memo.4「ビールとデブリーフィング Part1」
飛行機出てきません。更新遅れてすみません!
漣と私は、小学校から一緒だった。
どうやって出会ったかは、あまり良く覚えていない。多分、漣が啓に誘われて家に来たのが最初だと思う。小学校五年の時にクラスが一緒になった時には、もう友達だったはずだ。
そのまま中学・高校も一緒に、地元の自称進学校に進んだ。その後、中学の修学旅行で漣から告白を受け――私は断った。特に好きな人もいなかったが、恋愛に夢を見ていた私は連との関係を〈恋〉と呼ぶことができなかったのだ。
我ながら子供臭いが、恋仲になった経緯はもっとひどい。高校に入って周りがみんな彼氏を作っているなか、私だけ一人、ということに耐えられなくなり、焦って漣に告白したのだ。そんな状況ではあったが、いろいろと考えてみると、高校のころまでは〈恋人〉というより〈友達〉であったように思える。事情が変わったのは、大学受験の時だった。
私と漣は、同じ仙台の大学を受験した。漣が理学部で、私は医学部。合格したのは漣だけ。私は「もう一回遊べるドン!」を突き付けられた。旧帝大だから一筋縄ではいかないとわかってはいたが、それでも手応えだけはあった。あともう一年頑張れば合格できるという確信があった。この大学に入れば、やりたかった研究ができる。だが、私には実家から一つの命令が下った。「在宅浪人し、地元・青森の大学の医学部に進学せよ」
受験というのは一大産業だ。馬鹿にならない額の金を使う。まして私は高校三年間でかなりの資金を使い果たしてしまった。仙台で浪人するとなれば、予備校の学費だけではなく、浪人しているときの住宅費も余計にかかる。これは実家からの、「これ以上付き合ってられるか」という最後通告だった。
地元にはまともな予備校はなく、私と漣は長期休みに仙台の予備校に講習を受けに行ってなんとかやっていた。私がもう一年勉強すれば受かると思ったのも、その予備校ありきの話だった。映像授業は、私には合わなかった。詰んだ、そう思った。
そこで私が泣きついたのが漣だった。漣のアパートに居候すれば、自分の住居費は格段に安上がりになる。漣が私の両親に信頼されきっていたからこそできた芸当だ。そんなこんなで予算をもぎ取り……仙台に残留したのだ。
後にも先にも、あの頃が一番漣と〈愛し合って〉いた。処女を捨てたのも、確かこの頃だ。不真面目な浪人生だったが、昼間の勉強のおかげで一浪で合格できた。その後〈同棲〉はやめたが、恋仲ではあった。
問題が起きたのは、私が三年、漣が四年になってすぐの頃だった。就職の話になった時、漣は突如こう言ったのだ。「俺は、空自の戦闘機パイロットになる」と。
漣がそっち方面、特に戦闘機が好きなのは知っていた。しかし彼はそれまで「こういうのは趣味だから楽しいのであって」などとお茶を濁していた。仙台市内の企業に適当に就職するつもりだとも言っていた。要するに、漣はいつの間にか、好きなことで食っていく覚悟を決めていたのだ……。
だがその時の私はずっと漣と一緒だと無邪気にも信じきっていた。だから彼が仙台を出ると知った時、私はこう言ってしまったのだ。「このバカ谷崎! 二度とその面見せるな!!」
私は意固地になり、彼に撤回のメールを送ることはしなかった。キャンパスが違っていたし、大学で会うことはなかった。
卒業前、一度だけ街でばったり会った。モヤシのようだった漣は消え、代わりにいたのは細身ながら鍛え上げられた肉体を持つ、一人の男だった。目があうと彼は申し訳なさそうな顔をして俯き……私は逃げ出した。それから一度も会わずに、彼は卒業してしまった。
彼がいなくなってから、私は次第にやる気を失っていった。やりたかったはずの研究にも興味を持てなかった。あんなに熱望していたMh-MD-PhDコースも、取ることはなかった。手先の器用さを買われ、流されて外科になった。つぶしが聞くと思って、総合診療医の勉強もした。惰性と意地だけで国家試験をパスし、金欲しさと一握りの義務感に追い立てられて二年間の研修医期間を終えると……。私は、大学に残る動機を失っていた。
人間は目的のために理由を作る。私は本当は、漣と一緒にいたかっただけなのだ。だが彼を追うには、あまりにも遅すぎた。
仕方がないので地元ではない、地方の大病院に就職した。医師として働くのは楽しかった。恋人がいた時もあった。しかしどちらも長続きはしなかった。勤めていた大病院は整形外科の不祥事でつぶれた。恋人も、結局長続きはしなかった。
食うに困った私を救ったのが、弟の啓だった。松能島で働いている彼の伝手で、何とか診療所に再就職できたのだ。
***
2021年、7月22日。
卑怯な手段かな、と思いながら、彼女は〈魚雷〉で待っていた。
ボックス席では一仕事を終えた海の男たちが、にぎやかに晩酌をしている。しかし彼女のいるカウンター席には、ほかに人はいない。
既にぬるくなったビールを呷る。昨日やけ酒をしてかなり酔ったから、あまり酔えない。酔おうとすると二日酔い覚悟でかなりの量を飲む必要がある。それは望ましくないし、それに今日は酔いたいわけではない。
待ち合わせの場所は本当は、自分や待ち人の自宅でもよかった。だが彼女は落ち着いて話せる場所がほしかった。最初の再開――正しい言葉ではないだろうが――で少々劇的なことを、否、超衝撃的なことをしてしまったのを考えると、どうしてもそのことが必要に思えたのだ。
――卑怯でも、いいか。
彼女はそう思いなおす。もともとの原因はあっちだ。卑怯もへったくれもあるものか。彼女はさらにビールを呷った。
「よう、雨宮」彼女は横から、待ち人の声を聞いた。「いい飲みっぷりだな」
「遅い」
奏は漣に、短く返した。
***
――いやいや、いやいやいや……。
漣は自宅でその書置きを読み、しばし固まっていた。
「『ネックレスは預かった。返してほしくば本日中に〈魚雷〉に来い』って……」
部屋からは〈彼女〉のネックレスが忽然と消えている。ドッグタグは残っていた。
――うかつだったな……。師匠の名前書いてたなあれ……。
さしずめ、師匠の名からネックレスを〈恋人からの贈り物〉と判断したに違いない。訂正。判断したのかもしれない。
奏にとっては、昨日セックスした相手が元彼女を引きづっていた、なんてことは面白くないに違いない。ついでに空自を辞めた理由も問いただして……ということなのだろう。
漣は早着替えで私服をまとう。三十年そこらの人生経験から行くと、こういうたぐいのことはスピードが命だ。迅速に済ませないと、話はさらにこじれる。
時刻は七時半。
彼は家を出た。
実際のところ、ネックレスはあっけなく返された。
「ほい」そ奏が渡したネックレスを、
「ん」と漣が受け取った。それだけだった。
「いいのか?」漣が聞く。
「なにが?」
「……色々と」
「どうしてまた」
「……色々あるんじゃないかと思ってきたからな」
「例えば?」
「……私が空自辞めた理由、とか?」
師匠の名のことは、あえて避けた。余計なトラブルは避けたい。
受け取ったワシを、自分の首にかける。少し、奏の体温が残っていた。
ふと、奏が自分の顔を覗き込んでいるのに気づいた。
「それじゃあ」奏が口を開く。「『ツチヤナツ』って人のことと合わせて聞きましょうか」
奏の表情には見おぼえがった。漣の部屋で、少々特殊な趣味のピンクな本を見つけた時の顔だ。
かなわないな、と思いながら漣は。「いいぜ」
ビールのよく冷えたのを、小瓶で頼んだ。
次話投稿は、3月28日月曜日の予定です。