僕に欠けているもの 5 (白神弥太郎スピンオフ)
「本来なら、守ってあげなければならない人たちなのに。申し訳ないな」
白神がポツリと呟いた。騒動の中心に居ながらも何が起こったのか理解できていない芳樹と佐久間。現在その空き地に立っているものは、白神と、芳樹少年と、リーダーの佐久間だけなのだ。
五十人以上居たと思われる血の気の多そうな青年たちは、うめき声を上げつつ地面に伏している。途中で逃げ出した者もいたが。
その事実だけでも佐久間を唖然とさせるのには十分なのだが、何よりも白神が彼ら全員を殴ったり蹴ったりせず、まるで魔術をかけたかのようにどんどんと人間をなぎ倒していったことに驚きおののいている。
自分が侍らしていた部下たちは有象無象の寄せ集めではない。タフで喧嘩慣れした青年たちを選りすぐり、側に置いていたのだ。にも関わらず、まるで赤子をあやすかのように、目の前の男に面白いように手玉に取られていった。
ある者は巧みな足捌きに追いつけず足をもつれさせ躓きこけて頭を強打し、ある者は別の者が振るった鈍器が“流れて”当たり、そこから別の喧嘩が発生して、巻き起こる大乱闘。
「まぁ、思ったより早く済みそうで、そこは良かったかな」
白神が涼しい顔で言いながら佐久間に近づくと、佐久間はたじろぎ半歩後ずさる。
「静かになったので、少しお話をしましょうか、リーダーさん」
「……なんなんだよオマエよ……ナメてんじゃねぇーーよッ!」
佐久間が叫び、果敢に白神に挑む。勢い良く左足で攻撃圏内に踏み込んで、右足による蹴り上げを放つ。完全にリーチを見切った白神は少し後ろに移り紙一重で回避する。蹴りあげた足を収め、再度白神に近づき右拳突き。やはり紙一重で当たらない。続けざまに左拳突き。当たらない。
「くそがッ」
忌々しげに汚い言葉を吐き捨て、佐久間は白神に背中を向けるように身体を捻り、力をためて、後ろ回し蹴りを放つ。力強い風切り音。……空振り。
「随分と鍛えているようだ。特に体の軸。空手ですか? それほどの大きな技を出しても、身体の芯が全くブレていない」
「うるせぇ!」
冷静に分析する白神に対し、佐久間は体勢を立て直し更に向かっていく。またしても右拳を振りかぶる。同時に右手の指先がキラリと光る。振りかぶり方が、前回のものと微妙に違った。
白神は今度は背後に回避したりせず、その右拳を左手で迎えにかかる。だが、白神の方も拳を掌で受け止める訳ではなかった。彼の指先が何かを掴む。
佐久間の手には、いつの間にかバタフライナイフが握られていて。……そして、白神はその刃を親指と人差指でつまみ、ナイフの侵攻をピタリと止めていた。
「回転蹴りの大きな動きの裏でナイフを懐から取り出すなんて、なかなか器用なんですね」
涼しい顔で白神が言う。
一方で佐久間は、ナイフを掴まれたことにより、ナイフ越しに初めて白神の正体にほんの僅かだけ触れた。ニ本の指で摘まれているだけなのに、押しても、引いても、揺らそうとしても、ナイフはピクリとも動かない。
佐久間は恐怖した。
呼吸が乱れる。
視線を合わせることが出来ない。
たったそれだけのやり取りで理解してしまった。目の前の男は、違う次元の生物なのだと。
降り注ぐ夏の日差しに体温が上がり汗が頬を濡らす。金縛りにあったかのように、指が硬直してナイフの柄から手が離れない。
「……なん、なんだよ……俺に……、俺らになんか恨みでもあんのかよ……」
佐久間が声を振り絞る。暑さからくる汗か冷や汗か、顔中に水滴が浮かび上がる。
「……いいえ、特に。もともと、お話をするだけのつもりでしたし。そもそも、攻撃してきたのはあなた達なんですけど」
「……なんで、こんなガキに加担すんだよ……」
「さぁ。なんででしょう」
「ふ、ふざけんなっ……!」
「僕はいつだって真剣です」
白神の言葉に、少しだけ熱が篭った。
「自分でも、はっきりとはわからないんです。こんなことをしている理由。かわいそうだと思ったから? あなた達がやり過ぎだと思ったから?……どちらも正解だと思う。でも、もしかしたら、自分に足りないものがこの子たちに有ると思ったから、というのが、一番かもしれません」
「ワケの分からねぇ事を……」
「わからないですか? 人間って、そういうものでしょう。自分に足りないものを本能的に求めて生きていく生物なんだから」
恋人とか、食事とか、言ってしまえば呼吸だってそういうことだ。
「足りないものは、確かに有った。これが正解かは、わからないけれど……その答えを確かなものとして感じたいから、僕はこの子達の味方をしてみる事にしたんです、きっと」
白神はゆったりとした口調でこう言った。
「ねぇリーダーさん。この子らは、修理代は無理のない程度で、分割払いで返すと言っているんですから……ここは一つ、リーダーとしての器の大きさを見せてやっては、どうでしょうか」
「………っ」
ニッコリと笑って、更に押しの一言を告げる。
「一味総崩れと、はした金をもらった上に今までどおり。どちらが良いか、少し考えれば判ることかと」
*
佐久間は降参を告げ、そして浩太郎少年の投げたボールはバイクに傷など付けておらず言いがかりだったことも告白した。写真のデータも目の前で削除させた。もしも写真をばら撒くようなことがあれば……とほんの少し睨みをきかせると、佐久間は素直に「そんなことはしない」と言った。
白神は芳樹を背中に担ぎ上げ、携帯電話を片手に着信履歴のトップに来ている番号にかけ直す。
「もしもし、白神です。岡本さんのお宅で――」
『白神さん!? 私です、春香です!』
電話に出たのは、芳樹の姉だった。
「あぁ、お姉さんですか。見つけましたよ、弟さん」
『ほ、ほんとですかッ!? 今どこに!?』
「今はええっと、……いや、ちょっと遠いので、でも、しっかり病室まで送り届けますよ」
『そんな悪いで――』
「それでは」
これ以上何かを言われる前に白神は無理やり通話を切って、芳樹を背中に担いだまま歩き始める。
「って……」
肋骨が痛むのだろう、少しうめき声を上げたが芳樹はされるがままにしている。様々なことが起こりすぎて思考が付いてこない部分もあった。半ば虚脱状態だ。
「わざわざ病室から抜けだして独りでこんなところに来て、どうするつもりだったんですか」
「…………こっちの台詞だよ……。一人であんな何十人相手にして……。あんた、昨日俺を病院につれてった人だろ。白神さんって、姉貴が言ってた」
「目の前に人が倒れていたら救急車くらい呼ぶでしょう」
「そりゃあそうだけど……」
「ここに来たのは、彼らと話をしてみるため」
「は?」
「もしかしたら、話のわかるいい人たちだったりするかもしれないでしょ」
「本気で言ってる?」
「いつだって真剣です」
「……」
白神がそう言ったきり、会話が途切れる。そのまましばらく、白神が芳樹をおぶったまま歩いていた。
「浩太郎はさ」
「はい?」
「弟。部活で野球やってんだ。今中三で、高校から特待生の話も来てる。中学の全日本にも選ばれそう。才能があるんだ。プロなんて、夢のまた夢かもしれないけど……あいつはプロになりたいって、しっかりとした夢を持ってる。努力もしてるし、そのまま続けさせたいっていうのが、家族みんなの認識だ」
「そうなんですね」
「だから、こんなつまらねぇ事であいつの足を引っ張ろうとする奴らを、俺は……見過ごすことなんか出来なかったんだ。一刻も早く、解決してやりたかった。待ってたって解決なんてしねぇから……それで……」
「だけど、いくら家族のためとはいえ、ここまで出来る人なんてそういないでしょうに」
「……別に」
芳樹は照れているのか小さな声でそう言って、再び黙りこんでしまった。
「それにしても、まっすぐで、思いつけばすぐ行動。どんな人でも正面からぶつかれば相手に伝わる。そんな風に考えているんでしょうか」
「……悪いかよ」
「いいえ。君のお陰で、大いに勉強させて頂きました」
「…………?」
「あぁ、いえ、こっちの話です」
不思議そうな顔をする芳樹に、白神は得意の爽やかスマイルを浮かべ、ほんの少しだけ歩く速度を上げるのだった。
*
病院へと到着すると、二人を姉の春香と弟の浩太郎が出迎えた。すぐに芳樹は医師の診察を再度受けることになり、それでやはりと言うか、傷の程度が悪化している事が判明して、そしてなぜか発見者(という事になっている)の白神が『なぜ事情を知りながら救急車を呼ばなかったのか』とお咎めを受けた。
そして芳樹が病室に戻され、彼が眠りについたのを見届けて、春香と浩太郎と三人で同時に病室を後にした。後ろ手に病室の引き戸を閉めると、白神は二人に微笑みかけた。
「もう、あまり家族を心配させないようにと、強めに言っておきましたから」
白神が言うと、春香はニッコリと微笑んだ。
「言ったって、聴きませんよ。でも、ふふ、こうやって無茶苦茶な事はするんですけど、悪い事は絶対にしませんから。その辺りは、安心してます」
「そうですか」
それを聞いて、やはり良い家族なんだな、と思った。羨ましいとさえ思うほど。
「あの、白神さん。…………芳樹から全て聞きました。その、何から何まで、本当にありがとうございました!」
春香が大きな声で言いながら、白神に対して大きく頭を下げて最大限の感謝の気持ちを表した。浩太郎はそんな姉の後ろで少しの間戸惑った後、姉に倣って頭を下げる。
「そんな、頭を上げて下さい」
「いえっ、会って一日も経たない私たちの為にこんな……なにかお礼をしなければ、気が済みませんし、沽券に関わるというか、もう、恥です! 恩知らずって、笑われてしまいます……!」
「ええっと……」
誰に笑われてしまうのだろうと思いつつ、白神はこの事態にどうオチをつけるか考えていた。大人しくお礼を受け取ればいいのだろうが、この調子だと無理をしてでもお礼を返してきそうだ。この一家から小額でも金銭的なお礼なんて貰いたくない。何か良いまとめ方はなかろうか、と即興で考えた結果。
「野球だ」
「「え」」
白神のつぶやきに二人が反応する。
「あ、いやぁ、芳樹くんが、『浩太郎は野球のプロを目指してる』って言っていたので、じゃあ、いつか野球で有名な選手になったら、サインをください。それで行きましょう」
「ええっ!? そんな、プロなんて、目指してはいるけど――」
浩太郎少年が弱気な言葉を吐き出そうとした瞬間、白神は「では、そういうことで」とそれを遮って、二人の目の前から足早に姿を消した。姉弟はぽかんと顔を見合わせて、そして白神が去った後をぼぉっと見つめていた。
「……頑張ってよね」
春香が呟く。
「え?」
「プロ野球選手! 『岡本の家は恩知らず一家だ』、なんて、思われたくないもん!」
姉からの言葉に浩太郎は戸惑いを隠せず、少しの間黙って立ち尽くしていたが、意を決したように背筋を伸ばして両掌をぐっと握ると「うん、がんばる」と力強く答えたのだった。
*
白神が基地に戻ったのは昼下がりの頃。いつもよりほんの少し早歩きで、隊長の部屋へと向かう。隊長室の扉の前に立つと、少し強めに三回ノック。少し待って、扉のノブに手をかけて開く。
「白神です。失礼します、隊長」
「あぁ。どうしたんだ、珍しいな、今日は非番だったろう。特に問題も起こっていないぞ」
室内では、稲葉が奥の大きな机に座り沢山の書類に目を通していた。書類に落としていた視線をあげると、その目に入ってきた白神の表情は神妙で、つられて稲葉も表情を引き締める。
「真面目な話か」
「……少しだけ、訓練に付き合っていただけませんか?」
「…………。わかったのか」
「きっと」
アーセナル・格闘訓練室。
白神と稲葉は、再度この場所で向かい合っていた。やはりその場所には二人以外の姿はなく、静寂そのもので、ぴんと張り詰めた空気が室内の隅々までを満たしていた。気を抜くと呼吸すら奪われそうなほどの緊張感。
「俺も毎回付き合ってやれるほど暇ではない。お前に進歩が見られないと感じたら、しばらくこういった個別の訓練はなしだ。いいな?」
「はい。よろしく、お願いします」
白神が構える。普段と同じ、両腕を顔の高さまで持ち上げて三角形を作る、ボクシングのような構え。稲葉もすぐに構えを取る。僅かに腕を胸の高さ程に持ち上げた、自然体近い構え。お互い間合いを図りながら、じりじりと距離を詰めていく。
白神にはその時点で十分に感じ取れていた。隙など何処にもない。どこから仕掛けようが、多彩な対応とそこから柔軟に放たれる強力な攻撃が控えている。
数日前に手合わせした時と変わらない。それが理解出来れば出来るほど、恐怖が白神の全身を縛り付ける。呼吸が浅くなる。鼻先がピリピリと痺れる。
(……僕に欠けているもの。そして、僕が乗り越えなくてはならないもの。それは――)
――恐怖を乗り越えて踏み込む、一歩の勇気。人一倍戦闘の恐怖がわかってしまう自分だからこそ。その恐怖を我がものとして一歩踏み出さなければならない。
(それは、自身のドライブが創り出してしまった、心の弱さ!)
あえて。
あえて白神は、稲葉から発せられる力強さが一番感じられる右側に、先制して踏み込んだ。それをくぐり抜けた先に新たな突破口が有ると信じて。
「ぅっ!!?」
だが、次の瞬間。稲葉の右掌底が白神の鳩尾を一瞬で捉えていた。視界が点滅して、思考が停止する。後方に吹き飛ばされ、尻餅をつき仰向けに倒れる。体全体がしびれ、猛烈な吐き気が押し寄せた。
「っと、すまん、大丈夫か!?」
攻撃を放った稲葉も、白神のその様子に慌てて少し早歩きで歩み寄る。
「ゴホッ、は、い、なんと、か」
白神は喋りづらそうにしながらも答えた。
「……そう、うま、くは、いかないものです、ね……」
白神は打たれた鳩尾を抑えつつ上半身を起き上がらせると、こうもあっさりと敗れてしまった自分を情けなく思っているのか残念そうな表情で、自嘲気味に呟いた。
稲葉に、何も変わっていない、むしろ悪くなったと失望されてしまっただろうかと項垂れる。そんな白神に、稲葉は言う。
「劇的には変わらないものさ。大事なことは、意識し続けること。徐々に、だ」
「……」
「今日はもうやめておこう。立てるか?」
「はい、なんとか……」
稲葉が右手を伸ばすと、白神はそれを掴みよろよろと立ち上がる。
「白神。見つけたみたいだな。今日の続きは、また次に見せてくれ」
「え、――」
立ち上がった白神を見て大丈夫だと判断し、稲葉は彼に背を向けて訓練所を後にする。白神はまたその背中を見送って、そして、改めて「もっと強くなってやる」と決意する。
その道筋は、もう以前のようにぼやけてはいない。
白神のお話はこれにて終了です。
次は稲葉と宍戸の子供の頃の話です。それに関しては一話だけですので、読んで頂けると物語理解の助けになるかと思われます。




