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machine head  作者: 伊勢 周
13章 Now or Never
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夜明けに浮かぶ星

(あぁ、私、……もうダメなんだ。どう考えても)


 地上から数千メートル上空に浮かぶブラック・ボックスから転落した千咲は、一瞬でこの状況を理解した。そして、すんなりと受け入れた。受け入れる他無かった。

 大空はあまりにも孤独だった。

 もう選択肢は何もない。背中がぐんぐん大地に吸い寄せられていく。これから自分は、このまま数千メートル下の海面に叩きつけられて、命を失うのだと理解した。

 映画ならきっと、スーパーマンが空を飛んでやってきて、自分を華麗に抱きとめて助けてくれるのかもしれない。朝焼けを目の前にそんなシーン、クライマックスにおあつらえだ。

 だが、現実にはそんな都合のいい存在は、絶対に居ない。


(……岬、ごめん)


 基地で待つ彼女は、きっと自分のことを心配してくれているだろう。必ず帰るという約束は果たせそうにない。


(宗助も、ごめん。目の前で落ちられたら、後味悪いよね)


 自分が落ちたというのに、自分に道を譲ってくれた仲間に想いを馳せる。その時、東の水平線から朝日が立ち昇ってきた。夜空はもの静かであった瑠璃色から少しずつ橙色へ彩られ、海もつられてオレンジに染まり、波で揺れる水面が光を乱反射する。

 ようやく、夜明けが訪れたのだ。


(……綺麗……)


 南の海に浮かぶ朝陽は、千咲が今まで見てきたどの空よりも綺麗で、力強かった。このまま、新しい今日が始まり、そして続いていくのだ。それなのに――。


(……嫌だな。これが最期に見る朝陽だなんて……)


 真っ逆さまに転落しながら、千咲は視線を上に向ける。

 そして、すぐに自分の目を疑った。夢でも見ているのではないかと。


 なんと、今しがた心配した同僚が、自分と同じく上から落ちてきているのだ。


(………っ!?!? ……?!?!)


 ゴーグル越しに二人の目が合った。

 宗助の眼は千咲のそれとは違う、諦めていない眼だった。その視線は眩しい朝陽も美しい朝焼けにも見向きもせず、彼女だけを捉えて離さない。



          *



 最初はロープなしバンジージャンプ。次は摩天楼から飛び降りて、今度はパラシュートなしスカイダイビング。

『物事にはちゃんと適度なステップアップってものがあると思うんだ』という趣旨の独り言を以前に宗助は呟いていたが、今回のその歩幅は、「大きい」だなんて言葉ではとてもじゃないが言い表せないものだった。その歩幅を実現させてしまったのは、大切な仲間の絶体絶命な危機ではあるのだが、


『お前は空を飛べるんだ』


 そんなことを、二ヶ月間も周囲から聞かされ続けた事も多分に影響しているのだろう。


(そんな簡単に、人間が空を飛べるか)


 彼はそんな言葉に対して内心ではそう思っていたし、実際に口に出したこともある。何にしろ、否定的だった。だけど、このブラック・ボックスの任務、特にフラウアとの戦闘を通じて、彼の考え方は少しずつ変わっていた。


(飛べるのなら、飛べたらいいな)


 今この瞬間、宗助は単純にそう強く思った。

 宗助が、パラシュートの無いスカイダイビングに挑戦したのは、たったそれだけの、馬鹿げた理由だった。

 百人に聞かせたら、きっと百人が笑う。いや、一億人に聞かせても一億人が笑う。腹を抱えて「馬鹿じゃねーの」と言って笑うか、それともため息混じりの苦笑いを浮かべるか、そんな笑いの種類の違いはあるだろうが。

 催眠術師も驚きのあまり五円玉を放り出すレベルで。


『飛べるはず!』


 その一言を胸に、宗助は千咲へと接近していく。


 千咲が何もかも放り出して空中を彷徨っているのに対して、宗助はドライブによる空気放出で落下する速度や体勢を調節することによって空中でもある程度動きを確保することに成功していた。

 宗助は頭を地面に向ける態勢で両脇を締めて空気抵抗を出来るだけ少なくし、ぐんぐんと落下速度を上げて彼女を追い抜いた。


 顔の皮膚が凍るように冷たいが、緊張感のせいかどこか他人事のように気にならない。追い越し過ぎたため、一旦潜行の体勢を解き落下速度を抑え千咲との距離を調節する。

 まるで熟練のスカイダイバーのような立ち振舞で、落下しながらも微調整を続けて千咲との距離を縮めていく。決して宗助にスカイダイビングの経験などなく、直感と才能で行なっているのだ。凄まじい感性と才能、集中力、精神力、そして執念が彼を突き動かしている。

 千咲からすれば。

 『一体この男はどういうつもりだ』、というのが正直な感想である。彼の目と振る舞いを見て、千咲はなんとなく理解した。彼は、この状況を『なんとかする』つもりで飛び込んできたのだと。


 例えば、一メートル泳げるかどうかという人間が、海の沖で溺れる人間を助けることは出来るだろうか、いいやできない。それと同じか、もっと絶望的だと千咲は思う。きっと、周りが「空を飛べる」だなんてそそのかすから、『こんな事』にまで彼を付きあわせてしまっている。


 必死に自分に対して手を伸ばそうとしている宗助を見て千咲は思う。


 その手に掴まれてしまえば、またその手を掴んでしまえば、一瞬でも『なんとかなるのかもしれない』と思ってしまいそうだ、と。そして、結局なんともならなくて、二度目の絶望を味わう羽目になるのだろうと。

 手を伸ばすのに必死になり速度の微調節を怠ったためか、千咲から見て宗助は一気に下方へと落ちていった。すぐに彼は落ちる速度を落とし、再び千咲と同じ高さに舞い戻る。

 宗助は歯を食いしばり風圧と冷気に耐え、みるみる千咲との距離を詰めて、右手を伸ばす。千咲が手を伸ばしてくるのを催促するように、一度差し出した手を強く握って、開いた。


(……!)


 溺れる者は藁をも掴む。

 助かるとか助からないとか、細かい事を考えるのはもう止めにした彼女は、藁よりかは幾分か頼りになりそうなその大きな手に向かってなんとか手を伸ばし、しっかりと掴んで握りしめた。

 宗助はすぐさま千咲をぐいぐいと引っ張り左手で千咲の腕を掴み、右手を素早く彼女の首の後ろに回し無理矢理抱きしめて、逆さまに落ちていく中、耳元でこう叫んだ。


「なんで、もうダメだって顔してるんだ!」


 そして続けて


「行ってきますと言ったのなら、ちゃんと帰って、ただいまと言え!」


 とも。


「……こんなの、どうするつもりなの!? それ次第!!」


 千咲は叫び返す。


「…………なんとかしてみる!!」

「……」


 その答えに千咲は言葉を失ってしまう。だが。千咲は凄まじい空気抵抗の中、腕をなんとか動かして宗助の背中に回し、強く抱きしめ返す。

 ――元はといえば、今こうして大空を真っ逆さまに落ちているのはだいたい自分のせいで。そして、宗助が続いて勝手に落ちてきたのだ。


 一度は完全に諦めた。


 それでも、難しく考えるのをやめにしたら、やっぱりやけにすんなりこの状況を受け止められた。臨場感のありすぎる映画を見ているような気分になって、千咲は、自分を抱きしめている宗助がこれから何をしでかしてくれるのかが楽しみにさえ思えてきたのだった。何より、『出来ると思うことが大事』だと彼に説いたのは、他の誰でもない自分ではないかと。


「それじゃあ!」

「ん!?」

「それじゃあ、……私の命、なんとかして!」

「ああ!」



          *



 ヘリからの連絡で、二人がブラックボックスから落ちたと伝えられた時、それを聞いた全ての人間は凍りついた。稲葉や宍戸、不破が空を見上げるが、まだ肉眼では見えないようだ。


「桜庭、二人の落下予測地点を計算できるか」

『えっと……』

「すぐに計算しろ」

『は、はい!』


 珍しく稲葉がきつい命令口調で小春に言うと、隣に居た宍戸が「どうするつもりだ」と訊ねる。


「決まっている。受け止めるんだ。この手で」


 質問について、稲葉は一言で答えた。すると宍戸は、一般人達を乗せてきた籠に触れて動かし海上に浮遊移動させ、一番に飛び乗った。


「協力する、乗れ」


 人間二人が上空数千メートルから地上まで落下してくるエネルギーを、その体一つで受け止めようというのだ。

 もし、見事に落下地点にジャストで入って受け止められたとして、それでも、いくらなんでも稲葉の肉体は絶対に無事では済まないだろう。

 そんな事は宍戸にもすぐにわかる事なのだが、それに関しては何も言及すること無く、彼は淡々と海上に浮かぶ空飛ぶ鉄の絨毯に乗り込んだ。


「ああ、もとからそのつもりだ」


 続いて稲葉が乗り込む。そこに、船内から不破が「隊長、宍戸さん!」と叫びながら甲板に出てきた。


「要、俺は二人を受け止める為に先に行く。こちらの方が小回りも効くからな。……もう心配はないだろうが、お前はこの船を頼む。白神にもついていてやってくれ」

「受け止めるって、隊長……!」


 流石の不破も今回ばかりは混乱していて、一体何を言葉にすればいいのかわからずあたふたしている。そんな不破の姿を見て稲葉は少しだけ口角を上げて笑みを作ると右拳を控えめに掲げて「任せたぞ」と一言。


「桜庭、計算はできたか」

『は、はい! 少しアバウトですが……今、算出出来ました! 時間は三分二十一秒から五十八秒後に、二人は海面に到達すると出ました!』

「地点は」

『南東におよそ二・八キロのポイントから半径で、十二・五メートルの円が範囲です! 随時、誤差修正値を報告します!』

「わかった、ありがとう」

『隊長、えっと、その……』

「大丈夫だ。出来るだけのことは全てやらないとな。……宍戸、進んでくれ」


 不破と同じく、何かを言い淀んでいる小春に普段と変わらぬ口調でそう言うと、宍戸に出発を促す。宍戸は黙って小春が算出したポイントへと自分たちを向かわせ始めた。

 失敗すれば宗助と千咲はほぼ間違いなく死んでしまうだろうし、二人共を奇跡的に稲葉が受け止められたとしても今度は稲葉の肉体が保つかどうかわからない。下手をすれば……。


 「受け止めるな」、とも、「受け止めて」、とも言うことは出来なかった。



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