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第二章 誰かと食べるケーキは楽しい

 昼休みになり、勇気が屋上に行くと昨日のように腹減り女もいた。

 ただ、昨日とは違って倒れているのではなく、フェンスに背中を預けてぼーと空を眺めている。

 そして目の前には二つの弁当箱。

 片方は知らないが、もう片方には見覚えがある。

 というよりも、勇気の弁当箱そのものだ。

「なにしてんだ?」

 勇気はなんとなく手に持っていた弁当箱を背中に隠しながらそう問いかけた。

 昨日あの後すぐに彩と別れ、家に帰ってから優には遅いと怒られ、弁当箱を渡してと言われて「ない」と言えばまた怒られた。

 これは購買で買うかな、と昨日は悩んでいたが、優はちゃんと弁当を作ってくれていた。

「んー。天気いいなーって空見てる」

「ちょっとぐらい雲があったほうがいいけどな」

 太陽の光を遮るように手をかざし、勇気も空を見上げる。

 雲一つない、いい天気だ。

 春のまだ少し冷たい風と、丁度いい気温はひなたぼっことしては最適だ。

 ただ一つ問題点をあげるとすれば、屋上に反射した太陽の光が少しまぶしい。

「君っていつも屋上?」

「一人になりたいからな。ま、先客がいたんなら、どっか別の場所探すだけだけど」

 少し残念そうにため息をつくと、勇気は今開けたばかりのドアに目をやる。

「わーわー! そうすぐ行かないでよ。君のこと待ってたんだから」

 よもやまた弁当をたかられるのではないかと身構えてしまう。

 さすがに二日連続で弁当箱をなくしたなんて言ってしまえば、優の怒りがどうなるのか想像するのも怖い。

 だが、今日は向こうも弁当を持参しているようだしそれはないだろう、とすぐに頭を働かせる。

 そういえば昨日、『また明日っ!』と言っていたが、こういうことだったのか。

「俺を?」

「そ。さすがに教室だと言いづらいからね」

 なにやら面倒そうだが、弁当を取り返すついでに付き合ってやることにした。

「で、なんで俺を待ってたんだ? 腹が減ってるんだ。できるだけ手っ取り早くしてくれ」

「よかったー」

 鈴はそれを聞くと、安心したかのように胸を撫で下ろす。

「ここ」

 唐突に自分の隣をその手で叩き出し、勇気に座るように催促する。

 しかたない、と勇気は諦めて、少女から一メートルほど離れた所に腰を下ろす。

「えとね、昨日はありがと」

「俺なんかしたか?」

「ほら。お弁当くれたでしょ?」

「ただ忘れていっただけだっての」

「ふーん。ま、あたしはお腹膨れたからいいけど」

 うんしょ、と少女は昨日の勇気の弁当を持ち上げ、

「はい。これお礼にって思って、おいしそうな泥詰め込んできたよ」

「あっそ。じゃあそのお礼に作った弁当が今日のお前の昼飯だ。俺からのプレゼントだと思ってありがたく食え」

「泥なんて食べないよ。で、いらないの?」

 いくら頼まれたとしても、泥など死んでも食べたくない。

 それに、弁当を持ってきているのに泥を食わなければならない理由がない。

「いるか。つうか、泥欲しがる奴なんていないだろ」

「そうかな」

 ふざけて言っただけなのか、鈴は面白そうに笑っている。

 こうしてみると、その笑顔は可愛い。

(なんだ?)

 じっくりと鈴を見ていると、何とも言えない違和感がこみ上げてきた。

 だが、その違和感の正体がつかめない。

 魚の骨がのどに引っかかっているようなもどかしさ。

 いったいこの違和感は何なのだ。

 この違和感は、果たして見逃していいレベルなのか?

 しかし、いくら考えてもわからない。

「え、えと。あたしの顔に何かついてる」

 鈴の白い頬は、恥ずかしさでなのか、うっすらと朱色に染まっている。

「いや。泥弁当欲しがりそうな奴一人いるなーって思ってな」

「ホント? だれだれ?」

 勇気は悪戯っぽい笑みを作り、鈴の鼻先に指を押し付ける。

「お前だ」

「もう! あたしも泥なんて食べないんだから!」

 鈴はむー、と頬を膨らませ、唇をつんととがらせてからフンッと勇気から顔をそむける。

 その行動がいかにも子供らしく、無性にこみあげてきた笑いをこらえるのに勇気は少しだけ苦労した。

「で、お弁当返してほしくないの?」

「さっさと返せ。泥棒猫」

「・・・・・・君って、なんかムカつく」

 最近誰かにも同じこと言われたな、と思いながら勇気はため息をつき、鈴の手元から自分の弁当箱を奪い取るように取り返す。

 ずっしりとした重さは、確かに中に何かが入っていることを伝えてくる。

「本当に泥入れたのか? 殺すぞ」

「あれは冗談だよ・・・・・・って、睨みながら殺すって言わないでよ! ちょっと怖かったんだから」

 そう言っている割には全然怖そうな表情をしていない。

 むしろ、笑っているその表情からは、楽しんでいるようにも見える。

「で、泥じゃないんだったら毒蛇でも入れてるのか?」

「なんで毒蛇になったのかな。そうじゃなくて、昨日のお詫びにってお弁当作ってきたの。君の分も一緒に」

 それを聞いた瞬間、勇気は心中でため息をついた。

 本音を言うと、鈴のような可愛い女の子に弁当を作ってもらえたのは、かなり嬉しい。

 が、それならば昨日メモに書いていてほしかったものだ。

 勇気は元から背中に隠すようにおいていた持参していた弁当を、鈴には見つからないようにわずかにずらす。

 嬉しいのはうれしいのだが、さすがに弁当二つを食べると、なるとちょっときつい。

 鈴を見ると、照れくさそうに笑っている。

「迷惑だった、かな」

「・・・・・・さあな」

 正直、勇気自身それはわからなかった。

 鈴が弁当箱を開けるのを横目で見ると、勇気も鈴から返してもらった弁当箱のふたを開ける。

「これ」

 昨日の中身と全く同じだ。

 さすがにサイズとか、見た目までは違うのだが、種類は完ぺきに同じだ。

「君が好きなもの分からなかったから、とりあえず昨日のお弁当そっくり作ってみた」

「別に俺は好き嫌いとかはないけどな。しいて言えば、苦いのが苦手なぐらいだ」

「へー。ちょっと意外」

 意外で悪いな、と勇気は内心で毒づく。

 でも、と鈴は続け、

「あたしも苦いのはちょっと苦手かな。辛いのも。あ、ちなみにあたしはお肉が結構好き。あとカレーも」

「お前の好物とか聞いてない。それに、肉とかカレーって、子供か」

「子供じゃないよ! 確かにあたしは幼児たいけ・・・・・・なんかひどい」

「それは自滅って言うんだ」

「うう。そういわれたら反論できない」

 鈴は自分の胸に手を当て、はぁとため息をつく。

 自分で幼児体型だと認識している通り、鈴の胸はその小さな手で収まるほど小さい。

 肩を落とした鈴を一瞥し、勇気は鈴が作ってきてくれた弁当を食べることにした。

「お、美味しい?」

 ヒョイッと卵焼きを口に放り込むと、期待と不安の入り混じった目で戸惑いがちにそう聞いてくる。

「どうだろうな」

「もー。せっかく女の子が作ってきたんだから、そこは嘘でもおいしいって言ってよ」

「あー、うまいうまい。これで満足か?」

「もう知らないっ!」

 鈴はフンッとそっぽを向き、弁当に箸を伸ばし始めた。

 けど、どうしたものか。

 今日このまま持参してきた弁当を残して帰れば、おそらく優に怒られるだろう。

 それなら食えばいいとも思ったが、よく考えれば鈴とだべったせいで二つの弁当を食う時間がないし、元から弁当二つも腹に収まりきらない。

 鈴の弁当を断ればよかったのだが、せっかく同級生の女の子が作ってきてくれた弁当を、断るのも可愛そうだった。

 勇気はため息をつき、今度は昨日鈴を散々いじった唐揚げを頬張る。

 さっき鈴にはあんなこと言ったが、本音を言うとかなりうまい。

 優には悪いが、鈴の作る弁当の方がうまい。

 勇気が箸を進めていると、唐突に隣で鈴がため息をついた。

「どうした? 自分の料理の下手さにため息でも出たか?」

「失礼だよ。自分でいうのもなんだけど、あたしは自分の料理はおいしい方って思ってるから」

「・・・・・・」

 否定はできない。

「えとね。昨日と同じ内容だからちょっと物寂しいなあ、って思ったの」

 そういわれて初めて気が付いたが、鈴の弁当の中身も勇気の弁当と同じおかずだった。

 おおよそ、作る手間が省けるからと、自分の分も同じように作ったのだろう。

「そだ」

 何かいい案でも思いついたのか、鈴は嬉しそうに笑みを浮かべている。


「放課後、二人でケーキ食べに行かない?」


「・・・・・・・・・・・・・・は?」

 一体この女は何を言ったのだ?

 鈴の放った言葉の意味を理解するのに、勇気はたっぷり十秒の時を要した。

 なぜこんなことで思考を乱したのか、勇気自身にもわからなかった。

「あ、あたしが行きたいって思ったお店はね、最近開いたばかりなんだって。おいしいってネットでは評判みたいだし、あたしも甘い物は好きだから・・・・・・って聞いてる?」

 そんな解説を聞かなくても、鈴の楽しみにしている表情を見れば、なんとなくケーキが好きだということがわかる。

 そこは特に問題ではない。

「・・・・・・なんで俺を誘った」

「なんで? え、えーと」

 気まずそうに視線をわずかにそらし、何かを思い出したのかピンと指を空に向かって建てる。

「お返しの延長戦、みたいな?」

「本音は?」

「・・・・・・食べたいから」

「だったら一人で行け」

「無理、だよ」

 表情を暗くし、鈴は視線を弁当箱に落とす。

「怖い、もん。一人で行くの」

 話を聞いてみると、どうやらそういう店に行ったことがないらしく、どういうところかよくわからないから一人で行くのは不安なのだそうだ。

「誰か友達でも誘って行け」

「・・・・・・あたしもそうしたいよ。でも、由美毎は日部活あるから、なかなか誘えないの」

「由美?」

 見知らぬ名前に、勇気は思わず首を傾げてしまう。

 鈴は僅かに体を動かし、フェンス越しにグラウンドを見下ろす。それにつられるように勇気もグラウンドに視線を落とした。

 ちょうど昼練中なのか、陸上部が白線の上を走っていた。

「あの緑色の髪の毛の子があたしの友達・・・・・・まあ、由美しか友達いないんだけどね」

 鈴の声は寂しそうで、表情には辛そうな悲しそうな、複雑な表情が浮かんでいた。

 正直、そんなつらそうな表情は見たくない。

「別に一人でもいいだろ。友達ってのは、多ければ多いほど面倒なだけだ。一人しかいなくても、そいつを大事に思ってたらそれで充分だろ」

「・・・・・・なんか慰められちゃったね」

 鈴は箸で弁当箱をつついた。

「慰めたんじゃないっての」

「でも、そう言ってくれたのは嬉しかったよ」

 振り返った鈴の笑顔は、惚れてしまいそうなほどの可愛さだった。

「そういえば話変わるけど、君何かしたの? 朝担任の先生に放課後来るようにって呼ばれてたけど」

「・・・・・・してないはずだけどな」

 今日の朝気が付いたのだが、昨日バイクに乗っていた時追いかけてきた教師が勇気の担任だったのだ。

 昨日の夜、菊次郎には何とかするようにメールで送っておいたはずなのだが、まさか失敗したのだろうか。

 だが、どうして朝のうちに呼び出さなかったのかは少し不思議ではある。

 それともう一つ、

「なんでお前が知ってるんだ?」

「え?」

「え?」

 鈴は箸でつかんでいた卵焼きをスカートの上に落とし、勇気は聞き返してきた鈴に思わず聞き返してしまう。

「な、なんでって。え? それ本当に言ってるの?」

「あ、ああ」

 何かまずいことでも言ったのだろうかと、少しだけ不安になってくる。

「あたし達、クラスメイトだよ?」

「・・・・・・」

「もしかして、今まで気が付かなかったの?」

「・・・・・・ああ」

 はっきり言って、勇気は自分のクラスメイトの顔を誰一人として覚えていない。

 元からなれ合うつもりはないのだから、覚える必要がないと考えている。

「し、信じらんない。あたし君の後ろの席なのに」

 スカートの上に落ちていた卵焼きが、鈴の足にずれる。

「はわっ」

 そのことにびっくりしたのか、肩をビクンと揺らして鈴は卵焼きを慌てて箸でつかみ上げ、弁当のふたに置いた。

「そういえば、君いっつもプリント渡すときも手だけ後ろに回すもんね。別にいいんだけど、あれつかみにくいからね」

「そういうもんか?」

「うん。だって、たまに高いところで手止めるから・・・・・・立たないと取れないし」

「ああ。それでたまに後ろの方から立ち上がる気配があったのか」

 鈴の方を見ると、うっすらと頬が赤みを帯びていた。

 おそらく、そうでもしないと取れない時があるのが恥ずかしいのだろう。

「い、いっとくけど、あたしの身長の問題じゃなくて、君が高く上げてるせいだから!」

「まあ、次からは注意しとく」

「そうしてね・・・・・・椅子もうちょっと高くした方がいいかな。でもそうしたら座りにくいし」

 この天乃高校の椅子は、使用者の身長にあうように各自で高さを合わせることができる。

 勇気は元からサイズがあっていたからいじっていないが、鈴は初めて座った時高すぎて、一番下まで下げたらぴったりだったときはかなりショックを受けた。

「ね、じゃあさ、君はクラスの誰のことも覚えてないの?」

「そう言うことだ」

「なんかもうあれだね。逆の意味で凄いね」

「そうかよ」

 けなされているような気がしたが、同時にもう一つの新たな疑問もわき上がってきた。

「つうか、なんで昨日メモなんて残してたんだ? 後ろの席だったんなら声かけてくれればよかったのに」

「・・・・・・保健室で寝込んでた」

「泥食ったらそうなるわな」

「泥なんて食べてないよ」

 はぁと鈴はため息をつき、ご飯の上にちょこんと載っている梅干を口に運ぶ。

「――――っ!」

 梅干がすっぱかったのか、その表情がおもしろいことになる。

 勇気も同じように梅干を口に運ぶと、すぐに種を吐き出し身を飲み込むと、ご飯を書き込んだ。

「お、お前何なんつうもん入れてるんだよ」

 これは食べられたものではない。

 すっぱすぎる。

「しょ、しょうがないよ。あたし梅干しなんてあんまり食べないんだから、適当にしか買ってないもん」

「人に食わせるんだったらせめて味見ぐらいしろよ」

「うう。ごめん・・・・・・それと泥食べてないから」

 てっきり終わったと思っていた話が戻ってきた。

「じゃあ毒蛇か?」

「それも食べてない」

 鈴は箸を弁当箱の上に丁寧に置き、自分のお腹を押さえる。

 恥ずかしいのか、わずかに顔が赤い。

「えとね。冷やされたせいでお腹痛かったの・・・・・・お、おトイレ行っても治んなかったから仕方なく」

 最後の方は小さくて聞き取りにくかったが、ちゃんと聞き取れてしまった。

「まだ冷えるしな」

「うんうん」

 鈴は地面に手を当て、コクコクと二度頷いた。

「じゃあ俺はそろそろ戻るか」

「ん。あたしも食べ終わったら戻ろうかな」

 勇気は食べ終わった弁当を片付けると、持参していた弁当が鈴にばれないように隠しながら屋上から出ていく。

 ため息をつき、勇気は妹の優にメールを打つ。

 中学生の優は携帯の持ち込みは禁止なのだが、それを完全に無視していつももっていっている。

『弁当箱見つかった』

 しばらくすると返信が来た。

『わかったー。どっち食べてもいいけど、お腹壊しちゃだめだから』

「了解、っと」

 そう打ち込み、携帯をポケットにしまう。

 どうでもいいが、こんなに早く返信を送れるとは、一体どこで何をやっているのだろうか。



 授業がすべて終わり、帰ろうと立ち上がったところで後ろから腕をつかまれた。

「なんだ?」

 勇気が後ろを振り返ると、そこには赤色の髪の毛をした美少女が上目遣いで見つめてきていた。

「ケーキ」

 その一言で昼間のやり取りを思いだし、その手を振り払う。

「いこ」

 と言われても、別に約束もしていないし、もとより行く気もない。

 勇気は鞄を背負い直し、鈴を無視して歩こうとしたところで一人の男子生徒が前に立ちはだかった。

 髪の毛はうっすらと茶色に染められ、黒い瞳が勇気の姿を映している。

「なんだ?」

「いや。別にどうこう言うつもりはないけど、彼女の話を少しぐらい聞いてあげてもいいんじゃないか? あの態度はひどいと思うけど?」

 うんうん、と教室中の生徒が頷かないでほしい。

 これではまるで、悪者ではないか。

 勇気はため息をつくと、背中を向けたばかりの鈴に向かい直る。

「ついて行くだけだ。おごったりはしないけど、それでいいな?」

「うん。ありがと」

 鈴は頷き、勇気の前に立ちはだかった男子生徒に声をかける。

「須頃君もありがと」

「どういたしまして」

 須頃は深々とお辞儀し、それと同時に女子の間から嬉しそうな声が上がる。

 それに対して勇気はうるさいと素直に思ったが、口には出さないことにした。

 そんなことよりも問題なのは、鈴とケーキを食べに行くことになったことだ。

 鈴とケーキを食べに行くということは問題ないのだが、あまり誰かとなれ合いたくない。

 もし勇気が『適合者』や、ブラックベルなどという肩書がなければ素直に鈴について行くことができただろう。

 だが、その肩書きを持っている以上はどうしても誰かとは親しくなりたくない。

 何しろ、死がかかわっている世界なのだ。

「行くんなら早くいくぞ。で、さっさと帰る」

「早くいくのには同意。だけど、さっさと帰るのには反対だよ。いっぱい食べたいもん」

 ケーキを食べている鈴を思い浮かべると、ショートケーキを食べている姿がお似合いだ。

「あ、でもその前に君先生のとこ行かなきゃ」

「あー。そういえば呼ばれてたな」

 そのことを口実にまた今度、ということにしてほったらかしにしようかとも考えてみたが、どうせそのうち今日と同じようなことになると想像できた。

 教卓の方を見ると、担任は昨日追いかけてきたときのような険しい表情はしておらず、むしろ同情のまなざしを送ってきていた。

「面倒だな」

「まあ、呼ばれる君も君だけどね」

 面白そうに笑っている鈴に背中を押されるように、勇気は担任のもとに歩いて行かされた。

 背中を押す鈴の手は、暖かくて少しだけ心地よかった。



「いやー、昨日は悪かったな」

「は?」

 控室に連れていかれるなり、唐突に担任に肩を叩かれそんなことを言われた。

「あれなんだろ? 病気の両親の代わりに妹の世話をするためにバイトを掛け持ちしてるんだってな」

(あのくそ野郎が)

 まさかこんなでたらめなウソをついているとは思いもしなかった。

「だがな黒鈴。今回は特別に見逃しておくが、次はさすがに指導しないといけないからな。あんまりバイクにのるんじゃないぞ?」

「はあ」

 それだけ言うと、担任教師は控室から出ていき、最後に振り返った時は羨ましそうな表情をしていた。

 菊次郎の付いたでたらめなウソもたいがいだが、それを信じるあの担任教師もたいがいだ。

「君、家のほう結構しんどいの?」

「いや。そうでもないけどな」

 勇気は頭をかき、椅子に座って足をぶらぶらとさせている鈴の方を見る。

 こうして鈴一人だけが椅子に座っているところを見ると、中学生の教室にいるんじゃないかと錯覚してしまう。

「でも、バイトの方はいいの? 掛け持ちってやっぱり大変だよね?」

「掛け持ちもやってないし、あの教師が言ってたことはほとんど騙されてる」

「うわぁ。先生だます人初めて見た」

「俺がだましたんじゃなくてバイト先のやつなんだけどな」

「ふうん。ま、何でもいいかな」

 いいんなら聞くなよ、と勇気は思った。

「お前はなんかやってるのか?」

「んー。やってるようなやってないような・・・・・・ま、まあこの話はもういいよね」

 よいしょっと鈴は立ち上がると、足を一度机にぶつけながら、せかすようにさっきと同じように勇気の背中を押し始める。

 鈴が後ろに回ったからこそ、勇気は鈴の顔がつらそうだったことには気が付かなかった。






 鈴の言っていた店は学校から一駅超えた場所にあり、移動時間としては十分ほどの場所に店を構えていた。

 看板にはホットケーキとショートケーキの画像をどデカく貼っていて、それを見た瞬間には鈴の腹が音を立てていた。そのケーキの画像の下には『ドリームスイーツ』という店の名前らしき文字が書かれていた。

 店に入ると鈴は少し緊張しているのか、それとも昼間言っていたように怖いのか、一歩下がり勇気の後ろに回ると、勇気の制服をチョンとつまみ始める。

「いらっしゃいませー」

 同時にお決まりの挨拶が数人の店員から発せられる。

 近づいてきた店員に案内されるがままに奥の席に案内され、向かい合うように席に着いた。

「おまえ緊張しすぎだろ」

「だ、だって。こういうところ来るの初めてだもん」

「別に緊張するようなところじゃないっての。こういうところは気楽にやって、食いたいもん食ったら帰ればいいんだから」

 実際のところ、勇気は昼飯が用意されていない時は近くのファミレスでよく飯を食ってる。

 それを聞いたら少しは落ち着いたのか、鈴の肩から少しだけ力が抜ける。

「えーと。これがメニュー?」

「そうだ」

 鈴は手に持ったメニュー表をしばらく眺めた後、ごくりと喉を鳴らしながら開いた。

「わあ。いっぱいある」

「そりゃそうだろ」

 目をキラキラと光らせている鈴に、勇気は苦笑するしかなかった。

「ねね。これってどれ頼んでもいいの?」

「ああ」

 勇気が頷くと、鈴はどれたべよっかなー、と鼻歌を歌い始める。

 その顔は楽しそうで、嬉しそうで、見ている勇気自身もついつい口元が緩み始めていた。

 それを見た鈴は余計に嬉しくなる。

「これにしよ」

 鈴が指をさして選んだのは、勇気が教室で予想した通りのショートケーキだった。

「やっぱりガキっぽいな。お前」

「もう。別にいいじゃん。それより君は何食べるの?」

「そこは食べるよりも注文でいいだろ」

「そか。じゃあ、君は何注文するの?」

「そうだな」

 と言われても、何か食べたい気分ではないし、そこまでケーキは好きではないから別にどれでもいい。

 しばらく考えた末に、勇気は鈴と同じショートケーキを頼むことにした。

「俺も同じでいいか」

「ふふ。君も子供っぽいね」

「うっせ」

 これからは自滅しないように注意しなければならない、と勇気は心のメモ帳にそう記した。

 注文を終えると鈴は鼻歌を歌い始め、メニュー表をまた眺めていた。

 どうやらショートケーキを食べたら、また何か注文する気でいるらしい。

 昼飯を食べてまだ三時間ほどしかたっていないのに、その小さな体に入るものかと勇気はほんの少しだけ心配する。

「きたっ!」

 鈴のはしゃぐような声に勇気が振り向くと、若い女性店員が注文した品を運んできていた。

「お待たせしました。こちら、ショートケーキ二つになります」

 コトン、コトンと心地よい音を響かせながらテーブルに置き、三度目はカランと氷がコップに当たる音を鳴らしながらオレンジジュースをテーブルに置き始めた。

 鈴はこれが当然なの? と首を傾げて勇気を見つめるが、勇気は首を振る。

 確かに飲み物を頼み忘れたとは思っていたが、頼んでいないものを出されて金をとられるのはいい気がしない。

「こちら、カップル様に無料で提供しております、『ラブレージュース』でございます」

「か、カップル!?」

 バンッとテーブルに手をつき、顔を真っ赤にしながら立ち上がったのは鈴。

「ち、違いますっ!」

「では、いいお時間を。お二人の将来がいい未来になりますように」

「だ、だから! 違うって言ってるのに・・・・・・」

 背中を向けるまでニコニコしていた店員は、去り際にチッと舌打ちを残していた。

 盛大な勘違いをしているのか、ただの嫌がらせなのか最後の態度でわからなくなる。

 だが、無料で飲み物が手に入るならば、金銭的にも余裕ができるからラッキーだ。

 勇気は運ばれてきたオレンジジュースに視線を移し、わずかに眉間を寄せる。

(ストローが二つ?)

 そう。どういうわけか、一つのオレンジジュースにストローが二本刺さっている。しかも途中で二つのストローが合わさるとハートの形になるようにも加工されている。

 鈴の方に視線を移し替えると、予想通りというか反応しすぎというのか、耳まで真っ赤にしてもじもじしながらうつむいていた。

「あ、あたしたち、か、カップル・・・・・・に見えるのかな」

「まあ同じ高校の制服だしな。男女なんだし・・・・・・おかしくないのかも、な」

 改めてそう認識すると、少しだけ恥ずかしい気分になってきた。

 勘違いされる程度ならば別にいいのだが、テーブルの中央に置かれているオレンジジュースの存在感が大きい。

 最初は鈴に許可を得てこのジュースをもらう予定だったのだが、さすがにこれを飲むのは気が進まない。

「なあ」

「あの」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 言いだそうとしたところでお互いの言葉がかぶり、気まずい雰囲気になる。

「いえよ」

「う、うん」

 鈴はチラッとオレンジジュースを一瞥し、勇気の顔を見つめる。目が合うと慌てて視線を逸らした鈴だったが、すぐに戻した。

「『ラブレージュース』。飲んでいいよ」

「よくその名前言ったな。それにいらない。お前が飲んだらいいぞ」

「む、無理だよ。こんなの一人で飲むなんて、恥ずかしすぎる」

 カランと音を立てながらオレンジジュースを勇気の方に押しのける鈴に対し、

「俺も同意見だ」

 勇気も同じようにカランと音を立てながら押し返した。

 しばらくその応戦が続くと、唐突に鈴がその手を止め、もう片方の手を小さく上げた。

「どうした。飲む気になったか?」

「提案」

「提案だと?」

 コクンとうなずく鈴に、勇気は僅かに警戒の目を向ける。

「あたしも君も飲みたくないでしょ?」

「まあそうだな」

 当然だ、とばかりに勇気は頷く。

「だから目を瞑って、これに口を近づけて、ストローに口が当たったほうが飲むってのはどう? 一緒にやってさ」

「・・・・・・なるほどな・・・・・・悪くない提案だ」

 勇気は顎に手をやり、しばらく考えた末にそうつぶやいた。

 これはように、いかに相手をだますかだ。

 目を瞑る以上相手にこちらの動きはばれることはないし、やりようによってはこのジュースを飲むことを免れることができる。

 要するに、

((ばれなきゃ大丈夫))

 勇気もそう思っていたように、発案者である鈴も当然同じことを考えていた。

「口に当たったら負けだな?」

「ん。その代り、目開けちゃだめだからね。それと、負けたらその時点で一気に飲むこと。いい?」

 いつの間にかこの店の名物がバツゲームと化しているのだが、この二人にとってはまさにバツゲームと同じだ。

「お前が飲むことになるんだけどな」

 勇気がコップをつかむと、既に顔が真っ赤の鈴もそれに続くようにコップをつかむ。

「ぜ、絶対君に飲ませるもん。顔赤くなってたら、写真撮りまくるんだから」

「だったら俺もおんなじことしてやるよ」

「むー。負けないんだから」

 頬を膨らませた鈴が目を瞑ったのを見ると、勇気は目を瞑る前にストローの位置を確認する。

 ストロー口はお互いにまっすぐ進めば口に当たる角度だが、逆に言えば少しずらすだけで当たることがない。

 だがそれでは意味がない。

 こんな簡単なこと、発案者である鈴が考えていないわけがない。

 もし両者ストローに口が付かなければ、仕切り直しということになり、そのぶん時間を無駄に浪費することになる。

(俺は触れずに、あいつにだけ触れさせれば)

 勇気はそこで思考を遮断し、完全に目を瞑った。

 よく考えれば所詮はこれも遊びの一つだ。

 別に証拠もないのだから、もし触れればすぐに離せばいいし、その瞬間コップをわずかに動かして鈴の口に当てれば何も問題はない。

 そのことばかりに気を取られていたばかりに勇気は気が付くことができなかった。

 『ラブレージュース』を挟んで目を瞑っている勇気と鈴を、周りの客が好機の目で見ているということに。

「じゃあ、行くよ」

 鈴のその合図でゆっくりと勇気は顔を近づけていく。

 当然まっすぐ進むのではなく、わずかに角度をずらしている。

(こいつ)

 そこで勇気は気が付いた。

 鈴がわずかにだがコップを動かしている。

 そのせいでどこにストローがあるのかがわからなくなり、せっかくずらしたというのに完全に無駄になってしまった。

 勇気は仕返しとばかりにコップを少しゆすると、鈴の方から驚きの声が上がった。

 同時に、

「っ!」

 自分の口に当たるストローの感触に思わず目を開ける。

 オレンジジュースから伸びているストローは勇気の口に吸い込まれ、そしてもう一つのストローも、

「き、君もっ!?」

 鈴の口に吸い込まれていた。

 そのことにひどく動揺したのか、鈴は目を大きく見開き、口をポカンと開けている。

 それは勇気も同じだった。

 いや、それ以上に、

「おい。なんだこれ」

 周りから見られていたということに、頭が混乱していた。

 湧き上がる拍手。

 どこかから口笛のような音が鳴り、はやし立てるような声も上がる。

 まずい。これはかなりまずい。

 ストローに口が当たればすぐに離す作戦も鈴に見られてしまい失敗。それどころか、鈴までもが口をストローに当ててしまっているという最悪の展開。

 それに加え、ここにケーキを食べに来ていた客にその一部始終を見られていたというおまけつきだ。

 自然と勇気の顔も赤くなり、視線をショートケーキの上に落とす。

(・・・・・・帰りたい)

「帰りたい」

 鈴を見ると、目の両端に涙を浮かべて今にも泣きそうな表情をしていた。

「俺も同じ気もちだ」

 お互いにそう伝えあうが、周りには聞こえないような小さな声だったためか、周りにはそんな悲壮な考えのものだとは思わられずに、勘違いを進めるだけだった。

「ど、どうしよ」

「どうするって言われても・・・・・・飲むしか、ない、のか?」

「・・・・・・うん」

 鈴は周りの視線をかんじ取り、肩を震わせながらゆっくりと頷いた。

 しばらく無言でうつむいていると、客の中の一人が「はーやーく。はーやーく」とせかせはじめ、周りもそれにつられるようにせかし始めた。

 しかもよくよく見れば、店員までもがその中に加わっている。

 というよりも、さっきこのオレンジジュースを持ってきた店員の目からは、

『飲まないと代金請求』

 と、にらみながら伝えてきているというおどしまでもが付いている。

「・・・・・・一気に飲み切るぞ」

「・・・・・・うん」

 そう言いあった二人だが、なかなか動けない。

「彼氏さんからいってあげたら?」

 どこかの野次馬が唐突にそんなことを言い始めた。

 しかもそれはトリガーとなり、また同じように店の中がその言葉で埋め尽くされ始める。

 勇気が鈴の方を見ると、

「お、お願い。先は・・・・・・ちょっと無理」

「・・・・・・わかった」

(俺だって無理だぞ)

 だが、頷いた以上は取り消すことができない雰囲気だ。

 勇気は覚悟を決め、ストローを口にくわえた。

 おお、と上がる歓声。

 それに続き上がる「かーのじょさん。かーのじょさん」という歓声に、鈴は首まで真っ赤にしながらもストローをくわえた。

((ち、近い))

 目を開けると、相手の顔がほとんど目の前に見える。

 心臓の鼓動はあり得ないぐらいに高まり、顔が熱い。

 勇気も鈴も、相手の顔が赤いことで少しは落ち着き、多少の余裕が芽生えてきた。

 そして飲もうとしたとき、勇気の携帯電話が音を立てた。

「んぐっ! げほっげほっ!」

「っ! けほっけほっ。な、なに?」

 飲もうとした間際に鳴った電話の音にびっくりし、二人は一気にジュースを吸い込んでしまい、喉にジュースが詰まり思わずむせてしまう。

 勇気が携帯を取り出すのを涙目でせき込みながら鈴は助かった、と胸を撫で下ろす。

「メール?」

「ああ。なんか呼び出されてるな」

 勇気は率直にそう言い、メールの文面をもう一度読む。

 差出人は昨日アドレスを教えたばかりの彩だ。

『こんにちは。今昨日と同じ場所にいるのですが、もしよかったら来てもらえませんか? まだ聞きたいことがありますので』

『気が向いたら行く』

 適当に変身を打ち、携帯をしまう。

「あ。それじゃもう帰る?」

「まあケーキ食ってからでもいいだろ。強制でもないし」

 勇気はオレンジジュースをそっとテーブルの隅に寄せ、フォークでケーキを切る。

 その時に視線だけで回りの様子をうかがってみたが、もうこちらに注目している客はほとんどおらず、すぐに全員の視界から切り離された。

「はぁ。なんか、ケーキ食べる前に疲れちゃった」

「あとで苦情でも入れとくか。変な勘違いされて迷惑だ、って」

「賛成」

 鈴は頷き、ケーキを切るとパクッと口に放り込んだ。

「んー」

 その瞬間幸せそうな表情になり、フォークを握っていない方の手でほっぺたを抑え始めた。

 もぐもぐと口を動かし、空になると「はあー」とこれまた幸せそうに息をつく。

 そんなにうまいのかと疑問になり、勇気もケーキを口に運んで確かにこれはうまい、と素直に絶賛する。

 お互いに無言のまま手と口だけを動かし、気が付けば勇気と鈴の皿は空っぽになっていた。

「おいしかったー」

 相変わらず幸せそうな表情のまま、鈴はさすさすとお腹をさすっている。

「ふう」

 息を吐くと、鈴は椅子にもたれるように体を少し鎮める。

 その瞼は眠たそうに半分閉じられ、このまま放置していれば寝てしまいそうな雰囲気だ。

「おい」

「んー?」

 けだるそうに返事している声にも、やはり眠たそうだ。

「喰って眠くなるって、お前は本当にガキだな」

「ふーんだ。あたしはどうせ子供ですよーだ」

 ガスッゴンッ

「って!」

 鈴に脛を思いっきり蹴られ、膝がテーブルを打つ。

 二重の痛みで目に涙を浮かべ、勇気は仕返しとばかりに鈴の足を踏みにじる。

 相手が男子なら同じように蹴り返していたが、女子ということである程度は手加減して踏むということでとどめておいた。

「いたいよっ!」

 が、結局は痛いということに変わりはなく、鈴は抗議の声をあげる。

 本気で痛めようとしていたわけではない勇気は足をどけた。

「俺のは仕返しだ」

「あんなこと言われたら誰だって怒るよ・・・・・・特にあたしは小さいから気にしてるんだから」

 むっと頬を膨らませ、鈴はテーブルの隅に押し寄せられていたオレンジジュースをズズズッと一気に飲み込んだ。

 乾いた喉が満たされ、舌を撫でる甘い味は、甘党の鈴にとっては大変満足できる味だった。

「よく飲んだな」

「喉乾いてたもん・・・・・・ふぇっ!?」

 一つ忘れていたと言えば、オレンジジュースなど頼んでいないということだ。

 あるものとすれば、店員が恋人と勘違いして持ってきた『ラブレージュース』。

「いいにくいんだけど」

 勇気は頬をかき、鈴が今使ったストローを指さす。

「それ、多分さっき俺が使ったストローだ」

「ふぇえええっ!?」

 ボッと赤面させ、悲鳴じみた声をあげる鈴。

 恥ずかしいのはわかるが、さすがに悲鳴をあげられれば少しは傷つく。

「な、なんで言ってくれなかったの!」

 半ば八つ当たり気味に、鈴はポカポカと勇気の脛を蹴り始める。

「いや。お前が突然飲みだしたから言う暇もなかったんだ」

 まあ、言う暇があったとしても勇気は最初から言うつもりもなかったのだが。

「うう。初めてだったのに」

「別に直接したわけじゃないんだからカウントしなくていいだろ。つうか、それでカウントされたら俺も初めてってことになるし」

「今のは冗談だよ。でも、なんか煮えたぎらない」

 鈴はテーブルに顎をつけ、蹴っていた足を止める。

 いい加減蹴り返そうとしていた勇気は蹴るタイミングを失ってしまった。

「あーもー!」

 唐突に立ち上がり、鈴は大声を張り上げた。

 なんだ? と勇気が鈴を見るのと同じように、周りの客も鈴に注目する。

「あ」

 そのことに気が付いたのか、恥ずかしそうにうつむきながら立ち上がったばかりの椅子にゆっくりと腰を下ろした。

「おまえは何がしたかったんだ」

「なんか叫びたかった」

 なるほどな、と適当に勇気は相槌を打っておいた。

 それにしても、ずいぶんと鈴もこの店に慣れたものだ。

 最初入った時は勇気の後ろに隠れておっかなびっくりしていたというのに、今では突然叫びだすまでになっている。

 勇気はそのことがなんだかおかしく、ついつい笑みをこぼしてしまった。

「そ、そんなに変だった?」

「なんつうか、予想外だったからな。ここに来た時のお前からは。あの時は緊張しまくりだったのに」

「君が緊張しなくていい、って言ってくれたからだよ。まあ、変なトラブルもいっぱいあったから、多分そのせいもあるけどね」

 えへへ、と照れるように笑う鈴。

「・・・・・・そろそろ出るか」

「ん・・・・・・もうちょっと食べたかったな」

「また来たらいいだろ」

「そだね」

 勇気は会計シートを手に持ち、鈴を連れてレジへと向かった。



「くそ女が」

「ご、ごめん」

 店を出るなり、勇気は鈴に対していきなり暴言を放った。

 それに対して鈴が肩を落として謝ったのにはわけがある。

「なんで財布忘れたのに、今日来るようにしたんだ」

「ち、違うの。持ってきてたと思ったんだけど・・・・・・そ、そう! 学校が朝からあるのが悪いの!」

「お前が寝坊して財布忘れただけだろうが」

「・・・・・・今度は君の分もおごってあげるから」

「別にそこまで金にはうるさくないっての」

 勇気は鈴に背中を向け、ガンマンガのある方向に向かって足を進めようとする。

 弁当を作った後眠くなったから寝て寝坊とか、間抜けすぎる。

「あ、あの」

 しかし、鈴に服の裾をつままれることでその進行は止まる。

「今日はありがと。こんなに楽しかったの、久しぶりかも」

 ほんのりと白い頬が赤く染まり、ニッコリと笑みを作っている。

「そうかよ」

 振り返った勇気は鈴のその笑顔を見ると、笑みを返した。

 楽しかったと言ってもらえたのは嬉しかったし、その笑顔を見られたのは更に嬉しかった。

 それに、いろいろトラブルはあったものの、勇気も確かに今のひと時を楽しんでいた。

 だからこそ、

「まあ、また今度来てみるか? その時はまず店員を黙らせるけど」

 そんなことを口走っていた。

 その時、勇気は自分の中で何かが揺らいだような錯覚を覚えたが、鈴の一言、たった一言でそんなことを考えられなくなってしまった。

「殺したらダメだからね?」

 時が固まったような気がした。

 鈴にとってはただの冗談なのだが、勇気にとってはそれ以上の意味としてとらえてしまっていた。

「あ、あれ。あたし嫌なこと言っちゃった?」

「・・・・・・悪い。その手の冗談は苦手なんだ」

 眉間に手を当て、手を前に出して鈴にそう伝える。

 一瞬鈴に、自分が人を殺していることがばれたんじゃないかと思ってしまった。

 だけど何かがおかしい。

 まれに同じようなことを冗談で言われる時があるのだが、今のように頭が真っ白になるような衝撃を受けたことはなかった。

 だが、いくら考えたところでその答えは出そうにはない。

「あ、ごめん。無神経なこと言っちゃったね」

 さっきまで笑顔だった鈴の顔から笑みがなくなり、代わりにシュンと落ち込んだような表情になる。

「じゃあ俺はもう行くか」

「ん。バイバイ」

 手を振ってくる鈴に手をふりかえし、今度こそ足を進める。

 面倒な後輩の世話を見るために。






「場所間違えたか」

 ガンマンガの個室から長い廊下を抜け、勇気は開閉一番で回れ右をした。

「間違えてませんよ! 黒鈴さん」

「場所は間違えてないことは知ってる。けどな、俺にはそう思う以外方法がない」

 勇気は腕を前に突き出し、彩を指さす。

「なんでメイドコスなんかやってやがる」

 理解不能だった。

 明らかに場違いな服装だ。

「あ、あんまりじろじろ見ないでください。は、恥ずかしいです」

 もじもじとスカートの裾をギュっと抑え、豊かな胸を隠すように抱えるが、余計に強調されている。

 勇気は彩から視線をそらし、菊次郎の姿を探す。

「あの馬鹿は?」

「用事ができた、といって奥の部屋に引きこもってます」

「まあいいか」

「あ、でも黒鈴さんに渡したいものがあるって、あそこに」

 彩の指さす方向を見ると、そこにはトランスケースが置かれていた。厳重に電子パスワード式の鍵がかけられている。

 勇気はそこに歩み、トランスケースに指を這わせた。

 それと同時に能力を開放させ、体中の感覚が鋭くなり、目が血のように赤く染まる。

「く、黒鈴さん。その目は」

「吸血鬼の目は赤い。俺たち『適合者』も力を解放したら目が赤くなり、身体能力も比較的上がって感覚も鋭くなる。簡単なところでいうと視力が上がったり、遠くのものも聞こえたりとかだ」

「そうだったんですか。突然だったのでちょっとびっくりしました」

 ホッと胸を撫で下ろす彩を横目で一瞥し、、トランスケースのごくわずかな突起から四ケタの数字を読み取る。

 その四ケタの数字を入力するとカチャ、という音とともにケースが開き、その中には二丁の拳銃が収められていた。

 両方ともハンドガンに分離されるのだが、双方ともに全くつくりは違う。

 作った会社が違うとかではなく、根本的なつくりからして全く異なっている。

「これは?」

「見たまんまだ」

 勇気は片方を手に取り彩に放り投げる。

「わわっ」

 突然銃を放り渡され、彩は少しの間手の上で銃をはねるように遊んでいたが、ギュッとおそるおそる両手でつかむ。

「ええと。おもちゃ、ですよね」

「本物だ」

「いりませんっ!」

 勢いよく投げ返された銃を勇気は片手で受け止めた。

 正直、今のはほんの少しだけヒヤヒヤさせられた。

「銃を投げるな。あんまりないけど、もし暴発でもしたらどうするつもりだ」

「そんなこと言われても、そんな危険な物持ちたくはありません」

 彩の言いたいことは確かに勇気も十分理解できる。

 確かに人を、吸血鬼をも一撃で殺せるような、いや。殺すためだけに作られているような物を持ちたがらないのは十分理解できる。

「安心しろ。二回ぐらい引き金を引くぐらいだから」

「余計に安心できませんよっ!?」

 ササッと両手で自分の体を抱き、彩は一歩後ろに下がる。

「物を撃つだけだ。いろいろ教えないといけないからな」

「・・・・・・『適合者』? のことでですか?」

「そう言うことだ」

 勇気は悪戯っぽく口元をにやけさせ、もう一度彩に銃を放り投げた。

 それを両手で受け止め、彩は銃口を下に向ける。

「俺たち『適合者』は体にわずかな魔力を持ってるんだ。『吸血鬼』の場合は結構多いけどな」

「魔力、ですか。ますますファンタジーな話ですね」

「実際あるんだ」

「信じますよ。どうせ、これから先も同じようなことを何度も聞かされるのでしょうし。今のうちから慣れておいた方が楽でしょうから」

「ま、そうだな」

 勇気は頷くと、ケースの隣に置かれていた缶ジュースを手に取り、中身が空なのを確認すると彩から数メートルほど離れた場所に設置する。

「これを撃ってみろ」

「でも、私銃のことなんて、アニメで見るぐらいしか知りませんよ」

「引き金を引くだけでいい。その銃に関してはな」

 勇気は彩の隣により、その手を取り銃口を空き缶に向ける手助けをする。

「え、え? あ、あの」

 突然手を取られた彩は、困惑気味に顔を赤くする。

 勇気はそのことに気が付かず、妙に緊張している彩の手を操り銃口を空き缶に向けようと苦戦していた。

「あんまり緊張するな」

「こ、こんな状況緊張ぐらいしますよ・・・・・・それに、恥ずかしいですし」

「恥ずかしい? あ、わ、悪い」

 勇気は彩の言いたいことが分かり、慌てて彩の手から自分の手を放した。

 顔がわずかに赤くなっているところを見ると、ほとんど無意識にやっていたのだろう。

「とりあえず、一回あれに銃を向けてみろ」

「はあ。断っても意味ないんですよね。わかりました」

 もう一度ため息をつくと、彩は空き缶に向けて両手で銃を構える。

 まだ少しぎこちない構えだが、それでも銃口はまっすぐ空き缶をとらえ、そして、

(ちゃんとなってるな)

 彩の黒い目は、血のような赤い色に染まっていた。

 それはつまり、人の力を超えた『吸血鬼』の力を開放しているということだ。

 おそらく彩にとっては無意識なのだろうが、今はそれでも十分だ。

 もしかしたら彩本人は気が付いていないかもしれない。

(けど、なんかあれだな)

 メイド服に銃。

それに胸も大きく、なにやらこれはこれで怪しい雰囲気を醸し出している。

「とりあえず撃ってみろ。多分外れるだろうが、ちゃんと弾道・・・・・・まあ弾を見ようとしろ。あとは当てようと意識しろ」

「わからない単語を別のことで言い換えてくれてありがとうございます」

 むっと頬を膨らませたのは、わからない単語を言われたからだろうか。

「い、いきます」

 そういった彩は引き金に指を当てるが、少し引いただけでそれ以上は指が進んでいない。

 怖いのだろう。怖いに決まっている。

 たとえ撃つものが空き缶だとしても、今彩の手にある物は隣にいる勇気の額に向ければ人を殺すことのできる道具だ。

 彩はさっき銃のことは知らないと言っていたが、アニメも馬鹿にはならない。

 中には膨大な銃の知識があるものもあるし、当然間違った知識もある。

 おそらく彩は撃った弾が跳ね返り、勇気に当たるかもしれない、とでも思っているのだろう。

「お前は何も心配するな。ただ引き金を引けばいい」

「その俺は何でも知ってる、みたいな言い方なんだかムカつきます」

「俺も同じ道を経験したんだ。ある程度ならお前が今何を考えてるのかは予想できる」

「そうですか。じゃあ、今度こそ本当に撃ちます。なんか吹っ切れたので」

 彩はそう言い、もう一度空き缶に狙いを定めると一気に引き金を引いた。

「きゃっ!」

 パアンというバカでかい銃声とともに銃口から弾丸が飛び出し、撃ち出した反動でなのか、その腕は高く上がっている。

 だが、勇気が忠告した通り少し怖がりながらも半分は閉じられている物の、その目はちゃんと弾丸を見ようとしていた。

「っ!」

 カーンカンと狙撃された空き缶には中心に1センチほどの穴をあけ、何度かバウンドしながら壁に当たると転がり始め、すぐにその動きは停止した。

 勇気は空き缶を拾い上げ、さっきの光景を思い出す。

(ちゃんとできてるな)

 そのまま彩の方を見ると、腕は上がったままポカンと口を開け呆然と立ち尽くしていた。

「ど、どういうことなのですか? 今の銃はそこまで高性能なのですか?」

「そういうわけじゃない」

「じゃ、じゃあ。なんで弾が曲がったんですか!」

 そう。彩の放った弾丸はあのままいけば、空き缶にはかすりもしなかった。

 ならばどうして中心に穴をあけるような結果になっているのだろうか。

「まず一つとしてその銃は普通の銃じゃない」

 勇気は彩から両手で抱えている銃を奪い取り、空き缶を宙に放り出すと発砲した。

 今度はプシュッという音が鳴るのみで、さっきのような銃声はなり響かない。

 弾丸は前方に放り投げられた空き缶の動きを変え、空中で軌道を反対方向に変えると勇気の手元に戻ってきた。

 勇気は片手でキャッチし、彩に見えるように前で差し出す。

「これを見てみろ」

「何が違うんですか?」

「穴のサイズが違うだろ」

「・・・・・・」

 勇気の言う通り、弾丸によって開けられた穴は彩のものと比べると倍ぐらいのサイズがある。

 発砲時の音の違い。開けられた穴のサイズの違い。

 同じ銃としては、本来ありえないことだ。

「さっき黒鈴さん言いましたよね。その銃は『普通じゃない』って。どういうことなんですか?」

「銃ってのは引き金を引いたら何が出る?」

「銃弾ですよね。それとも鉛と言ったほうがよかったですか?」

「別にどっちでもいい、今はな」

 少し得意そうな彩にそう言い放つ。

「まずこの銃には弾は込められていない。だからうすうすおかしいとは気付いてると思うが、空薬莢も出てこない。わかるな?」

「はい」

「じゃあ何を撃ち出してると思う?」

 彩は腕を組み唸りながら考え始める。

 弾丸でなければ空薬莢も出ていない。

 そもそもこの銃はどこの物なのだろうか。

 彩は知らないことだが、今勇気の手に握られている銃はパッと見は普通の銃だが、どこの軍人が使っている物でもなければ、カテゴリにも載っていない代物だ。

 そして、表の人間が見たこともない銃だ。

 彩はしばらく考えた末に首を振った。

「正解は魔力だ。話の流れをちょっとは読んでみろ。鮎」

「魔力・・・・・・あれ? 鮎じゃありませんよ! 彩です!」

 むっと頬を膨らませ、ふんっと彩は勇気から顔をそらせる。

 その瞳はすでに黒色に戻っていた。

「説明に戻るぞ。この銃の名前は『魔血銃』だ。さっき言った通り弾の代わりに魔力を打ち出すが、その魔力は俺たち『適合者』の体にあるやつを使ってる」

「そう言えばさっきもそんなこと言ってましたね」

「ああ。そして魔力にはきまった形もないし、きまった動きもない。この銃で撃ちだした魔力の形、大きさを決めるのは俺たち『適合者』ってことだ」

「いきなり難しい説明が来ましたね」

 彩は懐から携帯ととりだすと、メモ帳機能でメモしようとし始めたので勇気は少しためらった後引き金を引いた。

 発射された弾丸となった魔力は彩の手に直撃し、携帯を弾き飛ばす。

「ッ! な、何するんですか!?」

 痛む手を抑えながら彩は困惑と怒りの入り混じった表情で勇気に詰め寄る。

 目の両端には涙の粒が浮かび、怒りで顔は赤い。

「メモを取るな」

 勇気は壁際まで弾き飛ばされた彩の携帯を拾いに行きながら、そう冷たい声で警告する。

「お前は今、死にかけたぞ」

「そうですね。今黒鈴さんに撃たれたのですから!」

「お前は馬鹿か。威力を抑えた『魔弾』を受けたところで傷一つ追うことはない。その手を見てみろ」

「そんなの見なくてもわかりますよ。空き缶に穴をあけるのですから血が・・・・・・威力を抑えた? どういう」

「見たらわかる」

 彩は納得しない表情のまま勇気に言われたとおりに抑えていた手をどけ、撃たれた手を見る。

 血は流れていなかった。

「『魔弾』は撃ちだした魔力のことを俺たちはそう呼んでる。で、今やったように威力を抑えることもできる」

「黒鈴さん。あなたは本当にムカつきます。教えてくれたことには感謝しますが、なんで打つ必要があったんですか」

「ここで見聞きした情報は表に出されるのはいろいろとまずい。だからメモは取るな。絶対にだ。それに、実際に受けてみたほうが分かりやすいだろ」

 彩は投げ返された携帯を受け止め、キッと勇気を睨んだ。

 そして言う。

「私は、あなたのやり方に納得できません。あなたは人を、傷つけようとして遊んでるんですか?」

「ッ・・・・・・!」

 その言葉は一撃必殺の弾丸となり、勇気の胸深くをえぐった。

 勇気が視線を落とし、呆然と立ち尽くしている隣を通り過ぎ彩は菊次郎に貸し与えられていた試着室へと足を運んだ。

「遊んでる、か。ちょっときついな。今のは」

 ちょうどその時奥の部屋から出てきた菊次郎は片手で口を多い隠し、面白そうな微笑をもらしていた。

「クック。痛いところを突かれたね」

「別に」

 勇気がそっぽを向くと途端に菊次郎はまじめな表情を作る。

「君はもうすこし人と接するべきだ。今のままいけば、いずれ君は破滅する。孤独という最大の敵に敗れて、ね」

「・・・・・・あんたは知ってるだろ。俺の過去を」

「正体がある組織にばれたブラックベル。運が悪いことに商売敵の彼らに君の友達二人が殺された、か。なに。我々の中ではよくある話ではないか。相手の心を打ち砕く方法として、大切な友達を殺されるのは。君は妹を殺されなかったのが唯一の救いだがね」

 奥歯を噛みしめ、勇気は乱暴に菊次郎に『魔血銃』を投げつけた。

 わかっている。そんなこと、とうの昔からわかっている。

 だが、それでもだめなのだ。

 はっきり言って、友達二人が殺されたとき勇気は自殺をしようとした。

 自分のせいで死なせてしまった二人。

 これから明るい未来があったはずなのに、奪ってしまった二人に償いがしたくて。

 だが結局は死ねなかった。

 死ぬのが、怖かった。

 人の死を無数に見てきたからこそ、絶命する時のターゲットの絶望に満ちた表情を知っていたからこそ、死ぬということが何よりも怖かった。

 その時に勇気は悟っていた。

 次友達が殺されたら、自分は狂うと。

 そうなれば同じ『適合者』に殺され、死が待っていると。

 ならどうすればいいか。

 答えは簡単だ。いないものは殺されない。

 

 ―――友達と言う存在を作らなければいい。


 だが勇気は間違っていた。

 友達を作ったとしても、敵に正体がばれなければいいということに。そして今もまだ、そのことに気が付いていない。

「とにもかく。君はもくろみ通り、いや。それ以上に彼女に嫌われることには成功した、と考えておこう」

「・・・・・・好きに考えろ」

「だが、君には彼女にあの銃を使えばどうなるのかを教えてもらいたいのだが、どうしたものか」

「・・・・・・」

 おそらく「任せる」と言えば菊次郎は引き受け、まだ教えていないことを進んで彩に教えるだろう。

 だがそれは嫌だった。

 どうして嫌なのかはわからない。

 でも、彩の面倒を見るのを誰かに任せたくはない、ということだけは確かに分かった。

「あいつが帰る前に教えとく」

「ふむ。それでよかろう」

 菊次郎は踵を返し、もと来た部屋に戻ろうとする。

「何かあったか?」

「なに。ちょっとした面倒事だよ。ま、近いうちには話すだろうけどね」

 おどけた風に言っている菊次郎だが、その表情には真剣さがあり、重要なことだということがすぐにわかる。

 勇気は菊次郎の背中を見送り、ケースに収められているもう一つの銃を手に取る。

 ベレッタM92F。それがこの銃の名前だ。

 正式に軍の間でも使われており、『魔弾』などではなく弾丸を撃ちだす誰もが知っている形式の銃。

 人に向ければ確実な凶器となり、引き金を引けばさっき彩に撃ったみたいに痛みを与えるだけのようなことはできずに、確実の血をふらせる。

 ただ、『適合者』にとってはおもちゃ、ガラクタ、いや、ゴミ屑でしかない。

 使えないものなど、ゴミ屑にしかならない。

「今日はありがとうございました。ですが、もう二度とあなたの顔を見たくないので二度と連絡はしません」

 天乃高校の制服であるセーラー服に着替え、出てくるなり彩はそう言い、足早にここから出て行こうとする。

 勇気は一瞬ショックを受けたが、すぐに我を取り戻し彩の腕をつかんだ。

「何するんですか」

「まだ、お前に教えとかないといけないことがある。さっきのことよりも重要なことだ」

「もういいです。どうせ、またわかりやすいとか何とか言って私のこと」

「・・・・・・さっきは悪かった」

「うつん・・・・・・いま、なんと?」

 勇気は僅かに頭を下げ、

「さっきは悪かった。別に傷つけようと思ったわけじゃないんだ。ただ・・・・・・ただ」

「もういいですよ。ですから、顔をあげてください」

 彩の言われるとおりに勇気が顔をあげると、彩は仕方がない人ですね、とあきれるように言った。

「別にそこまで怒っていたわけではありません。謝られて怒っていたら、私の方が恥ずかしいですしね」

 勇気は彩に差し出された手を握り、ぎこちない笑みを返した。

 しばらくそうしていると彩の頬がうっすらと赤みを増していき、恥ずかしそうに顔をそらし始めた。

「あの。もうそろそろ手離してもらってもいいでしょうか」

「あ、ああ」

 手を離すと、勇気はさっそく彩の手に銃を握らせた。

 彩の目が赤くなった。

 キョトンとした顔で彩はしばらく銃を眺め、興味深そうにペタペタと触り始める。

「早速撃ってみろ。スライドを引いてからな。どこかわかるな?」

「はい。よくテレビで見るので覚えてます。あれかっこいいですよね」

「・・・・・・」

 目をキラキラと光らせながら彩はスライドを引く。

 勇気はさっき使った空き缶をさっきと同じところに設置し、少し離れる。

「行きますよ」

「ああ」

 今の彩は殺気みたいなおびえた表情はなく、むしろ爛々としている。

 多分一度銃を撃ったことで何かが変わったのだろう。

 勇気は口元に手を当て、彩に見えないように口元をゆがませた。

 銃口を空き缶に狙いを定め、彩は引き金を引く。

「キャアッ!」

 爆発した。

 小規模で、人には被害がないレベルだが、ベレッタM92Fを破壊する規模の爆発が起きた。

「な、なんですか!?」

 突然の爆発に驚き、彩はしりもちをつき目を大きく見開いていた。

 その瞳は黒い。

 爆発して砕けた銃はパラパラと彩の頭に降り注ぎ、勇気はこらえきれなくなり吹き出してしまった。

「黒鈴さん。知ってましたね?」

「・・・・・・まあな」

「なんで教えてくれないんですか!? さっき許したのに、失敗したと思いましたよ!?」

「まあ落ち着け。怪我はないんだろ?」

「ちょっと痛かったですけどね」

 前に突き出した彩の手には、わずかなやけど跡が付いていた。

 しかしそのあとはわずか数秒ほどで完全に消え、白い肌へと戻っていた。

「魔力ってのは面倒でな、普通の銃を撃とうとすると魔力が邪魔してその銃を壊しちまうんだ。さっきみたいに爆発して」

「それを先に教えてほしかったですよ」

 パッパとスカートを払いながら彩は立ち上がり、頬を膨らませて銃の破片を勇気に投げつけた。

 それを勇気は腕で払いため息をつく。

「ガキか」

「子供じゃないです。ですが怒ってますよ。同じようなことされたのですから」

 フンッとそっぽを向くと、彩は一人勝手に帰って行ってしまった。

 どうやら癇に障ったらしい。

 今のは勇気にとって教えながらのドッキリのつもりだったのだが、彩には『魔弾』を撃たれたときと同じようなショックを与えてしまったようだ。

「今日は厄日だな。子供の相手の後は相手を二回も怒らせるって」

 しかもこの後は家に帰れば優が待っている。

 弁当のことはメールでは怒っている風はなかったが、気が変わりやすいやつだから何んというかわからない。

「片づけは、まあいいか」

 散らばった銃の破片を一瞥し、勇気は携帯で時間を確認する。

 昨日と同じ午後六時。

 これは弁当で怒られなくても、遅いと怒られるかもしれない。






 家に帰るなり優の飛び膝蹴りが飛んできた。

 勇気はそれを片手で受け止め、右方向から飛んできた回し蹴りは上体をそらして回避。

「遅い!」

「手厚い歓迎だな。妹」

「まったく。お弁当渡したのに昨日のお弁当見つけるし、遅いし、妹を名前じゃなくて妹って呼ぶし。なんかいろいろ泣けてくるよ、お兄ちゃん」

 パッと一歩後ろに跳び、優はやれやれと両手と首を振る。

「お前もお兄ちゃんって呼んでるだろ。似たようなもんだ」

「それ言われたら言い返せないような何というか。まあいいや。もう何年も言ってることだし、いい加減諦めたし。はい、お弁当」

 そういうと、両手を出してニコッと優は笑った。

 開いた口からは八重歯が覗き、小さな舌が見える。

 身長は中学三年生としては平均的で、鈴とほとんど同じぐらいだ。

 そのせいか胸はほとんどないが、本人曰く「これから一杯成長する」らしい。

 髪の毛は短く切られており、勇気と同じ黒色。

弁当を差し出すと、優は二つの弁当を受け取り台所にトテトテと走って行った。

 勇気はやれやれと言った感じで頭をかき、優の後を追うように台所へと向かった。

 既に夕食は作られており、台所にはおいしそうなにおいが充満している。

「今日はカレーなのだ」

「お前の好物だな」

「お兄ちゃんが好きな料理教えてくれたら作りやすいんだけど、無いって言うし」

 シュフの優は少し不満げに愚痴を漏らし、二つしかない椅子のうち片方に腰掛けた。

 勇気もそれにならうようにもう片方の椅子に座る。

「今日も菊次郎さんのところに行ってた?」

「ああ」

「・・・・・・やっぱり、私のせいだよね。お兄ちゃんがあそこに行かないといけない理由」

「気にするな。あれはお前のせいでもなければ誰のせいでもない。運が悪かっただけだ」

 暗い表情をした優をフォローするように言ったが、相変わらず暗いままだ。

 いつもこうだ。

 菊次郎のもとを訪れると、いつものように優は自分を責める。

「また告白されたんだ」

「またか。今度のやつは付き合う気あるのか?」

 優は黒い髪の毛を頬に当てながら首を振る。

「顔もいいし、やさしい人。好きじゃないけど、結構タイプ」

「じゃあ今度はいいんじゃないか?」

「ダメ。これは私が自分に決めた罰。お兄ちゃんが友達作らなくなったのは、お兄ちゃんを『適合者』にするきっかけを作った私のせいだから。だから、お兄ちゃんが友達と彼女作るまでは私も彼氏は作らないって決めてる」

 その表情は笑顔そのものだが、目は辛そうに涙で潤っている。

 たしかに、勇気が『適合者』になったのは考え方によれば優のせいにもなりえる。

 だが、そう思っているのは優だけで、勇気はさっき言ったように運が悪かっただけだと考えている。

「喰うか」

「ん。今日もおいしくできたから、いーっぱいおかわりしていいからね・・・・・・まあ、お兄ちゃんあんまりおかわりしてくれないけど」

 優はカレーを口に運ぶと、自分で作った料理だというのにおいしそうに喉を鳴らしている。

 それから優は暗い顔を見せることはなく、今日の学校での楽しかったことや、今度友達と映画を見に行く約束をしたことを教えてくれた。

 基本的に優は明るい子で、学校でも友達は多い。

 おそらく今の優は、さっき暗い顔をしていたということなど忘れていることだろう。

「ふー。やっぱり私の作るご飯おいしいね」

「自分でいうことじゃないだろ。うまいのは確かだけど」

「じゃあいっぱい言う」

 えへへ、と笑う優に勇気も笑い返した。

 できることなら優にはこのままずっと笑ってもらって、暗い顔をしないでもらいたい。

 が、おそらく時間がかかるだろう。

 ゆっくりでも、優の呪縛が解ければそれでいい。

「・・・・・・じゃあ、お風呂入る前にやろ?」

 頬をうっすらと赤く染め、優は上目遣いで勇気も見つめる。

「そうだな」

 勇気は頷き、優の隣に近づく。

「あ、あんまり匂いかいじゃだめだから。今日いっぱい動いたから、汗かいてるから」

「別にそんなこと気にしないって」

「うう。私は気にするんだから。お兄ちゃんのばか」

 膝の上で拳をギュっと握り、少し深呼吸をする。

 そんな優の様子を見ながら、勇気は少しの罪悪感に悩まされていた。

 今日もやるのか、と。

「よし! 準備バッチこいだお兄ちゃん!」

「お前のテンションの変わりようはついて行くのが大変だな」

「友達にもよく言われる」

 微笑をもらすと優は目を瞑る。

 勇気は優の首にかかっている髪の毛を手で触り、優はくすぐったそうに身をよじる。

 しばらくそうしていると優の顔が赤くなり始め、わずかに息も荒くなってきた。

「お、兄ちゃん。くすぐったいよ」

「そろそろいいな? 我慢できなくなってきた」

「ん。いいよ。でも、こんなことお兄ちゃん以外の人にはやらせないんだから」

「わかってるっての」

 勇気はそういうと優の首筋に舌を這わせる。

「ん、あっ」

 優の体が震えたが、勇気はかまわずにもう一度優の首を舐める。

 そして口を開き、その柔らかな首に歯を突き立てた。

「あ、くっ」

 苦痛の声が優の口から洩れ、噛まれた首からは一筋の血が流れ出る。

 その目には涙が浮かび、耐えるように歯は噛みしめられている。

 痛い。

 歯を噛みしめていないと、そんな言葉が口から出てきそうだった。

 勇気は口の中いっぱいに広がる優の血を舌の上で転がし、その甘い味をじっくりと堪能する。

(っと。早くしないとな)

 もうちょっとじっくり味わいたいと思ったが、できるだけ優の苦痛を減らすために勇気は血で喉を潤わせ始めた。

 『適合者』になってからは、定期的に血を吸う生活を送っている。

 そうしないと力が弱まりはじめ、長時間吸わないでいると死に至ってしまう。

 勇気は震えを必死に抑えている優の手に自分の手を重ね、心の中で何度も謝る。

 この行為は『適合者』にとっては至福のひと時なのだが、吸われる側からすれば痛みを味わうだけの時間なのだ。

 今でもたまに優は涙を流すときもあるし、ニュースなどで吸血鬼のことが流れた後だと怖がる時もある。

 優が勇気に対してない責任を感じているように、勇気も優に対して責任を感じている。

 この兄妹の関係は、十年前から狂い始めている。

 


 血を吸い終わると優はぎこちない笑みで風呂場に早足でかけていった。

 傷は『適合者』の唾液に含まれる成分で既にふさいである。

 勇気はベッドに寝転がり、口の中にまだ残っていた血を飲み込む。

 どうすればいいのだろうか。

 優の楽しそうな顔以外は見たくない。

 血を吸われてるときの苦しそうな顔は、見ていると毎回心が張り裂けそうだ。

 こんな関係、できれば終わらせてしまいたい。

 だけど無理だ。

 勇気には、優以外の血を飲むことができない。

 他の『適合者』は人間の血ならば誰の血でもいいのだが、勇気の場合優以外の血を飲むと、猛烈な吐き気とともに高熱をだし、しばらく寝込んでしまう。

 一応は血を補うことができるのだからそれでもいいのだが、その時に優に一日中泣かれたときは、治った後何度も謝ったものだ。

 しかもその時には、「お兄ちゃんが死んだら、私も死んじゃうから」とまで言っていた。

 多分その言葉に嘘はない。

 そんなことで嘘をつくような子ではないのだ。

 菊次郎は言った。

 『君たち兄妹は、どこかいびつだ』と。

 知り合いの『適合者』は言った。

 『なんか怖いな』

 勇気は深いため息をつき、久しぶりに思い出す。

 十年前、勇気が『適合者』になった時のことを。




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