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machine head  作者: 伊勢 周
13章 Now or Never
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おかえりなさい

「宗助、千咲! 大丈夫か!」


 宗助と千咲は立泳ぎのまましばらく波に流されるままに海に漂っていると、稲葉と宍戸が二人のもとへ迎えに来た。


「隊長! 大丈夫です、生きてまーす!」


 千咲が呼びかけに答えて手を振る。宗助も右手を上げて無事であることをアピールする。二人のその無事な姿を見て、稲葉はようやく険しい表情を緩めた。海に浸かっている二人に両手を伸ばすと、宗助と千咲は同時にその手を取った。



          *



 アーセナルで一部始終を見ていたオペレータールームの面々はというと……あっけにとられ、口をあんぐりとあけてモニターをぼぉっと見つめたままの者や、目をぱちくりとして、眠気もあってか目をごしごしと手で擦り自分の視覚を信じようとしない者などが多くを占めた。そしてその中で岬もやはり、床にへなへなと座り込んで、呆然としていた。隣の平山もぽかんとして、その映像に心を奪われていた。そんな時。


「や……」


 しんと静まり返る室内の一角から、沈黙を破るように小さな一言が放たれた。


「やっっっったぁー! すげぇぇぇぇぇよ、生方くん! 流石は私の見込んだ男だねッ!!」


 小春が叫び、興奮のあまりデスクをバンバンと両手で何度も叩く。それを皮切りに、室内から大きな歓声が幾つも上がった。信じられない、とか、すごい、とか、賞賛の嵐が巻き起こり、そして自然と拍手が湧き上がり全員が疲れを忘れて笑い、お互いにハイタッチ。そしてガッツポーズ。そんな中、司令の雪村は冷静をそれなりに保っており、マイクを掴み通信を繋ぐためのボタンを押す。


「稲葉、聞こえるか。雪村だ」

『こちら稲葉。すいません、報告が遅れてしまい』

「いや、……良くはないが、船のモニターを通して見ていた。全員無事なようで何よりだ」

『そう言って頂けると、少し気が楽になります。少しだけ待ってもらって構わないでしょうか』

「あぁ、かまわんが、どうかしたか?」

『二人を海から引き上げます』

「……そ、そうだな……そうしてくれ」


 実は雪村司令官も、信じられない出来事の連続に少しばかり気持ちが浮ついていたようだ。



          *



 宗助と千咲は稲葉に引き上げられ、そして高速艇へと乗り込んだ。その直後に不破は宗助にヘッドロックを極めて、「お前、天才か、この野郎!」と嬉しそうに叫びながら彼の首を締めあげていた。宗助はというと「いたたたたっ、痛いっ、不破さん!」なんて叫び声をあげているからまだまだ元気そうである。


 千咲はというとずぶ濡れのジャケットを脱いで、これまでびしょ濡れのシャツの裾をぐるぐると巻いて、吸い込んだ海水を絞り出していた。

 千咲は気にしていない(未だに頭の中がどこか現実離れしていて気にする余裕も無い)素振りだが、水に濡れて上半身のボディラインがくっきり浮かび上がっており、近くで座り込んでいた白神がそれを見て、青白かった顔をほんのり赤くして、次にそれを隠すため、そして自分を戒めるように右手で顔を覆っていた。


「みんな、今回の任務についてだが……」


 そんな中、稲葉が全員に対して声をかけた。全員が振り向き姿勢を正し、彼の顔に視線を集中させる。


「フラウア達とブラックボックスは取り逃がしてしまったが、しかし、任務の目的……迫っていた危機を退ける事は出来た。得たものも有る。全員無事でここにいることが何よりだ。本当に……」


 感慨深そうに稲葉が言うと、そこで一気に全員の緊張感がほぐれていくのがわかった。稲葉も隊長としてこの不透明過ぎる任務に対して相当な覚悟と責任感を背負っていたのだろう。

 朝焼けに照らされて、久々に穏やかな時間が流れ始めた。自然と全員の口角もほんの少し緩む。


「各自、報告事項や個人的に言いたいことだとかは山ほど有るだろうが、ひとまずはアーセナルに戻ってからだ。司令から指示があった。今からこの船には付近の島の中継基地に向かってもらい、そこから高速ヘリでアーセナルに帰還する。何が起こるかはわからないから、最後まで気は抜かずにいくぞ」

「了解!」



          *



「それじゃあ、皆でお出迎えだ!」


 少し前までのやつれた表情はなりをひそめた小春が、元気よく立ち上がり隣の海嶋に言った。


「あぁ、そうだな。順調に行けば、遅くとも昼前には帰ってきてくれるだろうし……。でもまぁ、ブラックボックスの行方も気になるし、一般人に何らかの方法でブラックボックスを補足されていないかも心配だ。トレインジャックの時の件もあるし、気を抜かずに、最後までサポートに集中しよう」

「がってんでい!」


 若い女性は好んでしないだろう江戸っ子風な返事をして、小春は再び席についた。どうにも落ち着きが無い。


「岬、いつまで床に座ってるつもり? お尻冷やすよ」


 平山に指摘され、岬ははっと意識を取り戻し、慌てて立ち上がる。そして真剣な顔で、早口でこう言った。


「お母さんっ、あの映像、ウソとかじゃないよねっ、本物だよね!?」

「映像にウソなんてあるわけないでしょ。録画でもないし」


 岬の言葉を受けて苦笑いした平山は、少しばかり呆れたような態度で言い返す。ただ、彼女がそう言いたくなる気持ちもわからないでも無かったのだが。すると岬の顔にじんわりと笑顔が戻ってきて、頬を赤く染め、そして思い切り平山に抱きついた。


「良かった、よかったぁ……! 本当に、私、もう、千咲ちゃんも宗助君も、だめだって思って……!」

「私だって、もうダメだって思ったさ。色々とぶっ飛んでる奴だね」


 言いながらモニターに目をやると、ずぶ濡れになりながらも仲間たちに祝福を受けている宗助と千咲の姿が小さく写っていた。


「さぁ、海嶋の言う通り、まだ帰ってくるまでは気を抜いちゃいけない。怪我もあるだろうし、私らもしっかり準備をしようじゃないか」

「うん、私、先にヘリポートに行って待ってるね!」

「そうそう……って、え? ……あ、ちょっと!」


 岬は平山から離れるとそう言って、平山の制止が聞こえないのか、パタパタと音を立て小走りでオペレータールームから出ていった。


「全く、まだ到着まで二時間以上はかかるってのに……」


 平山は腰に両手を当てて苦笑いしつつ、岬が出ていった扉を見つめて呟いた。

 室内の盛り上がりも落ち着いて、様々な事後処理に取りかかりはじめた。


 隊員達の生還は喜ばしいことだが、肝心のブラックボックスは空の彼方へと姿を消してしまった。その逃走経路も重要な手がかりになりうる為、その追跡を試みなければならない。

 他支部から有事のためにと集めた戦士たちの警戒解除も。そして隊員達の帰還経路の確保も必要だし、隊員達の健康状態や任務の状況、そして更に気になる点は、稲葉たちが運びだしてきた二十人程の人間達。

とにかく、アーセナルの人間達は今、我に返って様々な情報を再収集し始めた。ただ、やはり興奮はそう簡単に冷めないようで、皆どこか落ち着かない様子ではあった。



          *



「捕らえられていた人達は、人種やら国籍やら、全部バラバラだ。入国の手続きだとかは特例で一旦パス、とりあえずアーセナル直属の病院にて保護する、との事だ」


 基地に戻る高速ヘリの中、幾つかの任務報告を無線で行った後、宗助達にそう言った。捕らえられていた人達は流石にヘリには載り切らないため高速艇で運ぶことになり、宍戸が責任者兼護衛者として同乗している(自ら名乗り出た)。


「あれ、それだけですか?」


 あんなに長く本部と報告連絡をしてたのに、と付け加えて、千咲が質問した。千咲と宗助の無線は海水に浸かってしまって少々調子が悪く、無線の情報が得られないのだ。すると。


「……あとは、基地に着くまでが任務だ、と」

「あはは、小学生の時によく聞きました、それ」


 千咲が笑って言うと、その後ろで不破が突然声を上げた。


「お、日本が見えてきたぞ」


 それを聞いて、全員が窓の外に目をやった。夜が明けたとはいえまだ若干薄暗い中、遠方にぽつりぽつりと光が見える。それを見ながら宗助達は、そのひとつひとつには様々な生活があって、それが今日も守られたのだとおぼろげながら実感して、少しだけ肩の荷が下りた気がした。

 そのままヘリは三十分ほど飛行し……そして。


 アーセナル、ヘリポート。


「おっ! 見えた!!」


 出迎えにヘリポートに出てきた人達の中の誰かが、空を指さしそう言った。そして皆が遠くの空にヘリコプターを肉眼で確認すると、わぁっと歓声があがった。完全に夜はあけて、少し曇り気味の空だったが出迎えの笑顔には何の影響もなく、今か今かとヘリが到着するのを待っていた。

 ヘリは高度を下げながら直進し、やがてヘリポート上空へと到達した。ローターの回転による吹き下ろしの爆風に手をかざしながら、皆がヘリを見上げて見守って、今か今かと着陸の時を待った。焦らしているのかと問いたくなるほどヘリはゆっくりとその身を下降させ、一度ふわりと滞空した後コンクリートの床にその足をつけた。

 そしてヘリのローターが回転を止めるのを待たずに扉が開いて、稲葉、不破と不破に肩を借りて歩く白神、千咲、宗助の順番にヘリポートに降り立った。万雷の拍手が出迎える。

 五人が少し照れくさそうに彼らを囲む人達を見渡した。拍手は鳴り止むどころか大きくなるばかり。すると、その人垣をかき分けて雪村司令が姿を現した。五人は敬礼をし、雪村も敬礼を返す。 

 ヘリの回転翼とエンジン音が止まり、そして拍手がピタリと止んだ。雪村が敬礼を解くと、五人も腕を下ろす。


「諸君。夜通しでの任務、ご苦労だった。その活躍ぶりをこの目で直接見ることは出来なかったが、いつも通りに明けたこの朝と、そして君らの顔を見れば、どれほどの活躍をしてくれたかはしっかりと伝わってくる。本当に、良くやってくれた」


 雪村の言葉が終わると、すぐにまた拍手が巻き起こる。


「お出迎え、ありがとうございます。宍戸は船で戻って来ているのでこの場には居ないのですが……こうして欠員なく帰って来られたのは、宍戸含めここに居る全員の力とサポートのおかげです。誰か一人でも欠ければより困難な任務になっていたでしょう。恐らく、任務は失敗していた」


 また数秒の拍手。そして稲葉は次に


「正直な話をすれば、とりあえず今は全員の傷の手当をしてもらって、宍戸が帰って来次第皆で風呂に入り、食堂で旨い食事を頂いて、そしてベッドの上でゆっくり休みたい」


 こんな事を言い出した。疲労・眠気・空腹・怪我などで相当参っていたのだろう。稲葉のその発言の意外性と、徹夜で精神をすり減らし妙なテンションだったのもあり、一瞬のタメの後全員がドッと笑い、雪村も苦笑いを浮かべなんと返したものかと言葉を探して視線をキョロキョロと彷徨わせている。


「よろしいでしょうか」


 と稲葉が追い打ちをかけると、雪村は「そうだな。稲葉達は早速医務室へ。事後処理の手が空いたものは、大浴場に集合しろ!」と少しヤケクソ気味に全員に言い渡した。それにも全員が大笑い。


「さぁ、全員持ち場に戻れ! 後々のことはまた決まり次第通達する!」


 その号令で人垣は崩れ始め、徐々に隊員達は建物内へと戻っていった。宗助もその流れに乗って医務室へと足を運ぼうとした。色々な意味で瀬間岬が恋しかった。

 宗助は、彼女の姿が出迎えの中に見えない事が少し残念だったが、しかしそう思う反面、徹夜だったのだし、疲れているのならば無理をせず部屋の中で休んでいてくれたほうが良いとも考えた。眠っていてくれても良い、ただ、彼女の顔を見れば、生きて帰ってきたと実感する事ができる、最後の一ピースが埋まる気がしていた。

 不破と海嶋が白神を医務室に行くための歩行を補助していて、稲葉と千咲はそれぞれ宗助にはあまり馴染みのない隊員と話しながら建物への道を歩いている。

 まばらになる人垣。宗助も皆に倣い歩みだしたその時。

 人垣にでき始めた隙間に、恋しく思っていた女性の姿が見えた。


「……岬」


 名前を呟くと視線があって、そして数秒見つめ合った後、宗助から歩み寄った。岬も、一歩、二歩と前に歩き、出迎える。お互い歩み寄ってみたものの、第一声が何も思いつかず、至近距離で妙なお見合いを続けてしまう。喋りたいことは沢山あるのに、なかなか声になってくれないのだ。


『……えっと』

『あ、いや……』

『…………』


 言葉が見事にシンクロしてしまい、妙な間が出来た。宗助が見たその眼の前の彼女の笑顔は、いつもと違って、疲労感が滲んでいた。


「岬っ!」


 至近距離で大きな声で呼ぶ。岬は突然の大声に肩を跳ねさせて驚き、反射的に返事をする。


「は、はいっ!」

「ただいま!」


 宗助は、ハッキリとした滑舌でその四文字を言った。「行って来ます」と言って外へと出たのなら、どれだけ時間がかかってもその場に戻り、「ただいま」と言う。決まりごとというか、一種の約束のようなもの。それでもって、「ただいま」と言って戻ってきたのなら、そこでまた一言。


「……おかえりなさいっ!」 


 それは一種の、約束を守った証のようなもので。

 それを手に入れて、宗助は心から安堵の笑みを浮かべたのだった。岬も、先程までよりも更にニッコリと笑って返す。


「岬〜! 私もただいま!」


 すると、いつの間にか近付いてきていた千咲が、背後から岬に抱きついて言った。


「わっ、おかえりなさい、千咲ちゃん!」


 岬は振り返ると、すぐに千咲の両手を握る。


「心配かけちゃったよね、ごめんね」

「そうだよっ! 二人が、お、落ちたって聞いた時は、もう、わだし……!」


 言いながらだんだん目頭に涙を溜めていく岬に、千咲は激しく動揺して弁解する。


「ご、ごめん、ほんと、出ていく時アレだけ大口叩いてたのに、あんな事になって、格好つかないよね! ごめん!」

「んーん、帰ってきてぐれたから……大丈夫……だ……から……」


 尻すぼみに声が小さくなっていき、最後には岬は顔を両手で押さえて泣き出してしまった。鼻を啜る音と小さい嗚咽を漏らしながら、顔を両手で覆い立ち尽くしている。


「えっと、ほら、えーっと!」


 助けを求めるように千咲がチラチラと宗助を見るが、彼女を泣き止ませるのは彼にはまだ荷が重いようで首を横にふる。すると千咲は何か思いついた顔を見せて、大きな声でこう言った。


「そうだ! 今から約束通り、あれやろう、パジャマパーティ! 宗助、部屋開けといて!」

「医務室に行くに決まってんだろ!」


 宗助の最後の力を振り絞ったツッコミは、少し曇った空へと響いて、すぐに溶けて消えた。



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