折衷案
「……いやぁ、そうは言っても、コアの場所がわからないことには、うーん……」
稲葉の提案に少しだけ、本当に少しだけ抵抗を感じて難色を示す不破。
「あの、他の作戦も訊いていいですか? 一応」
「ん、そうだな。まぁ作戦という程大したモノじゃないんだが……」
「はあ」
「あの八本の足を全部破壊して、行動不能にするって作戦なんだが……」
「……なるほど……」
その返事がどういうニュアンスを含んでいるのかは定かではないが、実際のところ不破は少し苦い表情をしていた。というのも……。
「隊長、こいつのコアがどこに付いているかわかったんですか?」
「いいや。外には見当たらないってのはわかるんだがな」
「俺もですよ、そりゃ」
不破がそう言うと、稲葉は「ふむ」と考えるそぶり。その間も巨大蜘蛛は待ってくれるはずはなく、最前列の足二本で連続して突きを繰り出してくる。
不破は右に跳んで躱し、稲葉は突き出された右前足を見きりその先端が自らに突き刺さる前に右手で掴む。
そして更に自分の方へと引き寄せると、そのまま乱暴に足を引き千切った。丸太のように太く、人間三人分ほどはあろうかという長さの鉄の棒を右手一本で支え、まるで竹刀を軽く振るかのごとくそのまま右手で振りかぶり、そこでようやく左手も添えた。
そして今度は野球のバットのように巨大蜘蛛をぶっ叩き、そのまま思い切り振り抜いた。言葉では形容しがたい轟音が二人の鼓膜をこれでもかと震わせる。
「うわぁー、ナイスバッチー!」
不破が耳を両手で押さえつつ歓声を上げ、稲葉は手の中にあるバキバキに折れ曲がってしまった鉄の脚部をしばし見つめてからすぐそばに投げ捨てる。ズン、と音を立ててそれは鉄床に沈むのではないかと思うほどの勢いで落ちた。
自らの足で殴られた蜘蛛はと言うと、頭部に設置されたカメラのような部分は瞬時にシェルターが閉じて保護されていた。
だが、さすがに連結部等は衝撃から守ることが出来なかったらしく、断線しているのか小さく火花が散っている。
それでも蜘蛛は動くことを止めない。右前の足を一本失ったことによりバランスを崩し右に傾いているが、八本が七本になってもそこまで重大な支障はないらしく、すぐに態勢を立て直し、威嚇しているのか、はたまた自らの軽率な攻撃を悔いているのか、残った七本の足でガンガンと地団駄を踏む。
「認めたくはないが、やはり硬い。相当の装甲を重ねているらしい」
通常のマシンヘッドなら一撃でスクラップに追い込む程の攻撃を三発喰らわせても未だに健在の敵に、稲葉は少し悔しそうな表情を見せながらも、相手の性能に対して素直に評価する。
「やっぱ、コアを壊すしかないかな……。手当たり次第に装甲を変化させてみるのも手かもしれませんけど」
「自分で言っておきながらなんだが、博打の要素が強すぎるな」
「……でしょ。運が悪いと、どれだけ時間がかかるか。千咲や宗助が心配だ」
「要。それなら、さっきの二つの案の折衷案でどうだ」
「折衷案? っていうと…………………あぁ、成程、それじゃあ俺は左の四本を」
「ん。いいのか? なら、俺は右の残り三本を」
色々と言葉が足りないように思えるが、二人の間の意思疎通に問題はなかったようだ。
要するに『足を壊して機動力をゼロにした上で』『急所であるコアを探して叩き行動不能にする』そのニつを分担作業化してしまおうという事(で二人の思惑は一致しているらしい)。
カレイドスコープの一件で既に周知の事かもしれないが、この二人はどうも、指示されない限り戦闘においてあまり『細かい作戦を練る』という事をしないようだ。
再び自らの左右両サイドに別れた二人に対して、巨大蜘蛛は後ろ足二本だけでウィリーするように立ち上がり、身体を不破の方へと傾け、その巨体全てを活用して押しつぶしにかかる。不破はそれを無理に回避しようとはせず、それどころかその場にしゃがんで床に触れる。
すると床は、ドーナツ型に不破を囲むように二メートルほどせりあがり、小さな盆地ができあがった。そしてその盆地に蓋をするように巨大蜘蛛がのしかかってくる。小さなスペースに閉じ込められた不破は上を見上げ少し悪そうに笑うと、
「あぁ、作戦変更だ」
そう言って軽めのアッパーパンチを覆いかぶさってきた蓋にお見舞いする。不破の拳がガツン、と鈍い音を立てると、そのすぐ後に装甲は表面が波打つ。その数秒後、不破が殴った部分の裏側、背中の部分がボコッと少し膨らんだ。不破が巨大蜘蛛の腹部の装甲を『内側へと突き進む針』に変化させて、蜘蛛の内部をそのまま貫こうとしているのだ。
だが、やはり装甲の硬度も高く、いくら内側から押し上げても貫くことはかなわず。不破は少しして貫通させることを諦め、今度はそのままミミズが土を掘るように、蜘蛛の内部を突き進ませようとする。が、そこで巨大蜘蛛は大きく身体をよじり不破から身体を離す。
「っつーか、こんだけ内部にダメージ与えてもまだ動くのか!?」
不破は驚嘆の表情で、再び後ろ足二本で立ち上がった巨大蜘蛛を見上げる。登場した時の面影から比べると現在のその姿は随分と変わり果ててしまっていた。二足で立ち上がったと思えば、まるで天に助けを乞うように前三本の足をバタバタと吹き抜けに向かって動かし始めた。
「……?」
「なんだぁ?」
妙な行動を始めた巨大蜘蛛に稲葉と不破は共に首をかしげる。そして次の行動で、二人の首はさらに大きく傾けられ、そしてこれでもかというほど眉間に皺が寄る。
巨大蜘蛛は突然その左前足ですぐ近くにあった二階部の橋を殴り飛ばした。五メートルほどの長さの橋だったものが宙を舞い、地面に激突して、スクラップと化していたマシンヘッド達を押しつぶし、大きな金属音を放つ。
続いて右の二本目の前足を振りかぶると、そのまま迷いなく壁に向かって思い切り突き刺した。壁には亀裂が入り、吊るされている照明が揺れ鉄材が吹き飛ぶ。すぐに足を壁から抜くと、先程よりも激しく地団駄を踏み、猛烈な速度で何もない方向へと走り始めた。
ガンガンガンガン! と、足と床がぶつかるせわしない音が断続的に響き、そして遂には、シンバルを百個並べて一斉に鳴らしたような派手な音と共に、凄まじい勢いで頭から壁に激突する。
そんな巨大蜘蛛の一連の異常動作を見て、稲葉と不破は目を見合わせる。
「…………要、お前もしかして、奴の腹を攻撃して変化させるのと一緒に、奴の妙なスイッチでもいれてしまったんじゃないのか」
「そ、そんなことは……。うーん、そんなこと……、ええっと……」
稲葉の推測に対して、不破は苦笑いを浮かべるだけでちっとも続きの言葉が出てこない。
「装甲が硬いって事は、それだけ中身が精密で守るべき構造だったって事で、ええ。無きにしもあらず」
「ただ、別に、それでこちらが不利になった訳でもなさそうだ」
稲葉は視線を巨大蜘蛛へと向ける。そこには、未だに壁に頭から突撃して突き刺さった状態のそいつがいた。またも辺りに白煙を巻き散らかし腹側部から小型ミサイルを吐き出す。
先程と違い標的が定められていないらしく、五百ミリリットルペットボトルほどの大きさのそれは中空をふらふらと彷徨い、そしてそれも次々と壁にぶつかり爆発する。
その拍子に壁に突き刺さっていた頭部が抜けて、巨大蜘蛛はぐるりと体ごと振り返る。
「……隊長、無闇に奴に刺激を与えるのって、かなり危険な事だったんだな、って思いました。すごく」
「迂闊に懐に潜り込まないことだ。さっきのようにな」
「はは……了解……」
不破は先ほどの自らの行動を思い返し冷や汗を流しつつ、またしても苦笑。
「よし、仕切り直しだ。行くぞ」
「はいっ」
不破と稲葉は再び蜘蛛に向かって全速力で駆ける。それに対して巨大蜘蛛の両肩から一対の小さめの砲口が姿を現した。
二人は当然それに警戒はするが、怯みはしない。銃口は斜め上を向いているばかりで、そこから動きもせず、たとえそこからどれだけ強力な砲弾が射出されたとしても到底不破や稲葉に命中するとは思えなかったからだ。
その間にもあっという間に巨大蜘蛛への距離を詰めて、今にも飛びかかれる間合いに突入すると、稲葉と不破は再び『作戦』通りに左右に別れようとする。しかしその時、その砲口がそれぞれ低い鳴き声を放ち、砲口から黒く丸い物体が飛び出した。
それは「撃たれる」だとか「発射される」だとかの表現は適切ではなく、「投擲される」という言葉が正しかった。両肩の砲口の正体はである。
「っ! 伏せ――」
それぞれが床に着弾し、耳をつんざく爆発音と共に破裂する。マシンヘッドの残骸が炸裂し、バラバラに辺りに散らばった。うっすらと白煙が周囲に立ち込める。
パラパラ・カチカチと、床に飛沫が落ちる音が鳴り、それが終わる頃に爆発による白煙も霧散していた。
二人と巨大蜘蛛に突如現れた大きな壁が、グレネードの爆発から彼等を守った。不破が壁を作って自らと稲葉を保護していたのだ。しかしその防御壁も作成が一瞬遅れたらしく、不破は右こめかみから、稲葉は防御に回した左腕から少しばかりの血を流していた。
「……ったく、やばい武器ばっかり……生身で戦う相手じゃあないぜ……」
「要、すまない。助かった」
「いいえ、さっき助けてもらいましたしお互い様ってことで」
そう言って不破は創りだした壁に再び触れて解除する。壁の向こうにはやはり巨大蜘蛛がどかっと居座っていた。反撃に転じようと足に力を込めるが、またしても蜘蛛に先手を取られる。
「いいッ!?」
妙なうめき声は不破のものである。それにも理由があった。
巨大蜘蛛はまるで壊れた玩具のように、グレネードランチャーをそこかしこに乱射し始めたのである。数えきれない程の弾が宙を舞い、そして重力に従って床へと吸い込まれていく。不破と稲葉には、その光景がやけにスローモーションに見えた。
「うおおおおおおおおおおッ!!」
一目散に不破と稲葉は回れ右してダッシュする。最初の二つが床に着弾し爆発。すると次々と誘爆を起こし、数秒にわたって爆発音が鳴り続ける。まるでクラスター爆弾でも投下されたかのごとき発光、衝撃、爆発音。不破と稲葉は地面に向かってダイブし、不破は再び自分達を守るシェルターを作り上げる。
…………。
ようやく爆発音は鳴り止んで、不破と稲葉は頭をあげた。
「……弾切れか……?」
二人は立ち上がると、今度は作ったシェルターを解除せずに、回りこみ顔だけ出して様子を伺う。と、そこには自らばらまいた手榴弾の爆発によって黒く煤まみれになった巨大蜘蛛が、ずんぐりと鎮座していた。
「懐に飛び込むどころの話じゃなかったな……」
「ほんとうに……」
不破はシェルターから完全に身体を出して巨大蜘蛛を見上げ、しみじみと攻撃を回避できたことに安堵し、頬に流れ落ちてきた血を右手で拭う。
普段は頭を使った戦い方をそれほど展開しない(決して不得意な訳ではない!)のだが、近距離戦闘型の二人にとって、単純に強力な重火器を大量に使用してくるこの敵は少し組みにくいようで、どう攻めたものかと足を止められてしまった。
しかも相手は少しばかりどこかのネジが跳んでおかしくなってしまっているらしく、今は動きこそ止まっているが、また突然滅茶苦茶に暴れだしてもおかしくない状態であるから困ったもので。
いくら二人の戦闘能力が高かろうと、大量破壊兵器に、それも生身で真っ向から太刀打ちできる程には人間から離れてはいないのだ。
「……簡単な事を見落としていた。かもしれん」
そこで、稲葉が突然呟いた。
「簡単な事と言いますと?」
不破が復唱する。
「必ずしもそうとは限らないが……。あの頭部につけられたカメラのようなもの」
「ええ。ありましたね。今はシェルターで覆われて見えませんが」
「そうだ。あれを守るシェルター。今まさに、瞼のように閉じている。かなり頑丈な作りだ。先程全力で殴り抜いたが、傷が少しついたくらいで破れなかった。攻撃した感じだと、胴体の装甲よりも硬い」
不破が稲葉の言う箇所に目をやると、直径二メートル弱の半球型のシェルターが閉じられており塗装が剥がれ落ちてボロボロになって凹んでいるが、稲葉の全力の攻撃をくらったにしては小さすぎるダメージだ。
「そこまであそこを固めるってのは、ただ目を守るだけの役割じゃ割に合わない。……さっきまで胴体の方にコアがあると思っていたが、コアがあるのはそのシェルターの内部なんじゃないだろうか。実際の蜘蛛における脳の位置だ。そこまで模しているかは定かではないが……」
「成る程、……気になるのならば、俺があそこをこじ開けてみましょうか」
「できるか?」
「そこは『やってこい』って命令するところっすよ」
不破は不敵に笑うと、どう攻めようかとその攻略法をいくつもシミュレートして頭に巡らせているのか、顎に指を当てて考える仕草をとる。
そこで巨大蜘蛛は再起動した。ゆっくりと小さく七本の足をカチカチと足踏みさせる。
「お? ショックからお目覚めか?」
「作戦は変更だな。俺が奴に触れて動きを止める。その隙にあそこまで登ってシェルターをこじ開けて、内側を攻撃してくれ」
「了解。いや、だけど、隊長が奴の動きを止めている間は、俺のドライブも隊長のドライブに吸い込まれて無効になってしまうんですけど」
「準備ができたら声で合図してくれ。その瞬間手を放す」
「了解、そんじゃあ、よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしく頼む」
掛け合いのあとすぐに、稲葉が先陣を切る。足が一本もがれている右側へと回る。だがやはり巨大蜘蛛はネジが完全に外れてしまっているらしく、そんな稲葉などお構いなしに天井へと頭を向け何やらキョロキョロとカメラを動かしている。
これは好機中の好機だった。
稲葉は速度を緩めずに巨大蜘蛛の脇へと潜り込み、胴体に直接触れるために手を伸ばす。しかし狙ったのか否か定かではないが、巨大蜘蛛は後ろの足の鋭い先端を乱暴に稲葉に突き立てる。
だが稲葉の前では、単純に突く・叩くの攻撃は余程の速度・威力を持っていない限り無力に等しい。あっさりと左手で防がれてしまい、稲葉はそのまま足をもいだ。と、同時に稲葉の右手は巨大蜘蛛の胴体に触れる。
少しだけ遅れてスタートしていた不破もそれを確認して巨大蜘蛛の頭へとよじ登っていく。
一瞬猿と見間違えてしまう程の身のこなしであっという間にシェルター部分まで登った不破は、「大丈夫です!」と稲葉に大きな声で報せると、稲葉も「よし、離すぞ!」と返し、巨大蜘蛛を解放する。それとほぼ同時に、不破は拳をシェルターにぶつけドライブを叩き込んだ。
シェルターはまるで熱で溶けたろうそくのようにその原型を失い、守るべき内部を曝け出していく。内部にはカメラと思しきカメラのような物と、外からでは見えなかったがそれに繋がっている複雑な機械群があった。
見るからに重要な部分を担っていそうである、複雑に絡みあうその機械群を見て、不破はそれがこの巨大蜘蛛の急所であると確信する。
そこで突然、巨大蜘蛛が再度暴れだした。遊園地の絶叫系アトラクションさながらに上下左右に揺れるが、不破は破壊したシェルターの縁を掴んで振りほどかれないように耐える。
「……っ、暴れたって、もう遅いッ!」
激しい揺さぶりにも焦ること無く、不破はぐいっと機械群へと右手を伸ばし指先で触れる。バチンと、紫電が一筋走った。
「頼むからもう眠ってくれ。夜蜘蛛は縁起が悪い」
そして一瞬で修復不可能な程に捻じり歪ませる。すると。
巨大蜘蛛の胴体を地面から浮かせている六本の足は、一瞬で全て力を失いだらしなく投げ出され、その胴体は床へと落下する。
それほどの高さではなかったが、そもそもの重量が半端なものではないので、ドズンと凄まじい地響きが起きて、床のあちこちに転がるマシンヘッドの残骸達がまたしても一瞬宙に浮いた。
不破は巨大蜘蛛の頭部に立ち、見下ろして、稲葉に向かってこう言った。
「隊長の予想、正解でしたね! お見事!」
不破のクイズ番組のような芝居がかったセリフにも稲葉は特別な反応をしたりすることはなく。
「こっちのセリフだな、お見事ってのは。さぁ、千咲のところへ急ごう」
気がかりなのは、隣の部屋に居るであろう一文字千咲。




