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第四章 初めてのデート?

「おい、おい」

 勇気は四限目終わりのチャイムが鳴り、昼休みになると、後ろの席で腕を枕にして寝ている鈴の肩をゆすっていた。

 目的は今日の朝、まだ夜と呼べる時間に送った通り、弁当をもらうためだ。

「やっとおき・・・・・・」

 むくりと起き上がった鈴の顔を見て、勇気は思わず言葉を飲み込んでしまった。

 見たこともないつらそうな顔だった。

 頬には涙の痕が付き、目は赤く充血している。

「なに?」

 声にも覇気はなく、あと少しで聞き逃しそうなぐらい小さなものだった。

「・・・・・・なんか、あったのか?」

「なにもないよ」

 鈴は目元を腕でゴシゴシと拭うが、涙の痕はそう簡単には消えない。

「顔洗ってこい。弁当はそのあとでいいから」

 こんな涙まみれの状態の人間に弁当をもらうのはあまりいい気分がしない。

「うん・・・・・・あ。ごめん」

「どうした」

「弁当忘れちゃった」

 笑ってごまかそうとしているようだが、どこかぎこちない。

「くそが」

「ごめん」

 勇気は頭をかきながらため息をつく。

 なんだか、さっきから周りの視線が少し痛い。

 これは泣かせた、とでも思われているのだろうか。

「俺は屋上に行くから、何か適当に買ってきてくれ。その前にちゃんと顔洗ってこい」

 勇気は財布から千円札を取り出し、鈴の机に置く。

「え、あ、ちょっと!」

 戸惑う鈴をよそに、勇気は一人先に屋上へと向かった。

 遅れて屋上にやってきた鈴は両手いっぱいにパンを抱きかかえ、その頂点にはイチゴ牛乳と、飲むヨーグルトが君臨していた。

 パンの量は決して多くはないのだが、小さい鈴が持つとそれだけで大変そうにも見える。

 勇気がパンを半分ぐらい受け取り、地面に置くのを手伝うと鈴は照れくさそうに「ありがと」とつぶやいた。

 勇気の言った通りちゃんと顔を洗ったのか、鈴のその顔はいつもの可愛い顔に戻っていた。

「君はどっち飲む? あたしとしてはイチゴ牛乳が飲みたいけど」

「じゃあイチゴ牛乳でももらうか」

「はい。って! あたしが飲みたいって言ったのにイチゴ牛乳って言うとこなの!?」

 鈴がそういったときには既に勇気はストローを差し、チューと吸い込んでいた。

「ああー」

 これで涙目になるんだったら最初から聞くなよ、と勇気は思ったが、今更渡そうにも渡せない。

「もういいよ。パンはあたしから選ぶからね」

 どれにしよーかな、と楽しそうにパンを手に取っている鈴を見ながら勇気は昨日の夜、鈴にメールを送る少し前のことを思い出していた。






「レッドベルを殺せ、だと?」

「ああ。さっきも放した通り、ここ最近我らの組織の『適合者』が次々と襲われ、『中枢』を破壊されている」

 菊次郎が捜査した画面に映し出されたのは五人の人間。

 一人は彩の写真で、残りの四人はあまり話をしたことはないが、確かに『ネサリス』に所属するメンバーの一員だ。

「こいつら全員がやられたのか?」

「その通りだね。そこで私の方から、『ネサリス』最強の君に頼みたい。やつを殺してくれ」

「・・・・・・」

「もし君が断るのなら他の者に当たらせよう。まあ、返り討ちにあう可能性はかなり高いがね」

「少し考えさせてくれ」

 菊次郎は頷き、飾ってあるカレンダーの二日後、日曜日を指さす。

「日曜日。その日にダミーの依頼を『ウロボロス』送ってある。おそらくやつらは君を殺すためにレッドベルを使ってくるだろう。レッドベルの素性は不明。推定年齢はおそらくは君と同じ十六ぐらいだろう」

 勇気はそこで首を傾げる。

「十六? 俺が見たときは中学生ぐらいの身長しかなかったぞ」

「彼女の髪は赤いからね。おそらくは『適合者』の影響で成長が通常よりも遅れている可能性のだろう。稀にあるケースだから、私は十六ぐらいだと推定している」

 確かにそういった話はたまに聞く。

 勇気はレッドベルの姿を思いだし、対策を練っていく。

「では、期待しているよ」

「ああ」

 いつの間にか勇気はレッドベルと戦うことを考えていた。



 鈴が選んだのはイチゴジャムパンと、クリームパン。

 相変わらず子供っぽいな、と勇気は思いながら焼きそばパンを頬張る。

 イチゴジャムを頬に付けた鈴はそれには気づかず、飲むヨーグルトでのどを潤していく。

 ストローを口から離すと手の甲で口をごしごしと拭き、食べ終えたイチゴジャムパンの袋を飲むヨーグルトの下敷きにしてクリームパンに手を伸ばす。

「ジャムついてるぞ」

「ふぇ? わっ!」

 勇気に頬を指さされ、鈴は自分の頬についていたジャムを慌てて指ですくうとペロッと小さな舌で舐めとった。

 クリームパンを手に取ると鈴は袋から取り出す。

「なあ」

「なに?」

「なんでお前、今日あんなつらそうな顔してたんだ?」

「・・・・・・」

 鈴は一瞬手の動きを止め、何事もなかった風にパクッとかぶりつく。

 ゴクンと飲み込むと鈴はクリームパンを袋の中に戻し、膝の上に置いた。

「絶交したの。違うかな。あたしから一方的にもう友達じゃない、って由美に」

 鈴はグラウンドに視線を落とし、少し目を大きく見開いた。

 由美がいなかった。

 陸上部は練習しているし、そこには由美以外の一年生も全員揃っている。

(もしかして、あたしがあんなメール送ったせい?)

 そう思ったのは一瞬だけで、鈴はすぐに違うと思った。

 由美は友達が多い。

(あたし一人友達じゃなくなっても、些細なことだよね)

 グラウンドをじっと見つめる鈴の隣に勇気は近づき、ポケットからハンカチを取り出し鈴の目元を拭う。

「泣くんだったら先に言えよ」

「泣いてない。泣いてないよ」

 そうはいっているが、鈴の目からは涙が流れ、顎を伝ってぽたぽたと制服を濡らしている。

 勇気は苦笑しながらもう一度鈴の両目をハンカチで拭い、鈴はくすぐったそうに肩を揺らした。

 ハンカチを受けとった鈴は涙を拭きながら勇気に聞く。

「ね、変なこと聞くけど、君はあたしが死んだらどう思う?」

「お前が死んだら、か。正直あんまそういうことは考えたくないけど、いい気分はしない」

 勇気は一度言葉を区切り、少し驚いた表情をしている鈴の頭に手をのせる。

「一緒に飯食ったり、食いに行ったりしたんだ。だから、お前にはあんまり死んでほしくない・・・・・・殺させもしない」

 最後の部分は小さく言ったためか、どうやら鈴の耳には届かなかった様だ。

「・・・・・・」

 鈴は口元に手を当て、ぼそぼそとつぶやく。

「・・・・・・その言い方、ちょっとせこいよ」

 そして、

「この人とも離れないと」

「なんか言ったか?」

「ううん」

 鈴は首を振り、今更ながら恥ずかしそうに少し顔をうつむかせる。

「子供じゃないよ」

 そういった鈴に勇気は僅かに笑みを漏らし、鈴の頭をやさしくなで始めた。

「俺にとってお前はまだ子供みたいなもんだ。小さいし」

「小さいって言わないでよ。気にしてるんだから」

 あはは、と笑う鈴の笑顔はどこか苦しそうだが、楽しそうだった。

「鈴っ!」

「由美?」

 バンッとあけ放たれたドアからは息を切らし、肩で息をしている由美が膝に手をついていた。

「こ、このメールどういうこと!?」

 由美が突き出した携帯の画面に映っているのは昨日鈴が泣きながら送った別れのメール。

 それを見ると勇気は鈴の頭から手をどけ、鈴は口を堅く閉ざし、顔を赤い髪で隠すようにうつむく。

「・・・・・・」

「鈴、教えて」

 携帯をポケットにしまった由美はうつむいている鈴の肩をゆする。

「べつ・・・・・・い・・・・・・ん」

「ん?」

「別にいいじゃん」

 首を傾げた由美の手を鈴は払い、叫ぶように声を荒げる。

「別にいいじゃん! 由美友達多いんだから、あたしぐらい友達じゃなくなっても!」

 パァン。

「え?」

 由美の手のひらが鈴の頬を叩いた。

 叩かれた鈴は赤くなった頬に手を当て、驚きの声をあげる。

「ばかっ!」

 反対側の頬を叩いた由美の手にはほとんど力が込められておらず、鈴の頬に手を当てて止まっていた。

「なんで」

 戸惑いの声をあげたのは鈴の方だ。

「なんで、由美が泣いてるの?」

 わからない。

(あたし、間違ったこと言ったの?)

 鈴は戸惑い、勇気に助けを求めるように視線を向けるが、顔をそらされて無視された。

「鈴は私の大切なお友達って言ったはずでしょ? そんな風に言われたら、とてもつらいんだよ。それとも、鈴は私のこと嫌い?」

 ぶんぶんと鈴は首を振る。

「じゃあ、好き? 私は鈴のこと好きだよ? もちろん友達として」

「あ、あたしも・・・・・・由美のことは好きだよ。でも」

 由美は涙を制服で拭き取り、鈴の手を両手でそっと包み込む。

「つらいことがあったらさ、私に相談しなよ。そんな風に一人で抱えてたらさ、お友達の私もつらいのですよ。これが」

 ニコッと笑ってくれる由美に鈴は心の中で謝る。

 これは相談できる問題ではないのだ。

 だから、鈴は由美に笑い返すことしかできなかった。

「お前部活いいのか?」

「うう。大丈夫じゃない」

 由美は鈴の手から手を離し、がっくりと肩を落とす。

「あなたは鈴のお友達?」

「いや、ちがう」

 即答だ。

「じゃあ、彼氏?」

「それも違う」

 平然と反対する勇気に対し、鈴は顔を赤くして恥ずかしそうにうつむいた。

「じゃあ好きとか?」

「ふぇっ!?」

「バカか」

 真に受け、明らかに動揺している鈴に変わり勇気は由美の頭に手刀を落とした。

 いたた、と由美はわざとらしく両手で頭を抱える。

「お前も真に受けるな。別に好きじゃない」

「・・・・・・そういわれるのはなんかつらいかも」

「あなたはもうちょっと言葉選びなよ」

 由美は勇気を睨む。

 睨まれた勇気はため息をつき、少し言葉を訂正することにした。

 睨まれるのはあまり好きではない。

「お前のことを好きじゃないのは事実だ」

「うう。二回も言わなくていいのに」

「けど、嫌いでもない」

「・・・・・・それが聞けたからアタシはちょっとうれしいよ」

 嬉しそうに微笑む鈴に、勇気は思わず口元を緩めてしまっていた。

 その様子をそばで見ていた由美は面白そうにニヤニヤと笑い、パンッと勇気の背中を叩いた。

「鈴のことよろしくお願いね。私はクラブとかあるからいつでも会うことはできないから、あなたに鈴を任せようかなと思ってね」

「任される気はさらさらないっての」

「そ、そうだよ! あたしそんな子供じゃないし」

 不満げに鈴は頬を膨らませ、いつの間にか膝の上から転がり落ちていた袋に入っているクリームパンを拾い上げ、パクッと小さくかみついた。

 グーと言う音に由美を見ると、頬をわずかに赤く染めて恥ずかしそうに両手でお腹を押さえていた。

「由美も食べる?」

 鈴はクリームパンを半分に千切り、悩んだ末に大きい方を由美に差し出した。

 その好意を由美はありがたく受け取ることにしたが、大きな方ではなく由美は差し出されなかった小さな方を手に取った。

 首を傾げる鈴に由美はからかうように、

「鈴は栄養多くとらないとね。いつまでたってもちっちゃいまんまだよ?」

「そ、そのうち大きくなるよ!」

「そういや、鈴制服も大きくなるように、って願いながら大きいの買ったんだっけ?」

「そ、それ秘密にしててって言ったのに・・・・・・」

 秘密をばらされたのが嫌だったのか、鈴はポカポカとパンを持っていない手で由美の肩を軽くたたく。

 目に涙を浮かばせた鈴は勇気に向き直り、自分の唇に人差し指を当てる。

「君も誰にも言わないでよね。恥ずかしいから」

「いうも何も、言う相手がいないっての」

「いるじゃん。彩ちゃんとか」

「あいつとは別によく合うわけでもないし、あんまり話もしない」

 よくよく考えれば、『適合者』に関係すること以外をほとんど話していないような気もする。

 別に仲良くなりたいわけではないのだから、それはそれでちょうどいい距離なのだろう。

 なら、鈴のことをどう思っているのだろうか。

 勇気は少し考えてみる。

 さっき由美にからかわれたように別に好き、というわけでは当然ない。

 けど不思議と嫌いでもない。

 仲良くなりたい?

 否定は、できなかった。

 仲良くなることで伴う危険性は十分理解できているのだが、今もこうして一緒に会話することを楽しみ、これからもこれが続いて欲しいと願っている。

(レッドベル)

 唐突に思い出した日曜日の特殊任務。

 負けるつもりではないが、技術では向こうが上なのは変わらない。

 もしかしたら『中枢』を破壊、もしくは殺される可能性だってある。

 いや、今回は他の『適合者』達とは違い、確実に殺しに来るだろう。

 長年の勘がそう告げていた。

 ならもしレッドベルに殺されたらどうなるだろう。

 妹の優がさらに自分を攻めたてるだろうが、その時は菊次郎に記憶操作をしてもらって黒鈴 勇気という人間の存在を完全に抹消してもらう。

「そっか」

 何に安心したのか、ホッとしている鈴を見て勇気は考える。

 目の前のこの少女は、自分が死んだらどう思うだろう。

 ・・・・・・悲しんでくれるのだろうか。

「お前は、」

「ん?」

 頬に付けたクリームを由美にティッシュで拭かれながら、鈴は視線で勇気を見る。

「お前は、俺が死んだらどう思う?」

「嫌な質問だよ」

 鈴は残っていたクリームパンを全部食べ終え、口周りをハンカチで拭くと体ごと勇気に向かい直る。

「嫌、だよ。友達じゃないけど、知ってる人が死ぬのはつらいし、さっき君が言ったみたいに一緒にご飯も食べてる人が死んじゃうのは特に」

 勇気は微笑すると目を瞑る。

 どうやら死んでは悲しむ人がいるようだ。

 そのことがわかるとどこか嬉しく、そして、

(絶対に死ねないな。レッドベルを殺してでも、俺は生き残るしかないか。優のためにも、こいつのためにも。何より、自分のためにも、な)

 勇気はレッドベルを倒す気でいた。

 レッドベルの正体が誰かを知らずに。



 鈴は勇気と由美を交互に身ながら少し考える。

(なんか、あたしすっかり目的忘れちゃってるね)

 本当は由美とはあのメールで完全に縁を切り、ブラックベルと次戦うことになれば死ぬ予定だった。

 そうすればもう何かで苦しむことはないし、由美とも縁を切ってるのだから『ウロボロス』も無関係な人間を殺さないだろうし、悲しむ人も誰もいない。そう思っていた。

 だけど由美とはこうして今でも仲良くお話をしているし、さっき聞いたら勇気もいい気分はしないと言ってくれた。

 どうやら死ぬわけにはいかないらしい。

(うん。あたしはブラックベルを倒す。そして、『ウロボロス』もあたしがこの手で潰す)

 どこに本部があるのかなんてわからないが、多少時間はかかっても本気になって調べれば探し出せないことはないはずだ。

 当然『ウロボロス』を完全につぶせなければ、由美たちにも被害が及ぶ。

 だけど『ウロボロス』がつぶれれば鈴は晴れて自由の身となり、知らないうちに人質になっている由美、これから人質になる可能性がある勇気の身の安全も保障される。

 鈴はブラックベルを倒す気でいた。

 ブラックベルの正体が誰かを知らずに。



 昼休みが終わり、教室に戻ると鈴は腕を枕にしてまた眠り始めた。

 今度は泣き顔やつらそうな顔を見せないようにしようとしているのではなく、純粋に眠りたかったからだ。

 今まではほとんど眠気を忘れていたが、少し安心したのと、昼ご飯を食べたことで急激に眠気が襲って来た。

 結局予想通り『ウロボロス』からメールは来ず、学校に行こうと靴を履いたときに朝電話がかかってきたのだ。

 要件は簡単だ。

『日曜に依頼が入った。おそらくブラックベルも来るはずだ。その時にやつを確実に殺せ。今度失敗すればどうなるかわかっているな?』

 日曜日。今日は金曜日だから、土曜日を挟んだ二日後だ。

 これが最後の辛抱だ。

 この任務が終われば全力で『ウロボロス』の本部を探し出し、完全に叩き潰す。

 ブラックベルに負ける可能性など、鈴は全く考えていなかった。

 狙撃戦においては確実に向こうよりも長い距離で当てられるし、連射速度も速い。

 鈴は夢の中、死がかかわる世界から抜け出した夢を見ていた。

 由美と同じ陸上部に入り、毎日のように一緒に過ごせる。

 そして友達も少しずつ増え、時間が空いたときは勇気と遊びにったり、ご飯を食べたり。

 もしかしたらこんなに楽しい夢は初めて見たかもしれない。

 けど、もうじきこの夢が現実のものとなる。

 鈴はそう信じていた。

 これからの人生は、楽しいものになると。






「似合う、かな」

 試着室から出てきた鈴はその場で一回りし、恥ずかしそうに頬を赤く染めたまま照れくさそうにえへへ、と笑う。

「まあいいんじゃないか?」

「もう。ちゃんと返事してよね。君のことだから最初からあんまり期待してなかったけど」

 鈴はため息をつき、試着室に戻っていく。

 試着室の前で一人待たされている勇気は中でゴソゴソと着替えている鈴に声をかける。

「こんなことで気休めになるのか?」

「の、覗かないで!」

「覗いてないっての」

 確かに鈴の白い肌は全部見てみたいという気持ちはあるが、無理やり見るのはかわいそうだ。

 勇気はなんとなく鈴に背中を向けた。

「なるよ。結構楽しいから。それに、夢が叶ってるみたいで」

「そうかよ」

 勇気は携帯を開いた。

 今朝起きるとこんなメールが届いていた。

『今日、どこかに遊びに行かない?』

 最初は怪訝に思い、断ろうかと思ったが次に書かれていた文章で心が少し変わった。

『あたしね、バイトやってるの。明日の日曜日にちょっと大変な仕事頼まれちゃって、結構不安なの。今日は予定ないし、家では一人だから余計に不安になっちゃって』

 どんなバイトをしているのかはまだ聞いてはいないが、聞いてはいけない話な気がした。

 けど、この提案は案外勇気にとっても悪いものではなかった。

 正直、勇気も少し不安だった。

 家では優も友達とどこかに遊びに行っているし、どこかに行く予定もなかった。

 もしかしたら、勇気の方が誰かと一緒に居たかったのかもしれない。

「これはどう、かな」

 試着室のカーテンが開き出てきた鈴に、勇気は目を見開いた。

 その目は一瞬で鈴にくぎ付けになり、思わず見とれてしまう。

 鈴が着ていたのは黒いワンピースだ。

 肩部分は露出し、白い肌がワンピースの黒い色でさらに強調される。

 フリルのついているスカートはいつものように膝丈もないぐらいに短く、恥ずかしそうに太ももとこすり合わせてギュっと抑えている。

 赤く上気している鈴の頬が色気っぽく、いつの間にか勇気は目をはなせないでいた。

「・・・・・・可愛い」

「ふぇっ!?」

「あ、い、いや。今のは違う」

 勇気は慌てて口を手で押さえるが、鈴は耳まで真っ赤にして試着室のカーテンを閉めてその身を隠してしまった。

 無意識のうちに可愛いと言ってしまっていた。

 自分の顔が熱くなるのを勇気は少し意識し、鈴の消えていったカーテンを見つめる。

 もう少し見ていたかった。

 そう思っているとカーテンが少しだけ開き、鈴が顔だけをのぞかせる。

「さっきの、ほんと?」

「さ、さっきのって何だ」

「か、可愛いってこと」

「・・・・・・」

 勇気は顔をそらし、口を閉ざす。

 可愛いのは事実だが、もう一度口に出すのはさすがに恥ずかしい。

「まあいいんじゃないか?」

「それはもういいよ。はぁ。可愛いって言ってもらったときは嬉しかったのにな」

 ため息をつき、鈴はカーテンから手を離してその身を勇気の前に出した。

 さっきのように見とれるようなことはなかったが、相変わらずの可愛さだ。

「買うやつはそれで決まりか?」

「そうしようかなって思ってるけど、まだ着たいのあるからそれ着てからにするね。いいよね?」

「ああ」

 頷くと鈴は嬉しそうに顔をほころばせ、カーテンをピッタリと閉めてまた着替え始めた。

 鈴のファッションショーは見ていて楽しいから、勇気としても何も文句はなかった。

 この店に来た目的は、鈴が服を買いたいと言ったからだ。

 鈴は服を自分で買うつもりでいるのだろうが、勇気はその金は自分で出そうかと少し考えていた。

(最初で最後のプレゼントにならないといいけどな)

 不安なのだ。

 明日のレッドベルとの戦いでは死ぬ可能性が十分にある。

 推測するに、レッドベルの得意武器はスナイパーライフルだ。

 その技量は確実に勇気よりも上で、狙撃戦になればかなり厳しい。

 近づいてそのスナイパーライフルを使えなくしようにも、その近づくということが不可能に思える。

 勇気もハンドガンの扱いが特別うまいわけではないが、スナイパーをあそこまで極めているレッドベルがそれ以外の武器をまともに使えるわけがない、と勇気は推測している。

(問題は近づくことができないだけど、何とか乗り切るしかないか)

 だが、いくら作戦を練ろうと確実に勝てる道が見つからない。

 むしろ、勝てる道をいまだに殆ど見つけられていないのが現状だ。

「勝つしかないんだよな」

 負ければ、もう二度と鈴の黒いワンピース姿を見ることができなくなってしまう。

 それはあまりいいことではない。



 それから服の買い物は三十分ほどで終わり、ご機嫌そうにスキップを踏みながら歩いている鈴の両手には紙袋がぶら下がっていた。

 一つは水色のキャミソール。そしてもう一つは勇気が唯一可愛いと言った黒いワンピースだ。

「本当にありがとね」

 その笑みは本当に嬉しそうで、勇気は思わずにやけてしまう。

 鈴は黒いワンピースを買うことを選択し、勇気が金を出すというと最初は遠慮していたが押しに負けて、黒いワンピースは勇気に買ってもらうことにし、もう一つ気に行った水色のキャミソールは自分で買うことにしたのだ。

「でも、君がおごってくれるなんてなんか意外だね」

「意外で悪いな」

「ううん。あたしはとっても嬉しいよ。一番嬉しかったのは君が可愛いって言ってくれた時だけどね」

「あ、あれは忘れろ。ただの失言だ」

 言い換えれば黒歴史の一つだ。

「ん。忘れないけど、また今度君の口からそういってくれるのを期待してるね」

「無駄な期待だ。絶対に言わないからな」

「それよりお腹空いたね」

 鈴にそういわれ、勇気は携帯で時間を確認する。

 もうすぐで一時に差し掛かろうとしていた。

 予定より服の買い物が長引いたため、昼ご飯をいまだに食べられずにいる。

「そうだな。適当にどっかで喰うか」

「ハンバーガーがいいな」

 その発言に勇気は思わず吹き出しそうになった。

 可愛い服に興味はあっても、鈴はやはりどこまでも子供っぽい。



 それからの時間は鈴にとって、明日ブラックベルと戦うことなど忘れるぐらいに充実したものだった。

 初めてゲームセンターに足を運び、ユーフォ―キャッチャーで猫のぬいぐるみを手にいれたりもした。

「次どっか行きたい場所とかあるのか?」

「遊園地とか水族館とか動物園とか行きたいけど、ちょっと疲れちゃった」

 息を吐いた鈴の顔には、確かに疲れの色も浮かんでいた。

「じゃあ帰るか」

「そだね」

 楽しい時間とはどうしてこんなに早く過ぎるのかな、と鈴は由美と遊びに行ったとき以来考える機会がなかったことを考える。

 けど、家に帰ればまた一人の寂しい時間が待っている。

 もうちょっとだけ、一緒に居たい。

 そう思ったが、これ以上遊ぶのは明日に差し支えるからあきらめた。

 ブラックベルを倒し、『ウロボロス』を潰すことができれば、そんな時間はいくらでもあるのだから。

「家どこなんだ?」

「え?」

「お前の家だ。今から帰ると暗くなりそうだし、さすがに女一人夜道を歩かせるのもあれだからな」

「それって、送ってくれるってこと?」

「まあ、そうだ」

 照れくさそうに頬をかいている勇気に鈴は家の住所を教えた。



 電車に乗る時にはもうほとんど太陽が隠れ、輝く月が上り始めていた。

 本当なら満月を見たいところだった鈴だが、今日は三日月だ。

 電車から降りると、五分ほどの場所に鈴の住んでいるアパートはあった。

「でけえな。でも、ここって結構家賃高くなかったか?」

「んー、そこんとこは大丈夫。あたしのバイト先が出してくれてるから。まあ、その代り簡単にはやめられないし・・・・・・仕事も辛いんだけどね」

 鈴は顔を曇らせうつむき始める。

 勇気は鈴の発言に疑問を覚え、その疑問を晴らそうと鈴に聞いた。

「辛いのか? しんどいとかじゃなくて」

「うん」

「そうか・・・・・・なんだったら、俺もそこに行ってやろうか? たまに抜けるかもだけど、知り合いがいたら少しは気が楽になるだろ」

「や、やめて!」

 思わず大声を出してしまい、鈴は「ごめん」というと両手で口をふさいだ。

 そんなの、絶対に嫌だ。

「わるい。変なこと言ったな」

「ううん。君の気持ちは嬉しいんだけど、バイトの時のあたしは見られたくないから」

 『ウロボロス』に言えば、勇気にあの忌まわしい『吸血鬼』の血を投与して『適合者』にすることをためらいはしないだろう。

 だけどそんなことをすれば勇気の人生を狂わせてしまうかもしれないし、何よりも人を殺している姿なんて見せたくない。

 そんなところを見られれば絶対に嫌われる。

 昨日までならどうせ死ぬのだから嫌われようと思ったが、今は生きて『ウロボロス』をつぶして自由になろうとしているのだ。

 友達候補に嫌われるなどしたくはない。

「まあそうだな。けど、もし本当につらくなったら言ってくれ。俺にできる事だったら協力するから」

「・・・・・・なんか、君変わったね」

「変わった?」

 首を傾げた勇気に鈴は頷く。

「だって、前までは君よく悪口言ってきたのに、今日は聞いてないもん。やさしくしてくれたり、心配もしてくれてる」

「気のせいだろ」

「そっか。でも、あたしは今の君の方が好きだけどな」

「・・・・・・」

 えへへ、と笑う鈴に勇気は顔を隠すように背中を向けた。

 意味は違うが、女の子に好きと言われたことに顔を赤くしてしまった。

 鈴は背中を向けた勇気を不思議に思い、顔を覗こうとするがそのたびに勇気は顔を隠すように鈴に背中を向ける。

「もう家まで送ったことだし、俺は帰るぞ」

「あ、その前に君の名前教えてよ」

 今更なことを鈴は口にし、ポケットから携帯を取り出した。

 両手にある服の入った袋が少しだけ邪魔だ。

 さっきまでは勇気に持ってもらっていたのだが、ここが見えると鈴は返してもらった。

「名前ってか。今更だな」

「ホントだね。でも、君の名前知らないからアドレスも登録できないんだよ。あたしあだ名とかつけるの苦手だし」

 顔の熱が冷めた勇気は鈴の携帯を覗き込み、アドレスを登録する画面の名前の欄に書かれている文字に一瞬眉をひそめる。

『君』

 名前の欄にそう書かれていた。

「あ、これ仮でつけといたの。あたし君のこと『君』って呼んでるからね」

 ずい、っと携帯を押し付けられ、勇気は名前の欄に自分の名前を入力する。

「黒鈴 勇気。勇気君、だね。いい名前だね」

「そうか? じゃあ、お前の名前は何だ?」

「あたしはうーんと、携帯かして?」

 勇気が鈴に携帯を貸すと、勝手にメールアドレスを登録し始めた。

「何やってんだ」

 取り返しキャンセルボタンを押して消すと、鈴は悲痛の声をあげた。

「なんで消すの!」

「勝手に登録されそうになったら消すだろ普通」

「それはそうだろうけど、流れ的に登録してもいいじゃん」

 ぷくーと頬を膨らませる鈴にしょうがないな、と鈴に携帯を貸した。

 携帯を返してもらうと、そこには鈴の名前が記されたアドレスが登録されていた。

「赤鈴 鈴。これはりんって読むのか?」

「うん。りんだよ。あかすず りん」

「まあどっちでもいいか」

「結構重要だよ!?」

 自分の名前をどっちでもいいかと言われ、鈴は少しショックを受けた。

 自分の名前が好きというわけではないが、なんとなく嫌だったのだ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 それきり会話が途端に止まり、鈴は星を見ようと空を見上げた。

 相変わらず都会は町が明るかったり、空気が汚れているせいで星がほとんど見えない。

 まだ東京以外の場所に出たことがない鈴にとっては、どこかで夜空一面に輝く星を見るのはひそかな夢だ。

「君は星見たことある?」

「星は見えるだろ」

「ほんのちょっとじゃん!」

 夜空を見上げる勇気の脛を鈴は軽く蹴りを入れた。

 ほんのちょっとだけ、「今度見に行くか?」と言ってもらえるのを期待していた。

「あの―――」

 ―――もしよかったら、夏休み星見に行かない?

 そう言おうとしたとき、勇気の携帯がメール着信の音を鳴らした。

 そのメールを見た勇気はため息をつく。

「悪い。妹から遅いって言われた」

「だね。こんな遅い時間まで付き合わせちゃってごめんね」

「別にいいっての。俺も気分転換にはなったしな」

「そう言ってくれると嬉しいかも。ばいばい」

 背中を向けて手を軽く上げている勇気に鈴は手をあげて振ろうとしたが、服の入った袋に視界をふさがれてしまった。

 勇気の姿が見えなくなると高まっていた気分が一気に落ち込み、鈴はため息をつく。

「今日晩御飯なんにしようかな」

 不安はまだ残っている。

 いや、むしろ『ウロボロス』をつぶし損ねれば由美だけではなく、勇気の命すら危なくなる危険性が増えてしまったのだ。

(由美、勇気君。あたし明日ブラックベルを倒して『ウロボロス』を潰すね。二人を少しの間危険な目に合わせるかもだけど、許してくれるかな)

 たった一人で一つの組織に立ち向かう。

 はたしてそんなバカげた夢物語は成功するのだろうか。

 違う。

(成功させるしかない。何が何でも)

 その前にはまず、ブラックベルという一つの障害物を明日無事に乗り切って見せる。

 それが今の鈴の一番の目標であり、一番やりたくないことでもあった。






 日曜日の朝、勇気はガンマンガで準備をしていた。

 もちろんレッドベルと戦うための武器をだ。

 おそらくメインはスナイパーライフルによる打ち合いになるはず。

 技術面では劣っているが、近づき相手にスナイパーライフルを使いづらくさえすれば相手のスナイパーライフルは封じたも同然だ。

 そのあとは得意武器を失ったレッドベルを一方的に追い詰めることができる。

 それが勇気の考えた作戦だ。

 相変わらず近づくのが難しいということは変わらないが、根性で何とかするしかない。

「準備の方はどうかね?」

「スナイパーにハンドガン。どっちも問題はないな」

「ベレッタの方はどうかね?」

「一応持っていく。できれば使う機会がないといいんだけどな」

 今日の勇気は一枚の薄いパーカーを羽織っていた。

 チャックは上まで締め切らずに、半分ほどまでしかあげていない。

 勇気はハンドガンタイプの『魔血銃』をパーカーの内ポケットに入れ、落ちないように軽く固定すると、先日彩に見せたのと同じタイプの『ベレッタM92F』も、同じようにパーカーの内ポケットに入れてから落ちないように軽く固定する。

「それはそうと、最近の君はなんだか楽しそうだね。昔と少し変わったよ」

「べつに」

 適当に答えた時ポケットの中のメールの着信を知らせる音を鳴らした。

 差出人は鈴だ。

『頑張ってくるね』

『頑張って来い』

 声には出さずに勇気はそう返信した。

「彼女かい?」

「俺が作るとでも思うのか? 俺は友達も彼女も作る気はない」

 菊次郎は聞き飽きた勇気のその言葉にため息をついた。

「いつも言うようだけど、そろそろ一人ぐらい友達を作ってみてはどうかね。我々も可能な限りサポートはするつもりだよ。どこかの組織に君の正体がばれたとしても」

「別にいい。そんなことしても、前は結局殺されたじゃねえか」

 思い出し、勇気の肩には自然と力がこもる。

「だけど、その子とは友達になりたいんじゃないのかい? メールを返す時の君の表情は楽しそうだったけどね」

「友達になりたいっては確かに思ってる。けどダメなんだ。そんなことしたら、あいつの命が危険にさらされる」

 携帯を両手でぎゅっと握りしめ、勇気は鈴の笑顔を思い出す。

 あの笑顔を死という絶望で染めたくない。

 友達と友達ではない間。

 そんな微妙な関係でいればいい。

 ただのクラスメイトと答えられる関係ならば、もし正体をばれたとしても、勇気の精神にダメージを与えるために殺す可能性はあまり高くはならないはずだ。

 一番の理想は鈴から離れることなのだが、今のこの楽しい時間を手放したくないという矛盾も勇気の中には生じていた。

「考えるといいさ。君はまだ若い。そうすぐに決断できるようなことではないだろうしね」

 去っていく菊次郎の背中が消えるとチッと小さく舌打ちをした。

(確かに最近の俺は昔と変わってきている)

 それがわかっているからこそ、菊次郎の言葉はなんだかイライラした。

「さっさと終わらせるか」

 勇気はライフルの入ったバッグを肩に担ぎ、目的の場所へと足を運ぶことにした。






 屋上の風は相変わらず冷たく、パーカーの上からでも肌が少し冷える。

 フードをかぶり、仮面で顔を隠すと勇気はさっそく力を解放させた。

 黒かった瞳が赤く染まり、視野が一気に広まる。

 今回の任務として設定された場所の周りには、廃棄された建物がいくつか放置されている。

 勇気はあたりを見渡し、レッドベルの影がないかを確認する。

 いないか、と思ったとき400メートルほど離れたビルの遮蔽物に隠れているが、赤い髪の毛が風に吹かれて揺れているのが見えた。

 一瞬間抜けなミスだな、と思ったが、先に相手の位置を見つけられたのは好都合だ。

 勇気はライフルの銃口をその髪の毛に向け、少し遮蔽物の方にずらす。

 材質は何でできているが知らないが、『魔弾』ならば貫通することも可能だ。

 引き金を引いた瞬間遮蔽物が砕け散り、そのまま消滅することなく『魔弾』はレッドベルの頭めがけて飛来する。

 あと寸前で当たると言うところで人としてはあり得ない速度で体を捻り、『魔弾』を回避した。

 遮蔽物には風穴があいたが、レッドベルにはかすることもしなかった様だ。

 予想はしていたが、『適合者』同士の打ち合いはそう簡単には決着が尽きそうにない。

 レッドベルの全身を確認した勇気は僅かな疑問を頭に浮かべた。

 水色のキャミソールに、足をほとんどさらしている短いズボン。

 その服装には最近どこかで見たような記憶があったのだが、一体どこだっただろうか。

 続けて引き金を引こうとした勇気は驚きで目を見開いた。

 レッドベルはスナイパーライフルを持っていなかった。

 両手にはハンドガンタイプの『魔血銃』を握った二丁銃スタイル。

(あいつ、スナイプもハンドもできるのかよ!)

 計算違いだ。

 勇気は連続で引き金を引くが、レッドベルは両手の『魔血銃』を使いすべて撃ち落す。

 背中に嫌な汗が流れる。

 今の『魔弾』はすべて微妙な動きをくわえ、変則的な動きをさせていた。

 それなのにレッドベルは自分に当たらない『魔弾』は見逃し、当たる弾は自分も『魔弾』の動きを微妙に調整してすべて打ち消していた。

 そして何よりも驚くのがそれをハンドガンで成し遂げたということだ。

 ライフルで撃ちだした『魔弾』の威力は、普通ハンドガンで撃ちだした『魔弾』よりも威力が高い。

 込める魔力の量を少し多めにすればハンドガンでもライフルと同等の威力を出すことが可能だが、それでは制度が下がり、変則的な動きをする秒速1000メートル以上を出すスナイパーライフルの『魔弾』を撃ち落すのはかなり困難になる。

 まるで化け物だ。

 だが焦っている暇はない。

 勇気は続けて引き金を引き、それをレッドベルは打ち消していく。

 たまに威力をあげてレッドベルの『魔弾』を粉砕して当てようともしているが、そういった『魔弾』をレッドベルは撃たずにわずかに体を捻って回避している。

 けどこの距離を保っていればいずれは勝利できる。

 『魔弾』ならば普通の銃よりも打てる距離を延ばすことが可能だが、所詮ハンドガンはハンドガンだ。

 400メートルもの距離を飛ばすことは不可能。

 勝利の笑みを浮かべそうになった勇気の顔がこわばる。

 レッドベルは宙を舞い、別のビルの屋上に着地すると休む暇なく続けて別のビルに移り始めたのだ。

 その動きはどこか綺麗で、まるで宙を舞う蝶のようだ。

(まて、これやばいぞ)

 慌ててビルを移りながら近づいてくるレッドベルに発砲するが、さっきと同じようにすべて打ち消される。

 残り距離、約240メートル。

 まだハンドガンの射程圏外だが、このままではいつこのビルに来られるかわからない。

 しかし、勇気は少しの安堵も持て始めていた。

 どうやらレッドベルとて人間を超えた『適合者』であるのは変わらないようだが、化け物ではないらしい。

 近づくにつれレッドベルも撃ち漏らしが出てき始め、ついにキャミソールの一部を『魔弾』がかすめた。

 糸がほつれたことに怒ったのか、レッドベルは勇気に向けて発砲するが、半分の距離も進むことなく消滅する。

 気に入ってる服ならこんな所に着てこなければいいのに、と勇気は思ったが、ここは戦場だ。

 同情してやる義理は一つもない。

 レッドベルの近づいてくる速度はだんだんと減速しているが、まだその体には傷一つついていない。

 その距離約130メートル。

 レッドベルが不利になっているように、勇気も次第に不利になり始めていた。

 『魔弾』のコントロールが難しい。

 この距離だと引き金を引いた瞬間にレッドベルの射程圏内に入ってしまい、『魔弾』をコントロールする間もなく打ち消されてしまう。

 ただ単に真っすぐ飛ぶだけの『魔弾』など、レッドベルにとってすればただの的だ。

 勇気は連続で引き金を引き、銃口から飛び出した瞬間から『魔弾』をコントロールする。

 二発はその段階でレッドベルから外れたが、残りの三発は回るようにしてレッドベルへと襲い掛かる。

「ッ!」

 レッドベルは引き金を三回引き、『魔弾』には命中させた。

 二発は打ち消すことには成功したものの、最後の一発は威力が足りなかったのか打ち消せず、レッドベルの左足をかすめ、血を流れさせた。

 ガクッとその場に膝をついたレッドベルに、連続で十発の『魔弾』を襲わせる。

 さっきのテスト発砲でこの距離での『魔弾』の要領は大体つかめた。

 初めてレッドベルに焦りの色が見え、連続で引き金を引いているが焦って撃ったためにかほとんどが外れ、当たったものもほとんどが打ち消せずに終わった。

 血があふれた。

 レッドベルに命中した『魔弾』は合計二発。

 一発が左腕を貫き、もう一発は仮面に当たり、その一部分を砕けさせた。

 見えた顔の部分は口の左半分のみ。

 当たらなかった『魔弾』はもともと当たらない軌道にあったものから、軌道をそらされたもの。そして、最後の抵抗とばかりにレッドベルが回避したことで避けられた。

 強いうえにタフだ。

 左腕を撃たれて腕はだらんと垂れ下がってはいるものの、その手にはしっかりと銃が握られ、離す様子はない。

 今のでは仕留められなかったが、今のままでいけば勝てる。

 そう思っていた時、

 ピキッ

 『魔血銃』にひびが入り、広がるようにそのひびは『魔血銃』全体に広がり、次に引き金を引く間もなく砕け散った。

 どうやら十発連続で『魔弾』を撃ったことが、相当な負荷になったようだ。

 すぐに接近してくるかと思ったが、レッドベルはまず仮面の被害を手探りで探り、口元が少し砕けているだけだと知ると、安心したかのように安堵の息をついていた。

 勇気はスナイパーライフルを失い、レッドベルは左腕をおそらくもう使えないだろう。

 勇気は懐からハンドガンタイプの『魔血銃』を引き抜く。

 これでお互いに使える武器は右手に握られたハンドガンのみのはずだ。






 家を出る前、鈴はタンスの前でハンガーに服を通していた。

 今一番のお気に入りの服で、一番大切な黒いワンピース。

 つい鼻歌を歌い、その服が男の子からもらったものだと思うと、嬉しさと少しの恥ずかしさで身をくねくねとよじる。

 初めてもらった勇気君からのプレゼント。

 そう思うと胸のあたりがキュンとなり、何か温かいもので包まれていく。

 この服を今すぐにもう一度着てみたい。

 けど、これからブラックベルと戦うのだ。

 何が起きるかわからない以上、そんな場所にこの服を着て行って破れでもしたら一大事だ。

 その代りに今の鈴は昨日買った水色のキャミソールと、丈の短いズボンをはいていた。

 ズボンは短すぎて太ももから下があらわになっていて少し恥ずかしいが、この格好が一番似合っていると鈴は思っている。

 このキャミソールは勇気に可愛いと言ってもらえはしなかったが、黒いワンピースの次に反応が良かったのは確かだ。

「い、今思ったら、勇気君のことばっか考えてるよ。あたし」

 なんでなのかはわからなかったが、なんだか少し恥ずかしい。

 ハンガーにかけ終え、タンスに収納すると携帯がメールの着信を知らせる。

「・・・・・・」

 『ウロボロス』からだ。

 メールを開き、鈴は目を見開いた。

『残念なことに、どうやら君のスナイパーライフル型の『魔血銃』は一部が破損していた。これ以上の使用は不可能と判断し、今回は二丁のハンドガンタイプで行くように』

 メールを閉じ、鈴はベッドに腰掛ける。

 そろそろあのライフルも壊れるとは思っていたが、まさかこんなタイミングで壊れるとは予想外だ。

 これはちょっと困った。

 鈴の一番の得意武器はスナイパーライフルだ。

「まあしょうがないか」

 けど、それと同じぐらいにハンドガンも使える。

 相手がスナイパーライフルを使うと考えると少し分が悪いが、ブラックベルの実力はある程度はある程度知っている。

 連射をされれば腕の一本ぐらい使えなくなるかもしれないが、あれは銃本体にかなりの負荷がかかる。

 鈴はこの時から予想していた。

 ブラックベルとの戦いは、途中から腕一本のハンドガンタイプの『魔血銃』同士での打ち合いになるだろうと。

 だがそれは少しの時間だけで、途中からは自分が圧倒的に有利になるとも予想していた。

 鈴は台所でコップに水をくむと、一粒の錠剤をのみ込んだ。






 相手との距離約50メートル。

 少しずつだが、勇気は確実に押され始めていた。

 レッドベルは二本の腕を使い始めたのだ。

 チラッと見ると、レッドベルの腕はまだ完全には傷がふさがっていないが、ほとんどふさがりかかっている。

 早い。

 回復速度が圧倒的に早い。

 よくよく見れば、最初に付けた太ももの傷は完全に塞がっている。

 『適合者』の回復力はもともと常軌を逸しているが、あの回復力は異常だ。

 勇気は自分の体に目を落としため息をつく。

 既にいくつかの『魔弾』を食らい、その体は血を流している。

 このビルにも障害物となるものは存在するのだが、隠れるたびに高威力の『魔弾』によって貫かれてしまう。

 それに対してレッドベルの居るビルの障害物は、厚さがここのビルよりもあるのか、威力をあげてもハンドガンの火力では一撃では貫通しきれない。

 不利になりっぱなしだ。

 レッドベルもそのビルの障害物が守りに使えると知ったらしく、長いこと動いていない。

 勇気もどこか別のビルに移ろうかと考えたが、どこも似たようなものばかりだ。

 背中に悪寒を覚え、その場で地面に伏せると障害物を『魔弾』が貫通していった。

 ここにいるのは危険だ。

 かといってどこに移動すればいい。

 あたりを見渡し、勇気は一つの場所に目を付けた。

 


「ケホッケホッ」

 鈴は口に手を当て、小さく咳をした。

 ここはほこりが多い。

 今鈴がいるのは、さっきブラックベルと交戦していた場所から、約300メートル離れたれた場所にある廃墟のなかだ。

 ここにブラックベルに逃げ込まれるというトラブルはあったものの、戦況の流れは最初予想通りに進んでいる。

 来る前に飲んだ錠剤には『適合者』の回復力を急激に高める効果があり、おかげで撃たれた傷はもうすべて直っていた。

 当然デメリットもあるのだが、この戦闘中は関係ないだろう。

「ケホッ」

 一度せき込み、鈴はブルッと体を震わせた。

 今日はいつもより少し暖かいのだが、さすがにここまで素肌をさらしていればちょっと冷える。

 しかもここには日差しが届いていないのだからなおさらだ。

(どこにいるんだろ)

 この廃墟は四階建てだ。

 潜り込んでから十分ほどブラックベルの行方を捜しているのだが、未だに見つけられていない。

 けど逃げられているわけではないだろう。

 もし逃げたとすれば窓からすぐに見える。

 今は一階からすすみ二階まで進んでいるのだが、まだ見つけられていない。

 コツンと音がすると同時に鈴は二丁の『魔血銃』を向け、すぐさま発砲。

(ネズミ・・・・・・)

 頭と心臓を撃ち抜かれているネズミを見て鈴は落胆で肩を落とした。

 ブラックベルがこんな簡単なミスを犯すとは思っていなかったが、さすがに少しは気持ちが沈む。

 けど、どこかで安堵していたのも事実だ。

 まだあの人を殺さなくて済む、と。

『調子はどうかね?』

「ッ!」

 突然耳元から聞こえてきた声にびっくりして息を飲み込む。

 鈴は慌ててあたりを見渡し、ブラックベルがいないことを確認すると耳に手を当てる。

 銃が耳に押し当てられて少し痛いが、我慢できないほど痛いわけではないので放置する。

「廃墟に逃げ込まれ、捜索しています」

『そうか。では見つけ次第殺せ。失敗すればどうなるかわかっているな?』

「・・・・・・はい」

『よろしい』

 ブツッと言う音に片目を閉じ、鈴はため息とともに肩を落とす。

 今回の任務には特別に無線を持たされていた。

 耳の穴に入れるようなかなりの小型で、小さなボタンを押さない限りはこちら側の声は向こうには届かない。

 突然頭上からかすかな破壊音が聞こえた。

 とっさに鈴が後ろに下がると瓦礫となり天井が落下。

 その上では『魔血銃』を手に見下ろしてきているブラックベルの姿があった。

(見つけたッ!)

 鈴は一飛びで穴が開いた天井から三階に飛び乗り、二丁の『魔血銃』でブラックベルを射撃。

 防ぎきれないと察したブラックベルは、一応『魔血銃』で応戦しながらも、できるだけ避けながら四階へと続く階段へと駈け込んでいく。

 鈴は逃げ道を防ぐように階段へと威嚇射撃をし、一瞬動きを止めたブラックベルへと『魔弾』を打ち込もうとしたとき、

「え?」

 鈴は驚きで引き金を引く指を一瞬止めた。

 その瞬間を狙ったかのようにブラックベルは二丁のハンドガンで鈴に発砲し、動揺していた鈴は回避も防ぐこともできずに、腹と右足の太ももから血を吹き出す。

「あ、がっ!」

 足をやられたことでバランスを崩し、鈴は飛び乗ってきた穴から二階へと落とされた。

「ッ・・・・・・!」

 瓦礫に背中を打ち付け、激痛で悲鳴をあげることすらできずに鈴は悶絶する。

 肺からは酸素が漏れ、今自分が息をしているのかすらわからない。

 しばらくしてようやく痛みが治まると、鈴は上体を起こし痛むお腹に手を押し当てる。

 さっきのは明らかにおかしかった。

(なんで、あの人普通の銃を使ってたの?)

 鈴は銃の知識をほとんど持っていないが、『魔血銃』とそれ以外の銃を見分けることぐらいはできる。

 ブラックベルが左手に持っていた銃は明らかに『魔血銃』ではなかった。

 なんという名前の銃かは知らないが、問題はそこではない。

 『適合者』であるブラックベルが普通の銃を使った、ということが一番の問題なのだ。

 鈴は過去に試しに普通の銃を撃ってみたが、『適合者』に宿る『魔力』のせいで銃は爆破してしまった。

 そのあと何回か抑えようと頑張ってみたものの、百回やってみたが全く同じ結果。

 あのブラックベルには、他の『適合者』とは違う何かがあるはずだ。

(なんだろう)

 少し気になってみたが、あまり考えないことにした。

 考えたところで、あれはそう簡単にわかるようなものではない。

 さっきは動揺して回避が間に合わなかったが、相手が普通の銃も使えるとわかった以上、次は同じような失態はしない。

(うう。もうこの服完全にダメだよね)

 糸がほつれているだけならまだ直すことができたというのに、風穴まで開いてしまい、おまけにそこからあふれ出した血までが付着してしまった。

 一応確認のために背中の方にも手を当ててみるが、ちゃんと貫通しているのか血がべっとりと付着した。

 普通の銃で撃たれたのはお腹の方で、足は『魔血銃』だ。

 もし弾丸が腹の中に残ってでもしていれば、『ウロボロス』に体を預けて取り除いてもらう必要があった。

 それはかなり嫌だし、それ以外の方法となると強引に傷口を広げて自分の手で取り除く・・・・・・

(ど、どっちも絶対に嫌だね)

 というよりも、後者の方法は痛みで途中から気を失いそうだ。

「ゲホッ」

 喉に違和感を覚え、咳をすると少しの血も一緒に出てきた。

 油断したせいでいらないダメージを負ってしまった。

 しばらくすればお腹の傷も、足の傷も治る。

 けど、体力に関しては人間よりも多いが、いずれは尽きてしまう。

 いくら異常な回復力を持っているとしても、この回復力は結構体力を消費する。

 鈴は二、三度深呼吸をすると、痛みで顔をしかめながらも何とか立ち上がる。

 落下の衝撃で手放してしまっていた二つの『魔血銃』を拾い上げ、左足の脚力だけで三階に飛び上がる。

「ッ!」

 着地した時の衝撃で右足が痛み、また膝をついて歯を食いしばる。

 傷はまだほとんど回復していない。

 けど、あまり悠長なことをしていれば逃げられるかもしれない。

 ブラックベルは強敵だ。

 鈴はそう認識し直す。

 あんな風に普通の銃まで使える『適合者』など今まで見たことも聞いたこともない。

 もしかしたら他にも何かあるのかもしれない。

 鈴がそう警戒しても、何も不思議はなかった。

 立ち上がると右足を引きずるように歩きはじめ、

「わぷっ」

 考え事に気を取られた鈴は足をもつれさせて、顔から地面に倒れてしまった。

 その時運悪く散らばっていた少し大きめの瓦礫の破片が右足の傷の下敷きになり、鈴は声にならない悲鳴をあげた。



 勇気は四階でどうしようかと考えていた。

 これ以上逃げることはできない。

 どうやら屋上には上がることができないようだし、そもそも今回の目的は逃げることではなくレッドベルを倒すことだ。

 勇気は懐にしまったベレッタを取り出し手の上でもてあそぶ。

 できれば使いたくはなかったのだが、結局は使ってしまった。

「運がよかったな」

 『魔血銃』よりも遅く、真っすぐしか飛ばないベレッタの弾など、威嚇程度にしか使えないと思っていた。

 が、どうやら『適合者』が普通の銃を手にしているということに、勇気が思った以上の動揺をレッドベルに与えていたようだ。

 相手にこちらが普通の銃も使えると知られた以上、もう動揺されることはないだろう。

 勇気は懐にベレッタをしまい、三階につながる唯一の階段を睨み付ける。

 一分経ち、五分が経った。

(そういや、さっきの泣き声? は何だったんだろうな)

 勇気は四階にきてしばらくしてから聞いた奇妙な声を思い出す。

 耳をつんざくような悲鳴。

 人間の発することのできる音の限界を超えたような、ここの地下には何か謎の動物でも飼っているのだろうか。

 コツン

 くだらないことを考えていると階段方面から足音が聞こえ、勇気は『魔血銃』を構える。

 風のような速度で四階に躍り出たレッドベルは勇気に二発発砲し、傷ついた足で自身を支えきれずにその場に倒れてしまった。

 勇気は体をわずかにそらし『魔弾』を回避。

レッドベルのあまりにも間抜けな姿に引き金を引くことも忘れ唖然としていた。

「なに、やってんだよ」

 思わずそんな声まで漏れてしまう。

「君のせい!」

 顔をあげたレッドベルは、仮面の奥に見える赤い瞳を涙で潤わせていた。

「まさか、さっきの泣き声ってお前のか?」

「・・・・・・」

 コクンと頷いた。

「気、失ってた」

 レッドベルは立ち上がると、左足に重心を向けているがお腹の傷に響いているのか、一部が砕けた仮面から見える口は苦痛でゆがんでいる。

 勇気は今すぐこのレッドベルは戦えそうにないと考えると、いくつか質問することにした。

「お前、名前は?」

「答えると思う?」

「元から思ってない。じゃあ、なんで気を失ってた? あの程度なら落ちたぐらいじゃ、背中を打ってちょっと痛むぐらいだろ」

「ちょっとじゃないよ! ものすごく痛かったんだから! ッ!」

 大声を出したのがまずかったのか、レッドベルは痛そうにお腹を押さえる。

 『魔弾』で撃たれたほうの右足の傷は既に半分以上ふさがっているが、お腹の方はそうではないらしい。

 それもそうだ。

 勇気はあらかじめ、ベレッタに仕込む弾には『適合者』の回復力を落とす効き目がある成分を含ませておいたのだ。

「・・・・・・転んだ時に足の傷にボコッてしてる瓦礫が当たったの。完全に油断してたし、気も緩めてたから」

 なるほどな、と勇気はレッドベルを憐れむような目で見ると同時に、頭を抱えたくなった。

 どうしてそんな一生に一度あるかないかのチャンスを逃した!

 気絶しているレッドベルなど、一撃で仕留められる的だったというのに!

 ここまでレッドベルが自らの失態をさらしているのは、傷が治るまでの時間を少しでも稼ごうとしているからだろう。

 危険なことだとわかっていても、勇気はなおも質問を続ける。

「つうか、なんですぐここに来たんだ? 俺としては不都合はないけど、お前にとっては圧倒的に不利じゃねえか」

「逃げられたら困る」

 どうやらレッドベルは勇気の目的がレッドベルを殺すこと、ということを知らないようだ。

「君に逃げられたら、あたしは友達が殺されるから」

「・・・・・・そうかよ」

 どう返していいのか戸惑い、そんなそっけない返事をしていた。

「じゃあ聞くけど、君はなんで今すぐあたしを殺そうとしないの? 敵にこんなこと言うのは何だけど、あたしはお腹の傷の治りが遅いせいで、ちょっと身動きがうまく取れないよ」

「俺は心底お前を殺したいってわけじゃない。殺さないとまた狙われるだろうし、俺の組織の連中も狙われるだろうから、ってことでお前を殺すだけだ。それに、もしかしたらお前からお前の組織に関する情報が聞けるかもしれないしな」

「そう・・・・・・『ウロボロス』」

「『ウロボロス』がお前らの組織名ってことはつかんでる」

 これは菊次郎から聞いたことだ。

「なんで俺たちを狙う」

「知らないよ。でも、依頼を横取りされるからじゃないかな。横取りされたら報酬もらえないし」

「そうか」

 予想通りと言ってもいい答えだった。

 案外素直だ。

 普通組織の情報を別の組織の者に漏らすのは褒められた行為ではないし、下手をすればペナルティーを受ける。

 しかも、話を聞く限りではレッドベルは友達を『ウロボロス』に人質に取られている可能性がある。

 そんなやつがどうしてわざわざ危険をさらすのだろうか。

 勇気がそう考えているとレッドベルは口元をわずかに歪めた。

「一つ言ってもいい?」

「なんだ?」

「・・・・・・あたしの勝ちだね」

 その瞬間、レッドベルの腕が勇気の視覚情報をはるかに上回り、気が付けば顔を隠すために付けていた仮面が粉々に砕けていた。

 こんなこともあろうかと、鋼鉄製で作っていて助かった。

 だがどうして、今まで見えていたレッドベルの腕の動きに『魔弾』が見えなかったのだ?

「君、目がくろいッ!? な、なん・・・・・・で」

 パラパラと仮面が地面に転がり、静寂が訪れる。

(くろい?)

 勇気はそこで気が付いた。

 いつの間にか、『適合者』としての力を解除していたのだ。

「ッ!」 

 勇気は慌てて両手で顔をふさぐが素顔は確実に見られた。

 トラウマが、蘇る。

 正体がばれたことで、精神的ダメージを与えるためだけに殺された友達二人。

「あ、あ。や、やめ、やめて、くれ」

 体が震え、視界がぼやけ始めてくる。

 ダメだ。

 こんなことがいつあってもいいように、友達を作らないようにしていたではないか。

 友達はいない。勇気は自分にそう言い聞かせ、落ち着かせようとしたとき不意に鈴の顔を思い出した。

 違う。あいつはまだ友達じゃない。

 いやまて。

 周りから見たらどう映っているのだ。

 『ドリームスイーツ』では恋人と思われ、クラスでもそうと思われている。

 鈴の友達の由美には最初友達とも思われていた。

 勇気がどう思っていようと周りから友達と認識されている以上、『ウロボロス』に鈴が殺されてしまう?

 それは嫌だ。それだけはやめてくれ。

「あ、あああああああああああああああああ!!」

 頭を両手で抱え、勇気はその場にうずくまる。

 鈴が殺される。

 そう考えるだけで何かが壊れてしまいそうだ。

「な、なんで。なんでいるの? 勇気君」

 聞き覚えのある声に勇気は顔をあげた。

 勇気の仮面には相手に自分の声がばれないように、変声期が取り付けられている。

 どうやらそれはレッドベルも同じことをしていたようで、仮面を取り外したレッドベルの声は紛れもない、

「り、ん?」

 あの可愛い顔を見間違えるわけがない。

 だがどうしてこんなところにいるのだ?

 どうして腹に怪我をしていて、あんな苦しそうな顔をしている?

 まさか、レッドベルの正体は鈴だとでもいうのか?

「勇気君、だよね?」

「あ、ああ。なんでお前がこんなところに」

 頭が混乱する。

「それはこっちのセリフだよ! なんで勇気君がブラックベルなの!? ッ! 痛いよ」

「それは俺が聞きたいことだ」

 勇気は鈴が大声を出したことでまたお腹の傷が痛み、顔を歪めていることに気が付いていない。

 理解が追い付かない。

「・・・・・・」

 鈴は自分の膝が震えているのを感じ、止めるように膝に手を当てるがうまく止まってくれない。

 お腹が痛い。

 足の傷はもうほとんど治って、激しく動かさないと痛くないのに、お腹の方はまだほとんどふさがっていない。

「勇気君、教えてよ。なんで君が、ブラックベルなの?」

 自然と声が少し小さくなり、呼吸も荒くなり始めた。

 ついさっき『魔弾』を打つために腕を高速で動かしたこと。

 つい大きな声で叫んでしまったことが、お腹の傷を悪化させたのかもしれない。

 気が付けば、止まっていた血もまた流れ始めてきている。

 いくら待っても返事がないことに訝しみ、勇気を見ると明らかに動揺していた。

 わからなくもないし、鈴もひどく動揺している。

 その時、右の耳から無線越しにあの忌々しい声が聞こえてきた。

『何をしている。やつを殺す絶好のチャンスだろ? 早くあいつの頭を撃て』

「ま、待ってください! あ、あの人は、あたしのクラスメイトなんです」

『それがどうした? やつが君の友達だろうと恋人だろうとクラスメイトだろうと関係ない。やつが我々にとって不利益な存在である以上、ブラックベルである以上始末しろ。それとも、君のお友達の由美君が死んでも構わないのか?』

「ッ!」

 人質。

 勇気を殺さなければ由美が殺され、由美を助けるには勇気を殺さないといけない。

 どっちかを選択しろというの?

(そんなの、無理だよ)

 それを言おうとしたとき、鈴は違和感に気づいた。

 どうしてこいつは勇気を殺す絶好のチャンスだということを知っているのだ?

『さあ。早く撃つのだ』

 あたりを見渡そうとしたとき耳元から声が流れ、勇気に視線を向ける。

 今の動揺している勇気は多分引き金を引いたら『魔弾』をかわすことができないだろう。

 鈴は勇気に『魔血銃』を向け引き金に指を当てるが、

「無理、です。あたしには、彼を撃つことなんて」

 もう無理だ。

 正体がわかってしまったから。

 友達になりたいと思っているから。

 そんな相手を、鈴は撃てない。

『そうか。では、おさらばだな』

 その瞬間、四方八方から無数の銃声が鳴り響き、容赦なく勇気と鈴の体を貫いた。



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