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machine head  作者: 伊勢 周
13章 Now or Never
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無茶するな

【あらすじ】


宗助と千咲は、上空数千メートルからパラシュートも無しで落下中。

 宍戸の操る鉄の絨毯は海上を進み始める。

 血と汗、煤や埃で汚れた顔や髪を夜明けの海風が優しく撫でて、水平線に姿を現した白と橙の混ざり合った太陽が眩しくて、二人は目を細めた。


 稲葉と宍戸は、小春の算出した落下予想ポイントに到着していた。範囲がかなり絞れてきたようで、幾度も位置の微調整を行なっている。二人が海に叩きつけられるまで、計算では早くて残り四十秒程。


『宍戸さん、もう少し北側に……はい、その辺りです』


 宍戸が小春の指示を聴きながら黙々と鉄絨毯を動かしており、稲葉は集中しているのかじっと上空を見つめている。


「……見えた、あれか!」


 瑠璃色の上空に、黒点がひとつ。稲葉はキツく目を細めて、状況をより詳しく確かめようとしている。ここまでくれば、コンピューターの計算よりも、自分たちの目で見えるものが優先となる。


「……? なんだ……」


 黒点はまっすぐと稲葉達の居る場所へと近付いてきていたのだが、様子が変わった。徐々に、太陽に吸い寄せられるように東に逸れていっている。


「突風にでも押されているのか……? 宍戸、東に動いてくれ、流されてる!」

「わかった!」


 稲葉と宍戸は黒点の流れる動きに合わせて動く。

 落下衝突予定まで残り三十秒。肉眼でも微かに、二人の姿を確認することが出来た。高速艇が、二人の後を追ってきた。高速艇に搭載されているビデオカメラはオペレータールームに中継されており、この時、アーセナルの面々も呼吸を忘れてモニターに見入っていた。

 海嶋や雪村はきつく唇を噛んで苦行に耐えるようにモニターを見ているが、秋月はもう見ていられないと顔を両手で隠す。

 岬は涙を流しながら祈り、平山はそんな彼女の背中を無言で撫でていた。


「隊長……千咲ちゃん……宗助君……!」


 涙声が、二人の名前を呼んだ。



          *



 千咲が、『このペースで落ちれば、あと一分も保たずに海面に激突して水柱をあげることになるだろうな』と感じ始めた頃。重力でただ下に落ちて、強風に煽られて左に右に揺らされるだけだったスカイダイビングに、ちょっとした変化が訪れた。

 感覚としてはほんの少しなのだが、どうも宗助の方から体ごとグイグイと押されている。気まぐれな突風なんかではなく、この数十秒ずっと。


(一体、どうするつもりなの?)


 千咲は、声には出さずに宗助の方に視線だけちらりと向ける。耳と後頭部しか見えないが、体温は辛うじて感じる。

 きっと自分たちが助かる術を見つけるのに集中しているのだろう、いちいち声をかけるのは邪魔をするだけだと思ったのだ。


 それは一方で宗助が、『このペースで落ちるのならば、ここいらが踏ん張りどころだ』と感じ始めた頃だった。

 フラウアの右足を吹き飛ばしたあの技の応用を頭に描いていた。空を飛べるといくら強く思っても、今現在の実力との折り合いもある。急にその場に停止して浮かび続けるのは厳しいだろう。

 実力と想像力が高いレベルで交差する場所。それは正確には「空を飛ぶ」というものではなかった。

 空気の道を作る事が、その交差点であり目標地点であると宗助は定めていた。今度操るのは、ナイフの破片ではなく自分自身であるが。


 宗助のエアロドライブは、何も掌からだけでなく、全身から空気を生み出すことができる。(攻撃時に掌から放出するのは、掌が放出のイメージをより強く固めやすいだけ)空気を放つ反発力で、宗助は背中を押す。そして同時に、下方向にも空気を放ち、揚力を得る。

 ただ水平と垂直に吸い込まれるだけだったのが、徐々にだが、角度がつきはじめた。


(浮き上がるのは無理でも……不幸中の幸い、下は海だ……着水の仕方によっちゃあ、命は助かるかもしれない!)


 助かったとしても、太平洋のど真ん中に二人取り残される訳だが……。


(落ちてからのことは……落ちてから考える!)


 速度を何とか抑えているが、それでも通常じゃ考えられない速さで落ちていく。今まで感じたこともないような速度感に目をしかめながら、海面を見据え、腕をよりキツく締める。それに応えるように、腕の中の住人も締め返してくる。

 宗助と千咲の描く落下線は、より角度を増した。



          *



「……あれは……」


 不破は船の甲板から、身を乗り出してはるか上空に見える黒い点が落ちてくるのを、目を細めて凝視していた。黒い点の正体は宗助と千咲だ。

 何がどうなったのかは不破からすれば全く不明だが、どうやら二人は空中で抱き締め合っているらしい。絶望のあまり、せめて気持ちだけでも、と抵抗して空中でなんとか手を取り合ったのだろうか、と考えて、不破は無力感に苛まれ歯ぎしりする。

 だが、宗助と千咲がくっついているというのは、稲葉にとっては好都合のはずだ。二人がバラバラに落ちてくるよりは遥かに難易度は下がる。あとは受け止める位置に上手く身体を運べるか、というのと、稲葉隊長の肉体が衝撃に耐えきれるか、というのが懸念事項だ。無線では桜庭が先程から何度も何度も宍戸副隊長に微妙な予測位置を伝えていたが、それも止んだ。


「……ん?」


 黒点は斜めに落下し始めていた。ぐんぐん『斜めに』落ちている。まるで数学の反比例のグラフを描いているように、角度がどんどん深くなり、朝陽を背景に綺麗な曲線を描き……。


「まさか、宗助が……!?」


 不破が小さく呟いた。



          *



 千咲は今、自分たちがどういう状況になっているのかが殆ど理解できていない。宗助にしがみつくのに精一杯で、空がどっちで海がどっちだとかが、既に判断がつかなくなっていた。

 ただ、なんとなくだが、真っ逆さまに落ちていたのが頭から突っ込むように横方向に吹っ飛んでいるように変化しているように感じた。


 もう自分ではどうしようもないこの状況で、千咲はすべてを宗助に委ねて目を閉じ、ただ体温を奪うようにしがみついていた。

 風が吹き荒ぶ音がごうごうと鼓膜を震わせる。

 彼女が思うのは、もしこの状況がなんともならなければそれで自分達はきっと終わりで、そして目を開けている事ができなくて、その温かさだけがまだ生きている証だという事。



 宗助は、最後の力を振り絞る。前日からずっと、精神的にも肉体的にもシゴかれ続けて、そして夜通しでフラウア達と闘い、脱出のために走り回った。もう限界はとうに超えている。限界を超えたまま、更に前へと踏み出そうとしている。

 空気を放ち、身体を持ち上げ、押し、そして風に乗る。

 精神を集中し、周囲の空気をすべて味方につける。

 だが、まだ足りない。このままの角度ではどちらにせよ海に叩きつけられてしまう。微調整に微調整を重ね、海に叩き込まれる前に、入射角度をより鋭く、限りなくゼロに近くしなければ。

 いよいよ海が近付いてきた。目測で、一キロ程だろうか。もう何秒ももちそうにない。


(くそっ……、乗せてくれ……! もっと、もっとだ!!)


 まだ曲がる。海面との角度は四十五度程だろうか。

 残り、五〇〇メートル。


(もっと……!)


 残り一〇〇メートル。目を閉じる。


(……っ、もうダメだ――)


「ダメじゃ、ない!」


 宗助は何も言っていない。偶然か、それとも後ろ向きな心が伝わってしまったのか、千咲が耳元で叫んだ。


――人に諦めるなと説教しておいて、勝手に諦めるな!!


 その一言には、そんなメッセージが同時に込められていた。宗助は再び目蓋を開く。すると海面までもう十メートルほどで、視界の端に稲葉と宍戸も見えた。


(そうだ、ダメじゃない!)


 そして、海水が爆裂した。

 しかし、それは宗助と千咲が海に落ちた為ではない。凄まじいダウンバーストが巻き起こり、風圧が海面を爆発させたのだ。まるで大掛かりな噴水のように数十メートルもの高さまで飛沫が巻き起こり、えぐれた部分に波が戻る。

 宗助と千咲はというと、その風圧を利用して落ちる角度を更に鋭く――。


 ……いいや。


 その時のそれは『落ちる』という表現が全く適切でない段階に達していた。

 二人は海面と平行に、鳥のように飛行しているのだ。まるで抱き合った宗助と千咲が飛行する道を示すかのように、彼らのすぐ下の海面は風圧によってハーフバイプのように抉られている。


「………飛ん、でる…………」


 波の音を間近に聞いた千咲が、ようやく目を開け、そして信じられないといった様子で呟いた。

 宗助はというと、彼は彼でその状況が上手く消化しきれないでいた。喩えるならばそれは、自転車にようやく乗れるようになった子供が、ブレーキの仕方がわからずにただあたふたしているようで。


 とりあえず二人は、ジェットコースターも真っ青の速度で、ただひたすら海の上を滑るように飛ぶ。水飛沫が舞い上がり、そのひとつひとつが太陽の光を受けて、空飛ぶ二人の周囲を燦然と輝かせた。


 キラキラと輝きを纏いながら空を飛ぶその姿は―さながら、誰もが一度は憧れ夢見る童話の世界の出来事。



          *



 稲葉も宍戸も、船で見ていた不破や乗組員も、アーセナルで見守っていた面々も、その光景に呼吸も忘れて見とれていた。海水の飛沫を巻き上げながら海面を自分の道を切り拓いていくように切り裂いて、宗助と千咲が空中を疾走していくその姿に。

 そして数秒してから


「……っ、追いかけよう!」


 はっとして、稲葉は慌てて言う。既に宗助と千咲は遥か向こうまで飛んでいってしまっている。宍戸の操る鉄の絨毯が追いかけて、そのさらに後ろを不破と白神が乗る高速艇が追いかける。するとなんと、宗助と千咲は大きく弧を描いてUターンして戻ってきた。


 そしてついに宗助の放つ空気にも限界が来たようで、海水を弾き飛ばす力も徐々に弱まり、そして、身体の一部が海面に掠った。

 何度かパシャン、パシャンと海面を跳びはねる。それでもまだ強い飛行速度の勢いに為す術もなく海面をさらに二度三度はねて、そうやってようやく速度も弱まって。

 ザバァン、と驚くほど普通な音をたて、ついに、二人の身体は同時に海の中へと飛び込んでいった。


「ぶはッ!」


 沈んだかと思えば、宗助はすぐに海面に顔を出してゴーグルをはずし、顔に張り付く濡れた前髪を手で掻きあげた。


「ふはっ!」


 するとすぐ目の前で遅れて千咲が飛び出してきて、同じように前髪を掻きあげてゴーグルをはずし、周囲を見回す。服を着たままの立泳ぎにも、訓練で何度も立ち泳ぎの練習を行っていたため難なくこなす。


 はぁ、はぁ、とお互いの荒くなっている呼吸音を聴きながら、そして宗助は若干混乱気味の表情で呟いた。


「……………い、生きてる……」


 千咲は右手刀で宗助の脳天にチョップをかます。ガッと鈍い音がなる。


「アンタ、最初に、私、無茶すんなって、言ったでしょうが!!」


 千咲自身も、何がどうなったのかイマイチ整理がついていないのだろう。震える声で宗助をにらみ文句を言う。


「今更そんな……」


 宗助は言いながら叩かれた部分を擦る。叩かれた痛みによってやっとこれが現実であると認識することが出来たようで、宗助の表情や視線が少しだけまともになった。目の前で両目を釣り上げている千咲に、宗助はなんと言って良いのかなと、言葉を選ぶ。


「……俺は、出来ると思った事しかやらないから――」

「……」

「――出来ると思ったんだ。結果論じゃない。このままお別れなんて、……絶対に嫌だ、とも、思った」


 宗助がまっすぐに千咲の目を見つめて真顔で語るその言葉に、彼女は反論の言葉を失くした。


「そうだ、それに」

「うん?」

「まだしてないしな。チョコレートのお礼」


 千咲は少しの間ぽかんとした表情を見せて、そして呟いた。


「………………呆れた」

「自分でも、言った後呆れたよ。ちょっとだけ」


 千咲の長い溜息。宗助はわざとらしい、ぎこちない笑顔を作る。

 太陽が、静かに水平線を抜けた。


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