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machine head  作者: 伊勢 周
12章 メモリー
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数分間 後編

 タンスだとかボロボロのソファだとか、埃まみれの机とか、本棚とか。そういった家具が乱雑に置かれた薄暗い部屋に、シリングとフラウアは居た。

 天井にある割れたインテリア照明と破れたまま壁に貼られた清涼飲料水のポスターが妙な寂しさを演出している。

 シリングのフラウア誘拐はつつがなく遂行され、彼が掌握しているとある廃ビルの一室で、シリングとフラウアは向い合って座っていた。窓際に置かれたタンスや本棚の背後には窓があり、それらの隙間から若干の陽の光が差し込み、沢山の埃が舞っているのがわかる。


「まさか、こんな白昼堂々と僕を拐おうとする人間が居るとはね。驚いたというか、呆れたよ。そして、ボディーガード共は減給か、クビだな」


 椅子に座らされて、両手を後ろに縛られたフラウアが、抑揚の無い声でそう言った。


「怖くないのか?」

「怖がる要因がない」

「大したオボッチャマだ」

「君、年は同じくらいのように見えるが、帰る家はないのか」

「ねぇよ。生まれてこの方、家族も家も、そんなもの持ったことなんて無い。孤児だからな」

「成程。それで、僕を誘拐した目的は何だ? カネか?」

「それ以外にお前みたいな奴を誘拐する理由なんてあるかよ。今からお前の家に連絡して、お前の命と引き替えにカネを持ってこさせる」

「そんなものが、今日び成功すると思うのか?」

「させるんだよ。自分の力でな」


 シリングは溜息混じりに言った。彼はそうやって、欲しい物、必要な物を奪い取ってきたのだ。


「カネを手に入れる事ができたとして、それからどうするんだ。カネの番号を控えられているかもしれない、君はずっと警察に追われるぞ」

「大富豪のお坊っちゃんには言ったって解らないだろうな。俺は毎日が命懸けなのさ。食っていくのに、カネはあればあるほどいい。その先は知らない。捕まりそうになれば逃げるか、戦う」


 シリングは少し誇らしげに語る。しかし。


「…………低いなぁ、程度が」

「…………なんだと? 今何て言った」


 飛び出したフラウアのその一言に、シリングは鋭く反応して立ち上がり、怒りを顕にしてフラウアに近づいていく。シリングは、このフラウアの落ち着き払った態度が気に入らなかった。暴力でも、言葉でも、このお高く止まったお坊っちゃんを屈服させてやらなければ気が済まない、と感じた。この僅か数分のやり取りだけで。


「生きる目線が薄汚れた野良の負け犬なんだよ。君は星空を地面から見上げて吠えているだけの小汚くて情けない負け犬だ」

「何が言いたい……!」


 怒りに力が入り、歩く足音も大きくなる。


「だがしかし、君には僕にない、……ある種の凄まじい飢えを感じる。下品だが強かな飢えだ。それは僕が、唯一君が持つ輝く物に見える。君のようなドブ犬でも」

「だから、何が言いたいのかって訊いているんだよ……!」


 ついにシリングは左手でフラウアの胸ぐらを掴み、その怪力で縛られている椅子ごと持ち上げる。周囲の埃がざわめき、椅子と地面が擦れる音と、ぎしりと木と木が軋む音がした。

 フラウアは全く焦ったり怖がる様子もない。


「…………その右手に作った拳で僕を殴るのか?」

「殴って欲しいようだからな」

「止めておいた方がいい。一応、忠告しておいてやる」

「お前、自分の立場わかって物言ってるのか?」

「君に僕は殴れない」


 シリングはそれ以上会話を続けること無く、その右拳でフラウアに殴りかかった。


 そして――。

 シリングは確かに拳を突き出した。しかし地面に突っ伏しているのは、そのシリングの方だった。何が何だかわからず、目をぱちくりさせる。言葉が出てこない。


「…………似たもの同士というのは、思いの外相性が悪い。似たもの同士仲良くしろ、とか言うけどな」


 いつの間に縄を解いたのかフラウアは立ち上がると、涼しい顔で突然そんなことを言って、這いつくばるシリングの顔に右足を乗せる。


「お前、名前はなんだ」


 続いて、シリングに対して名前を問う。シリングは答えない。立ち上がろうとするが、身体がひどく重たくて起き上がらない。入れ替える能力さえも、なにやら鈍く重い。自分がそういう状況になっている事が理解できない。ましてや一瞬で負けるなど。恐らくドライブ能力なのだろうが、体験したことが無い状況だ。


「答えないとこのまま顎を踏み潰すぞ」

「……シリング」

「そうか、シリングか」


 残酷な宣言をするフラウアに対して、シリングは渋々と応えた。するとフラウアは満足気にその名前を一度、声に出した。


「聞く限り、お前と僕はほぼ反対の人生を歩んでいる。まったく似ていない者同士。将来を約束された裕福なエリートと、薄汚い程度の低い野良犬。…………だからこそお互い学ぶところがある。『似ていない者同士』こそが共に生きるべきなんだ。似たもの同士はお互いが鏡になって、同族嫌悪って奴に陥るからな」

「……?」

「お前には、お前が思っている以上の力がある。僕にはわかる……生まれつきのものなのか、お前のその生きてきた環境の賜物なのか、どちらかは知らないが。なかなか興味が湧いてきた。その僕を睨む目の中の濁ったものの奥底に、ハッキリと強いものが見える。学ばせて貰うぞ。そして、今日生き抜く事だけを考えて動くなどという野良犬のような生き方は、今日でオシマイにしろ。もっと先を見据えるんだ。エネルギーを蓄えておけ。闘うべき時のためにな」


 シリングは、フラウアの言っていることの意味がよくわからなかった。言葉の意味自体も半分わからなかったし、そもそもフラウアの意図するところが意味不明で、「なぜこんな事を言う? 自分を誘拐した男だぞ、自分で言うのもなんだが、さっさと警察にでも通報しろ」そんな風な事が頭に浮かんだ。

 しかしフラウアは、次に、更にシリングが理解できない言葉を言ってのけた。


「お前を今日から、僕の弟にする。食事だとか、寝る場所だとか、そんな下らない事の心配はもうするな。だがその代わり、お前の力の全ては、僕の物にさせてもらう」

「……なに、を……」

「僕には、野望がある。徹底的に支配してやる。上から下までクズしか居ないこの世の中を。その為には忠実な部下が必要だ。同胞はいらないがな」


 シリングは、今まで自分の顔を鏡で見る度に、年齢に似合わず野性的で、いかにも悪の顔をしていると思っていた。だがそれ以上に、この目の前のフラウアという男と、その男から発せられる雰囲気と言葉には、理知的な悪が宿っていた。

 そして、一瞬でその悪に魅入られてしまった。

 あるいは、心の何処かに未だに僅かにあった『寂しい』という想いが、シリングを囚えてしまったのかもしれない。この時シリングは十二歳で、フラウアは十四歳だった。



          *



(そうだ……あれから、フラウアに家で、家族として迎え入れられて……)


 そして現在――。

 シリングは、あまりの痛みと苦しみによる現実逃避の一種なのか、少年時代に想いを馳せていた。フラウアと出会ったきっかけ。あの出会いが良いものだったのか悪いものだったのか今でも判断はできない。良いも悪いも無い気がするし、もしかしたらあと数十年後にはっきりするのかもしれない。それまで生きていたら、の話になるが。

 ただ、フラウアには少なからず恩を感じているのは確かで、人間としてのカリスマを感じたのも確かだった。きっとあのまま生きていれば、遅かれ早かれ、どこかで野垂れ死んでいただろう。流行り病だとか、自分の手には負えないような巨大な悪に押しつぶされる、だとかで。


 当のフラウアは現在みっともないほどに生方宗助に執着している。シリングから見て、今のフラウアには以前のような余裕が感じられない。

 シリングはそれ以前に、ブルームに出会ってから少しずつ何処かの歯車が幾つも狂い始めているのを感じていたが、もはやシリングにとって彼に付き従うしか生きる指標がない。知らぬ間に、『その日生きていく事が全て』から『フラウアについていく事が全て』に矯正されてしまっていたのだ。


「……う、ぐッ!」


 そしてまた体内に埋め込められた宍戸の銃弾が背中と足を痛めつけ、回想は中断させられる。

 カツン、カツン、と小さな足音が廊下の向こうから聞こえてくる。シリングには理解できた。その足音は宍戸のものだ。銃弾が発信機の役割を果たして居場所がわかるというのは真実だったのだ。


(入れ替わら、なければ……、まだ……)


 しかし、シリングの精神力は、何処へ行こうが逃れられない痛みと、多量の出血、そしてゴールの見えない忍耐を強いられたことによって、たったの数分間でボロボロに摩耗しきっていた。うまく心を整える事もできず、ドライブに精神力を集中させる事ができない。

 足音はどんどん近づいてくる。


(振り絞れば……あと一回、使うことは、できるかもしれないが……しかし……)


 シリングの闘志は、既にほぼ萎えかけていた。完全に追い詰められている。これ以上逃げたところで、もう宍戸という敵に勝利することは限りなく不可能に近い。逆転の手が思いつかない。

 逆の言い方をすれば、敗北が限りなく濃厚なわけで、そうすれば宍戸にきつい尋問をされてしまうだろう。「いいや、これは既に拷問の最中なのかもしれない」とシリングは思った。

 現に自分の精神力は大分参ってしまっている。

 そしておそらく、自分は色々と真実を吐かされてしまうだろう、とも。

 生方宗助や白神弥太郎の居場所、フラウアの能力も、更にはブルームに関しての事も喋らされる。フラウアがうまくスワロウの面々を撃退したとしても、ブルームはきっと勝手な行動をとったフラウアと裏切り者に落ちぶれた自分をタダで許すはずがない。


『自害』


 そんな言葉が浮かんだ。既に自分は、フラウアにとって足手まといでしかないのだ、と。そして敗北者である自分に存在価値はあるのかと。


(生きて、いける場所など……既に無い。何処にも……)


 なまじフラウアに居場所を与えられたため、かえってその想いが強くなる。這いつくばることにより接地した耳に、宍戸の足音がどんどん迫ってくる。シリングは仰向けに身体を転がすと、苦痛に震える手を懐に潜らせて、一本の短剣を取り出した。鋒を喉元につける。


(これ、を……ほんの少し押しこむだけで……)


 朦朧とする意識の中、シリングは短剣を握る手にほんの少し力を込めた。


(さら、ば)


 そして躊躇いもなく思い切り自らの喉に押し込んだ。

 しかし、短剣はシリングの命を絶つ事はなかった。宍戸がシリングの短剣を持つ腕を持ちそれを阻止している。宍戸が更に力を込めて手首をひねると、肉体の自然な反応により素直にナイフがシリングの手から剥がれ落ちた。


「残念ながら、鬼ごっこはおしまいだ」

「う、……く……そ……!」

「自害を図るとはな。敗者の自分はもうフラウアに切り捨てられたってところか」


 宍戸が淡々と喋る。シリングは僅かに顔を顰めた。


「しかしやれやれ……、自殺しようとした奴に短時間でいろいろ吐かせるってのは骨が折れそうだ。ああ、こいつはお前の忘れもんだ」


 宍戸はそう言って、先程シリングが入れ替わった布をシリングの口に荒々しく突っ込んだ。


「舌を噛みきって死のうなんてのも止めておけ。どうせ失敗する」


 シリングは弱々しくも恨めしそうな瞳で宍戸を見るが、宍戸はシリングのそういった反応にやはりいちいち反応したりせず、シリングの胸ぐらを掴むと、ぐっとひっぱりそれごと少しだけ上半身を持ち上げる。


「じゃあこういうのはどうだ。こちらとしては非常に困るが、現状打破が第一だ。白神と生方、あとはフラウアの居場所を吐けば今すぐ俺がこの場で殺してやる。しかし吐かなければお前を完全に拘束して基地に持ち帰る。どっちだ、選べ」


 普通の感覚の持ち主が聞けばまったくもって理解しどころのない交渉だが、宍戸は至って真面目だ。シリングがゆっくりと口を開けようとしたその時。


「……フラウアの居場所か。それは自分も知りたいところだな」

「ッ!?」


 突然割り込んできた第三者の声に、宍戸はすぐに反応して振り返る。それは聞き覚えのある声だった。視界に声の主が映る。目の前だ。その人物を宍戸は知っている。ただ、このブラックボックスに乗っているとは予測していなかった。

 慌てて両腕を交差させて顔と胸部を守りつつ、相手とは反対方向に跳ぶ。なぜなら宍戸が振り向いた時には既に、その人物による攻撃は繰り出されていたためだ。

 宍戸は思い切り自分を後方に「引っ張って」攻撃が自分に与える衝撃を最小限にする。拳が宍戸の腕に掠り、そのまま宍戸は、自ら吹っ飛んだのか吹き飛ばされたのかどちらなのか曖昧であるが、とにかく薄暗い廊下を十数メートル移動させられてしまった。

 宍戸を襲った、その男とは――。



          *



 宍戸は背中から床に落ちてそのまま数メートル滑ると、両手を床について足で床を蹴り、そのまま身体を後方に回転させて見事着地。自分が飛ばされてきた方向を見据えて小さく舌打ちをした。


「ミラルヴァ……。奴も乗っていたのか」


 宍戸を攻撃したのはミラルヴァだった。

 言いながら攻撃が掠った右腕を見ると、上着の袖が肘までボロボロに破けていた。更には宍戸の右腕の甲側の皮膚は全体的にすりむけて血が滲み赤色に変色している。だが、追撃の気配はない。こちらから追いかけるべきか考える。


「……そういえば……」


 気になったのは、今の一瞬の攻防の前のミラルヴァの言葉。フラウアの居場所を探しているという旨のものであった。


(奴もフラウアの居場所を知らないのか? 一緒に来たんじゃないのか?)


 そもそも、攻撃の前に話しかけてくるあたり、本気で殺しには来ていなかったようだが。宍戸がぐっと目を凝らし暗闇の先を見る。銃弾のドライブ効果も切れてしまった。

 そこには、ミラルヴァもシリングも居らず、気配もなく、ただただ味気のない通路が続いているだけだった。静寂が宍戸を囲い込む。


「……どういうつもりだ、一体……」


 珍しく困惑気味に呟いた短い一言に、宍戸の心情がよく表されていた。


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