僕に欠けているもの 2 (白神弥太郎スピンオフ)
白神が稲葉に『欠けているものがある』と指摘されて、一日が経った。一日考えてみるといいと言われたが、まだ見つからない。このまま「何も見つけられませんでした」などと言えば、失望されること間違い無しだろう。ただ、「見つけられなかった」という言葉には語弊があって。白神は考えに考えたが、逆に欠けているものがありすぎて一つに絞れなかったのだ。完璧な人間などこの世に居ないのだ。だが、その中で『決定的に欠けているもの』とは何か。実力や身体能力ではなく、尚且つ戦闘能力に関わるもの。
(精神的なものなのだろうか?)
白神はむしろ常に心のブレをなるべく少なくしているよう務めているし、実際に不破よりも冷静に物事を処理することも多い。しかし実際は、不破のほうが一段も二段も戦闘能力は上を行っている。ならば何が欠けているか。
「ねぇ不破さん。僕に足りないものってなんでしょう」
「……なんだよいきなり」
白神の声が部屋内に反響する。そこはパーテーションで一つ一つ区切られたシャワー室。白神は二つ隣のブースでシャワーを浴びているだろう不破に話しかけた。
「少し自分を客観視しようかと」
「へぇ。殊勝な事で。足りないものねぇ……白神に足りないもの……白神は……若いし顔もいいしで、収入もあるし隊の中での女性人気もあって……ふざけんなよお前。これ以上何が欲しいっつうんだよ。ぶん殴るぞ」
「あ、いえ、そういうことじゃなくて、僕の兵士としての能力で、ですよ」
「それを先に言え」
「何かありますか?」
「……特に」
「あらら」
「強いて言うなら、ドライブの持続時間が長くなればいいんだろうが、お前のは特殊だから、俺からは下手にどうこう言えねぇよ」
「その辺りは、秋月さんと相談しながらやっています。なかなか難しいみたいですが」
「まぁ焦ってもなぁ」
「やれるだけのことはやってみます」
「それがいいさ。ってわけで、先上がるぞ」
「はい。ありがとうございました」
不破との会話でも、特に有力な答えは見つけられなかった。
*
夕暮れ時。シャワーから上がった後白神はというと、翌日が非番なので、趣味の散歩兼パトロールをするために一人でふもとの街まで降りてきていた。
このパトロールというのは完全に白神が個人的に行なっているものであり、積極的に治安を守り犯罪を減らしてやろうというのとは少し色合いが違って、ただ単に困っている人間がいれば手助けできればというくらいの主旨のものである。無信号横断歩道を渡れずに困っているご老人をお手伝いしたり、以前のように迷子になっている子を助けたり、など。
ちなみに、道に迷っている外国人を助けることが一番多い。
特に決まったルートが有るわけではなく行き先は風まかせ。散歩に満足すれば終了という、本当に散歩ついでくらいのものなのである。今回のそれは、完全に気分転換を狙ってのもの。基地に篭って自分の欠点探しを延々と行なっていては気も滅入ってしまうから。
そして。パトロール(散歩)を始めてから一時間ほどが経った頃。とある路地裏を歩く白神の耳に、どご、という鈍い打撃音が届いた。
「…………?」
白神は足を止めて音の方に意識を傾ける。職業柄、よく知っている音だ。人が人を殴る音。長閑な街の少し裏に入っただけでそんな音がするのか。不穏なその物音に、白神は近づく足を早める。二十メートル程先の角の向こうへと小走りで向かう。
読めてきた。男性が一人倒れていて、それを取り囲む、男性が……四人。
「おい、もういいだろ。こんなヤツ放っておいてさっさとパチ行こうぜ」
「そんなバカに構ってるだけ時間の無駄だって」
「あぁ。わかってるよ」
すると続いて、微かにそんな会話が聞こえてきた。そしていくつかの遠ざかる足音。白神が角を曲がると、そこには、読み通り一人の少年が仰向けに倒れていた。見た目は十代の半ばか、後半。高校生ほどだろうか。白神が慌てて駆け寄る。顔中アザだらけで、口の端が切れて血が滲んでいる。腹部にもダメージを与えられたのか、ひゅー、ひゅー、と不自然で浅い呼吸をしている。意識が朦朧としていて、呻いてはいるが呼びかけても返事がない。
(……肋骨をやられているのか)
どこの誰が、どんな理由があってこの青年をここまで傷めつけたのかは白神には全くわからなかったが、次の行動は迅速だった。携帯電話を取り出して、迷うこと無く電話番号を打ち込んでいく。
「もしもし、スワロウの白神です。救急車一台お願いします。場所は―」
*
もうここに来るのは何度目だったかな。白神はそんなことを考えながら、目の前の病院のベッドに横たわる少年を眺めていた。しかしこの少年はマシンヘッドやそれを操る人間達に暴力をふるわれたのではない。同じ仲間である人間にやられたのだ。
人間は、隣人との争いや闘いなしでは生きていけない。人間に限った話ではなくて、生物全てにおいて言えることだ。どんな小さな微生物でも、生物界の頂点に立つ知能を持つ人間でも、大小はあれども、争い闘わずにはいられない。それが本能。
白神もそんな事はわかっている。それでも、自分達が懸命に守ってきた人間達がこうして傷つけあう現場を見ると、どうしようもないやるせなさを感じる。
小さくため息を吐いて少年から目をそらすと、心配そうに眺める少年少女が計二名。倒れていた少年と年齢が同じくらいの少女と、中学生くらいの少年。
「あの……本当にすいません、弟がご迷惑を……」
少女が白神に話しかける。彼女は、白神が見つけた少年の姉だ。二人の少年はそれぞれ弟。悪いと思いつつも倒れている彼の私物をチェックし、自宅の方に連絡を入れたのだ。不安そうにしている彼女に、白神はいつもの笑顔で優しく応える。
「あぁ、いいえ。僕が勝手にした事なので」
「それで、その、弟の容態は……」
「いくつかの打撲と、あばらを少し痛めたようですが……二、三日入院して、安静にしておけば、四週間程で治ると聴きました。後で先生が来られると思うので、詳しくはそちらへ」
当然、岬のドライブは一般人である彼らには使えない。ドライブの力を、あまり表沙汰にしたくないという思惑があるようだ。そのせいで、岬はもどかしい思いを味わった経験が幾度かある。
「あの、その事なんですけど……」
少女が俯いて、とても言いづらそうに話を切り出す。
「その、今日初めて会った人にこんなこと言うのもなんなんですけど……。私達の家、あまりお金がなくて……。その、お母さんは沢山働いていて、私もアルバイトしているんですけど……お父さんは居なくて……。入院費とか、とてもじゃないけど払うのは…………なんとか、自宅で治療とかは……」
歯切れの悪い喋り方だった。初めて会った人間にこんな話をするのは抵抗があるのだろう。白神は笑顔を崩さずこう言った。
「いやぁ、この病院、僕の知り合いが経営しているので」
ウソは言っていない。
「今回は要りませんよ。ただし、今回だけですが」
白神のその言葉を聞いて、嬉しいような申し訳ないような、すごく複雑な表情で少女は何かを言い淀んでいた。
「代わりと言ってはなんですが」
と、白神が続けて切り出す。少女の瞳が揺れる。
「彼がこんな事になっている理由を、教えていただけないでしょうか?」
下手に介入するべきではない。それは解っているのだが、白神は何故か彼女らに対してそんな風に話を切り出していた。
自分達は軍隊が管理する兵器だ。兵器が民間人の喧嘩の仲介をするだろうか、いいやしない。ここに何らかのトラブルがあったとしても手を出すべきではない、と言うよりは手を出してはいけない。
休日にちょくちょく人助けをしていたりするのはまだいいかもしれないが、そこには超えてはいけないラインが有る。
話を聴いてどうしようと言うのか。迷いが有る。しかし白神は見過ごせなかった。目の前に横たわる少年の身体には、今日できたものではない古い傷が、あまりに沢山彼の身体に刻まれていたのだ。それは本当に、ただの若者同士の短絡的な喧嘩なのか? それとも、もっと何か……抜き差しならない理由があるのか。
直接的に力を貸せなくても、何か役に立つことが出来るかもしれない。そんな考えで、それはただの人情というやつである。
「……理由、ですか…………」
白神に問われた少女が呟いて、目を伏せる。
「言い難いことなら、無理には訊きません。だけど、彼の身体中の傷は……」
「お、俺が悪いんです!」
白神が言いかけた所で、今度は少女の後ろに立っていた少年の片方が泣きそうな顔で申し出た。
「俺のせいで、兄貴が、その……」
白神が彼の顔をじっと見ると、そこにもあざを一つ二つと見受けた。しかし少年はそこまで言ったのに、思いつめた表情で足元に視線を落としてしまう。一体この姉弟達に何が起こっているのか。
「浩太郎。それはもう言わないって約束したでしょう」
「でも、俺っ!」
「浩太郎」
少女が窘めるように名前を呼ぶと、少年は押し黙ってしまった。
「……えっと、白神さん」
「はい」
「この、弟の沢山の怪我については……私達家族の中の問題というか……。あまり積極的にお話できる事じゃなくて。ご心配して頂けるのは、とてもありがたいんですが……ごめんなさい」
「あぁ、いえ、謝らないで下さい。僕にも、何か手助けできることがあるかと思ったのですが……そうですね。わかりました」
「本当に、ありがとうございます。このお礼はいつか必ず、絶対にさせて頂きますので」
「はい。それじゃあ、僕はそろそろ失礼します」
白神は最後まで表情を崩すこと無く、彼らに背を向けて病室からそのまま立ち去った。
*
「白神さん!」
名前を呼ばれ振り返る。白神が『少しおせっかいが過ぎたかな』、などと考えながら病院の廊下を歩いていたのだが、先程少女から「浩太郎」と呼ばれていた少年が慌てた様子で走って追いかけてきて、名前を呼んだのだ。
「病院内は走っちゃダメですよ」
「す、すいません……」
「どうしたんですか? そんなに慌てて追いかけてきて」
「えっと、あの、白神さん、名刺とか持ってないんすか!?」
「名刺……?」
「はい。あの、このままじゃ連絡先もわからなくて、お礼もしようが無いじゃないっすか」
気を許してもらっているのか、中高生にありがちなフランクな言葉遣いで白神にそんなことを言い始めた。
「あぁ、そういう……それじゃあ……」
白神はきょろきょろと辺りを見回して電話台を見つけると、そこにあったメモ用紙とボールペンでさらさらと文字を書いてちぎり取り、浩太郎に手渡した。
「僕の個人的な電話番号です。お姉さんにはああ言われましたが、もし何か困ったことがあれば、ここに。何か力になれることが有るかもしれません」
出られない時が多いですけどね、と苦笑いしつつ付け加える。紙を受け取った浩太郎は
「それじゃあ、絶対お礼はするんで!」
と言って振り返り、そのまま、来た通路を逆戻りで駆けていった。
「走ったらダメですって……」
白神が苦笑いしながら呟いたが、彼の耳には届かなかったようだ。その背中を見送りながら、何も『困ったこと』が起きなければいいが、と思うのだった。




