選択権
「君の事を襲ったあの機械兵。君にはその正体を知る権利……いや、義務がある。だが、話す前にひとつ約束して貰う。今から我々が君に話すことは誰にも――そう、たとえ家族や恋人であっても、決して話さないで欲しい。これは絶対に守ってもらう」
宗助はごくりと唾を飲んだ。詐欺師ペテン師大嘘つき……どんな人間を持ってきた所でこの男が携える眼光には勝てまいとすら感じた。きっとものの一分もしないうちに騙そうなどという感情も萎えさせられてしまう。そう思うほど彼の眼差しは真摯で真剣なものだった。
「……わかりました。誰にも言いません」
「よろしく頼む。一方的で済まないな」
「いえ。それよりも教えてください。妹を襲ったあの機械の正体を」
その質問をした瞬間、室内の空気が強張るのを肌で感じた。
「――我々はアレを『マシンヘッド』と呼んでいる。君も直接奴らに触れたのならわかると思うが、奴らの身体は完全に機械でできている。その為、当たり前だが命を持たない。そして奴らは神出鬼没。しかし、ほとんどは夕方や夜に出現して、人間の命を狙って徘徊する」
宗助は、自分とあおいが襲われたのもまた陽が暮れる直前であったなと思い返す。
「現在確認されている物でも人型や昆虫型、分類できない形など様々だ。奴らに襲われた人間は、どういう仕組みかわからんが、肉体を衣服や装飾品以外の全てを消し去り、どこかへと去っていく」
「じゃあ、最近増えていた失踪・行方不明者の増加はやっぱり……」
「察しがいいな。その九割が奴等の仕業とみていい」
稲葉の声には、少し怒気が混じっているように感じられた。
「こいつらが、人間を狙う目的は?」
「不明だ。……こうして偉そうに話しているが、実情、奴らについてわかっている事は少ない。奴らが何処から来て何処に帰るかすら、まだ判っていない」
「……じゃあ、逆に、わかっている事はあるんですか?」
「機械を操っている主犯の名前は、ブルーム・クロムシルバーと名乗る男。それはわかっている」
「ブルーム・クロムシルバー……」
宗助はその名を復唱する。抱いたのは「外国人だろうか」という感想くらい。まったく身近で見ない名前であった。
「わざわざ名乗ってくれやがったから、一斉に世界中の戸籍データを調べあげたが、そんな名前はどこにも存在しなかった。偽名の線が濃いが、とりあえずはそう呼ぶことにしている。他にもブルームの仲間が何人か確認されていている。これがブルームの写真だ。資料として印刷してきた」
稲葉はポケットから一枚の写真を取り出し宗助に差し出した。宗助が写真を受け取り手にとって覗いてみるとそこには、不鮮明ではあるが一人の男が写っている。銀髪碧眼、年は三十代~四十代程。輪郭は綺麗な五角形、目鼻立ちは高低差があり整っている。だがその顔に付いた二つの碧い瞳には、凍てつくような冷たい敵意しか感じられない。まるで、この世の全てに恨みを抱いている様な、そんな冷たさ。
「何が目的かは未だに不明だが、こいつらの生み出した機械が地球上の全てのヒトの命を脅かしている。今はまだ数も少なくなんとかできるレベルだが……、年々発生件数は増加している」
「あの、思ったんですけど、何故この事を隠さなければいけないんですか、こんな大事な事を……。みんな犯人の影も姿も見えない失踪事件に毎日怯えています」
「大きな混乱を避けたい。機械兵には、生身の人間では到底太刀打ちできない。そんな人間にとっての天敵……捕食者が日常のすぐ裏側に潜んでいると知れたら、おそらく社会は大混乱を巻き起こすだろう。噂や憶測が飛び交い、いつ終わるかわからない捕食者との戦いに精神を摩耗させ疲弊して、正常な生活もままならない、そんな事態が予測される」
「このまま隠し通していけると思っているんですか……!」
「いずれは知られてしまうかもしれないな。隠し通すのも些か無理が生じてきている。実際、そういった噂は既にいくつも流れているのを確認している。しかし……それでも。秘密にしておくために出来うる限りの努力は続けていく、というのが俺たちの方針だ」
「そんなの……俺は、何の情報もなく奴らに突然襲われて、本当に怖かったし、妹は俺がいなければ殺されていた! 兄妹揃って殺されると思った! せめて、何らかの情報が頭にあれば……!」
宗助は、徐々に怒りを滲ませつつ主張した。彼は生まれてこの方、死と隣り合わせになる事などなくて、そんな人間にとって突然降りかかったあの出来事はあまりに酷だった。思い返しただけで身震いがしたし、味わった理不尽な暴力を何かの……誰かのせいにしなければ、心が落ち着かなかった。
「……。だから俺達は、君のように『特別な力』を備えた人間を一人でも多く必要としている。奴らから一人でも多くを守る為の力が」
「……、俺の、ように……?」
部屋に沈黙が広がった。稲葉は視線を一度も逸らさず、言葉以外にも何かを伝えようとしているようで、宗助をじっと見据えている。
「君は間違いなく特別な力を持っている。そしてそれは鍛えれば、奴らに対抗しうるものだ。その力を俺たちに、機械兵と戦う為に貸して欲しい。それが、君が今ここで俺の前にいる一番の理由だ」
「特別な力……って、言われても」
「回りくどく言っても仕方ないし、大事なことだから単刀直入に言う。生方宗助君。君には俺達の部隊に入隊してもらう」
宗助が先程目覚めてから今まで、薄々感じていたことがある。彼らが言う「新入り」とは一体誰の事なのか。何故わざわざ特殊部隊の隊長が自分の前に出向いてきたのか。何故自分に重要な秘密の話をするのか。
それは全て、こういう事だったのだと。
(「入隊してもらう」って、俺に選択肢は無いのかよ……。俺は、普通の大学生なのに。何の訓練も受けていないただの学生だ……。いきなりそんな事言われたって……「はい、では皆さんと一緒に一所懸命頑張ります!」だなんて、言えるわけないだろ……!)
納得できるはずはなく、宗助は腹に力を込めて稲葉の目を睨み返し、抵抗を試みる。
「入隊してもらうって……なんですか。そこに、俺の意思みたいな物はないんですか……?」
疲弊しきった声色で話す宗助を、岬が気の毒そうな顔で見つめている。
(あぁ、同情してくれるなら、俺の味方をしてくれないものだろうか)
助け舟を求めて、彼女にそんな淡い期待を寄せた。だがしかし。
「無い」
一刀両断なその言葉を聞いた瞬間に宗助はガクッと首を垂れ「あんまりだ……」と弱々しく呟き、続けて「理不尽だ」と言った。言葉がこぼれた、と言ったほうが正しいかもしれない。
「俺達がこんな話を君に話すのは大切な理由がある。続きを聞いてほしい」
「……理由?」
「そうそう。ちゃんと理由があるから、理不尽なんて言わずにそこも聴いてくれ」
ぐったりとしている宗助を元気付けるためなのか、それともそれが彼の普通のテンションなのか、今まで黙っていた不破が明るいテンションで宗助に話しかける。稲葉は話を続ける。
「『空気を生み出して操る能力』、その類の特殊な能力を持っているのは君だけじゃあない。このスワロウの特殊能力部隊に所属している者は、みんなそれぞれ能力を持っている。それに、民間にまだまだ我々が把握しきれていない、能力を持つ人々がいる事が予測される」
宗助はその説明を受けて考える。
(この稲葉さんや不破という男、あの一文字って奴も、瀬間さんもそうなのだろうか。そうだとするなら今、彼らはどんな経緯でここにいるんだろうか)
そんな疑問が、ぱっと浮かんだ。それぞれの生活や人生があったはずだ。
「皆さんはそれで納得しているんですか……? 普通に、自分の人生で目標とか、やりたい事とかあるんじゃ……」
「言いたいことは分かるが、納得する・しないの問題じゃあねぇんだよな」
深く重たく考える宗助とは対照的に、不破が軽い口調で語る。
「力ってのは使い方次第でどうとでも転がる。例えば自動車は便利だが、その気になれば人間なんて簡単に殺せてしまう。俺達の持つ能力もそうだ。使い方を間違えたら周りに危害を及ぼして、最後には自分自身まで不幸にしてしまう。だからここで正しい心の持ち方と、力のコントロールを学ぶ必要がある。車に例えたが、運転免許を取得するようなもんだな」
「不破の言った通りだ。話を聞く限りあのマシンヘッドを仕留めたのは君の目覚めかけた能力だが……あれを『君の力』と呼ぶには、まだまだ不安定だと思う。今回はその力が敵に向かったから良かったが、空気の刃がもし数センチずれていたら、君の手で妹さんを殺していたかもしれないのではないだろうか」
言われて、宗助は少しぞっとした。
「君が誰かを傷つける前に、君を助けてあげたいんだ」
彼らの言っている事がようやく理解できつつあった。だが、まだ到底納得がいかない。
(人生って、こんな簡単に一八◯度方向転換するものなのか)
稲葉は、この事は家族にさえ秘密にしろと、その上特殊部隊に入れとも言った。大学に入学したばかり。仮にここでその力の使い方を学ぶとしても、家族に何と言えばいいというのか。
「繰り返すが、俺達は君の味方だ。悪いようにしようだなんて全く考えていない。人間ドッグで気になる部分が見つかれば、前もって対策を打つだろう? 俺達の能力は病気って訳じゃないけどよ、前向きに捉えてくれよ」
不破は努めて明るく語りかけるが、宗助は俯いたまま動かない。というより動けない。
数十秒の沈黙。
ようやく足が動き、ベッドからゆっくりと降ろされ、揃えて置いてあった彼のスニーカーに着地する。岬が心配そうな表情で宗助の顔を覗くが、前髪で表情は隠れ伺えなかった。
次に彼から放たれた低い声だけが、その意図を言葉で周囲に伝えた。
「……すみません」
「うん?」
「父も心配していると思うので、今日は自宅に帰していただいても、構わないでしょうか」
「……あぁ、許可しよう。自宅まで送らせるよ。岬、出口に案内してやってくれ」
「あっ、え、はい。わかりました」
指名された岬は慌てて立ち上がると、パタパタと小走りでベッドサイドを離れ、宗助の手荷物を持ってすぐ帰ってきた。
「はい、どうぞ」
「あぁ、……どうも」
靴を履き終えた宗助は荷物を受け取ると、「こっちだよ」と先導する岬の後ろについて、部屋の出口へと歩いていった。宗助と岬が扉の前に立つと、シャッと勢いよく自動ドアが開く。そこから一歩、扉の外に足を運ぼうとしたその時。
「生方君」
今日だけで何度呼ばれたかわからないその自分の名前が聞こえて、宗助はぴたりと立ち止まる。
「三日後に君の元へ迎えが行く。それまでに身辺の準備と……心構えをしっかりしておいてくれ」
「……」
返す言葉が出てこなかった。どうすれば自分の人生は守られるのだろうと、ただそれだけを思っていた。このまま得体の知れぬ機械兵との戦いに巻き込まれていくのだろうかと。岬が隣から不安げな視線を横顔に向けている。『わかりました』とも『無理です』とも答えず、無言で外に出て行った。




