子供の頃の話を聴きまして……それでですね」


 しどろもどろに弁解する宗助。千咲と岬はいつの間にやら随分と離れたところまで行ってしまっていた。宍戸の視線が絶えず宗助の心をえぐり続ける。


「…………実乃梨の奴か」

「え? あ、えっと、そうです。はい」

「だろうな」


 それだけ言い残して、宍戸は宗助に背中を見せて去っていった。とにかく、雷が落ちずに済んで良かったと、安堵半分疑問半分の眼差しで宍戸の背中を見送った。



 後日、何故か宗助は三日連続で、特に説明もなく居残り訓練が課せられた。

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