長い夜の始まり
宗助がリルお手製のクレープをまるっと完食した数分後、食堂にて。ジィーナは、真っ赤な顔をして帰ってきたリルを出迎えた。
「ちゃんと渡せたの?」
「うん。渡せた、ありがとう」
「そんで、感想聞けたの?」
「聞く前に戻ってきちゃったから……」
「ありゃりゃ」
尻すぼみにぼそぼそと俯き恥ずかしそうに呟くリルに、ジィーナはガクっと脱力させられる。昼下がり、客足が途絶えた後に僅かな時間を見つけて、料理やお菓子作りの練習を始めたリル。彼女は今日、宗助と出会ったきっかけの一つであるクレープ作りに挑戦したいと強く志願したのだ。その日は何枚か失敗したものの、比較的見栄え良く出来た一枚を彼に渡しに行ったという訳である。ちなみに失敗した分は、リル自身と食堂のスタッフ、そしてジィーナが残さず食した。
「まぁー生方君、そういうとこはしっかりしてそうだから、近いうちにお礼言いに来るかもよ」
「来るかなぁ……? なんだか、疲れてたみたいだから……そんな余裕ないかも……」
ジィーナの予想に対して、諦め気味にそう話すリル。そもそも彼女としては、無事にクレープを渡せただけでも御の字であるようだ。「そうかなぁ、お礼言うくらいなら別に……」とジィーナが呟いていると、その時。
「おーい、リル!」
自分の名前を呼ぶ声を聞いたリルは、はっとそちらに振り向いた。彼女の視線の先・食堂の入口には、その生方宗助が元気そうにブンブンと手を振ってリルに存在をアピールしていた。
「クレープ美味かった、ありがとう! 今からまた訓練あるからもう行くけど、良かったらまた作ってくれよな!」
宗助は食堂内には入ってはこず、そう言うだけ言ってその場からすぐに立ち去った。
「ほらね」
唖然とするリルに、ジィーナがなんとも怪しい笑顔を浮かべながら、どうだと言わんばかりに肘で小突いて一言。
「う、うんっ、作る! また、作るから! 絶対!」
既に立ち去った宗助に向かって、リルは一所懸命に返事をする。そして興奮冷めやらぬといった様子で頬を紅潮させ満面の笑みで目を輝かせて、次はジィーナに飛びつくように話しかける。
「聞いた!? 宗助おいしかったって! また作ってくれって!」
「あーもう、聞こえたわよ。そこまで喜ばなくても……」
ジィーナが苦笑いしながらそんなリルに対応していると、彼女たちの背後から「ほらー! もう休憩終わりだよー! 掃除手伝って!」という先輩達の声が飛んできた。
「は、はい!」
その一言で二人はすぐにびしっと背筋を伸ばして、慌てて厨房の奥へと舞い戻っていくのだった。
その後、二時間に及び不破による格闘訓練の手ほどきを受けた宗助は、そのままぶっ続けで再びドライブの訓練へと取り組んでいた。今二人が居るのは屋内訓練室ではなく、屋外の訓練場である。本格的に梅雨が訪れ、雨こそ降っていないもののじめじめと湿った空気が漂っている。
「あんだけあっさり風船を割れるってことは、出力はなかなかのものになったって事だろうが、それだけじゃあまだ使い勝手はあまりよくない。出力もすげぇレベルになってくるとまた圧巻なんだが、それはおいおい」
「はい」
何かを思い出しながら話す不破に気のない返事をしつつ、続きを待つ。
「次の段階は、その空気を鋭くする。目指すは空気の刃だ」
「刃……。紙に穴を空けるくらいならできますけど」
「紙と戦ってどうすんだよお前。相手は鉄が殆どだぞ」
「わ、わかってますよ! そんなの!」
「わかってるなら良い。そんでな、お前が最初にマシンヘッドに遭遇した時、まっぷたつに切り裂いただろ? あの時はお前の体と心に奇跡的な力が働いたと考えるにしても、あれはお前がやったと見て間違いない。あれくらいとは言わないが、これからは常にあれに匹敵するくらいの攻撃を自分の意思で繰り出せるようになれば、お前はもう、立派に一人前の戦士だ」
不破が言葉にした『一人前の戦士』という単語に対して宗助は感慨深いものを感じて少々明るい未来を想像するが、すぐにそれらを打ち消して不破の話へと意識を戻す。
「まぁそれだけでやってける程マシンヘッドもブルーム達も甘くはないだろうが……。今日やった空を翔ぶ練習も、鉄を切り裂けるようになるのも、全部天屋さんがやってた事だ。できるさ、そのうち」
「そのうちって……そんなので良いんですか?」
「いい、いい。焦ったっていいことないぞ」
「隊長もそう言ってましたけどね……」
「なおさら良いじゃねぇか」
何が不満なんだと言いたげに不破は言う。
「ま、雑談はこんくらいにしといてだな」
不破は大きな鉄の塊を持ち出して、手の甲で軽くそれを叩いた。すると鉄の塊はみるみるうちに形を変えて、まるで楽器のドラのような丸い的が出来上がった。
「さぁ。これに叩き込んでみろ。お前のドライブ。これを破れないようなら、マシンヘッドを壊すのは難しいぞ」
不破が一瞬で作り出した的の部分は五ミリ程の厚さとそう分厚くはなく、それは頑丈な棒か何かで思い切り突いたら穴を開けてしまえそうな程である。
「……やってみます」
宗助は真剣な顔つきで的を睨みつけ、利き腕である右腕を持ち上げて、手のひらを突き出して的に向けた。
「……ふっ!」
カン!
宗助が掛け声をあげた次の瞬間不破の作った鉄の的に甲高い打撃音が響いたが、的はほんの少し凹んだだけで、切り裂いて突き破るなどとは程遠い結果だった。
「なんだ、その程度か」
「ムカッ」
思わず気持ちを口に出してしまった宗助は、少し険しい顔で次弾に向けてもう一度集中を始める。
「うりゃッ!」
カァン!
一発目よりかは幾分か手応えが感じられる音が鳴ったが、それでも鉄の的は到底突き破れそうにないし、切り裂けそうにもない。その結果に満足できず、宗助の表情が少し曇る。
「おいおーい、全然じゃねーか。こないだ列車の壁を切り裂きまくってたのはやっぱ何かの間違いだったのか? まぐれか、まぐれ。ん?」
宗助を炊きつけたいのか、苛立たせるような言葉を投げかける不破。彼ももう二十六才だ。決して、先ほど自分だけがクレープを貰えなかった事を根に持ち妬んで、宗助にうざったらしい絡み方をしている訳では無いだろう。
宗助は三発目、四発目と、挑発してくる不破を無視して打ち込み続けた。
だんだんと的が奏でる音は強く激しいものとはなっていたが、目指すべきところから考えればその変化は微々たるものでしかなく、到底宗助自身が納得するものではなかったし、的を切り裂くという目標もはるか遠いものであった。
だだっ広いその広場で、ただひたすら鉄の的に向かって手をかざし続ける宗助と、それをチャチャを入れながら眺めている不破。何も知らない人間が見ればかなり奇妙な光景だが、彼らは至って真面目に人類の平和のための努力を行なっているのである。世の中外見だけではわからないものだ。
ギィン!
金属バットで思い切り殴ったような音が鳴る。そして同時に、流石に疲れたのか宗助は的にかざしていた右手を下ろして一息ついた。
「なんだぁ、もう終わりか?」
不破が更なる煽り文句を入れようとしたところ、彼のポケットの通信器が鳴った。
「はい、不破です。……ええ、生方も一緒です。……っ! わかりました。すぐに戻ります」
短いやりとりを終えて通信を切り、通信器をポケットに戻す。
「……何かあったんですか?」
険しい表情でいる不破に宗助が尋ねると、不破は宗助の方を見てこう言った。
「司令からだ。レーダーにマシンヘッドの反応が出た。すぐ戻るぞ」
*
「数は一体だけ。現在は特に移動はせずに、一点でじっと立ち止まっています」
「このエリアなら割と近いな。化学工場地帯だっけか、あそこは。今日は土曜だし、まもなく夜だが、まだ人が居るのか?」
「それほど多くは居ないみたいだけど、全く無人という訳でもなさそうだ」
「ま、そりゃそうか」
オペレータールームでは、モニター類が示すマシンヘッド反応の情報を淡々と読み上げる海嶋の声と、その横で気になった事項を幾つか質問する不破の姿があった。オペレーションルームのメインモニターには、そのエリアの地図と、一つの光点が示されている。
「司令、どうしましょう」
海嶋が背後にいる雪村司令に指示を仰ぐ。
「……生方」
「はい」
「お前が出動だ。準備は出来ているか」
「……! はいっ!」
雪村のその指示に対して宗助は威勢良く返事をしたが、部屋の周囲の面々はざわめき始め「大丈夫か?」だとか「早すぎるんじゃないか」などという囁きがひそひそと飛び交っていた。宗助にとっては初めてのマシンヘッド討伐になるのだ、当然の反応かもしれない。だがそんな囁きを無視して、雪村は続いて命令を飛ばす。
「不破、お前が同行しサポートしろ」
「了解です。おい宗助、一応聞くが、本当に行けるか? 今日は一日ぶっ通しだったろ」
「大丈夫です。問題ありません」
「おし。じゃあさっさと行くか」
未だにざわつくオペレータールームの面々を背にして、宗助と不破は颯爽と室内から出ていった。彼らが姿を消した後、千咲が少し戸惑っているような表情で司令の机におそるおそる歩み寄った。
「し、司令。私、今日はもともと待機ですし、サポートに付けますけど」
「一体だけなら、本来一人でも大丈夫だ。三人も必要なかろう。お前は引き続き待機だ」
直談判するが、雪村は千咲の出したその提案を即座に却下する。
「……わ、わかりました」
ここまで見事に突っぱねられては、そう言うしか彼女には選択肢は無い。彼女とてわざわざ命令無視の大罪を犯してまで自分も出動しようとは思わない。すごすごと司令の机から退散して視線をモニターに遣ると、すぐ隣から突然千咲に声がかけられた。
「宗助が心配か?」
千咲が声の方へと振り向くと、稲葉が同じくモニターへと目を向けたまま、千咲のすぐ隣に立っていた。
「いえ、心配というか…………」
千咲はその続きは言えずに俯いた。稲葉は続けて千咲に諭すような口調で話しかける。
「あいつもいつまでも一般人のままって訳じゃない。これはいわば通過儀礼みたいな物だ。ついて行ってやりたい気持ちは俺も同じだが、誰にだって最初がある。それに、要が一緒なら、きっと大丈夫だろう」
「わかっています。不破さんが信用できないなんて事も…………殆どありませんし」
「……はは」
稲葉の口から乾いた笑いが漏れた。千咲は顔を上げてメインモニターへと目を向ける。そこには相変わらずマシンヘッドの存在を示す光点がたった一つ点滅を続けている。




